第209話 慈母敗子

 大河から話を受けた茶々は、直ぐに快諾した。

「自分で育てたいのですが、それもありでしょう。何れは、『浅井』を名乗って欲しいですから」

 ぎゅっと、愛おしそうに我が子を強く、又、優しく抱き締める。

 実母・お市も複雑そうな顔だ。

「本当に良いの……? 後悔しない?」

「亡き父上の為ですから」

「……」

 父親想いの茶々に、お市の目頭が熱くなる。

「話の途中で悪いが、名付け親にはなったらどうだ?」

「え?」

「御腹を痛めて産んだ子供なんだ。その位、罰は当たらんだろう」

「……そうですね。もう名前は、決めているです」

「! そうだったのか?」

「申し訳御座いません。夫婦で決める事なのでしょうが―――」

「良いよ。気にしていない」

 大方おおかた、予想はついている。

 茶々が名付けるとしたら、

「…………」

 すらすらと茶々は、白紙に筆で書いていく。

 ———

『猿夜叉丸』

 ———

 と。

 そう、浅井長政の幼名だ。

 お市は、嬉しさの余り、茶々を抱き締める。

 猿夜叉丸が苦しそうになるも、お初が素早く救出し、お江と共に抱く。

「可愛いわね」

「甥っ子!」

 お江は、猿夜叉丸の顔面をめ回したくなる位に衝動に駆られるも、必死に抑える。

 新生児は、無菌で大人が愛おしさの余り、接吻してしまったり、匙等を共有してしまうと、虫歯菌が可能性があるのだ。

 事前に大河が教えなければ、知らず知らずの内に感染させていたかもしれない。

「若殿、エリーゼ様が御呼びです」

「おう、分かった。じゃあ、お市様、頼みます」

「ええ」

 鶫と共に出て行く。

 これで、この部屋は、本当の意味での家族水入らずだ。

 大河の配慮に茶々を抱き締めつつ、お市は、心の底から感謝した。

「有難う御座います」

 と。


「この子の名前は、デイビッドにし様と思う」

 デイビッド―――日本人にも聞き馴染みのある英語名だ。

 その原型は、古代イスラエル王、ダビデ(紀元前1040~紀元前961)。

 羊飼いの出でありながら、初代イスラエル王サウルに仕え、彼がペリシテ人と戦って戦死後にユダで王位に就任。

 その後、ペリシテ人を撃破し要害の地エルサレムに都を置いて全イスラエルの王となり、40年間、王として君臨したイスラエルの英雄の1人だ。

 低位から高位者に仕え、高位者の死後、仇敵を討ち、その後、王になる物語ストーリーは、豊臣秀吉のそれを彷彿とさせる。

「気持ちは分かるが、その名前だと、浮くんじゃないか? 只でさえ混血児ハーフは、『いの子』と言われかねないのに」

 都会では、国際結婚は珍しく無いが、地方だとまだまだ、抵抗があり、虐めに遭う子供も多い。

 その為、大河は、外国人学校を設立し、混血児の児童を受け入れている。

 それが功を奏し、地方での混血児の多くは、山城国の寮付き外国人学校に進学している。

 この外国人学校は私立で、あくまでも大河の善意と私費によって運営され、外交官の子息子女も多く通う。

 在日外国人御用達の通えば問題無いのだが。

「学校には、通わせないわ」

「え? じゃあ、教育は如何すんだ?」

「ホームスクーリングよ。私が先生になる」

「……」

 日ノ本では、現代日本同様、ホームスクーリングは、認められていない。

 尤も、全面的に禁止、という訳ではなく、不登校等、諸事情がある場合は、問題になる事は無い。

 ホームスクーリングが世界的に有名なのが、アメリカだろう。

 1993年までに全州で合法とされて、2011年時点でも150万~200万人が選択している。

 実施理由としては、

・進化論の拒絶等の宗教的な理由(1990年代後半)

