第527話 報仇雪恨

 宮内庁病院に搬送された大河は、壮絶な状況であった。

 背中は抉れ、両足が吹き飛び、目も硝子片で切り、開かない。

 それでも生きているのは、まさに奇跡だろう。

 医師団に混ざって、橋姫も治療に加わっていた。

「……」

 慎重に吹き飛んだ足を、魔力で繋ぎ合わせる。

「……お見事」

 執刀医は褒め称えた。

 頷いて橋姫は、次に背中の治療に当たった。


 大河が庇った御蔭で、伊万達は、軽傷で済んだ。

 直虎達も日頃から訓練を行っている為、爆発と爆風の被害を最小限に抑える事が出来た。

 問題は、鶫達だ。

 隣室に居ながら、テロを防げなかったのは、無能中の無能と言わざるを得ない。

 長らく、大河へのテロ攻撃が無かった為、慢心もあったのだろう。

「「「「「「……」」」」」」

 鶫、小太郎、与祢、アプト、ナチュラ、楠は、病院の待合室で茫然としていた。

 慌ただしい看護師達の視線が痛い。

 国民から人気の高い英雄を危険な目に遭わせたのだろう。

 病院には、福知山に居た明智光秀、珠も駆け付けた。

「「……」」

 2人は、6人の様子に察する。

 続いて、ヨハンナ、マリアも到着。

 ヨハンナ達は、珠を抱き締めた。

 病院の周りには、家臣団が集まり、輸血志願者が相次ぐ。

「先生、俺、大殿と同じ血液型なんですよ!」

「俺も俺も!」

「あっしも!」

 医師が「血は足りてる」と言っても、「足らなくなった時の為」として、一向に離れる事は無い。

 普段から家臣団を厚遇している為、ここぞとばかりに忠誠心を見せ様とする下心もあるかもしれないが、それでも無いよりかはマシだろう。

 病院には、報道陣も集まっていた。

 識別救急トリアージの赤いタグ―――カテゴリーI、所謂、最優先治療群の重傷者がパトカー護衛の下、宮内庁病院に搬送されたのだ。

 そんな病院に最優先に運ばれる人物は、限られる。

 重傷者が男性、という情報が早々と回っていた為、消去法の下、大河と特定されたのであった。

 タグが黒―――カテゴリー0、所謂、無呼吸群であったら、死亡、又はそれに近い状態なので、報道陣も早々と死亡説を報じていただろう。

 大河が導入した識別救急トリアージが、彼の状態を表す事になるとは、皮肉とも言える。

 深夜、大河の上司である近衛前久が、病院に到着した。

「島殿、夜分遅くに失礼致す」

「近衛様、態々わざわざ来て下さり有難う御座います」

 島左近は、兜を脱いだ。

「何故、院内でも武装を?」

「念には念です。何せ寿司屋で鉄炮を使う馬鹿ですからね。病院でも攻撃する可能性が考えられます」

「……民間人の死者は?」

「16人です。子供10人、大人6人です」

「……痛ましいな」

「家族連れが全滅した例もあります」

「……犯人は?」

「重傷を負った所を我が隊が捕縛しました。警察病院で尋問中です」

「……分かった」

 治療中ではなく、尋問中。

 その言葉が、容疑者の末路を端的に表していた。

「仲間は?」

「捜査中です。1刻(2時間)後に非常事態宣言が出されるかと」

「……分かった」

 私的とはいえ、近衛大将が狙われたのだ。

 これは、日ノ本に対する宣戦布告である。

 前久は、以前、大河から聞いたある話を思い出す。

 A国の外交官数人が、B国の武装勢力に拉致された。

 両者は、交渉するも難航。

 怒った武装勢力は、外交官1人を殺害する。

 それに怒ったA国は武装勢力の指導者の家族を誘拐し、その内、1人を拷問。

 更にその体の一部を武装勢力の下に送った。

 慌てた武装勢力は、直ぐに人質を解放するも、家族は結局、殺された。

 人質が解放されたのにも関わらず、家族を殺害するのは、よく分からない感覚だろう。

 然し、A国としては、「1人、身内が犠牲者になったのだから、相手も1人殺害しなけば、割に合わない」という考え方の様だ。

 この精神は、国家保安委員会にも刷り込まれ、前久の知らない所で暗躍している。

 こちら側に死者が16人出ている為、計算上、向こうも16人殺害しなければ釣り合わない。

「……一つ、訊くが、戒厳令では無いんだな?」

「はい」

 戒厳令は、統治権(立法、行政、司法)の全て、或いは、一部が軍の管理下に置かれる事を指す。

 史実の日本では、大日本帝国憲法第14条にて、

『1、天皇ハ戒厳ヲ宣告ス。

  =天皇は、戒厳を宣告する。

 2、戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム。

  =戒厳の要件及び効力は、法律をもってこれを定める』

 と、規定された。

 実例では、

・明治38(1905)年9月6日~11月29日、日比谷焼打事件

・大正12(1923)年9月2日~11月15日、関東大震災

