東北暗闘編

第399話 悪鬼羅刹

 ヨハンナの退位を契機に益々ますます大河の名が、世界中に轟く。

 切支丹キリシタンからの政治献金も増えているのが、その証拠だ。

 大河は宗教には、極力介入しない方針を採っており、それは耶蘇やそでも例外ではない。

 個人的に厚遇しているのは、神道とユダヤ教だけであって、その勢力からの政治的要請をも拒否している姿勢スタンスだ。

 その為、城内に教会を造るのは当然、難色を示す。

「教会ねぇ……」

「難しいですか?」

 提案者の珠は、複雑な表情だ。

 御神託があったとはいえ、公私混同は避けたい。

 然し、御神託はないがしろには、出来ない。

 彼女も難しい立ち位置にあった。

「……分かったよ」

「え? 良いの?」

 話を聞いていた誾千代が、思わず呟く。

「御神託だからね。軽視すれば後々、竹箆しっぺ返しを食らうかもしれない」

「意外と信心深いだね?」

「神様には敬意を表す。当然の事だよ」

「賢明ね」

 朝顔が、大河の頭を撫でる。

「私の為に神社を大切にしてくれているしね」

 そう言うのは、橋姫だ。

 彼女の言う神社とは、現在の宇治市に創建された橋姫神社を指す。

 正式には、上流から遷祀されたとされる瀬織津媛せおりつひめを祭っているが、『平家物語』等での橋姫と同一視されている。

 源綱に討たれた後に橋の神になったという話もある。

 橋を守る女神として祭られているが、縁切りの神でもあり、悪縁を切る御利益がある。

 逆に、恋人同士や婚礼の儀で、神社前を通ったり宇治橋を渡ったりするのは禁忌である(*1)。

 恋愛とは真逆な神社だが、大河はその多額の玉串料を奉納したりと、気に入っている神社の一つだ。

 天下の近衛大将が厚遇している神社だけあって、参拝客は多く、神主から時折、嬉しい悲鳴入りの感謝状が送られてくる程である。

「司祭はどうするんだ? 珠がするの?」

「いえ、御一人既に適任者が居ます」

「ほぉ、早いな」

 褒めては抱き寄せる。

 そして、接吻。

 事あるごとに接吻するのは、女性陣がうんざりする事もあるが、夫婦間の交流としては、必要な事だろう。

「で、誰なんだ?」

「聖下だよ」

「……はい?」

 思わず聞き直す。

「聖下に務めて頂こうかと」


 名誉教皇になったヨハンナは、Roman Catholic Archdiocese of Kyoto―――旧教カトリック京都大司教区大司教に就任していた。

 多くの保護猫、保護犬に囲まれつつ、過ごしている。

「聖下、お早う御座います」

「あ、珠、来てたのね?」

「はい」

 珠は、御辞儀した。

 教皇の地位を失っても、ヨハンナが生活に困る事は無い。

 必要最小限の生活費は、バチカン市国から支給され、衣食住は日ノ本持ちだ。

 当然、信者からの寄付金もあるが、流石にそれを使う事は無い。

 各地の教会の維持費や、保護した動物の為に使っている。

 その為、犬や猫が集まり、ヨハンナの教会は聖職者よりも動物が多くなっていた。

 ヨハンナの手や頬を犬が舐め、猫は日向ぼっこをしたりと、彼等も悠々自適に過ごしている。

 現代日本では、猫寺と言った物が存在するが、ここはそういう類だろう。

「聖下に御願いがあります」

「何?」

「我が家にこの度、教会が出来ます」

「その司祭に?」

 理解が早い。

 教皇の地位に居ただけあって、賢明だ。

「はい。御願い出来ますか?」

「何故、私なの? マリアじゃ駄目なの?」

 事件後、ヨハンナは珠と会い、長時間話した。

 その結果、珠は現在の様に緊張する事は無い。

 但し、敬慕も失われた訳も無く、より一層、名誉教皇を支え様としていた。

 その気持ちは、ヨハンナも素直に嬉しい。

「マリア様には、補佐司教になって頂きました」

「根回しが上手いわね? 真田譲り?」

「そうかもしれませんね」

 珠は、微笑む。

 外堀を埋めていき、断り難くさせるのは、大河が好む常套手段だ。

「夫婦生活は、順調?」

「はい。毎日、楽しいですよ」

「離婚しちゃ駄目よ」

「分かっていますよ」

 ローマ・カトリック教会では教会法上、離婚が存在しない。

 民法上の離婚をして再婚をした場合は、教会法上の重婚状態とされ、その罪の為、聖体拝領を受ける事が出来ない。

 性的に不能であった場合は結婚そのものが成立していないので、バチカンには勝った上で婚姻無効が認められる事があるが離婚ではない。

 配偶者が姦通して離れた場合でも再婚してはならないとしている(*2)。

 その為、カトリックに篤いバチカン市国とフィリピンには、離婚制度がそもそも存在しないのだ。

 離婚するには、『婚姻の無効』を裁判所に申し立て、認められなければならない。  

 2011年までは、マルタ会談で有名な欧州の島国、マルタでも離婚制度が法制化されなかった(*1)。

 一方、日本では協議離婚が可能だ(*3)。

「聖下は、結婚しないんですか?」

「さぁね。ただ、気になる人は居るよ」

「え? どなたです?」

「真田―――」

「駄目です。幾ら聖下でも御譲りする事は出来ません」

「良いじゃない―――」

「陛下も猛反対しますよ?」

 教会の話は、何処へやら。

 2人は、ガールズトークを楽しむのであった。


 欧州で新教皇が誕生していた頃、奥州でも動きがあった。

「良いですか。竺丸じくまる、そなたは、伊達家の当主です」

「は、はぁ……」

