第206話 新春来福
万和2(1577)年大晦日。
1m程の雪が積もった中、一軒家では、年越し蕎麦が作られていた。
珠と与祢だけで全員分を作るのは、当然、困難でアプトや信松尼、お市も加わって作る。
お市は天婦羅を揚げ、アプトは
信松尼は、珠達と一緒に蕎麦を茹でている。
「2人共、蕎麦は好き?」
「「はい!」」
「うふふ。畏まらなくて良いのよ。家族だからね」
「「?」」
「真田様、御優しいでしょ? 狙っているかもよ? 2人を」
「本当ですか?」
与祢よりも早く、珠が反応した。
「あら、乗り気?」
「はい。父上より格好良いですもの」
ゴスロリを認めない大人が多い中で、大河は、数少ない理解者で、城内でも珠がゴスロリを着る事を認めている。
又、正妻陣とラブラブだ。
珠が理想とする夫婦像そのものであった。
「でも正妻は、もう一杯だから愛人枠かもね?」
「それでもいいですよ。好きですから」
大河が近くに居るかもしれないのに、珠は公言して憚らない。
一方、与祢は、両耳を真っ赤にさせていた。
「……」
「あら? 与祢ちゃんには、まだ早かった?」
「い、いや……」
「じゃあ、図星?」
聞き捨てならない会話に、お市、アプトの手も止まる。
「あらあら早いわね?」
「まーた恋敵が増えちゃったの? 若殿も手が早いわね?」
誰も反対しない。
大河に関係する女性陣は、『英雄色を好む』も黙認しているのだ。
「いや、私は……」
「良いのよ。素直になって。応援するわ」
この中で事実婚の関係にあるお市は、嬉しそうだ。
可愛がっている女の子が、夫に惚れるのは、娘の成長を見ている様な感じだから。
「若し、本気なら私から言っておくわ」
「い、いえ! 大丈夫です!」
慌てた様子で、トッピングを鍋に投入。
・
語呂あわせの「
京都の年越し蕎麦では定番。
・海老 例:掻き揚げ、
腰が曲がる事から「長寿の
・卵
卵焼きや伊達巻きをスライスして。
月見蕎麦も可。
黄色は金色に通じる事から縁起物として親しまれている。
特に伊達巻きは、巻いている形状から反物(着物の布地)を連想し、
『着るものに困らない』
『繁栄』
『繁盛』
の願いが込められている。
・油揚げ
狐蕎麦風。
御稲荷さんは商売繁昌の神様。
新年の「金運」「仕事運」を油揚げに祈願。
・葱
刻んで薬味として。
1年の労苦を労う上でも欠かせない。
葱は、食欲増進、風邪の予防・改善にも役立つ(*1)。
その時、
「あち!」
鍋に手が触れ、鍋を引っ掛けてしまう。
「「「!」」」
引っ繰り返り、熱湯が
「!」
与祢が目を瞑った。
直後、ガシッと、誰かに抱擁される。
と、同時に大きな温かさと少しの熱さを感じた。
「若殿!」
アプトが駆け寄る。
「……え?」
恐る恐る目を開けると、
「……怪我は無さそうだな?」
にこやかに大河は、微笑む。
頭から背中迄、びっしょり。
熱湯で濡らし、蕎麦がかかっている。
「若殿、火傷が―――」
「アプト、慣れてるよ」
苦しむ様子は無く、大河は、与祢を抱き締めたまま振り返った。
「蕎麦がおじゃんだな。お市様、申し訳ありませんが、もう一度、作って下さいますか?」
