第649話 暴走ノ豪

 散髪後は、洗髪だ。

 そこは、洗面所にて井伊直虎が洗う。

「おかゆい所は御座いませんか?」

 わしゃわしゃと大河の頭を揉みしだく。

「無いよ~」

 軽く返事する大河。

 その腹部には、コアラの様に伊万がしがみついている。

 屈んでいる為、姿勢がきついが、甘え状態になった彼女がそう簡単に離れる事は無い。

 大河の左右の手は、楠、ナチュラが握っている。

 2人は、大河が身動きがとれない事を良い事に肩甲骨や背筋等を触り、その筋肉を堪能していた。

「いつ触っても気持ちいいね?」

「そうですね」

 首肯したナチュラは、ふと自分の二の腕や腹部を触って比べる。

「如何したの?」

「あ、若殿は前線から離れているのにいつまでもこの御体おからだを維持している反面、私はちょっと太ったかな? と」

 よく見ると、少し贅肉ぜいにくが出来ていた。

「……」

 楠も自分の箇所を確認する。

「ちょっと太っちゃったね?」

 無理も無い。

 血で血を洗った戦国時代が終われば、現在は事務職デスクワークが中心な社会だ。

 2人も又、訓練よりも事務職が多くなり、半分、文官の様な感じだ。

 そんな状況下で筋肉を維持するのは、困難であろう。

 頭を洗われつつ、大河は言う。

「あんまり筋肉つけなくても良いよ。健康にあった体が1番だから」

「そう?」

 痩せろ、とは言われない為、楠は安堵の表情だ。

 ナチュラが問う。

「若殿は如何やって維持を?」

「あんまり助言にはならんかもしれんが、適度な運動と栄養のある食事、よく寝る事かな?」

「運動って……毎日10里(約40㎞)も走れませんけど?」

 大河は時間を見つけては走る傾向がある。

 事務職を行い、家族サービスを並行しつつ、訓練の一環としてこれだけの距離を走るのだから正直家臣には、たまったものではない。

 一応、城内の訓練場を周回するだけなのだが、それでも家臣は誰もついていけていない。

 それ程、大河の体力は凄まじいのだ。

 又、マラソン以外にも射撃訓練や腹筋運動等も欠かさない為、無理をした家臣は、皆すべからく疲労骨折に遭っている。

「若殿、終わりました♡」

「有難う」

 桶に張った微温湯ぬるまゆで顔を洗い、直虎から手巾を受け取り、顔全体を拭く。

 そして、最後に眼帯を着ければ完了だ。

「さぁて。伊万」

「はい?」

 びくっとしつつ、伊万は見上げた。

「遊びに行こうか?」

「へ?」


 半刻(現・1時間)後、大河は、自室に居た。

 伊万を抱っこして、愛姫が書いた新作小説を読んでいる。

「……若殿、良いんですか? お仕事?」

「半休取ったし、良いよ~。別に」

 余りにも軽い返事だ。

 因みに楠は、大河の背中に寄りかかって、同様に読書を行い。

 ナチュラは台所で昼食を作り。

 直虎は、直政を連れ込んで自室の案内を行っている。

 これ程リラックスした大河は、殆ど見た事が無い為、伊万は呆気にとられるばかりだ。

 大河が半休、というのはすぐに伝播でんぱした様で、

 ピンポーン!

 玄関のチャイムが鳴ったと同時に扉が開く。

 そして勢い良く、豪姫が飛び込んできた。

「にぃにぃ!」

「おおっと」

 片手で伊万の襟首を掴んで、浮かすと、その空いた場所に豪姫が突っ込む。

 あと数瞬遅れていたら、2人は衝突していた事だろう。

「元気だな? 勉強は?」

「さぼった♡」

 国立校創設者を前にこれ程堂々と言い放つのは、逆に清々しいだろう。

「おいおい、大丈夫なのか?」

「う~ん……たぶん?」

 豪姫の頬や手指しゅしには、沢山の墨が付着している。

「習字してた?」

「うん」

「確かこの時間帯は?」

「綾様です」

 騒ぎに気付いた直虎がやって来ては、答えた。

 綾御前は、城内の寺子屋で孤児を集めて習字等を教えていた。

 孤児と名家の御令嬢が一緒の机で勉強するのは、中々余り見ない光景だろう。

 然し、「学問を学ぶ上では出自に関係無し」という大河の考えの下が寺子屋でも反映され、その様な形になっているのだ。

「学生が行方不明になっているんだ。今頃、大騒ぎになっている筈だ。済まんが、綾に伝えにいってくれ」

「は」

 直虎は、直政を連れて出ていく。

 本当なら大河が自分で言いに行けば手っ取り早いのだが、情緒不安定気味の伊万を連れていく事は困難だし、かと言って1人にもさせたくはない。

「えへへへへ♡」

 純真無垢な笑顔に大河は、怒れない。

 余りにも騒がしさに楠も諦めたのか、ぱちんと本を閉じると、

「貴方♡」

「ん?」

「うるさい♡」

 笑顔でそう言うと、膝に座った。

 手首が痺れて来た為、大河は伊万を下す。

 無論、先程同様、膝の上だ。

「若殿、昼食の御準備が出来ました。あら?」

「済まんな。1人追加だ」

「豪様♡」

「なちゅら~♡」

 2人は、ハイタッチの流れで『アルプス1万尺』になるのであった。


 豪姫が大河が半休になったのを知ったのは、電光掲示板の存在が大きい。

 京都新城では、有給休暇取得者の名前が、電光掲示板で表示されているのだ。

 これは同僚がある人に仕事を頼みたくなった時、その人を探す手間が省ける事を目的としている。

 こうする事により、無駄な時間の浪費が無くなり、仕事は円滑スムーズに行われる様になった。

 余談だが、ホワイト企業なので、有給休暇を取ってもとがめられる空気は無い。

 有給休暇は、労働基準法により定められた労働者の権利である為、逆に消費する様に義務化されている程だ。

 そんな労働環境の為、京都新城では、至る所に『今日の有給休暇取得者』として名前が電光掲示板で映し出されている。

 教室移動時、ふとそれに気付いた豪姫は、「遊んでもらえる」と思い、低層階から天守まで駆け上がって来たのであった。

 汗を搔いていた豪姫は、ナチュラと共に浴室に入り、再び大河の下へと帰ってくる。

「きれいになった♡」

「うん。そうだね」

「えへへへへ♡」

 ちょこんと、当たり前の様に膝に座る。

 既に占拠していた楠、伊万は苦笑いだ。

「豪、元気だね?」

「羨ましいです……」

 7歳児に圧倒される17歳と7歳。

 7がこれだけ並べば、パチンコだと大当たりだろう。

「にぃにぃ」

「うん?」

「遊ぼ?」

「う~ん。じゃあ、何する?」

 伊万と過ごす為に取った半休だが、豪姫に持っていかれそうだ。

 大河は苦笑いしつつ問いかけると豪姫は、少し考える素振りを見せて、

「……ろーどく!」

「何の?」

めごさまのえほん!」

「分かった。ナチュラ、済まんが頼む」

「は♡」

 ナチュラは本棚に行き、愛姫作の絵本の全作品を出してくる。

「いっぱい♡」

「どれがいい?」

「ううんと、これとこれとこれ。あと~……」

「1冊ずつな?」

 それから大河の朗読会が始まり、それが終わればナチュラが作った昼食を全員で摂るのであった。

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