第479話 教外別伝

 私は、夢を見ていた。

 愛しい男との夫婦生活を。

英雄エローエ朝食コラツィオーネが出来たよ」

有難うグラツィエ

 机に並ぶのは、

・ヨーグルト

・ビスケット

・ジュース

・ジャム

・フルーツ

・カフェラテ

 到底、和食とは遠いラインナップだ。

 然し、夫は、日本人でありながら、イタリア語に堪能で、イタリア料理にも抵抗が無い。

「軍の方はどう?」

「楽しいよ。次はシチリア勤務だ」

「まぁ♡」

 私は、夫の顔をまざまざと見る。

 ここ、イタリアでは、中々居ない東洋人だ。

 童顔なのが、可愛い。

 それでいて脱げば筋肉の鎧である。

 このギャップは、どんな女性でも萌えるだろう。

 然も、性格も良い。

・偉ぶらない

・誰にでも敬意を表す

・まともな金銭感覚

 ……

 欠点が無いのが、欠点な程、彼は完璧な人間だ。

 彼の名は、タイガ・サナダ。

 東洋の帝国・日ノ本から来た若き侍だ。

 祖国では、上皇と結婚しつつも、こちらにという形で来て、私の下で働き、愛を育んでいる。

 還俗した私は、今、日ノ本とバチカン市国の友好に努めている協会の会長をしている。

 信仰を止めてまで愛を選んだのは、当然、信者達からの反発があったが、そこは、彼が守ってくれた。

 人間一度きりの人生だ。

 神に仕え、教会を守り続けて来た私は、もう心身共に疲れ果て、平民になる事を夢見ていたので、結婚を機に還俗出来たのは、非常に良かったと思う。

 彼は、妻帯者なので、重婚にはなるが、日ノ本では、一夫多妻が認められているらしいのでセーフだろう。

 イスラム教では、一応、4人までが規則だが、日ノ本では、際限がない。

 経済力や夫婦の同意されあれば、何人重婚しても構わない、という。

 頭でっかちな枢機卿がそれを知れば、驚きの余り、心臓発作を起こし、死ぬかもしれない。

 タイガは、朝食を摂りつつ、私をじっと見る。

「……」

「何よ?」

「いや、綺麗だな、と」

「褒めても何も出ないわよ?」

「いいや。出るさ」

 スプーンを置くと、タイガ は立ち上がる。

 そして、私を抱き締めた。

「……何?」

「子供が欲しい」

「!」

 私は驚くものの、それは、私自身も無意識に望んでいたものであった。

「……何人位?」

「何人でも」

 恐らく、この様な軽い感じで、日ノ本でも多くの女性を口説いているのだろう。

 軽薄、とも思うが、ちゃんと子供は認知しているし、何より日ノ本では、一切、問題になっていないのだから、優れたバランス感覚を有している、と言え様。

「じゃあ、行こうか」

「うん♡」

 私達は、朝からベッド・イン。

 私のお腹には、子供が宿るのであった。

 ―――

「……」

 起きると、目前にあったのは、見知らぬ天井であった。

 木目調で、部屋全体には、木の匂いが漂っている。

「……あ、あれ?」

 背中には、毛布がかけられ、私は、布団で寝かされている事に気付いた。

 隣には、同じ様にマリアが寝ている。

「zzz……」

 壁時計を見ると、時刻は、午前3時。

 外を見ると、未だ真っ暗だ。

 今、私達が居るのは、普段、生活をしている京都新城の横にある教会の私室ではなさそうだ。

「……」

 厠に行きたくなり、部屋を出る。

 その時、気付いたのだが、私の夜着には、何時もの家紋ではなく、別の絵柄がデザインされていた。

 丸に割菱―――以前、日ノ本全土の家紋を勉強した際に松前氏が採用していたそれだ。

 つまり、私達は、松前氏の領地に居るのだろう。

 自由に動ける辺り、拘束されている訳でも無さそうだ。

 廊下は長く、まるでローマ街道を彷彿とさせる程、長い。

 厠を探していると、灯りが見えた。

 それを頼りに歩く。

 数分程歩いた後、部屋の前まで来た。

 最初の目的は厠だったが、如何せん、場所が分からない為、一旦、誰かを見付けて訊こう、という算段だ。

 こんな夜更けに起こすのは申し訳無いが、漏らしたくはない。

 なので、これは、緊急事態である。

 カルネアデスも許してくれるだろう。

「……」

 襖の前まで来て、耳を澄ます。

『―――』

『―――』

 微かに声が聴こえる。

 それも複数。

 恐らく、2人だろう。

 私は、少し扉を叩いた。

「もしもし?」

 と。

 返事は無い。

「?」

 叩く強さが弱かったのか、もう一度試そうとした時、

 がらり。

 襖が勢いよく開けられた。

 そして、目が合う。

 夜着がはだけた大河と。

「……サナダ?」

 私は、先程の夢を思い出し、つい、呟いてしまう。

「こんばんわ。聖下」

 大河は、直ぐに座り、敬意を表した。

 夢と同じ人間性だ。

 部屋の奥を見ると、毛布が膨らんでいる。

 誰か隠れている様だ。

「!」

 その瞬間、私の心がズキンズキンと痛み出す。

 エラスムスが受けた腹裂きの刑の如く激痛だ。

 吐瀉物が胃の方から逆流してくる。

「おお」

「聖下?」

 真田を押して、私は、2、3歩下がった。

 逃げたい所だが、騒ぎを聞きつけたマリアがやって来た。

「聖下! 聖下!」

 逃げる時機もあった。

 それでも、足が動かず、私は、公衆の面前で嘔吐。

 廊下を吐瀉物で汚すのであった。


「……」

 全てを晒してしまった私は、呆然と立ち尽くす。

 威厳も女性としての守るべきものも同時に失った感じだ。

 マリアに続いて、与祢や鶫、アプトが夜着のまま、走って来た。

(皆にバレる……!)