「良いけれど……大丈夫?」
「慣れっこですから」
心配の余り泣きじゃくるアプトをも抱き締め、大河は笑顔を絶やさない。
熱傷深度は、浅達性II度位だろうか。
その場で信松尼が、治療を始めた。
武田氏の才媛は、戦国時代に生まれた為、戦争が起きる度に女医として活躍した。
水道水で洗い流す。
これを20分程度行う。
これは、症状が進行するのを抑える効果がある。
服を無理矢理脱ぐと、傷害された皮膚も共に剥離してしまう為、先ずは衣類の上から水で冷却しなければならない。
治療の目的は、
①熱傷の進行を防ぐ事
②感染を起こさない様にする事
の2点が重要となる。
その為には、湿潤環境を保つ為の軟膏、感染症に対する抗生剤投与、傷の治りを促進する為の薬剤(フィブラストスプレー™等)が用いられる。
現代では、インターネットでの誤った情報や民間療法によって傷が悪化する場合も少なくない。
例:
等
肥厚性瘢痕や
又、初めに上皮化(傷が覆われた)した時に終了ではない。
Ⅲ度熱傷や一部の深達度Ⅱ度熱傷においては、数週間から数か月にかけて徐々に創部が肥厚し、痒みや痛みを発生する事が有り得る。
初期においては予防し易く、治療を自己判断で終わらせる事なく、特に親族にケロイド体質の居る人は上皮化数か月後迄治療を続ける事が重要だ(*2)。
治療を続ける信松尼。
その目は、真剣だ。
大河は、背を向けながら。
「……済まんな」
「何故、謝るんです?」
「心配させたから」
「……はい」
信松尼は、怒っていた。
与祢が無事だったのは良いが、大河が重傷だ。
とても年越しの楽しい気分ではない。
「何故、御自分を大切にしないんですか?」
「……過信しているんだよ」
「……愚か者です」
「そうだな」
否定出来ない。
暫くすると、橋姫が文字通り、飛んできた。
そして、何も言わず、魔法をかける。
橋姫が掌で大河の背中に触れると、どんどん修復されていく。
「……与祢を守ったのね?」
「ああ」
「……有難う」
与祢の代わりに謝意を述べた後、橋姫は、背中から大河を抱き締める。
「……治ったわ」
「有難うな」
「ええ。全くよ」
不満気に呟いた後、橋姫は、消えた。
少し、大河の肩が重くなる。
『やっぱり、一心同体の方が良いわ』
体内で橋姫は、想いをぶちまける。
『どれだけ心配させたら気が済むのよ! 馬鹿、アホ! ドジ! 間抜け! 睾丸野郎!』
余り、人前で感情を曝け出すのは、彼女の本意では無い様だ。
信松尼の迅速な初期治療と、不正だが橋姫の魔力により、大河の熱傷は、ものの数十分で回復した。
「……」
「若殿、動かせますか?」
「珠、心配有難う。この通りだ」
肩を回して元気を
「良かったです……」
珠も目に涙を溜める。
(橋)
『何?』
(折角の年越しが興ざめになる。皆の記憶を
『……良いの?』
(ああ。頼む)
内心で頭を下げられ、橋姫は困った。
親友からの頼みを拒否する事は難しい。
ただ、女性陣が知らない
『……分かった。でも、如何なっても知らないよ?』
(何の話だ?)
