第470話 愛多憎生

「お待たせ~」

 朝顔が御盆に人数分の味噌汁が入った汁椀を持って来た。

 と、同時に、管理栄養士と調理師のコンビは、会釈して去っていく。

 ここからは、夫婦の時間だ。

「何故、味噌汁を?」

「急に作りたくなったんだよ。貴方に驚かせ様と思って」

「成程な」

 上皇の私室を一般市民は、ベルサイユ宮殿の様な豪華絢爛な調度品が所狭しと並ぶ心象を持っている場合が多いだろうが、実際には質素倹約に努めている為、最低限の家具しかない。

 平成28(2016)年9月にサウジアラビアの国王が来日し、当時の天皇陛下と御会談された際、1枚の写真が主にアラブ圏で大いに話題になった。

 その写真とは、御所で天皇陛下と国王を写されたのだが、椅子と花瓶以外何も無いものであった。

 その余りにも簡素な部屋に豪華絢爛な部屋を心象していたアラブ人を始めとする多くの外国人には衝撃を与え、ネットニュースになる程、話題になった(*1)。

 天皇とサウジアラビアの国王は、成り立ち自体が違う為、異文化になるのは、当然の事だが、それでも皇帝エンペラーと訳される為、質素倹約な天皇エンペラーには外国人には想像し辛いのかもしれない。

