第748話 愛月鉄灯

 万和6(1581)年8月3日。

 朝、城門前には沢山の人だかりができていた。

「遂に立花様がご出産かぁ」

おのこか。お世継ぎは確定かな」

「4人がほぼ同時にご懐妊され、同時にご出産されるとは……」

「お殿様は、本当に子宝に恵まれているな」

 都民の視線の先にあるのは、四つの掛け軸。

璃子りこ』   (母・橋姫)

陽菜ひな』   (母・早川殿)

遥人はると』  (母・誾千代)

流星りゅうせい』(母・アプト)

 全て今回生まれた子供の名前だ。

「子煩悩なお殿様のことだから、名付けるのに1か月かかると思ったが、意外と早かったな」

「城に勤めている知り合いの侍女が言うには、陛下やお市様らが、熟考するお殿様に呆れて、お殿様以外で相談し合ってお決めになられたそうだよ」

「お殿様……」

 苦笑いする都民であるが、対照的に大河は笑顔であった。

「……うんうん」

「兄者、もういいんじゃない?」

「え~。まだまだ」

 新生児を抱きかかえた大河は、赤ちゃんを離さない。

「「「「……?」」」」

 4人は、不思議そうに大河を見上げている。

 やがて、泣き出した。

「「「「おぎゃあ! おぎゃあ!」」」」

「おうおう、ごめんよ」

 慌てた大河は、4人をそれぞれの母親に渡す。

「まだ父親慣れしてないみたい」

「嫌わてやんのwww」

 苦笑いの誾千代と嘲笑する橋姫。

「若殿、申し訳御座いません」

 謝るアプト。

 まさに三者三葉だ。

 唯一、経産婦の早川殿のみ冷静沈着である。

「皆、夫より子供を優先しなさい。ほら、泣き止まないわよ」

「あ」

「そうだ」

「流星、ほらお母さんだよ~」

 ここから先は、母親と女官が一緒になって育児を行う為、大河は殆ど見守ることしかできない。

「お江、連れてって」

「はい、春様」

 早川殿の指示により、お江は大河を引きずって退室する。

「兄者は私たちの相手だよ」

「私たち?」

「そ。皆、首を長くして待ってるから」

 大河が赤ちゃんたちにデレデレな間、お江たちには不満が溜まっていた。

 こういうのは意外と軽視出来ない部分がある。

 嫉妬心の末、殺人事件に発展する可能性だって考えられるからだ。

(しゃーない、か)

 今は赤ちゃんと母親が良好な関係を構築する時間———と割り切って大河は涙を飲む。

 後ろ髪を引かれる思いで、お江の手を握り直す。

「兄者は子煩悩なのは良いけど、次は私だからね」

「順番的にはお初———」

?」

「ごめんなさい」

 乾いた笑顔で訊き返され、大河はすぐに謝る。

 普段はおっとりしているものの、やはりそこは浅井長政の娘だ。

 過酷に戦国時代を生き抜いただけあって、その迫力は凄まじい。

「兄者♡」

 指を絡めて、お江は力を加える。

「私もね。あんな可愛い子供を産みたい」

 母性本能が刺激されたのか、お江はいつも以上に積極的だ。

「……分かった。でも、順番は覆せないよ」

「やっぱり?」

「お初が嫉妬して、姉妹同士で殺し合いはしたくないだろう?」

「……うん」

 史実の三姉妹は、夫を介してだが、最後は壮絶な敵対関係になってしまった。

 茶々→淀殿として大阪夏の陣で散る

 お初→徳川氏、豊臣氏の和解に奔走

 お江→徳川秀忠の正妻になり、皇室の先祖の1人になる

 あくまでもこれは史実の世界線であって、これが現実になる可能性は低い。

 それでも、油断大敵だ。

「……兄者って女癖悪いけど、意外とそういう所は、厳しいよね?」

「火種は未然に摘まないといけいないからね」

「うん……」

 理解を示しつつも、お江はまだ不満げで大河の手を強い握力で離さない。

(未熟だな。俺もだけど)

 内心で苦笑いしつつ、大河は、もう片方の手で、その頭を撫でるのであった。


 部屋に戻ると、朝顔、ヨハンナ、お市、茶々の4人が待っていた。

 彼女たちは、今回の新生児の名付け親である。

「追い出されちゃった感じ?」

 朝顔は笑って、座った大河の膝に飛び乗った。

「そうだよ」

 素直に認め、朝顔を抱擁する。

「本当は自分でも育児したいんだけどね」

「我慢し。まずは母親慣れさせないと」

 大河が育児から一時期、外れることになったのは、仕事が原因だ。

 事実上の専業主婦である妻たちと違い、内勤ながら不特定多数の人々と接する機会が多い大河には、赤ちゃんに悪い様々な菌を持っている可能性がある。

 そういった事情から、実験的に離れる手段が採られているのだ。

 お市の膝に乗ったお江が、微笑む。

「その間、兄者は私たちと過ごせばいいの♡」

「そうそう」

 ヨハンナも同調する。

「その分、私たちが愛するからね♡」

 正妻が育児に集中する間、大河の夜伽は側室に集中する。

 まさに『棚から牡丹餅ぼたもち』だ。

「母上、お江、程々ほどほどにね?」

「「はぁ~い♡」」

 母娘は長女の苦言には、馬耳東風。

 大河を挟撃し、その耳元で愛を囁くのであった。

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