第579話 秋風索莫

 学校帰り。

 馬車に乗っていると、俄かに外が騒がしくなる。

「……?」

 朝顔を気にしつつ、外を伺うと、貴族が何やら叫んでいた。

 馬車の速度が遅くなる。

『台湾を―――進駐―――』

 朝顔が居る手前、内容は違うが、明治34(1901)年12月10日、東京市(現・東京23区)日比谷で帝国議会から還幸かんこう中の明治天皇に足尾銅山について直訴した田中正造(1841~1913)の様だ。

 余談だが、この時の直訴状は、明治天皇に届く事は無く、直接伝わったのは、平成26(2014)年5月21日、当時の天皇皇后両陛下が田中正造の出生地である栃木県佐野市を御訪問された時の事で、実に、直訴未遂から113年後の事であった(*1)。

「何、かな?」

「多分、狂人だよ」

 明治34(1901)年の時同様、大河は隠す。

 それから、向かい側の鶫に目配せ。

「……」

 鶫は首肯し、御者の小太郎に手話ハンドサインで、「続行」と伝えた。

 大河が下車しないのは、桜田門外の変の例があるからだ。

 安政7(1560)年旧暦の3月3日、登城中の井伊直弼は、水戸藩の浪士等に襲われ、暗殺された。

 この異世界では、後世の話であるが、大河は、愛妻を守る為に過敏症にならざるを得ない。

 遅くなっていた馬車は、再び速度を上げるのであった。


 帰宅後、大河は、早速、情報収集に入る。

 脇息きょうそくもたれたまま、楠の話を聞く。

「あの貴族は、なんだ?」

「公家で一条、というものよ。度々、上申書を提出しているわ」

「……見せてくれ」

 楠から上申書が渡される。

 大河には、日々、多数の手紙が届く為、その分、部下が確認し、その多くは、処分される。

 この為、大河の下に届くのは、ハレー彗星並の確率だ。

「……『海上交通路構想』、か」

「え?」

「いや、主張に荒さはあるものの、一部は、納得出来るな」

 一条が提案したのは、日ノ本、台湾、カタガルガン(現・フィリピン)、英領オーストラリアを繋ぐ海上交通路シーレーン構想であった。

 ―――

『【海上交通路シーレーン(航路帯、海上補給路とも)】

 海洋力シーパワー論の創始者、アルフレッド・マハン(1840~1914 米海軍少将 戦略研究家)は、海洋を「広大な公有地」「一大公路」とみなした。

 そこに記された様々な目的に基づく海上の道が広義の海上交通路である。

 日本では海上交易路一般の意味に用いられるが、元々は、軍事用語としてSLOCSea Lines of Communicationと限定的に呼ばれ、洋上の作戦部隊と根拠地を結ぶ戦争遂行に必要な兵站へいたん・連絡の為の海上交通線を指す。

 マハンによればSLOCの支配こそ海洋力の源泉だとされる。

 冷戦期の米海軍は、ソ連艦隊の海洋進出が米のSLOC遮断にあると判断し、西側海軍と協力して対抗した。

 日本では、昭和53(1978)年に決定された『日米防衛協力の為の指針日米ガイドライン』に基づく共同作戦計画の一つに組み入れられ、これを海上交通路防衛と呼んだ。

 鈴木善幸首相は昭和56(1981)年の訪米時、

「海上交通路については約1千海里を憲法上の自衛の範囲として守っていく」

 と述べ、以後、「海上交通路1千海里防衛」の名で定着する事になった。

 その範囲はおおむねフィリピン以北、グアム以西とされる。

 軍事目的のSLOCが、より漠然とした海上交通路に移し替えられた理由は、

「日本の場合、集団的自衛権の行使や海外派兵が憲法上禁じられている為、個別的自衛権の範囲内で説明可能な用語が求められた」

 と考えられる。

 当時の専門書では、

『海上交通路防衛とは広域哨戒しょうかい、船舶の護衛、港湾・海峡の防備等、各種の作戦の組み合わせによる累積効果によって、海上交通の安全を確保する事』(*2)

 と解説している。

 この結果、大型護衛艦とP‐3C対潜哨戒機が多数導入される事になった』(*3)

 ―――

 この反対に、大陸勢力ランドパワーなる概念が在るが、言わずもがな、日本は、島国である以上、海洋力側だ。

 現代地政学の父、とされるハルフォード・マッキンダー(1861~1947 英 地理学者)は、海島国インシュラー・パワーズ(英加米ブラジルニュージーランド日等)と、半島国(仏伊等)を指して海洋力シーパワー大国としている。

 国力を高める為に資源の乏しい日ノ本が海外に進出する提案は、至極当然の話だろう。

 然し、大河は、理解を示すも、賛同しない。

「進出する、というのは『侵略』とも解釈出来る事だ。我が国は、植民地を作らならないし、侵略国家になる気も無い。つまりは、そう言う事だ」

「……では、無視と?」

「ああ、ついでに危険人物として監視だ」

 日ノ本の国是は、

・国内の極右派、極左派の監視

・世界中を敵に回してでも生き残る

 の2点だ。

 直近で美味しそうな話でも、長い目で見たら、逆に短所の可能性がある。

 所謂、『安物買いの銭失い』だ。

「貴方」

 珍しく執務室にお市が入って来た。

 心愛を抱っこした状態で。

「どうした?」

「ちょっと、心愛が風邪引いちゃったみたい」

「マジか」

 慌てて、すっ飛んで、心愛を覗き込む。

 普段、冷静沈着が信条の大河にしては、似付かわしくない行動だ。

「……」

 心愛の顔は、赤く、額に触れると熱っぽい。

「夏風邪?」

「多分。一応、御医者様に診てもらった所、気温の変化が、激しいじゃない? それが原因じゃないかって」

「あー……」

 8月は猛暑だったが、9月に入ると日によっては、1桁台の時もある。

 大人であれば、厚着する等して対策が出来るが、子供には、難しい場合がある。

 心愛の様に、体調を崩す子供は、多い事だろう。

「抱っこしても?」

「良いよ。でも風邪、うつるかも?」

「それでも良いよ」

 心愛の額を撫で、そこに接吻する。

 心から愛を込めて。

 その数時間後、大河は、発熱するのであった。


「?」

 心愛が心配そうに覗き込む。

 大河が風邪を吸収した様で、逆に心愛は、快復傾向である。

「アプト、余り近付かせないで。又、うつるかもだから」

「は」

 アプトが心愛を抱っこする。

 大河は、冷却シートを額に貼り、布団で寝込んでいた。

「橋様、御熱おねつの方は?」

「38度」

「高いですね?」

「そうだね」

 橋姫は、大河と同衾し、魔法で温めている。

 毛布で見えないが、恐らく、橋姫は、裸であろう。

 雪山で遭難時の方法をこの時機で採用しているのは、謎であるが。

「いつ頃、快復出来ますか?」

「分からないけれど、明日は1日、休んだ方が良いかも。陛下と奥方様に御報告お願い」

「は」

 アプトが心愛と共に出ていく。

「……」

 名残惜しそうに何度も振り返る心愛を見て、大河は、泣きそうになった。

「心愛~……」

「もうシャキッとしなさい。父親でしょ?」

「心愛に看病されたい―――」

「親馬鹿」

 橋姫は、呆れつつ、大河に抱き着くのであった。


[参考文献・出典]

*1: 一般社団法人環境金融研究機構  平成26(2014)年5月22日

*2:『防衛白書』昭和58(1983)年版 一部改定

*3:コトバンク 一部改定

*4:曽村保信『地政学入門 外交戦略の政治学』中公新書 昭和59(1984)年

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