第741話 舟中敵国

 万和6(1581)年7月16日。

 大河は朝から、上機嫌であった。

「あにうえ、いいことでもあった?」

「昨日ね。久々に累と添い寝出来たんだよ」

「いいなぁ。累様」

 羨ましそうに寝室を見る。

 早朝に大河を探しに行った累は、その分、御寝坊さんだ。

「羨ましい?」

「うん。わたしも、あにうえとそいねしたい」

 与免は、唇を尖らせる。

「いいけど、おねしょ直してからね?」

 寝小便は、幼児あるあるだ。

 5歳未満の場合は問題視されないが、5歳以上で月1回以上又は3回以上ある場合は、夜尿症やにょうしょうと診断される(*1)。

 時々、おねしょをしてしまう子供の割合は(*1)、

 5~6歳   :約20%

 小学校低学年:約10%

 10歳児   :約5%

 成人    :稀

 その原因は、

➀夜間の尿量が多い

②膀胱に溜められる尿量が少ない

③尿が溜まっても尿意で目を覚ますことができない

 などだ(*1)。

 山城真田家で5歳未満は、

・累(4)

・与免(4)

・元康(3)

・猿夜叉丸(3)

・心愛(2)

 の以上5人である。

 この子供たちは、5歳未満なので定義上、いくら寝小便しても問題視されない。

 それでも最年長の累は、減少傾向にある。

 一方、与免はまだ多い。

 累は大河の実子であり、同い年ながら与免の義理の娘になる。

 娘の手前、早めにおねしょは直したいのだろう。

「うん。がんばる♡」

 握り拳を作り、与免は決意するのであった。


 同日。

 急性腰痛症ぎっくり腰から鶫が復職する。

 治るには負傷している部分にもよるが、約10日~2、3週間程度(*1)。

 強い痛みの場合は3日間~1週間程度痛み、その後、約2週間は、動作時の痛みや違和感、凝り感など不安定な状態が続く場合がある(*1)。

「もういいのか?」

「はい。大丈夫です♡」

 鶫は笑顔で腰に貼った湿布を見せる。

 無理をすれば悪化しそうな気がするが、一応、主治医の許可を取っている為、問題は無いだろう。

 鶫が復帰した為、代替要員はこれでにて任期終了なのだが、稲姫、井伊直虎に離任する気は毛頭無い。

 あくまでも居座る気である。

「……用心棒班から離れないんだな?」

「「はい!」」

 2人は元気よく返事した。

「……人事権はアプトが持ってる。若し居続けたいならアプトを説得してこい」

「「は!」」

 直前同様、幼稚園のようなすこぶる元気な返事だ。

 敬礼後、2人はアプトの居る病室に駆け出した。

 2人を見送った後、大河はおもんばかる。

「鶫は無理しなくていいからな?」

「では、帯同してもいいですか?」

「……常に?」

「前線での工作活動は、完全に癒えるまで控えて、その間、若殿のおそばに常にいようかと」

「……休日も?」

「はい♡」

 鶫の瞳は、どす黒い。

 完全にヤンデレのそれだ。

 傷病休暇中に寂しさと嫉妬心が増幅し、これまで以上に病んでしまったようだ。

 一見、夜叉やしゃにも見えるその表情に大河は苦笑いだ。

「いいけど、休日出勤などの問題があるから人事課と相談した上でしてくれ」

「それが条件ですか?」

「ああ。じゃなきゃ、気にするからね」

 家臣の給料のことを考える大河は、名君の代表格だろう。

「では、相談してきますね?」

「行ってらっしゃい」

 鶫は微笑んで大河の頬に接吻した後、先ほどの2人を追いかけるように部屋を飛び出していく。

 100mの女子世界記録は、フローレンス・ジョイナー(米 1959~1998)が持つ10秒49だが、瞬発力に限っていえば、この3人の方が勝るかもしれない。

 大河は、床几しょうぎもたれると、左右に居た姫路殿と摩阿姫まあひめを抱き寄せた。

「大変ですね。部下を持つのは」

「そうだね。本当は自分で動きたいんだけど」

「若殿がご自身で動かれると現場が大混乱になります故、お止め下さい」

 同情する姫路殿と、厳しい口調で諭す摩阿姫。

 非常に好対照な2人だ。

 床几を移動させ、大河は姫路殿の膝に頭を預ける。

「味方は君だけだよ」

「あらあら♡」

 姫路殿は、腰を曲げて大河と接吻。

 その際、流し目で摩阿姫を見ることも忘れない。

 大人気ないことだが、2人は恋敵の関係だ。

 流石に直接、口喧嘩や暴行に発展することはないが、こういった冷戦は日常茶飯事である。

 一応大河が気づいた度にとがめる為、彼の目のある時には控えている姫路殿だが、今回ばかりは「先制攻撃」ということで行った。

「……」

 対しては摩阿姫はその挑発に乗ることは無く、

「若殿も気苦労が絶えませんね」

 と同情し、添い寝。

「摩阿、分かってくれるのか?」

 チョロい大河は、摩阿姫を頭を撫でて涙ぐむ。

 欲して昇進した訳ではない為、大河も無意識の内では悩んでいるのだ。

「よしよしですよ♡」

 摩阿姫は大河の頭を撫で返しつつ、姫路殿を見上げた。

「……」

 彼女は彼女で睨み返す。

 それぞれ羽柴秀吉の元側室、前田利家の娘ということで、前夫と父親が親友なのであるが、その家族同士も絶対に仲良くなれるかどうかは言い難い。

 大河の知らぬ所で、新たな冷戦の火蓋ひぶたが切って下ろされそうになっていた。

 

[参考文献・出典]

*1:ミューザ川崎こどもクリニック 2020年8月11日

*2:ハート・メディカル・グループ 2021年3月1日

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