第434話 傷心症候群

 人は事実上、生物界の頂点に居ながら、実際には世界で最も精神的に弱い生物なのかもしれない。

 傷心ブロークン・ハート症候群シンドロームというのがある様に。

 失恋で死ぬ可能性があるのだ。

 伊万が倒れたのは、それが原因であった。

 幼い伊万は、初恋が失恋と誤認した衝撃で、発症し、倒れたのである。

 大河が、直ぐに見抜いた頃から後遺症も残る事は無かった事は、不幸中の幸いだろう。

 倒れてから数日後、医者から正式に『快癒』の診断を受けた伊万は、久し振りに登城する。

 そこで待っていたのは……

「よぉ、元気か?」

 気軽に手を上げ、微笑む想い人。

 その人は、何時もの様に、愛妻と共に居る。

 今日は、右手に幸姫。

 左手に阿国。

 肩には、お江という布陣だ。

「……」

 イラっとしてしまう。

 が、それはおくびにも出さない。

「先日は助けて頂き有難う御座います」

「礼なら松に言い。俺は手助けしただけだから」

 忙しいのか、大河は作り笑顔を浮かべて去っていく。

 その後を追うのが、侍女達だ。

 沢山の文書を抱えている。

 1番多いのが、侍従長のアプト。

 次に珠。

 最少なのが、与祢だ。

 量の基準は年齢順。

 体格差を考慮しての事なのかもしれない。

「あ」

 アプトがつまずき、落としてしまう。

 すると、大河は、振り向き、

「お江、ちょっと捕まっとけよ?」

「はーい♡」

 ボールを抱える様に大河の頭を抱える。

 直後、大河は幸姫と阿国に「済まん」と目配せ。

 彼女達は頷き、手を離す。

 そして、3人で公文書を拾い出した。

 珠と与祢も自分達が持っていた物を一旦、置き、参加する。

 数十秒後、全てを集め終えた。

「段差?」

「はい。足元をよく見ていなくて」

「怪我は無い?」

「はい」

「次からは、かごだな。それか固定する」

「そうします」

 アプトの足を擦った後、彼女に接吻。

 それから、手を繋ぎ直す。

「痛くなったら直ぐに通院な?」

「もう、若殿、心配性ですね?」

「念の為だよ」

 再度、接吻し、念を押す。

「良いな?」

「……はい♡」

 最近の大河のお気に入りは、アプトらしい。

 平等に愛しているが、人間だからその時々の気分でやはり偏ってしまう。

「若殿」

「済まん」

 与祢が抗議し、大河は直ぐに謝った。

 自覚があった様だ。

「伊万、済まんが今は遊べん。俺の部屋でくつろいでくれ」

「は、はい」

 私室を自由に使って良いのは、伊万がだからだろう。

 子供と見られているのは、不快だが、それだけ心を許してくれているのは、素直に嬉しい。

 一行が去った直後、橋姫が現れた。

 監視役なのか、伊万の手を握る。

「あの馬鹿に惚れた?」

「……」

 こくり。

「応援したい所だけど、あの馬鹿、もうめとる予定は無いよ」

「……分かってる」

 それは、与祢が話していた事だ。

 現時点で大所帯にも関わらず、増加したら、その分、将来、お家騒動の可能性が高まる。

 大河が存命中は、対立は無いだろうが、彼を失った後、嘗てのユーゴスラビアの様に分裂する事も十分考えられる。

「茨の道だよ?」

「うん。でも好きだから」

「……そう」

 忠告しても好意を変える事が出来ないのは、橋姫も痛い程分かる。

 自分も友達だったのに、結局、諦めきれず、結婚したのだから。

 それも、人間でも無いのに。

 2人の場合は、異類婚姻譚に該当する。

 当然、人間同士のそれよりも、色々な壁がある。

 にも関わらず、大河は快諾した。

 この事から、橋姫にとって、大河は夫であると共に、大恩人だ。

 橋姫と結婚する前にも沢山の女性と結婚している事から、伊万もその範囲内と思われたが。

 まさか、本当にそうなるとは、思わなんだ。

「じゃあ、これからどうするか部屋で考え様か?」

「……反対しないの?」

「しないよ。思想の自由だからね」

 日ノ本が一夫一妻制ならば反対していただろう。

 然し、複婚制である以上、横恋慕は不倫でない限り、反対は困難だ。

 大河が伊万に対してどの様な感情であるか分からないが、橋姫は、中立の立場を崩さない。

「じゃあ、行こうか?」

「……うん」

 橋姫の優しさの御蔭で、伊万は今の所、失恋の涙を流す事は無かった。


 執務中、

「……」

 与祢がチラチラと見る。

「どった?」

「……若殿は、伊万の事、どう思います?」

「どう、とは?」

「その……女性として」

「急だな?」

 大河は、筆を置く。

 仕事中ではあるもの、真剣に対応し様、という心構えが見て取れる。

「若し、彼女が快諾してくれるのであれば、将来は、心愛の部下になってもらいたい」

「部下?」

「そうだよ。アプトが累の専属の家臣になる様にね?」

 そう言って、アプトを抱き寄せる。

 彼女は、謙信が上杉邸に居る為、その間、累の乳母を務めていた。

 お乳を与えつつ、大河にしな垂れかかる。

「累様の母親になった様な感じです♡」

「そう見えるよ。累、アプトのは、美味しい?」

「……」

 大河の質問には、答えずに一心不乱に吸っている。

 無視されたが、大河は、怒らない。

 子供の楽しさを第一に考えている以上、自分の感情は二の次なのだ。

「皆、小休憩だ」

「分かった」

「はいです」

 幸姫、阿国が順に頷く。

 阿国は、大河の膝に座り、甘える。

「真田様、良い匂いがします」

「有難う。阿国もな?」

「えへへへ♡」

 お江の様な天真爛漫な笑顔を見せる。

「舞踏の調子はどう?」

「真田様が、谷町タニマチになって下さった御蔭で、好調です」

「良かった」

 舞踏の素人だが、大河は谷町パトロンになる事は出来る。

 愛妻を歌劇団のプリマドンナに据えるのは、公私混同は否めないが、今の日ノ本で1番舞踏に精通している人物が、阿国だ。

 熱心に舞踏を研究し、発展させ様とするその姿勢は、評価せざるを得ないだろう。

「私は?」

 幸姫があすなろ抱き。

「好きだよ」

「有難う。でもそういう事じゃなくて、さ?」

 意味深に見詰める幸姫。

「……ん?」

「ん」

「……ん?」

「ん」

 幸姫のお腹を見た。

「あ」

「やっと気付いた?」

「ああ」

「もう遅い」

 呆れて幸姫は、大河の耳朶じだかじる。

 大河が気付いたのは、彼女の体型の変化だ。

 長身痩躯であったのだが、今は痩せ型、という訳でもない。

 かといって、太っている、という事でもない。

 心配性の大河の為に少し、ふっくらしたのだ。

「御免」

「馬鹿」

 幸姫は、大河に蜘蛛の様に絡み付き、離れ様としない。

 最近では、夜伽の時機でしか絡めないのだが、今回は、昼間から付き合える為、テンションが高いのだ。

「……」

 2人がイチャイチャする間、空いていた左隣に珠が座る。

 そして、その手に自分のそれを重ねた。

 正妻に配慮して、自分からイチャイチャする様な真似はしない。

(……伊万は、大変ね)

 伊万の心情をおもんばかり、内心で溜息を吐く与祢であった。


[参考文献・出典]

*1:TOCANA 2014年8月25日

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