 私は、目を瞑った。

 その時、

Sta' tranquilloスタ トランクイッロ!」

 ―――安心しろ。大丈夫だ。

 そんな流暢なイタリア語が、ヨハンナの耳に囁かれたと思いきや、体を抱擁され、そのまま部屋に投げ込まれる。

「かっは!」

 布団がクッションになったが、それでも痛いのは痛い。

「!」

 抗議の為に大河に見るも、襖が閉まった。

 感情のまま、開けようと、立ち上がった時、

「聖下」

 背後の布団が吹っ飛び、私に日本刀が向けられた。

「! ……珠?」

「若殿を御信頼下さい」

 珠は、真剣な表情で襖を守りつつ、ヨハンナの為に少しだけ襖を開けた。

「!」

 そこでは、アプト達と一緒に吐瀉物を掃除する大河の姿が。

 アプトが言う。

「若殿、泥酔されていたのですか?」

「みたいだな。済まん」

「全く、私達が掃除しておきますから、御就寝御願いします」

「いや、良いよ。なんだし」

 大河は、笑ってヨハンナの吐瀉物を搔き集め、バケツに入れる。

 それから消臭剤と消毒液を何本も使い、廊下をピカピカにしていく。

 今度は、ナチュラが指摘する。

「若殿、私達の夜着、汚れちゃいましたね?」

「そうだな。旅館には、弁償しよう。で、これらは、焼却処分だ。俺達も風呂、入るぞ?」

「え? 何故です?」

「菌がついている可能性がある。全身、くまなく洗って感染症に備えるんだ」

 大河が危惧しているのは、ノロウイルスの事であった。

 保菌者が吐瀉し、それを掃除する第三者が罹患するのは、よくある話だ。

 ヨハンナがノロウイルスの感染者だったかどうかは分からないが、念には念を入れよ、という事である。

 与祢が掃除しながら、首を傾げた。

「でも、可笑しいですね」

「何が?」

「若殿、普段、お酒、飲みませんよね?」

「ああ」

「何故、嘔吐を?」

「雪祭りで気分が高揚して飲んだんだろう。その辺の記憶が曖昧なんだ」

「……そうですか。では、

 大河の返答で何かを察した与祢は、私の方を見た。

「!」

 びくっと、仰け反る。

「……バレた?」

「かもしれませんね。与祢の事ですから」

 静かに扉を閉める。

「……私は……」

「御自分を責めないで下さい。若殿が守って下さりますから」

「……」

 家族でもない吐瀉物を、家長自らが掃除する事は、ほぼ考えられない事だ。

「先程、同衾した際、若殿は、仰いました」

「え?」

「『聖下が例え一生、あの状態のままでも、守る』と」

「!」

 如何やら私は、勘違いしていた様だ。

 2人は、同衾はしていたものの、私の事を話し合っていたのである。

「……珠」

「はい」

「『あの状態』とは……?」

「ああ、あれはですね―――」

 珠が、10日の夜、私が大雨の中、傘も差さず、立ち尽くしていた所を保護し、その後、退行が確認された事を話した。

「……」

 退行、というか10日から記憶が無い為、私には、まるでドッペルゲンガーの様な話を聞いている様に感じられた。

「……そうだったの」

「でも、御無事で何よりです」

「……え? 私もう退行治った感じ?」

「はい。私には、その様に見えますが」

「……」

 私は、姿見で自分の姿を確認する。

 退行していた際に出来たのか、体の節々に湿布や絆創膏が貼られている。

「……これは?」

「聖下が、城内や旅館内を走り回って出来た傷です」

「……御免なさい」

「いえいえ。元気で何よりですから」

 珠に感謝後、私は、襖を見た。

 閉じられている為、会話は分からないが、存在感だけが分かる。

「……ねぇ、珠」

「はい」

「私は、悪女かな? 横恋慕するなんて―――」

「全然」

 即座に珠が否定する。

「合意があれば、愛は教義も超えるものです」

「……分かった。有難う」

 珠を抱き締め、ヨハンナの重圧は、払拭された様な感じがした。


