第691話 誠惶誠恐

 万和6(1581)年5月6日。

 山形城で一泊した大河は、明け方。

 城の北側を流れる馬見ヶ崎川まみがさきがわを訪れていた。

 平成元(1989)年から行われている『日本一の芋煮会フェスティバル』もこの河原かわらで行われている。

「……」

 誰も居ない明け方の無人の川岸で、大河はチャプチャプと水に触れていた。

「若殿?」

 珠が隣に座る。

 まだ眠そうな顔だ。

「お早う。まだ寝てて良いよ」

 時刻は、とらこく(現・午前3~5時)。

 多くの人々が眠っている時間帯だ。

「若殿を単独行動させる訳にはいかないじゃないですか」

 反論した後、欠伸あくびをしながら寄りかかる。

「私を早起きさせたのです。付き合っていただきますよ」

「……ああ」

 大河も応え、珠を抱き寄せる。

 護衛も従者も居ない、完全なる私的プライベートな時間だ。

「何故、早朝に川に?」

「昨晩は寝苦しくてな。気分転換に来たんだよ」

御一人おひとりで?」

「そうだよ」

「……お邪魔でしたか?」

「全然」

 おびえた目の珠の頭を、大河は優しく撫でる。

「1人はやっぱり寂しいから2人以上が良いな」

「……2人きりではいけませんか?」

 珠がずいっと、顔を近づかせて来る。

「2人の方が良い?」

「時々ですが……若殿を独占したいのは、本心です」

「……」

・妻

・婚約者

めかけ

 が多い大河と2人きりになるのは、至難の業だ。

 恋敵を出し抜いたとしても、小太郎などの用心棒が居る為、事実上、ほぼ不可能と言えるだとう。

「……ありがとう」

 大河は優しく強く抱き締める。

 このまま愛し合うことも出来なくはないが、流石に公然猥褻罪こうぜんわいせつざいで逮捕されたくない。

 ましてや、大河は近衛大将だ。

 逮捕されれば、社会的影響力がだろう。

「……若殿、痛いです」

「済まんな」

 謝って力を緩めるも、大河は離れない。

 太陽が出てくる。

 その光は2人を照らし、夜明けを告げるのであった。

 

 完全に陽が出て来た頃、2人は城に戻る。

 山形城は最上氏の居城だけあって普段は、最上兵しか居ない。

 しかし、今は最上兵以外に、

・山城真田兵

・伊達兵

・上杉兵

 も駐屯ちゅうとんしている。

 これだけ警備が厳しいのは、上皇・朝顔が来ているのもそうだが、それ以外にも理由がある。

 現在、滞在しているのは、朝顔以外にも、

・ヨハンナ(元バチカン市国教皇)

・ラナ  (布哇ハワイ王国王女)

 万一、2人が傷つくようなことが起きれば、日ノ本の平和外交に大きな打撃を与えかねない。

 歴史的にも明治24(1891)年5月11日。

 当時、訪日中のロシア帝国ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ皇太子のニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ(後のニコライ2世 1868~1918)が滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警察官・津田三蔵(1855~1891)に殺されかけた、所謂いわゆる大津事件が起きている。

 この時、日露関係は急速に悪化し、後の日露戦争(1904~1905)の遠因の一つになった。

 現在、日ノ本は世界唯一の超大国であるが、戦争を好んでいる訳ではない。

 その為、不要な国賓襲撃事件は外交上、絶対に避けたいのである。

 四つの隊から来た4人の軍人達は、2人を見るなり最敬礼で城門を開けた。

「ご苦労」

「……」

 立場上、横柄な態度を取らざるを得ない大河とは真逆に、珠はお辞儀する。

 しかし、軍人達は返礼することはない。

 それどころか、珠と目を合わすことすらない。

 失礼極まりない行為だが、これには軍人なりの事情があった。

 ―――近衛大将の妻妾さいしょうと目を合わしてたり、会話してはならない。

 そんな不文律ふぶんりつが軍人の間で浸透していた。

 その原因は大河にある。

 普段は、家臣からも慕われている名君なのだが、女性が絡むと嫉妬の色を隠さない。

 実際、鶫が歌舞伎役者に罵倒された時もその場で叩きのめした。

 その後、歌舞伎役者は、急死している。

 瓦版では「病死」と報道されているのだが、大河に近い軍部では、彼が手を下したことを知っている。

 この話に尾鰭おひれがつき、「妻妾と関わるな」という不文律が完成されたのだ。

 2人が城門をくぐり、入城を確認後、

(今日も生き延びた……)

(今回も目を合わせなかったぜ)

(’近衛大将は名君なんだけどなぁ)

(毎回、肝が冷えるぜ)

 4人の軍人達は顔を見合わせ、大きく安堵の溜息ためいきを漏らすのであった。

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