 義姫の言葉に竺丸―――通称、”小次郎”―――後の政通まさみち(11)は、戸惑っていた。

 母親に溺愛された末路の肥満児、という訳ではなく、どちらかというと、純真無垢な優しい男の子だ。

 その性格は、輝宗譲りかもしれない。

「兄上は?」

「あの者は、残念ながら疱瘡神ほうそうしんに呪われてしまいました。伊達家の次期当主には、相応しくありません」

「そう……ですか」

 政宗と仲が良い竺丸には、残酷な現実だ。

「それにあの者は、上杉の令嬢と親しくしています。敵と慣れ親しんでいるのも、除外した理由です」

「……」

 敵愾心が強い義姫は、謙信を嫌っていた。

 理由は、単純だ。

 ―――嫉妬心。

 自分よりも民に人気がある謙信が妬ましい。

 世が世ならば、挙兵して、越後国に攻め込みたいくらいだ。

「その点、竺丸、元服しなさい。今後はまつりごとの道に進むのですから、政通と名乗りなさい」

「……は」

 頷きつつ、政通は、隣室を見た。

『zzz……』

 輝宗の寝息が聞こえる。

 政宗を京へ留学させて以降、体調がおかしいのだ。

 一部では、「義姫が毒を盛ったのでは?」と囁かれている程、急激な体調不良である。

(……これが正解なのか?)

 事実上、義姫に支配された伊達家の現状に、竺丸改め、政通は内心で首を傾げるばかりであった。


 輝宗の体調不良は、政宗も知ってはいたが、義姫が居る以上、帰るに帰れない。

 そうなった時は、頼る相手は1人しか居ない。

「真田様、これは、見舞いに行った方が宜しいでしょうかね?」

「いや、隔離させれているんだろう? 伝染病かもしれないし、止めておいた方が良いと思うぞ?」

 喫茶店に来た大河は、累を背中で抱っこし、与祢と華姫を両側に座らせている。

 華姫だけ来させるつもりだった様だが、与祢に配慮し、彼女も一緒に連れて来たのかもしれない。

 近くの席には、お市と三姉妹も。

 彼女達は、こちらを気にしつつ、パフェを楽しんで食べている。

 会話に入って来る事は無い。

「伝染病、ですか?」

 思わず自分の眼帯に触れる。

 天然痘を疑っているのだろう。

 その、

・感染力

・罹患率

・致命率

 は、高い。

 ―――

①アメリカの事例

 1663年、人口約4万人のインディアン部落で流行があり、生存者は数百人のみ。


②インドの事例

 1770年、300万人が死亡。


 等の記録がある。

 この他、”近代免疫学の父”である、エドワード・ジェンナー(1749~1823)による種痘が発表された1796年当時、英では4万5千人が天然痘の為に死亡していたといわれる。

 日本では明治年間に、2〜7 万人程度の患者数の流行(死亡者数5千〜2万人)が6回発生している。

 第二次世界大戦後の昭和21(1946)年には1万8千人程の患者数の流行が見られ、約3千人が死亡しているが、緊急接種等が行われて沈静化し、昭和31(1956)年以降には国内での発生はみられていない。

 1958 年、世界天然痘根絶計画がWHO世界保健機関総会で可決された。

 当時世界33 カ国に天然痘は常在し、発生数は約2千万人、死亡数は400万人と推計されていた。

・ワクチンの品質管理

・接種量の確保

・資金調達

 等が行われ、常在国での100%接種が当初の戦略として取られ た。

 然し、接種率のみを上げても発生数は思う様に減少しなかった為、監視サーベイランス(患者を見つけ出し、患者周辺に種痘を行う)と封じ込めに作戦が変更された。

 その効果は著しく、1977年、ソマリアにおける患者発生を最後に地球上から天然痘は消え去り、その後、2年間 の監視期間を経て、1980 年5月、WHO世界保健機関は天然痘の世界根絶宣言を行った。

 その後も2020年現在までに患者の発生はなく、天然痘ウイルスは米露のBSLバイオセイフティーレベル4の施設 で厳重に保管されている。

 天然痘ウイルスは、感染は飛沫感染による。

 約12 日間(7〜16 日)の潜伏期間を経て、急激に発熱する(*4)。


「案ずるな。政宗。状況的に見て、君が感染源ではないよ」

「え? 本当ですか?」

「天然痘は、約12日間の潜伏期間があるからな。若し、君がそれなら、輝宗殿は、もっと早く症状が出ていた筈だよ」

「……では?」

「分からん。調査が必要だな」

 若し、新種の感染症ならば、国として、立ち向かわなければならない。

 2020~2021年の世界の混乱振りを見ると、未だに世界は、新型ウイルスから立ち直っていない。

 世界で最も感染者を抑え込んでいる台湾の様に、対策が早ければ早い程、被害は少なくなる。

 マレーシアは、東方政策ルック・イースト・ポリシーを打ち出したが、大河は、後世の台湾に学び、南方政策ルック・サウス・ポリシーだ。

鬼女きじょが出るかじゃが出るか」

「若殿、そこは鬼ですよ?」

「ちちうえが、ことわざをまちがえた?」

 婚約者が訂正し、娘が驚く。

「そうだな。間違えたな」

 大河は笑って2人の頭を撫でつつも、考えた。

(さぁて、義姫はどっちかな?)


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』4.31

*3:民法第763条

*4:国立感染症研究所 HP

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