 が多かったが、2011年の調査では、

・多発する銃乱射事件等、学校環境の不安

・家庭での道徳教育

・学校の指導への不満

 が多くなっている。

 但し、誰でもホームスクーリングが受けれる訳ではない。

 親が子供を無視したり放任するのを防ぐ為、

・定期的な標準学力試験の受験

・実の親による指導

・英語による指導

・必修科目の指定

・出席記録の教育局への提出

 等の条件の内、州が定める幾つかを守って実施する必要がある(*1)。

「駄目?」

「いや、良いけれど、専門外の事とか教えれるのか? 漢文とか古文―――」

「先生がこっち来れば良いのよ?」

 長男、デイビッドをエリーゼは、溺愛する。

 スヤスヤと眠る長男の全身をベタベタと触れていた。

 流石に接吻はしないが、それでも、今にも接吻しそうな位、可愛がっている。

「良いよね?」

「学習に遅れが出なれば問題無いよ」

「ありがと♡」

 デイビッドに接吻出来ない代わりに、エリーゼは、大河にそうするのであった。


 エリーゼの部屋を出た後、2人は、千姫の下へ。

 部屋の前では、小太郎が稲姫と共に立哨していた。

「! 主、御疲れ様です」

「2人共御苦労。千は?」

 稲姫が答える。

「あい。アプト、与祢、珠が看ています」

「有難う」

 3人は、入室する。

 千姫は、アプトが剥いた林檎を食べていた。

「あ、山城様……」

「調子は如何だ?」

「はい。元気です……」

 愛息を胸に千姫の表情は暗い。

「如何した?」

「……忠勝が、山城様に会いに行った様ですね?」

「耳が早いな」

 ちらっと、稲姫を見る。

 彼女は、目を逸らす事無く、見詰め返す。

 悔いは無い、と言わんばかりに。

「……稲以外、済まんが、少しの間、休憩してくれ」

「は」

 代表して鶫が答え、全員を引き連れて、一旦、退室。

 大河、千姫、稲姫、愛息のみとなった。

「……で、どう思った?」

「御爺様の気持ちは分からないではないです。然し、亡き義父は、素行不良だった、と聞きます。家臣団の対立の火種になった、とも聞いています。幾ら有能とは雖も、問題のある人物の代わりには、出来ません。御爺様は、痴呆症になったのでしょうか?」

