第524話 革命ノ父

 万和5(1580)年6月1日。

 舞鶴港に清からの密使が上陸した。

 非公式の会談なので、深夜であった。

 親書を持った密使は、馬車に乗り込み、京へ行く。

 男の名は、スンと言った。

 辮髪で満州服を着ている外務大臣だが、漢族だ。

 これらは、強要されている為、彼に清への忠誠心は無い。

 孫は、車内で頭を抱えていた。

 これから会う人物は、日ノ本の黒幕であり、外交に大きな影響力を持つのだが、それ以上に恐ろしい。

 明の時代から、その男は、人肉を食らい、女性が例え人妻であろうとも肉体関係を結ぶ大罪人と噂されていた。

 更に野心家でもある様で、美国アメリカ大陸の大部分を併合したり、台湾や美国の先住民族とも友好関係を構築している。

 その結果、アラスカでの金山や貿易で大儲けし、今や日ノ本は、マンサ・ムーサ(1280? ~1337? マリ帝国のマンサ)の総資産約4千億ドル(現・約40兆円)に匹敵する国家予算だ。

 戦乱に明け暮れ、更に事故で北京が壊滅的な被害を受けた清には、当然、そんなお金が無い。

 有能な人材も戦争と爆発で多くが死傷した。

 そんな状況下では、当然、日ノ本と戦争しても大敗を喫するだけだ。

 以前も戦争して大敗したので、流石に2連敗だと、もう後が無い。

・イギリス

・フランス

・モンゴル帝国

・李氏朝鮮

・ロシア

 が、不穏な動きを見せている以上、幾ら大国・清でも厳しい。

 下手をしたら、清は滅亡し、中国大陸に外国勢力が蔓延る事になる。

 そうなった時、再統一する迄には、時間がかかり、お金も人命も失われる可能性が高い。

(……泥船に乗るのは嫌だな)

 孫は、御者の目を盗んで、書状をしたためる。

 保護願う、と。


 清から密使が来る事が判ったのは、万和5(1580)年5月中旬の事だ。

 急転直下で決まったのは、

・清側が非公式を望んだ事

・日ノ本側の出席者を大河に指定した事

 が、主な理由だろう。

 日ノ本は、現在、総裁選で忙しく外交に時間をかける事は難しい。

 外務大臣も居るのは居るのだが、大河程の専門家は早々居ない。

 その為、日ノ本としても清が相手を大河に指定したのは、好都合であった。

 首相・信孝もこれは、喜ばしい事であった。

 光秀の参謀役である大河が、一時的に参謀役から外れる事になるのだ。

 それが総裁選にどんな影響が出るかは不透明だが、兎にも角にも、今は顔を見たくないのが、心情だろう。

 朝廷や朝顔は、大河がそれを行うのは、疲労を心配し、難色を示したが、信孝から「日清友好の為」と説得され、押し切られた形である。

 そして、同年6月1日。

 総裁選を控えた前日に、大河と孫の会談となった。

 日付が過ぎた頃、馬車が京都新城に入る。

 駐車場で馬車が止まり、孫が下りた。

 ここから先は、彼のみだ。

 御者は勿論、護衛も居ない。

(……獅子の中に飛び込んだ兎だな)

 自嘲する孫だが、思いの外、日ノ本は攻撃的ではない。

 これは孫は知らない事だが、大河の指示であった。

 先の大戦で、清と戦った国軍山城真田隊なので、兵士の中には、当然、清に敵意を抱く者も居る。

 それでも自制させているのは、今後の外交に影響するからだ。

 その最たる例が、李鴻章狙撃事件である。

 明治28(1895)年3月25日、下関条約が纏まった。

 その帰り道、春帆楼から宿舎の引接寺いんじょうじに帰る途中、右翼テロリストの小山豊太郎こやまとよたろう(1869~1947)に狙撃され、顔を負傷した。

 小山は直後、警察官と憲兵に取り押さえられ、無期徒刑(現・無期懲役)を受けるも、明治40(1907)年、皇室典範増補制定による恩赦の下、仮出獄し、WWII後迄生きた。

 明治24(1891)年に大津事件を起こした津田三蔵(1855~1891)は、事件から約4か月後に病死している為、彼と比べると、人生を全う出来た、と言えるだろう。

 講和条約交渉直後に清の代表者が殺されかけた為、日本政府は、列強からの非難や干渉を気にし、条約の内容を修正し、清に一部、譲歩した。

 若し、この事件が無ければ、教科書の内容は違っていたかもしれない。

 小山の動機は「今、講和を結べば、清国は必ずや再起して日本に仇なす存在になる」(*1)であったが、日本政府としては、譲歩せざるを得ない状況になった為、非常に頭の来る存在であっただろう。

 ただ、小山の予言は、程無くして当たってしまう。

 明治33(1900)年6月10日、清の軍人・董福祥とうふくしょう(1840~1908)の部下が、日本公使館書記官・杉山彬を殺害し、義和団事件(1900年6月20日~1901年9月7日)の契機の一つを作った。

 結果論であるが、この事件で清は、一時的とはいえ、日本(欧米諸国も被害者)に復讐を達成出来たと言わざるを得ないだろう。

 大河はその歴史を踏まえて、家臣団に対し、「孫を攻撃した場合、打首。許した場合も同様」と厳命していた。

(……民主的な国だな)