 風呂で吐瀉物を洗い流した大河達は、今度は、露天風呂を楽しんでいた。

 雪の中のそれは、良い塩梅で気持ちが良い。

「「「「「若殿♡」」」 」」

「主♡」

 大河は、女官を侍らせて混浴していた。

 御湯には、浜茄子ハマナスの花が、浮かべられていた。

 浜茄子は、現在の北海道の道花に指定されている。

 その薬効は、万能だ。

『咲いた花を摘み取り、風通しの良い所で陰干ししたものは生薬になり、玫瑰まいかいと称される(*2)。

 漢方では6~8月に採取して天日乾燥した花蕾は玫瑰花まいかいか(メイグイファ、とも)と呼ばれ(*3 *4)、八重咲きの種の花蕾も通常の浜茄と成分が同じで、同様に取り扱われている(*3)。

 玫瑰花には、苛々を鎮めたり気の流れや血の流れを良くする作用があると言われる。

 ストレスによる胃痛や下痢、月経不順に良く使われ、通常は熱湯を注いでお茶として飲まれる(*3 *4)。

 民間療法では、矯味、矯臭、抗炎症薬として月経不順、リウマチ、打撲にお茶にして飲まれたり(*2)、完熟前の橙黄色の果実を使って35度の焼酎に3か月漬けて果実酒にして、暑気あたり、低血圧、不眠症、滋養保険、疲労回復、冷え症等に、就寝前に盃1杯程度を飲用に用いられる(*2 *3)。

 アイヌの間では腎臓の薬として知られ、浮腫むくみの解消に根や実を煎じたものを飲んでいた(*5)。

 また、ビタミンCの豊富さから、美容面での効果も期待される』(*6)

 与祢は、御湯で洗顔。

 美容面での効果を期待している様だ。

「若殿、美肌になりました♡」

 つるつるな肌をこれ見よがしに見せる。

「綺麗だよ」

「有難う御座います♡」

 与祢の頭を撫で、アプトを抱き寄せる。

「アプト、久々の故郷はどうだ?」

「発展しているのは嬉しいですが、その分、自然が失われていくのが残念ですね」

「……そうだな」

 自然豊かな蝦夷地は、今や、開拓により、木々が失われ、自然破壊が進んでいる。

 生活拠点を失われた熊が食べ物を求めて人間の居住区に侵入し、重大な獣害事件が起きたり、海洋生物が、人間が捨てたゴミを誤食し、死傷する事態にもなっている。

 これに危機感を抱いた自然保護活動家の一部が過激化し、テロ組織になりかねない。

「あん♡」

 アプトの項に接吻する。

「さっきは、有難うな。俺のを掃除してくれて」

「仕事ですから」

 仕事と雖も、他人の吐瀉物を処理するのは、医療従事者であっても、相当、抵抗があるだろう。

「でも、嘘は駄目ですよ」

「うん?」

 アプトが大河の頬を噛む。

 珠が、アプトの言葉を続けた。

「あの吐瀉物、若殿のじゃないですよね?」

「へ?」

 与祢が怒った顔で言う。

「私達を軽視しないで下さい。若殿がお食べになった物は全て確認しています故」

「……」

 しまった、と思うが、時すでに遅し。

「あれは、ヨハンナ様ですよね?」

「……凄いな」

「若殿の女官ですから」

 珠は、胸を張る。

「今後、嘘吐いちゃ駄目ですよ」

「……そうだな」

 大河は、手を仰ぐ。

 それから、アプト、珠、与祢の抱き締めるのであった。


[参考文献・出典]

 *1:全国知事会 HP

 *2:馬場篤『薬草500種-栽培から効用まで』写真・大貫茂

   誠文堂新光社 1996年

 *3:田中孝治『効きめと使い方がひと目でわかる 薬草健康法』講談社〈ベストラ

   イフ〉1995年

 *4:貝津好孝『日本の薬草』小学館〈小学館のフィールド・ガイドシリーズ〉

    1995年

 *5:『アイヌと自然シリーズ■第4集 アイヌと植物<薬用編>』財団法人アイヌ民

    族博物館 2004年

 *6:ウィキペディア 一部改定

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