第563話 遠慮深謀

 刺身ノ日ではあるが、絶対に刺身をしなければならない、という日では無い為、味噌汁にしようが、焼き魚にしようが、問題無い。

 ボコボコにされた大河は、誾千代に癒されつつ、味噌汁を啜る。

「……しょっぱいな。これが涙の味?」

「馬鹿ね」

 呆れた誾千代は、暑いにも関わらず、大河と密着する。

 御互いの汗が混ざり合う。

「……もしかして、出汁は汗?」

「そんな気色悪い事する訳無いじゃない?」

「……そうかぁ」

「何? して欲しかったの?」

「誾のならば、食べたい」

「変態」

 嫌悪感丸出しにドン引きする誾千代。

 女性の汗で興奮する性癖を持つ男性を初めて見たからだ。

 それが夫だと目も当てられないだろう。

 それでも、大河は本気な様で、

「誾は可愛いなぁ♡」

 抱き着いては、押し倒す。

「重いよ?」

「誾の所為だよ」

 普段は夜しか甘えない夫だが、この時ばかりは先程の私刑リンチが相当、堪えたのだろう。

 誾千代の胸を枕に、大河は、そのまま寝入ってしまう。

 暑い苦しいに何より汗が気持ち悪いのだが、どうしてか誾千代は離れない。

「……もう♡」

 平等を掲げつつも、大河は、何だかんだで誾千代を最優先にしてくれるのだ。

 これが嬉しい訳が無い。

(このまま風邪を引いて、混浴かな?)

 そんな事を考えつつ、誾千代はその頭を撫でるのであった。


 案の定、2人は、仲良く風邪を引いた。

 冷房の効いた部屋で、発汗したまま着替えずに居たから、体が冷えたのである。

「へっくし」

「子供みたいなくしゃみだね?」

「全くだ」

 昼食前、2人は屋上にある露天風呂に入っていた。

 外は大雨なので屋根のある場所から出る事は困難だが、それでも、濡れていく都を御風呂で眺めるのは、非常に気持ちが良いものだ。

 まるで浸かりながら絵画を鑑賞しているような気分である。

 この時代だと一般的には、子育て中で忙しい年代だが、生憎、2人に子が居ない。

 なので、束の間の夫婦水入らずの時間だ。

「前田の三姉妹とは最近、如何?」

「仲良しだよ。与免が累と同い年なのは、助かる」

「友達?」

「そうだよ。累の親友になって欲しいが」

「でも、あの子は側室候補なんでしょ?」

 胸板を誾千代は、指でなぞる。

 妻になった場合、与免が最年少だ。

 ただ、誾千代としては、余り賛成し難い。

 何せ相手は、愛娘・累と同い年。

 もし、夫婦となれば、累も複雑だろう。

「現状は候補だが、あの子次第だよ。夫婦になる前に、好きな人が出来たら、そっちを優先させるし」

「そう?」

「勿論。現状で一杯一杯だからね」

 苦笑いで否定後、大河は、誾千代の背中に回り、その肩に顎を乗せる。

「……痛いんだけど?」

「御免」

 謝るも、大河は止めない。

 誾千代を後ろから抱き締め、密着した。

「……今晩さ」

「うん?」

「一緒に寝て良いか?」

「良いけれど、順番は如何するの?」

「埋め合わせすりゃあ良いだけの話よ」

 誾千代の手を握る。

 彼女も握り返す。

「……貴方の所為で熱が出て来たわ」

のぼせた?」

「御風呂と貴方にね?」

 (*´艸`*)

 と笑って、誾千代は、振り返り接吻するのであった。


 真白真田家の夫婦間は、どの組み合わせも良好で、夫婦喧嘩は全く起きない。

 その理由は、

 妻側→夫の仕事に不干渉

 大河→妻の私生活プライベートに不干渉

 という不文律があるからだろう。

 夕方ある日の事。

「さなださま~♡」

 伊万がコーンに入った氷菓アイスクリームを持って、駆け寄って来た。

「ん?」

 子供達―――累と心愛、デイビッド、元康、猿夜叉丸を寝かしつけていた大河は、寝そべったまま振り返る。

「今、忙しい?」

「いいや、大丈夫だよ」

 5人に毛布を掛けた。

 育児は女性が行う事―――という固定観念が根強いこの時代において、これ程育児に積極的な男性は、中々居ない。

(子供が出来たら、看てくれるかな?)

