第四章 帝の愛妾

カイ。あなたの子。かわいいでしょ?」


 銀色の長い髪に緑色の瞳の愛しい女性はそう言って海に笑いかけた。その腕には元気そうな赤子が抱かれている。柔らかな黒髪がうっすらと生え、大きな瞳は母親と同じ緑色だった。


「海。ねぇ。どうして探してくれなかったの?私ずっと待っていたのに。ずっとこの子と待っていたのに」


 場面は展開する。


 森の中で、成長した赤子が母親そっくりの緑色の瞳をカイに向けている。


「殺してやる!」


 少年はその瞳に憎悪を湛え、海に向かって跳んだ。


「!」


 海はそこで目が覚めた。

 真っ暗な部屋の中にいることがわかる。

 

(夢か……)


 海――帝は体を起こす。汗で着物が濡れていた。長い黒髪も同様で、帝はその気持ち悪い感触に目を細める。


(夢…ではない。 確かにレイの息子、わしの息子はわしを殺そうとしていた)


 あの緑色の瞳に浮かんだ感情、それは憎悪のみだった。

 麗が生きていたなんて思いもしなかった。

 知っていれば、この手に抱きしめ、最後まで添い遂げたかった。


 雁山かりやまの事件から数日が経過していた。

 ソウのことは他言させないように関係者に申しつけた。

 

 紫曼しまんの街から戻った典から四カ月前に麗が病死したことを聞いた。そして残された息子草を使い、何者かが自分の命を狙っている可能性があると報告を受けた。


(自業自得だな)


 帝は自虐的な笑みを浮かべると部屋を出る。部屋の前に待機していた警備兵を押しとどめ、帝は寝殿の外に出る。

 美しい星空が上空に広がっていた。空気も澄んでおり、汗に濡れた体には心地よかった。



*


「あり得ない」


 ランはぶつぶつと文句を言いながら、宮内を歩いていた。部屋で寝ていたら、ケンが入ってきた。文句を言おうとしたら、ミンに制止された。

 そして部屋を追いだされた。


(二人とも節操がなさすぎ!)


 藍達が宮を離れている間、二人の仲はかなり進展…。

 進展しすぎてるようで、呪術司もあきれるほどのいちゃつきぶりだった。


 呪術司のテンが帰ってきた今、賢はキョウの部屋に泊まっているはずなのだが、突然明の部屋に入ってきた。藍は明の部屋に居候している身、文句もいえず、部屋を出る羽目になった。


(野宿?)


 とぼとぼと歩いていると目の前に人の姿が見える。

 暗闇で色彩がわからず、それが帝だとわかったのは呼び止められてからだった。


「麗…藍か…」

「帝様!」


 藍は慌ててペコリと頭を下げる。


「どうした散歩か?」

「…はい」


 部屋を追いだされたとは言えず、藍は曖昧に笑う。


「どうだ、わしと一緒に散歩しないか。眠れないのだ」

「…はい」


 黒髪を降ろし、簡素な着物を羽織る姿は昼間の帝とは違う印象だった。

 自分より相当上、典を同じ年頃であるはずの帝だが、こうしてみると自分より下の様に見えるほど華奢に見えた。


「藍。すまないな」


 宮内の庭園をゆっくり歩きながら、帝はそうつぶやく。眉が潜められ、唇は痛みにたえるように閉じられていた。


「すまないなんて、そんな」


 黒国の頂点に立つ帝にそう言われ、藍は恐縮して俯く。

 その様子を帝は眩しそうに見た。


「藍…」


 藍が顔を上げると帝の黒い瞳に中に苦悶の色を見て取る。


(まだ好きなんだ。麗さんのこと……)


「藍。触れてもよいか」

「!?」


 藍はぎょっとして目を見開く。その様子がおかしかったようで帝は笑いだした。


「すまない。冗談だ。さあ、そろそろ部屋に戻ろう。警備兵が心配しているはずだ」

「はい…」


 くるりと方向を変えて歩き出す帝に藍は黙ってついていく。

 麗の姿の自分に向けられる視線はとても苦しく、藍は胸が突かれるような気持ちになった。


「帝、藍殿?!」


 帝と寝殿近くまで来ると、肩を落とす警備兵の隣に険しい表情の警備隊長の姿があった。

 強さんってやっぱり警備隊長なんだ。

 飛ぶのを怖がっている様子とはまったく違う。


「帝、おひとりで散歩など危険すぎます」


 強は厳しい視線を帝に向ける。


「強、そう怒るではない。ほら、こうして優秀な呪術師も側にいたのだ。安心するがよい」

「しかし……」

「わしは休むぞ。一晩歩き続けて疲れたのだ」


 警備隊長にそれ以上小言を言わせないように帝は大きなあくびを見せる。


「藍。お前も休むがよい。付き合わせてすまなかったな」


 愛しい女性と同じ姿を持つ藍に帝は穏やかに微笑むと部屋に入っていく。

 強はため息とつくと、警備兵にしっかり警護するように言いつける。そして藍に目を向けた。


「藍殿。部屋まで送ろう」

「いや、いいですよ」


 部屋に戻ったらとんでもない場面に遭遇するかもしれないと藍は両手を振って答える。


「いいから。藍殿」


 そんな藍の腕を掴み、強は強引に歩き出した。


「強様!」


 ずんずんと、警備兵の姿が見えたくなるまで歩くと強は藍の腕を離す。


「すまないな。さすがに部下の前では話せないし。兄さんが藍殿を部屋から追い出したのか?」

「よくわかりますね。さすが弟さんだ!」


 掴まれた腕をさすりながら藍は答える。


「藍殿?強く掴みすぎたか?すまないな」


 それを見て強の顔が心配気に曇った。


「いつもの体じゃ、痛くないんですが、この体は痛みを感じやすいみたいで」


 赤くなった腕を見せて藍は苦笑する。


「今度から気をつける……。藍殿」


 無敵の警備隊長がそう言った後、言葉を詰まらせる。しかし覚悟を決めると再び口を開いた。


「一晩中外にいて疲れただろう。俺の部屋で休むといい」

「?!」


(俺の部屋?!)


 藍が目を大きく開いて見ると男前の警備隊長はこほんと咳をした。


「そ、そんな意味ではない。俺はこれから用事で呪術部に向かう。部屋には戻らない。鍵をかけておけば邪魔するものはいない。明殿の部屋には兄さんがいるのだろう?寝ないわけにはいかないと思うのだが…」

「そうですね…」


 藍はすこし顔が赤くなった男前の顔を見ながら苦笑する。


「じゃ、すみません。部屋を貸して下さい」


 そうして藍は強の部屋で仮眠を取ることになった。

 

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