『ううん。こっちの話』
橋姫が、
世界が変わった。
橋姫が意味深に告げたのは、与祢の事だ。
関係者の記憶を魔力で弄っても、感情の
元々、大河に憧れを抱いていた与祢の記憶を司る海馬を、外部から改竄する事は不可能だ。
魔力は、純粋な恋心に勝てない。
与祢には、
———
年越しそばを1人で調理中、誤って鍋を引っ繰り返してしまい、火傷を負う寸前、
火傷は、橋姫の懸命な治療により、無傷になりも、大河が緘口令を敷き、この事実を知るのは、
・大河
・橋姫
・与祢
の3人のみ。
———
という
夕食の席にて。
「「「……」」」
ずるずると、浅井家三姉妹は、一心不乱に
親日家であるもののの、この手の音には、抵抗があるエリーゼは別室で食べている。
「珠、一味を―――」
「は―――」
「あ、私がします」
珠よりも近くに居た与祢が即応し、大河の器に一味を振る。
「どの程度入れましょうか?」
「大量で」
「この位ですか?」
緬が見えなくなる程、器は真っ赤に染まった。
「有難う」
大河に尽くす事が出来、与祢の心は満たされていく。
仕事を奪われた珠は、おろおろ。
「……」
必死に仕事を探す。
「珠、累に食べさせてやってくれ」
「は、はい!」
実子の子守りを任せられるのは、相当、信頼されてないと出来ない。
その間、アプトは休憩だ。
同じく千姫の侍女を務める稲姫と御茶を楽しむ。
「稲様、宇治茶をどうぞ」
「あ、有難う御座います」
年越しまでもう少し。
楠、お江、華姫がにじり寄る。
「大河、もう直ぐだね」
「兄者~」
「ちちうえ、いっしょにとしこし~」
3人は、膝に飛び乗り、大河の匂いを嗅ぐ。
石鹸のそれは、永遠に嗅いでいられる程、香ばしい。
「全く、甘えん坊だな」
ぶつぶつと文句を言いつつ、朝顔も加わる。
両膝に合わせて4人。
乗車率200%。
非常に重いが、4人の想いな分、大河は、不満を口にしない。
「???」
朝顔の体臭が気になり、後頭部に顔を埋める。
「何?」
「鬢付け油?」
「あら、正解」
力士が愛用する甘い香りの正体―――それが、鬢付け油だ。
天覧相撲により、皇室と力士の関係は、皇室と平民のそれより近くなっている。
現代、野球の天覧試合は、1試合のみであるが、天覧相撲はほぼ毎年の様に開催され、平成だけでも31年間の間に23回行われている。
特に平成2(1990)~14(2002)年までは毎年実施され、その後も期間は空いたりする等する時もあったが、ほぼ毎年の恒例行事であった(*3)。
「相撲の影響か?」
「そうよ」
「良いよ」
大河は、クンカクンカ。
朝顔の両耳は、真っ赤になっていく。
「俺も変え様かな?」
「え~。兄者、変えちゃうの?」
「気分転換だよ。嫌か?」
「うん! 今のままが良い」
お江は、大河をクンカクンカ。
相当、今の石鹸風味のそれが気に入っているらしい。
「じゃあ、白紙だな」
「ちちうえは、おごーさまにあまい」
華姫は、不満顔。
「そうか?」
「そうよ。甘い」
「そうそう」
朝顔、楠も同調し、
「
於国も参戦。
大河には、無自覚だが、女性陣は、そう感じている様だ。
「う~ん。じゃあ、来年は、態度を改めないといけないかな?」
「え~。いつまでも優しい兄者が良い」
「でも、それだと、誾や謙信の様な立派な妻にはなれんぞ?」
「! なる!」
即、正座。
お江の憧れの女性は、その2人だ。
誾千代は、不妊だが、それを物ともせず、大河の寵愛を受け続け、今では、彼が居城不在の間は、代理を務める事もある。
謙信は、元々、”越後の龍”と名を馳せた姫武将だが、現在では、誾千代の補佐役に回っている。
然し、2人は、今尚、お江の永遠の
「来年は、花嫁修業の年にする!」
「おー、その意気だ」
お江の宣言直後、除夜の鐘が鳴り出す。
撞き方は、様々な考え方がある為、統一した規則は無いが、適当な撞き方は、107回目までは前年の内に撞いて、最後の1回は新年になってから撞く(深夜0時に最後の1回を撞く)のが正式な
万和2(1577)年も、もう直ぐ終わる。
[参考文献・出典]
*1:http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/g-mag/013416
*2:日本医科大学 武蔵小杉病院 HP
*3:大相撲のはてなに効く! 観戦ガイド
*4:https://www.jp-guide.net/manner/sa/joya-no-kane.html
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