 そんな事を想いながら、伊万はその手を握る。

「ガブが子供、産んだんだって?」

「ほぉ~」

 嬉しそうに大河の目尻は緩む。

 自分の子供だけでなく、動物の子供も好きそうだ。

「会いに行っていい?」

「良いよ。一緒に?」

「うん」

「分かった。行こう」

 廊下に出ると、

「「「「「「あ」」」」」

 綾御前、井伊直虎、早川殿、甲斐姫、小少将とばったり。

 小少将の手には、愛王丸が居る。

「真田様♡」

 真っ先に早川殿が、動く。

 空いていた手を引っ手繰るかの様に、握った。

「皆は?」

「ガブの子供を見に行こうかと」

「成程な」

 頷いた後、大河は愛王丸を見た。

「……」

 空気を読んだ愛王丸は、パッと手を離す。

 養子に嫉妬するのは、大人げない事ではあるが、ここは、家長である大河が、頂点だ。

 外様であり、子供である愛王丸には、成す術がない。

 我が子を擁護したい小少将であるが、擁護すれば、自分と子供の立場が危うくなる可能性がある為、抗議は難しい。

落窪物語おちくぼものがたり(10世紀中頃 全4巻 作者不明)

住吉物語すみよしものがたり(1221年頃 全2巻 作者未詳)

はちかづき

糠福米福ぬかふくこめふく(日本版灰被り姫シンデレラ

・中将姫説話

・男衾三郎絵詞

 等、継子ままこ虐め譚が沢山ある様に、継子が虐められるのは、無くは無い話だ。

 その為、愛王丸は、立場的に複雑であるものの、虐待されていないので、非常に幸運と言え様。

「よっと」

「わ!」

 伊万を肩車し、空いた手で小少将を抱き寄せる。

((((嫉妬している……))))

 他の4人は、小少将を羨ましく感じた。

 それでも、大河への好意が下がる事は無い。

 4人は額に接吻されるアフターケアを受けたから。

 伊万は特等席を。

 早川殿と小少将は、正妻同様の扱いを。

 他の2人も接吻で満足している。

「「「「「「♡」」」」」」

 伊万と5人の側室は、満足顔を浮かべる一方、愛王丸は、

(義父上は、嫉妬深いなぁ)

 と、内心、恐怖で一杯だった事は言う迄も無い。


「ワンワン!」

 ガブが産んだ子狼は、一丁前に威嚇していた。

 然し、鳴き声やその外見が愛らしい以上、全然、脅威には感じない。

「可愛い!」

 先に居た朝顔は、子狼を抱っこし、頬擦り。

「……!」

 数秒前まで威嚇していた子狼は、そのカリスマ性に恐れをなし、どんどんと静かになっていく。

 朝顔の周りには、その他、多くの子犬や子猫が集まっていた。

 種類は違うが、その様は、『101匹わんちゃん』を連想させる。

 伊万達もメロメロだ。

「あっは~♡」

 声にならない声で、各々、悶絶している。

 ”犬公方”と称される位、動物愛護に熱心な大河も、彼女達程ではないが、メロメロだ。

「クゥン♡ クゥン♡」

「ニャー! ニャー!」

 成犬と成猫に餌を与えつつ、その頭を撫でている。

「……義父上」

「ん?」

 愛王丸がおずおずと尋ねる。

「義父上は、神道の信者なんですか?」

「動物愛護だから?」

「はい」

 愛王丸が勘違いするのも無理無いだろう。

 神道は、動物愛護の精神がふんだんに詰まった宗教だ。

 狛犬は大抵の神社にあるし、狐を奉る稲荷神社も数多い。

 この他、

 狼→三峯神社(埼玉県秩父市)、武蔵御嶽神社(東京都青梅市)

 牛→北野天満宮(京都府京都市)、防府天満宮(山口県防府市)

 蛇→岩国白蛇神社(山口県岩国市)

 猿→日枝神社(東京都永田町)

