第344話 三軍暴骨

 万和4(1579)年元日。 

 中国大返しの如く、早馬で近江国に越境した柴田軍は、伊吹山を駆け上がる。

 虚を突かれた大河の家臣団だが即応し、両者は中腹で激突した。

「何?」

「勝家が攻めて来たんだと」

「え?」

 大河の返答にお市は、我が耳を疑った。

 一瞬にして、酔いが醒める。

 姉妹も数瞬後、続いた。

「どういう事?」

「勝家は宿老しゅくろうでは?」

「勝家と殺し合うの?」

「攻めて来た以上、そうなるだろうな」

 大河は、冷静沈着で言う。

 自分が殺されるかもしれない状況下で、取り乱さないのは、流石、近衛大将だ。

 悪く言えば、血が通っていない、とも言えるだろうが。

「平馬には、まだ荷が重かったかなぁ? さてと」

 首を鳴らしつつ、大河は立ち上がった。

 そして、

「一豊、弥助、出番だ」

「「は」」

 最側近である2人は、頷くと、どこかへ駆けていく。

「……真田様? 今のは?」

「政敵の近くに無防備で居る訳が無いだろう? ちゃんと手は打ってあるよ」

 油断大敵、という訳ではないが、大河がこれ程楽観視しているのは、柴田家に内通者を得ていた。

 ―――柴田勝豊。

 勝家の養子であるが、彼と仲が悪い武将だ。

 というか、勝豊は柴田家の誰とでも仲が悪い。

 同じ養子である勝政を勝家は、厚遇し、勝政とも良好な関係とは言えない。

 又、”鬼玄蕃”こと、佐久間盛政とも険悪であった。

 ここまで人間関係が悪いのは勝豊の人間性に問題があるのか、それとも、柴田家に非があるのか。

 どちらにせよ、勝豊の養子先として柴田家は、不適当だった事は言うまでも無い。

 その為、賤ヶ岳の戦いの際、勝豊は早々と勝家を見限り、秀吉に寝返った。

 仲が悪いとはいえ、一門衆の1人の寝返りを結果的に許してしまった訳の為、柴田方は動揺し、敗因の一つになったのかもしれない。

 人間関係は、時に歴史をも動かすのだ。

 2人が向かった先は、長浜城。

 政権内部の異動に伴い、勝豊は、清須会議の時同様、長浜城の主になっていたのだ。

「伊賀守殿、挙兵を」

 一豊の言葉に、勝豊は目を閉じた。

 病床に臥せっている彼は、早々と出世競争から脱落し、柴田家で惨めな思いをしていた。

 それを救ってくれたのが、大河だ。

 病弱な自分に同情し、「宿老の後継ぎは、伊賀守殿である」と人事会議で根回しし、見事、長浜城を得た。

 この大恩、何時返すべきか、と考えていたが、まさにこの時機だろう。

(……近衛大将には、敵わないな)

 当然、自分を重用したのは、仮想的・勝家に対する防波堤にする為だろう。

 あからさまでもある為、非常に分かり易いが、大恩である事は変わりない。

 軍医から「余命、短し」と告げられている為、実家を裏切ってもでも、家族を守る為に大河と手を組んだ方が、長所に成り得る。

「真田様にお伝え下さい。『手勢と名義、幾らでも御貸しします』と」

「賢明な判断有難う御座います」

 弥助が頭を下げた。

 アフリカ系のトルコ人だが、もう既に仕草は日本人だ。

 柴田勝豊、寝返る。

 この史実通りの事が、大戦を決定付けた事は言うまでも無い。


 万和4(1579)年、元日、正午。

 福井城に救援要請を受けた上杉軍が到着する。

 その数、3万。

 1万にまで減っていた大谷軍としては、願ったり叶ったりの援軍だ。

 これで4万にまで膨れ上がった連合軍に対するのは、柴田軍300。

 劣勢とはいえ、大谷軍の猛烈な防戦により、開戦後、僅か数時間で10分の1にまでその数を減らしていた。

 もっとも、その間、4万もの兵士を討ち取ったのだから、勢い的には、勝っている事には変わりない。

(……総崩れ、しないか。流石、真田第一の忠臣の大谷だ)