 朝顔自身、大河同様、豪華な生活は好んでいない。

 一般市民同様、を好んでいるのだ。

 今回の衝動的さも、ある意味、一般人らしいだろう。

「冷めない内に食べて」

「頂きます」

 手を合わせてからすする。

「……どう?」

「うん。美味しいよ」

「良かった。鶫達もどうぞ」

「有難う御座います」

 朝顔から勧められて、鶫達も箸を手に取る。

 上皇御手製の味噌汁など、滅多に無い経験だ。

 緊張で吐きそうだが、朝顔の手前、それすら許されない。

 大河が完食後、朝顔が彼の頭を撫でる。

「有難うね。全部、食べてくれて」

「美味しかったよ。不安だった?」

「うん。あんまり人に出す経験無いからさ」

 専属の調理師が居れば、自分で調理する機会は殆ど無い。

 あっても、学校での家庭科の時間での調理実習位だろう。

 その為、当然、手料理は上手になり難い。

「良ければ、毎日作ってくれよ」

「味噌汁?」

「うん。好きだから」

「本当?」

「うん」

「有難う♡」

 朝顔は、大河の膝に飛び乗ると、抱き締める。

 大型犬を愛する飼い主の様だ。

 鶫達も完食する。

 代表して、鶫が御礼を申し上げる。

「陛下、有難う御座います。大変美味しゅう御座いました」

「良かった。喜んでもらえて。それで鶫、体調は大丈夫?」

「と、申しますと?」

「最近、体調不良で休みがちって聞いたから」

 鶫が大河を見た。

 大河は、朝顔にされるがままで、何も助言しない。

「……はい。ちょっと薬が合わない様で」

「若し、体調不良なら真田に申し上げなさい。無理は禁物だから」

「有難う御座います」

 癩病救済に熱心だった光明皇后(701~760)の様に、朝顔は鶫を気にかけている。

「ほら、御出で」

「え?」

 朝顔に手招かれ、鶫は戸惑った。

 再度、大河を見た。

 すると、今度は視線で応える―――『言われた通りする様に』

「……は」

 大河に会釈した後、鶫は朝顔の近くに座った。

・アプト

・ナチュラ

・与祢

・小太郎

・珠

 の5人も緊張した面持ちだ。

「「「「「……」」」」」

 朝顔は、朝顔の頬に触れる。

「!」

 朝顔は強張るも、朝顔は意に介さない。

 そのまま続ける。

「……よし」

 数十秒した後、朝顔は漸く、手を離した。

「念を送ったわ。これで良くなると思う」

「! 有難う御座います……!」

 まさかの事だ。

 鶫は頭を下げ、涙を流す。

 流石に光明皇后の様に、膿を口で吸い出すのは、抵抗があるだろう。

 鶫自身、それをされると、申し訳無さ過ぎる。

 なので、これが最適だろう。

「鶫は良い子だからね。気を落とさないでね?」

 そう言って今度は、抱き寄せては、抱擁。

「……!」

 真っ赤になった鶫だが、抵抗して朝顔の顔に手が当たってしまう可能性を考えてしまい、成すがままだ。

 その間、大河はするりと抜けて、今度はアプト達の方へ行く。

「若殿、良いんですか?」

「呼ばれたら行くよ」

 笑顔で、アプトを抱き寄せる。

「良いな、先輩」

「珠も御出で。与祢も」

「「はーい♡」」

 3人は、大河の周囲を取り囲む。

 小太郎、ナチュラは、期待に満ちた顔だ。

「主?」

「若殿?」

「婚約者が優先。愛人は後」

「「はい♡」」

 アプト、珠、与祢、ナチュラ、小太郎の順に接吻していく。

「鶫は可愛いなぁ♡」

「……」

 朝顔に頬擦りされ、鶫は気絶するのであった。


 気絶した鶫を5人が別室で介抱する間、大河と朝顔は本当の意味での夫婦水入らずの時間を過ごす。

 大河の膝の上に座り、一歩たりとも動かせない。

「それで、どうして急に来たの?」

「会いたくなった―――」

「それは聞いた。私が怒っていると思った? 稲の件で」

 流石にさとい。

 大河は、両手を挙げた。

「そうだよ。それが本心だ」

「分かり易いね」

 朝顔は唇を尖らせ、大河の胸板に後頭部を打ち付ける。

「嘘を吐いたのは、悲しいけれど、断れなかったんでしょ?」

「……ああ」

「全く貴方って人は、軍人の癖にそこは、優し過ぎるというか甘過ぎるというか……頭痛がするわ」

「済まん」

「まぁ、私から離れなければ、良いわよ」

 それから、朝顔は歌を詠んだ。


『忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな 』

 ―――『貴方に忘れられる私のこの身がどうなろうとも構わない。それよりも神に誓った私との愛を破った事で神罰が下り、貴方の命が失われる事が悔しいのです』(*2)


 詠み人は、醍醐天皇(885~930)の中宮・藤原穏子ふじわらのやすこ(885~954)に仕えた女房・右近うこん(? ~?)。


元良親王もとよししんのう(皇族 890~943)

藤原敦忠ふじわらのあつただ(昌泰の変の首謀者・藤原時平の三男 906~943)

藤原師輔ふじわら の もろすけ(村上天皇の下で右大臣として活躍 909~960)

藤原朝忠ふじわらのあさただ(910~967)

源順みなもとのしたごう(梨壺の5人の内の1人 911~983)


 等と恋愛関係があったとされ、この歌の相手は、一説によると、この歌の相手は藤原敦忠とされている(*3)。

 すかさず、大河は返す。

『みかきもり 衛士ゑじのたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ』

 ―――『宮中の門を守る衛士が焚く篝火の様に、夜は燃え、昼になると消える様に、私の恋心も夜は熱い思いで身を焦がし、昼は魂が消えそうになる程思い悩むのだ』(*2)


「!」

 このり取りは、瞬発力とセンスが必要だろう。

「……好色家の貴方に心底惚れてしまったのが、私の運の尽きだね」

「うん?」

 大河の胸板を後頭部でぐりぐり。

「貴方なんか大嫌いよ」

 直後、振り向いた朝顔は背伸びして接吻。

「!」

 不意打ちを食らった大河だが、そのまま受け入れる。

 数秒程、唇を重ねた後、朝顔は離れた。

 その目尻には、涙が溜まっている。

「大嫌いよ」

 それから、胸板に顔を埋め、啜り泣き出した。

 新しくが出来る度に朝顔は、内心、不安で溜まらなかったのだ。


 ―――飽きられたのでは?

