第523話 清ノ思惑

 舞鶴に設置された野戦病院には、日本人の重傷者と共に清の怪我人も搬送されていた。

 当初、清は、重傷者を国外に出さない方針であったが、余りにも被害が甚大だった為、急遽、方針転換。

 かつて戦火を交えた敵国・日ノ本に人道支援を求め、日ノ本が受け入れた事で叶った結果であった。

 然し、

『政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である』(*1)

 とある様に、直接的な戦争でも無い時でも、どの国も事実上、冷戦時代の米ソの様に、結局は、暗闘を繰り広げているのが、実状だ。

 清出身者の患者は、万和5(1580)年5月中旬には、1千人を超え、治療の甲斐なく死亡する例も相次ぐ。

「……地獄だな」

 弥助は、呟いた。

 四肢を切断された者。

 頭部を抉られ、生きているか死んでいるのかさ分からない者。

 傷口に蛆虫がたかっている者も居る。

 その光景は、ポソ宗教戦争(1998年末~2001年末)を記録し、後に『検索してはいけない言葉』の一つに数えられている『POSOポソ』並に壮絶だ。

 若い医者や看護師は、その余りの凄惨な光景に当初、嘔吐が続いていたが、今は慣れたのか、無感情で医療を行っている。

 彼等は、安土桃山時代に医療従事者になった為、幸運にも戦国時代を経験していない世代だ。

 その為、この反応は、当然と言えるだろう。

 一方、中堅以上の医療従事者は、手慣れている。

 斬った張ったは、日常茶飯事。

 鋸挽きや乱取り等もあった時代を生きているのだ。

 これ位で弱音を吐けば、名が廃るだろう。

「先生、死亡率は?」

「7分です。ただ、生き長らえてもその後、日常生活に支障を来す程、重度な身体障碍者になったり、精神を患う者も多いです」

「……分かりました。後程、報告書を下さい。上司に送るので」

「分かりました」

 医者は頭を下げ、再びメスを握った。


 野戦病院を見て回った後、弥助は、別棟に向かう。

 そこで雑賀孫六が待っていた。

 島左近、そして敦賀に派遣されている大谷吉継、石田三成のコンビも居る。

「……弥助殿、野戦病院は?」

「孫六殿、あそこは地獄だ。見に行かない方が良い」

 野戦病院とは別に建てられた木造建築のこの城が、家臣団の詰所だ。

 墨俣の一夜城の様に、特急で作った為、震度4位の揺れで全壊しそうだが、居心地は良い。

 ここに国軍山城真田隊2千人が、災害派遣として、1週間前から常駐していた。

 主な任務は、寸断された道路の修復等なのだが、主たる任務は、治安維持だ。

 混乱に乗じて、野盗が蔓延る場合が考えられる。

 アメリカのハリケーンや暴動のニュースでも、無人になったスーパーを暴徒が襲い、商品を盗んでいく例がある様に。

 火事場泥棒は、日ノ本でも存在するのだ。

 その多くは、戦国時代に活躍した武将や足軽で、彼等は平和になった後、収入源を失い、食う為に野盗に転じ、暴力で味を覚えてしまった厄介者であった。

 目には目を歯には歯を。

 暴力には武力を。

 野盗対策に大河は、ムッソリーニがマフィア鎮圧に軍を投入した例に倣い、国軍真田隊を投入。

 一定の成果を出していたのであった。

「……」

 弥助は、私宅監置したくかんちの様に押し込まれた、不審者を見た。

 収容人数100人の牢屋に、500人が鮨詰め状態である。

 悪臭が立ち込め、治療をまともに受けていない者は、傷口が壊死していた。

 奥の方では、若しかすると、死体が折り重なっている事だろう。

 その劣悪な環境は、世界一過酷な刑務所の一つに数えられる事がある、タイのバンクワン刑務所を彷彿とさせる。

「「「……」」」

 収容者は薬を打たれ、目の焦点が合っていない。

 三成が1m程積み重なった報告書を提出する。

「自白ともとが取れました。清の海軍が、日本海の接続水域で航行中です」

 ―――

『【接続水域(隣接水域)】

 沿岸国が特定の行政目的に限って管轄権を領海の外に延長して行使する事が認められている、領海の外側に接続する一定範囲の水域。

 1982年に採択された国連海洋法条約では、沿岸から24海里(44・448㎞)を越えない範囲で沿岸国が接続水域を設定する事が出来るとされている。

 歴史的には,船舶の船足が速くなるにつれて,狭い領海内では密輸の防止等、十分な取締を行う事が困難になってきたので、沿岸国が関係諸国と条約を結んで接続水域の設定を認めてもらう様になったのが始まりである。

 禁酒法時代のアメリカが、1924年以来イギリスその他の国々と所謂、禁酒条約を結んで、酒の密輸入監視の為に、沿岸から航行1時間の範囲迄、密輸の疑いのある船舶に臨検・捜索・拿捕だほを行う事が出来る事を認めさせたのは有名な例である。

 その後、これに倣って多くの国々が条約を結んで接続水域を設定する様になった。

 1958年の『領海及び接続水域に関する条約領海条約』は、沿岸国が領海の幅を測定する基線から12海里(22・224㎞)迄の範囲で,関係国との条約によらずに接続水域を一方的に設定出来る事を認め、接続水域は一般国際法上の制度となった。