 部下に案内されつつ、その様な感想を抱く。

 応接室に入ると、この城の主が待っていた。

辛苦了シン・クー ラ(お疲れ様です)」

 ネイティブ級の綺麗な中国語だ。

 通詞を同席させず、にこやかに微笑む童顔な彼だが、孫に気を遣っているのか、立っている。

 力関係は明白なので、座っておいても問題無い筈なのだが、兵士達の振る舞いからしても客人に無礼な事はしない、という意思表示なのだろう。

「外務大臣の孫です。この度は、無理な御願いを聞いて下さって有難う御座います」

「いえいえ。お座り下さい」

 促され、孫は座る。

「今回、来日したのは、国交正常化に関する事です」

「はい」

 親書を差し出す。

「……これは、陛下の御意向であり、過去の事は水に流して、今後は、友好関係を構築して頂く―――」

「はい」

 笑顔で受け取った大河は、そのまま―――

 ビリビリ……

「!」

 破り捨てた。

「貴国は、我が国を相当、軽視している様ですね?」

「そんなつもりは……」

「・我が国の接続水域から撤退する事

 ・我が国への敵視政策を止める事

 ・中華思想を永久に廃棄する事

 これが、条件です」

「……」

「残念ながら、貴国は我が国に対して不穏な動きを見せながら、この様に接してくる以上、友好関係を作る事は出来ません。ですので、我が国も対抗策として、日本乞師を支援させて頂きます」

「! それは……宣戦布告ですよね?」

「どの様に解釈して頂いても構いません。自分は、この国を守る愛国者として、喜んで手を汚す事が出来ます」

「!」

 孫は、ギョッとした。

 対面の大河から殺意を感じたからだ。

「孫さん、貴方も漢族なら、さっさと見切りをつけた方が宜しいかと」

「な、何の話ですか?」

「亡命を御希望ですよね?」

「! な、何故それを?」

「当たりましたか?」

「う―――」

 はったりブラフに引っかかり、孫は、顔を真っ赤にする。

「……読心術の心得が?」

「そんなものは、持っていませんよ」

 大河は、手を振って、否定しつつ笑う。

「清は、正念場です。今がY字路の筈です。泥船に乗ったまま心中するか。早々に見切りをつけるからは、貴方次第です」

「……」

 隣室から子供の走り回る音がした直後、スーッと、襖が開く。

「さなださま」

「ねむたい」

 目を擦って、入って来たのは、伊万と豪姫。

 2人は、孫が凝視するにも関わらず、大河に駆け寄って、その膝に飛び乗る。

「まだおしごと?」

「ねぶそくだよ?」

「そうだな。寝不足だな」

 豪姫に同意し、大河は、2人を抱っこした。

「その会談は?」

「明日以降に御願いします。我が家は、女性社会なので」

「は、はぁ……」

「あと、亡命は国益に値する人物であるならば受け入れます故、御検討下さい」

「!」

「では」

 御辞儀して、大河は出ていく。

「……」

 孫は、固まったままだ。

 中国大陸では、グゥイと恐れられている大河だが、その正体は、全く想像と異なるものであった。

(この人ならば……漢民族復活の鍵になるかもしれない)

 大河の誘い通り、孫は亡命を決心するのであった。


 翌日。

 京都新城の織田家の屋敷では、総裁選が行われていた。

 本来ならば、織田政権の本部である二条城で行うのが適当なのだが、以前、釣り天井があった為、防犯上の観点から、重要な会合等は、より警備が厳重な京都新城内のここで行われる様になったのだ。

 屋敷の前では、織田瓜と桔梗の旗が風で揺らいでいる。

 前評判では、信孝の勝率が80%であったが、大河が光秀の参謀に入った事で、状況が一変。

 織田家内の親山城真田派が光秀に鞍替えした事で、織田家は分裂。

 違法を承知で賄賂や、報復人事が行われ、信孝を苛々させていた。

 正午、開票が始まる。

 登壇したのは、羽柴秀吉であった。

 万雷の拍手の下、挨拶を行う。

『え~、総裁選挙、管理委員長の羽柴秀吉で御座います。只今より、党則第6条第1項及び総裁公選規程により、万和5(1580)年総裁選挙の議員投票を執り行います。さて、投票に先立ち、本日の進行について説明致します。本日は、昨日を以て、各国支部連合会に於いて締め切りました党員投票の開票と国会議員の投開票を行い、当選者を決定致します。党員投票の開票は、本日、各支部連合会において行われており、議員投票の開票が終了する時刻にその結果が、判明するよう進行致します。え~選挙の管理につきましては、私共、党本部総裁選挙管理委員会が務めますので各位の御協力を御願い致します。尚、選挙事務は、党事務局を以て当たらせます。それでは、これより、総裁選挙の議員投票を行います。議員投票に於ける選挙人せんきょにんは、本日現在、党所属の衆議院議員300名、貴族院議員100名、計400名であります。候補者は、届け出順に織田信孝君、明智光秀君の4名であります。投票は規定により単記無記名となります。候補者の姓と名を必ず御記入頂き―――』

 日ノ本初の総裁選挙は、国営放送で生中継されていた。

 党員は勿論の事、国民の多くが関心を寄せている。

 その間、信孝の隣席の光秀は、目を閉じていた。

(時は来た)

 と。


[参考文献・出典]

 *1:陳舜臣『中国の歴史14 中華の躍進』平凡社 1983年

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