 福井城攻めを指揮する毛受は、その奮戦ぶりに関心していた。

 戦国時代なら、大谷軍は、右往左往し、総崩れしていた事は間違いないだろう。

「……大将! 御注進!」

「何だ?」

「勝政殿、討ち死に!」

「な!」

「又、勝豊殿が寝返りました!」

「……」

 自分の耳を削げたくなる程、聞きたくない言葉であった。

 天を仰ぐ。

 福井城を攻めるまでは良かった。

 落城寸前にまで追い詰めた。

 だが、ここまでの様だ。

「……大殿は、何方へ?」

「伊吹山にて、交戦中であります!」

「全軍、反転せよ! 大殿と共に死のうぞ!」

 三方ヶ原の武田軍の様に反転し、関ヶ原の島津軍の様に、捨てがまりで包囲網を突破する。

 最後尾の1人が、追撃を遅らせる為に戦う。

 犠牲となれば、次だ。

(……済まん)

 馬を走らせつつ、毛受は、伊吹山に走った。


 伊吹山の麓では勝家率いる本隊と、一豊、勝豊、弥助の連合軍が、交戦していた。

「……これまでか」

 本体は、もう数十しかいない。

 相対する連合軍は、数百。

 数的には差は無い様に感じられるが、流石は大河の最側近中の最側近・弥助の兵隊だ。

 狩猟豹チーターの様に素早く、蜘蛛の様に絡み付き、熊の様に食い殺す。

「……」

 山頂を見た。

 恐らく、あそこに大河が居るのだろう。

 物は試しだ。

 すーっと、息を吸い込むと、

「我こそは、柴田勝家なり、真田大河よ、手合わせ望む!」

 江田〇平八の様な大音声だ。

 騒音値の基準で言う所の120db位だろう。

 極めて煩く、聴音機能に異常を来たす位で、飛行機のエンジン近く、とされるそれだ(*1)。

 暫くすると、大河が山頂に姿を現す。

「……来たぞ」

 何も甲冑を付けていない。

 和装での登場だ。

 勝家並の大声では無いが、普通の大きさでも勝家の耳に届いた。

 双眼鏡で視認後、勝家は微笑んだ。

(流石だな)

 他の武将なら、呼ばれてもわざわざ来ない。

 来たとしても、南蛮甲冑を着けて来る筈だ。

 然し、この男は以前、仲が良かった時期に分かったが、敵であっても場合によっては、敬意を払う事がある。

 宿老の勝家は、嬉しかった。

 もう仲が良かったあの頃には、戻れない。

「礼を言うぞ。若造」

 大河は、微笑んで踵を返す。

 山頂にて待つ、という事らしい。

 直後、連合軍の攻撃が止む。

「……」

 勝家の部下達は、動かない。

 文字通り、屍と化していた。

 自刃したい所だが、最後は一騎打ちで見事果てるのも悪くは無い。

 大河の事だ。

 苦しまず、死なせてくれるだろう。

(黄泉で逢おう)

 勝家の宗派は、禅宗。

 禅宗は、死後の世界を否定も肯定もしていない。

 勝家もそれに則り、今まで考えた事が無かったのだが、この期に及んで極楽浄土を欲していた。

 戦友達と再会したい為である。

 再会を心待ちにしつつ、ウキウキ気分で登山するのであった。


 一騎打ちの場所は、開いた場所であった。

 周りには、連合軍の兵士達が囲む。

 女性陣の姿は無い。

 大河が避難させたのだろう。

「ここで良かったよ。葬式の手間が省けたからな」

 シャムシール・エ・ゾモロドネガルを抜く。

 幾多の命を奪ったそれは、刃毀れしていない。

 大河が定期的に手入れしていると言うから彼の御蔭なのだろう。

「……俺は禅宗だ。観音寺には悪いが、出来れば禅宗の寺で葬って欲しい」

 その人となりを、フロイスは、


『禅宗であるが、他の宗旨を憎まず』(*2)