「……」

 仲が良い祖父を痴呆症と迄言い放つ千姫。

 家康に対する不信感が深い。

 出産直後にも関わらず、テンションが低いのは、当然だろう。

「山城様は、どの様に御考えで?」

「信康殿の最期は、詳しくは知らないが、あの様な最期を遂げた人物の生まれ変わりとして育てるのは、縁起が悪いだろう」

「……私もそう思いますわ」

 鯖折の如く、千姫は、愛息を抱き締める。

「良かったです。山城様が理解者で」

「じゃなきゃ、結婚していないよ」

 千姫の額にそっと口付け。

「初めての御産。よく頑張った。退院後、皆で記念に旅行でも如何だ?」

「! 良いんですか?」

「ああ、只、都内に限られるがな」

 近衛大将、という職務上、極力、都外に出る事は望ましくない。

 それは、千姫も承知済みであった。

「では、美人の湯に行きたいですわ」

 少し弛んだ御腹を見せる。

「まだまだ山城様に愛されたいですから」

 えへへへ、と嬉しそうに千姫は、笑う。

 家康の話をする時より、大河と交流した時の方が、幸せそうだ。

「じゃあ、第二子も頑張ろうかな」

「次は、女子が良いですわ」

「俺もそう想うが、それは、こうのとり次第だよ」

「その内、出来ますわ。上杉様の前例がありますし」

 談笑していると、扉が悪質タックル並に吹っ飛ばされた。

「御注進! 御注進!」

 犯人は、鎧兜に身を包んだ大谷平馬であった。

「何事だ!」

「は! 信松尼様が、何者かに連れ去られました!」

「何だと?」

 大河は、我が耳を疑った。

 よく見れば鎧兜には、返り血が付着している。

 交戦団体と戦った直後の様だ。

「信松尼様は、瀬田にて正月の説法を開いていたですが、四つ割菱の軍団が寺を襲撃し、連れ去った次第です!」

「我が方の死者は?」

「8人。負傷者20です! 又、説法の参加者も多数が流れ弾に遭い―――」

「分かった」

 最後まで聞かずに大河は、目を閉じた。

「宣戦布告だな」

 そして、見開いた後、呼ぶ。

「アプト!」

「は!」

 アプトが入って来て、跪く。

 大河の戦闘モードを理解しての行動だ。

「与祢、珠、ナチュラと共に3人の看護を頼む」

「は!」

「鶫!」

「は!」

 入って来た鶫は、既に甲冑を着ていた。

 彼女は、褐色の軍服を大河に差し出す。

「稲、済まんが、産院での指揮を頼む」

「分かりました」

「千。ちょっと救ってくるわ」

「分かりましたわ。待っています」

 千姫と接吻し、別れる。

 部屋を出た大河の隣を橋姫が歩く。

「……」

 止めない。

 止めても無駄だと分かっているから。

 褐色の鬼神と化した大河は、村雨と翠玉を散りばめた剣を帯刀。

 それに加え、M16、ベレッタ92を帯銃した。


 普段、温厚な大河が、これ程怒ったのは信松尼が理由だ。

 熱心な信玄崇拝者である大河は、信松尼が人質を願い出ても、決して軽視する事は無く、食客の様に厚遇した。

 その結果、武田氏との友好関係が構築され、両家は現在、京と甲斐国との長距離ではあるが、交流は盛んだ。

 国軍の駐屯地も誘致した甲斐国に対し、大河は返礼として甲斐国に空港を建設した。

 無論、費用は、大河の私費だ。

 現代の山梨県は高額な経費を考慮して空港建設には前向きではなく、どちらかと言えば、新幹線の方を誘致し、実際に令和9(2027)年開業のリニア中央新幹線の整備事業を進めている(*2)。

 地方空港は、総事業費が数百億円かかるのが、多い。

 それを大河が個人の資産で賄ったのだから、篤志家と言えるだろう。

 その為、甲斐国では空港がある場所を、『真田市大河』と改名する動きがある。

 豊田市等、人名に由来する現代の都市の様に。

 もっとも、大河は乗り気ではない。

「地元民の愛着のある名前で御願いします」と丁重に断り、銅像建立も断っている。

 善意であって返礼は、求めていないのが、大河の主義だ。

 そんな甲斐国に信松尼は、岩殿山城に幽閉されてされていた。

 現在のJR大月駅目の前にある岩山が、そのあった場所だ。

 天正10(1582)年、武田氏滅亡の時。

 織田との決戦を前にして、真田昌幸は武田勝頼にこう言った。

「我が砥石城といしじょう(現・長野県上田市)は難攻不落の要害、いざという時には、砥石城に御越し下さい」

 と。

 然し、小山田信茂は、

「真田は当家に仕えてまだ2代、うっかり信用するのは如何なものでしょう。いざという時にはこの小山田の岩殿山城いわどのやまじょう(現・山梨県大月市)に御越しになるのがもっともで御座る」

 云々と言ったという。

 そこで、勝頼は信茂を頼む事とした。

 所が、信長が攻めてきた時に、この信茂も結局は勝頼を裏切ってしまう。

 行き場のなくなった勝頼は、僅かな供回りと共に天目山で自害。

 信茂は織田家に帰順し様としたが、主君を追い払った彼を信長が許す事は無かった。

 信茂は捕らえられ、斬首。

 主人を殺された一族は天険の要害、岩殿山城に籠ったが、既に体勢は決していた。

 織田軍に囲まれた城兵は抵抗するのが無理な事を悟り、尾根道を辿って落ちていった。

 その途中、岩肌が厳しく剥き出しになっていった所で、女性達は最早子供を連れていけないと悟り、崖から子供を突き落として死なせたという。

 この場所が通称『稚児落とし』と呼ばれている所である(*3)。

 そんな凄惨な歴史を持つのは、この城だ。

 厚遇するのは、小山田信茂。

 後世の唱歌で、

『隔ててそびゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し』

 と歌われる程、晩節を汚してしまった武田氏が誇る名武将である。

「信玄公に顔向け出来ますか?」

「申し訳御座いません。あの様な出自不明な者と仲良くするよりは、こちらで御滞在された方が宜しいかと思いまして」

「馬鹿者! 私は、向こうで尼僧として父上に尽くしていたのですよ!」

「ですが、あの者に色目を使っていたでは御座いませんか?」

「! ……」

 それは、否定出来ない。

 尼僧とはいえ、大河に恋心を抱き、時には、関係を迫っているのだから。

「穴山様と御祝言を」

「! 嫌よ!」

「元婚約者ですよね? 信玄公の御意向に逆らうんですか?」

「……」

 家臣達は、白無垢の衣装を用意していた。

 粛々と祝言が進む。

(……真田様)

 四面楚歌の中、信松尼は、想い人を想うのであった。


[参考文献・出典]

*1:宇田 光 「米国における学校安全への対応(2) : ホームスクールと交通事故対策を中心に」 『南山大学 教職センター紀要』

*2:山梨県 HP

*3:http://yogoazusa.my.coocan.jp/iwadonoyama.htm


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