 等が、その代表例だ。

 ヒンドゥー教では牛を崇拝し、イスラム教では猫を愛しているが、一つの宗教の中でこれ程、多様化しているのは、珍しいだろう。

「残念ながら信者じゃないよ。狼は好きだが、牛は食べるし、蛇や猿は嫌いだから」

「! そう、なんですか?」

「そうだよ」

 言葉が分かるのか、ガブが寄って来た。

「♡」

 大河の頬を舐めた後、仰向けの姿勢になる。

 犬が腹を見せるのは、一般的に飼い主に心を開いている、とされているのだが、然し、最新の研究では、

・攻撃

・防御

 の2説が唱えられている(*1)。

 然し、ガブの場合は、服従と敬愛だ。

 狼を積極的に保護し、更に衣食住まで保証してくれるのだから、これ位しないといけないだろう。

 大河もその想いに応えて、そのお腹に後頭部を預ける。

 ガブ次第では、頸動脈を狙えるのだが、飼い主に歯を向ける程、馬鹿ではない。

「クゥン♡ クゥン♡」

 と、狼なのに猫撫で声で甘えに甘える。

 ガブが人間ならば、お江の様な甘えん坊だったかもしれない。

「「失礼します♡」」

 甲斐姫と直虎が両脇に陣取る。

 甲斐姫は子犬を、直虎は子猫を抱っこしているが、それでも大河からは、離れる事はしない。

 ここでもアピールの場にしている様だ。

 大河は、そんな2人を抱き締めつつも言う。

「愛王丸、母親が好きか?」

「はい」

「じゃあ、俺はどうだ?」

「っ……」

 答え難い質問に、愛王丸は戸惑う。

 傍に控えていた鶫が「不忠」と判断したのか、段々とその表情が険しくなっていく。

「その……尊敬しています」

「模範解答だ」

 大河は首肯すると、小少将を手招き。

 不可視の尻尾を揺らしつつ、小少将は、笑顔で飛んできた。

 然し、空席は無い。

「ええっと」

 困っていると、大河は、自分の腹部を指差す。

「空いてるよ」

「!」

 我が子を前に跨るのは、恥ずかしい事だが、小少将に拒否権は無い。

「……失礼します」

 指示通り、大河の腹部に跨り、彼の胸板を枕にする。

「……」

 愛王丸は、視線を逸らす。

 母親が実父とは違う男(義父だが)とイチャイチャしているのは、子供心に気まずいものがある。

 親子で映画を観ていたら、突然、濡れ場が始まり、微妙な空気になるのと同じようなものだろう。

 あからさまに小少将と愛王丸の離間工作を行っているのは、それ程、大河が前夫・朝倉義景に嫉妬している証拠だ。

 然し、忠臣・鶫は、その真意を汲み取る。

(小少将様を守る為、か……)

 小少将は、朝倉の旧臣の一部には、非常に評判が悪い。

 家の記録書(*2)には、「小少将の政治介入が家の滅亡を招いた」とされて、悪妻の様に毛嫌いされているのだ。

 その為、朝倉家復興の為には、彼女は邪魔な存在である。

 お市の様なカリスマ性があれば、そんな事は無いのだが、無い以上、その存在価値は無い。

 小少将の数少ない味方である、斎藤兵部少輔さいとうひょうぶしょうゆう(? ~?)も戦後の混乱で行方不明だ(*3)(*4)(*5)。

 実父→行方不明

 夫 →敗死

 実子→斬首(実際には生存)

 と、身内が散々な小少将は、非常に弱い立場だ。

 それを大河が例え愛王丸の前であっても、イチャイチャするのは、小少将と非常に夫婦仲が良い事がアピール出来る最高の演出に成り得る。

 これで反小少将派は、彼女の暗殺を実行し辛い。

 愛欲に溺れている様に見えて、その実は策略家な大河なのだ。

 戦国時代を生きた甲斐姫、直虎もその隠れた意味を感じ取っていた。

(嫉妬はしちゃうけれど、事情が事情だしね)

(若殿に愛されれば、何の問題も無し)

 2人は義理の息子がドン引きする位、両側から大河の頬に熱い接吻を見舞うのであった。

 

[参考文献・出典]

*1:レスブリッジ大学(加)と南アフリカ大学の共同研究 わんちゃんホンポ 2021年5月17日

*2:『朝倉始末記』

*3:松原信之『越前朝倉氏の研究』(吉川弘文館)

*4:松原信之『越前朝倉一族』(新人物往来社)

*5:水野和雄・佐藤圭 編『戦国大名朝倉氏と一乗谷』(高志書院)

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