と証言している様に、勝家は天台宗にも敬意を払っている様だ。

「……何故、引き受けた?」

 大河が決闘を快諾したのは、初めてだ。

 頼んでおきながら、未だに勝家は、半信半疑である。

「宿老だからな」

「……有難う」

 勝家も『にっかり青江』を抜く。

 これは、不思議な話を持つ名刀だ。


 近江国(現・滋賀県)の中嶋修理太夫が、八幡山(現・滋賀県近江八幡市)辺りに化け物が出るとの噂を聞き、深夜の山奥へ向かう。

 そこで、子供を抱いて佇む女に出会ったのです。

 女は、子供を抱いて欲しいと懇願し、「にっかり」と笑った。

 余りの不気味さに、中嶋修理太夫はその女の幽霊を切り捨てたと言う。

 翌日、幽霊の出た場所を確認に行くと、石灯籠が真っ二つになっていたとの事。

  

 この伝説が名前の由来となった。

 後に、これは勝家の手に渡り、史実では、その後、養子の勝敏に譲られる。

 天正11(1583)年、勝敏が賤ヶ岳の戦いで敗れると、丹羽長秀が本脇差を奪い取り、秀吉へ献上した。

「……あんたの死後、それ、貰って良いか?」

「何だ? 刀剣愛好家だったのか?」

「いや、息子にな」

(景勝か)

 景勝は、愛刀家として有名だ。

 卓越した鑑定眼を持ち、特に気に入った物から選抜した『上杉景勝御手選三十五腰』と呼ばれる目録にまとめる程である。

 その収集物には国宝や重要文化財が多数含まれている。

「……家族思いだな」

「ああ」

「羨ましいよ。勝豊は、どうだ? 出世出来そうか?」

「病気次第だな」

「もう、先は短い?」

「多分な」

 柴田家を裏切った勝豊であるが、史実では勝家の死ぬ直前に病死した。

 ここでも、病床だ。

 ここから復活出来るのは、難しいだろう。

「……奴に伝言を頼めるか?」

「ああ。良いぜ」

「……『来世で飲もう』」

「分かった」

 2人は、向かい合う。

 そして、始めた。

 勝家はせめて一太刀、と急所以外を狙う。

 殺意が無いのは、もう心身共に疲れ果て、厭戦気分なのだろう。

 が、それ以上にお市が理由と思われる。

 彼女が好き過ぎて、彼女から嫌われてる事を恐れているのだ。

 にっこり青江が、大河の頬を掠めた。

「……何故、避けない?」

「殺意が無いからな」

 大河は微笑んで後、2人は刀を交わす。

 お市と出世を巡っての対立であった2人だが、武人としては、お互い尊敬し合っている。

 その証拠に、武芸に関しては、お互い、殆ど悪口を言い合った事が無い。

 対立する要因が無ければ、2人は最高の親友に成り得たかもしれない。

「……」

 勝家は、久々に楽しかった。

 真剣でこれ程本気で斬り合える何て安土桃山時代に入って以降、早々無かったのだから。

 2人の剣術は、寸止め。

 勝家が、大河の首筋に宛がう様に刀身を止めれば、大河も又、勝家の胸部の寸前で突くのを止める。

 まるで剣舞をしているかの様だ。

「「「……」」」

 勝家が傷付けた場合に兵士達は、彼を狙撃する準備をしていたが、やがて、魅了されていく。

 血が1滴も流れないそれは、まさにスポーツの様であった。

 鍔迫り合いを行う事、約1刻。

 存分に楽しめた勝家は、覚悟を決めた。

「最後に少し、斬って良いか?」

「あの世へ行く前に?」

「ああ。家臣達に自慢したい。冥途の土産だ」

「良いよ」

 大河は、愛刀を下す。

 拳闘ボクシングのノーガード戦法の様に無防備だ。

「……」

 勝家は、大河の利き腕―――ではなく、左腕を狙う。

 右腕だと今後の長い人生、苦労するかもしれないから。

「……楽しかったよ。坊主」

「ああ、あの世で逢おう」

 勝家が、大きく振り被った。

 直後、

「―――ごふ!」

「!」

 大河の背中を弓矢が貫いた。

「! いやあああああああああああああああああああああああああああ!」

 兵士達の間から覗き込んでいたお市の叫び声が、木霊した。

 雪原が、赤く染まる。


[参考文献・出典]

*1:日本騒音調査ソーチョー HP

*2:1581年5月19日付の書簡

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