 ―――私より魅力があるのでは?

 と。


 無論、大河が全員に平等に接する為、それは一抹の不安でしかないのだが、可能性は0ではない。

「……済まん」

 大河は抱擁し、その背中を撫でるのであった。


 十数分泣いた後、朝顔は落ち着きを取り戻す。

「……御免ね。無様な醜態、晒して」

「全然、悪いのは、俺の方だから」

 反省の弁を口にした後、大河は、朝顔の手を強く握る。

「今から外出したいんだけど、良いかな?」

「逢引?」

「ああ」

「失点を返すって事?」

「そういう事じゃないよ」

 大河は立って、朝顔を御姫様抱っこ。

「……これで行くの? 恥ずかしいんだけど」

「じゃあ、自分で歩く?」

「……分かったわ。私の負けよ」

 珍しく強引な大河に朝顔は、根負け。

 降りると、その手を掴む。

「絶対に離さないでよ」

かわやでも?」

「陛下に同じ事言える?」

「御免なさい」

 朝顔は、鼻で笑い、

「……許す」

 そして、更に握力を強めるのであった。


 部屋を出て、城下町を歩く。

 後方に6人居るが、何時も通り、夫婦の私的な空間には、必要以上に立ち入らない。

「寒いね?」

「寒いな」

 ロシア帽ウシャーンカを被り、耳当てを装着した2人は素手で手を繋いだまま、京都新城周辺を散策する。

 気温は、1度。

 降雪量は、5cm。

 この状況下で出歩く人の方が少ないのは、当然だろう。

 然し、商魂逞しい商人達は、こんな雪でも諦める事は無い。

 博多の中州の様に出店を出し、


・おでん

拉麺ラーメン

饂飩うどん


 等を販売している。

「凄いね。庶民は、博識だわ」

「何が?」

「おでんよ。女房言葉が浸透しているなんて」

「あー……」

 おでんの語源は、「田楽」を意味する女房言葉だ(*4)。

 御所で使用されているのが、一般人にも広まっているのは、『開かれた皇室』を目指す朝顔には、兎に角嬉しい。

 京都のおでんには、


・湯葉

生麩なまふ


 が中心に用いられている(*3)が、日ノ本全土から移住者が殺到している昨今の京都では、それに囚われず、ソーセージや饂飩うどん等、地方独自のおでんも食べれる様になっている。

「おでん、食べたい」

「分かった」

 2人は、出店の暖簾をくぐった。

「席、空いてる?」

「はい、大丈夫でさぁ―――え?」

 準備中の店主は、固まった。

 上皇と近衛大将が客だからだ。

「良かったな?」

「うん♡」

 2人は、店主の反応を気にせず、カウンターに座った。

 店主の足は生まれたての小鹿の様に震える。

 そっくりさんの可能性も考えるが、凝視は失礼だし、朝顔から発せられる高貴なオーラがそれをさせない。

「ゆで卵、美味しそうだね?」

「そうだな。牛筋も良いな」

 2人は、メニュー表を見て楽しむ。

 おでんを直接覗き込む事も出来なくは無いが、唾や髪の毛が入ったらいけない。

 なので、2人なりの配慮だ。

「済みません。最初は、お任せで良いですか?」

「は、はひぃ」

 大河の腰の低さに、更に緊張に拍車をかける。

 店主は集客力から京都新城周辺に出店したのだが、まさか、城主が直々に来るとは思いもしなかった。

 これは、予想外だ。

 かといって、今更、追い出す事も出来ない。

 万が一、追い出した場合、ここら辺には秘密警察がうようよ居る。

 不敬罪不可避だ。

 店主は必死に接客し、2人はおでんを楽しむのであった。 


[参考文献・出典]

 *1:temita たった1枚の天皇陛下と海外の要人の写真に世界が驚嘆!「日本すげーな!」 2016年9月9日

 *2:小倉百人一首の全首を見る

 *3:ウィキペディア

 *4:『日本国語大辞典』 小学館

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