 同条約は、沿岸国が接続水域において、自国領又は領海内における通関上、財政上、出入国管理上又は衛生上の規則の違反を防止し、又は、これらの違反を処罰する為に必要な規制を行う事が出来る事としている。

 1982年採択の国連海洋法条約も,上記の規定をそのまま継承しているが、接続水域の範囲については更に延長し、24海里(44・448㎞)迄とした。

 その結果、同条約下では,領海の外側12海里(22・224㎞)迄の部分で、排他的経済水域(経済水域)と接続水域とが重複する事になるが、前者が水域内の漁業資源等、水域自体を保護法益とするものであるのに対し、後者は水域自体ではなくて、住民の生活の場である領土や領海における法益の保護を目的とする点で、その性格が異なる。

 日本は、従来、接続水域を設けていなかったが、1996年に国連海洋法条約を批准した際に、従来の『領海及び接続水域に関する法律領海法』(1977年公布)を改正、原則として基線から24海里(44・448㎞)迄の水域を接続水域として設定している』(*2)

 ―――

 日ノ本は、世界に先駆けて、憲法を制定した際、同時にこの条約を周辺諸国と締結していた。

 その為、明の継承者を自称する清も理解している筈なのだ。

 若しかすると、前王朝の方針は無関係、という姿勢なのだろうか。

 その理屈がまかり通れば、国と国との信頼関係は大きく揺らぐ。

 若し、清の主張が正当化された場合、日ノ本も首相、或いは政権が交代する毎に、条約をその都度、無効化出来るだろう。

 吉継が説明を行う。

「清では、最近、『扶清滅洋』『興清滅洋』なる言葉が民衆の間で広まっています。恐らく、清の工作かと」

『扶清滅洋』―――清をたすけ洋を滅すべし。

『興清滅洋』―――清をおこし洋を滅すべし。

 この洋という言葉は、史実では、日米も対象になっていた為、日ノ本も対岸の火事ではない、と言う事だ。

「弥助殿、この者達は、如何いかがいたす?」

「無論、処断だ。国防上の観点から、仕方が無い」

 何処迄情報を持っているか分からないが、強制送還する程、日ノ本は甘くは無い。

 疑わしきは罰せよ。

 世界的には、平和な日ノ本であるが、その裏は、疑心暗鬼が渦巻く暗黒郷ディストピアであった。

 その後、清から来た負傷者の内、500人は忽然と姿を消すのであった。


 清は、まさに内憂外患の状況であった。

・ロシア皇国の南進政策

・李氏朝鮮の独立運動

・東南アジアを統べる英仏の北進政策

 これに続いて、王恭廠大爆発だ。

 当然、民衆の清への不信感は、強くなり、更には、弱体化していたモンゴル帝国や明の残党が、力を吹き返しつつある。

 北京を占領し、明の継承国を自称しているのだが、この様な状況下では、滅亡時期次第で中国史上最も短命な王朝の一つに数えらるかもしれない。

 清の皇帝・ヌルハチは、日ノ本に工作活動を行いつつも、悩んでいた。

(……一度、戦争をしたとはいえ、日ノ本は、博愛主義に篤い……ここは一つ、水を流し、友好に接するべきか?)

 ヌルハチは、『後漢書東夷伝』を読んでいた為、中国より東方の諸民族を東夷とういとして認識していた。

 以下は、その国々や地域である。

・畎夷(現・江蘇省チャンスー・シュン山東省シャントン・シュン付近。九夷の一つ)

・于夷(同上)

・方夷(同上)

・黄夷(同上)

・白夷(同上)

・赤夷(同上)

・玄夷(同上)

・風夷(同上)

・陽夷(同上)

・嵎夷

・藍夷

じょ夷(紀元前20世紀頃~紀元前512)

・淮夷

・泗夷

夫餘ふよ国(現・中国満州)

・高句麗

東沃沮とうよくそ(現・北朝鮮咸鏡道ハムギョンド?)

・北沃沮(同上)

粛慎しゅくしん氏(現・中国満州 挹婁ゆうろうと同系の民族説)

わい(現・黒龍江省ヘイロンチャン・シュン西部、吉林省チーリン・シュン西部、遼寧省リャオニン・シュン東部等?)

・韓(=三韓サマン

・倭人(倭国)

・百済国

・加羅国(朝鮮半島中南部の小国家群)

勿吉もっちつ国(高句麗北部、満州北部。、粛慎・挹婁の末裔である靺鞨まっかつの前身)

・失韋国(=室韋しつい。現・チチハル市周辺)

豆莫婁とうばくろう国(現・中国東北部)

地豆于ちとうう国(現・中国北部)

・庫莫奚国(=けい。中国東北部)

・契丹国

烏洛侯うらくこう国(現・中国内モンゴル自治区フルンボイル市)

・裨離国

・養雲国

・寇莫汗国

・一群国

・新羅

・琉求国(流求国)

・日本国

流鬼りゅうき(現・オホーツク海沿岸。樺太等に住むニヴフ人?)

 自分勝手な事は分かるが、自分は、中国の皇帝なのだ。

 何をしようが勝手だろう。

 東夷の心証は如何でも良い。

 ヌルハチは、唇を噛んで決意した。

(使者を送ろう)

 と。


[参考文献・出典]

 1:『毛沢東語録』

 2:『百科事典マイペディア』 平凡社 一部改定

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