・昭和11(1936)年2月27日~7月16日、二・二六事件

 の際に戒厳令が出されている(正確には、「行政戒厳」)。

 政府の権限が戦前より大幅に縮小化された戦後では、戒厳令に相当する法令が存在しない為、法律上、統治権の全て、或いは一部が自衛隊に渡る事は無い(*1)。

 一方、非常事態宣言は、国又は地域によって細かな差異があるが、多くの場合は、

・自然災害

・感染症

・災害

・戦争

・テロ

・内乱

・騒乱

 等、有事に対して国家、或いは地方政府等が法令等の特殊な権限を発動する為に公衆に注意を促す為に布告・宣言する事である(*1)。

 日本での発令歴は以下の通り。

・昭和16(1941)年12月8日 太平洋戦争開戦

・昭和23(1948)年4月24日 阪神教育事件

・昭和57(1982)年9月24日 国鉄(名称としては、『国鉄緊急事態宣言』)

・平成23(2011)年3月11日 福島第一原子力発電所事故

・平成23(2011)年3月12日 福島第二原子力発電所の圧力抑制機能喪失

・令和2(2020)年4月7日  感染症

・令和3(2021)年1月8日、4月12日、7月12日 感染症再拡大

 法廷根拠は、昭和29(1954)年迄は、

『【第7章】

[国家非常事態の特別措置 第62条]

 国家非常事態に際して、治安の維持の為、特に必要があると認める時は、内閣総理大臣は、国家公安委員会の勧告に基き、全国又は一部の区域について国家非常事態の布告を発する事が出来る』(*2)

 に基づき、改正後は、

・現警察法法            (第71条~第75条)

・災害対策基本法          (第105条第1項~第109条の2等)

・新型インフルエンザ等対策特別措置法(第45条、第79条)

 等に基づいて、発令される。

 先述した通り、戒厳令だと統治権の全て、或いは、一部が軍に移る為、日ノ本だと、国軍がそれに当たる。

 その中で最も影響力があるのが、山城真田隊だ。

 大河が危篤な間、考えたくはないが、家臣団の一部が権力を掌握し、そのまま、軍部を支配。

 軍政にする事も事実上、可能だ。

 多くの公家は、大河を認めているが、彼以外の武人は、未知数である。

 大河の教育が何処迄行き届ているか分からない。

 後任次第では、共和国の顔をした軍政であるミャンマーの様な政体になる事も出来る。

 左近は、続けた。

「現時点では、手引書通り、非常事態宣言です」

「? 手引書?」

「は。大殿が万が一の場合に備えて用意していた物です。『戒厳令は、最後の手段』と」

「……何時いつ準備していたんだ?」

見廻組みまわりぐみの時です」

「……」

 何て男だ、と前久は心の中で舌を巻く。

 黒幕になるずっと前から、この様な事態を想定していたとは。

 準備が良過ぎる。

 まるで予言者ではなかろうか。

 元々、有能なのは知っていたが、これ程有能だと逆に恐怖感すら覚える。

 唯一の短所は、好色な所と思っていたが、この様な手際の良さも不気味だ。

 幸い、彼は朝廷側の人間である為、敵対する可能性は低いが。

「……分かった」

 前久は、頷き、非常事態宣言が出される前に帰宅するのであった。


 病院の中の特別室で朝顔は、祈っていた。

「「「……」」」

 ヨハンナ、マリア、ラナ、誾千代、謙信等も一緒だ。

 彼女達には、動揺を与えない様、怪我の程度迄は、知らされていない。

 ただ、雰囲気から察するに、重傷なのは、間違いないだろう。

 唯一、居ないのは、松姫であった。

 日頃、大河から医療従事者として頼られている為、ある程度は、医学的知識を持っている。

 その為、手術現場に立ち会う事が許されていた。

(真田様……)

 手術室では、その松姫が、大河の手を握っていた。

 橋姫の御蔭で、足は何とか繋がり、傷も修復している。

 それでも問題なのが、目だ。

 硝子片で切られた、と思われていたそれは、思いの外、深く、左の眼球が両断されていたのだ。

 両目で無かったのは、不幸中の幸い、というべきだろうか。

「……先生、その視力は?」

 苦しそうに執刀医は言う。

「……現在の医療技術では、不可能かと」

「そんな……」

 橋姫を見る。

 彼女も又、首を振った。

 大河は、未だ眠っている。

 左目を失明した事を知らずに。

「……真田様」

 余りにも悲しくて、松姫はすがり付いて泣く。

 大雨の様に落ちる涙は、大河の頬を伝って、冷たい床に落ちていくのであった。


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

 *2:旧警察法 一部改定

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