万里同風

第199話 維新乃風

 首相暗殺未遂事件の主犯・長宗我部元親は、斬首刑。

 国主の身分も取り上げられ、大河の息がかかった安国寺恵瓊が、新たに四国全土の領主となる。

 彼は元々、毛利氏の家臣であったが、四国国分しこくくにわけにより、伊予国いよのくに(現・愛媛県)の国主となり、四国の専門家であった。

 恵瓊が四国全土を任せられた、という事は、即ち毛利氏の領土が増えた事と同義であり、毛利氏は中四国全土を支配する大大名となった。

 戦ではなく、戦後処理という合法的な方法により、加増されたのは、諸大名には衝撃的であった。

 今まで戦功だけで加増が当たり前であったから。

「此度の加増は、貴様の御蔭だ。礼を言う」

 恥ずかしそうに吉川元春は、頭を下げた。

「いえいえ、御当主様は、大丈夫ですか?」

 当主・元就は、最近、体調不良だ。

 史実で1571年に老衰(食道癌説もあり)で死去した老将は、今年で80歳。

・真田信之(享年92)

・松平忠輝(同 91)

・鬼庭綱元(同 91)

 等、傘寿さんじゅ以上の長寿は居れど、やはり、現代と比べると彼等は、運が良い方だろう。

 人間50年のこの時代、還暦を迎えるだけでも幸運なのだから。

「仲が良い貴様だから言うが、もう……長くはない」

「……」

 すっと、元春は歌の書かれた紙を渡す。


『友を得て 猶ぞ嬉しき 桜花 昨日に変はる けふの色香は』


「……これは?」

「今年の花見の際に詠んだ物だ。恐らく辞世の句だろう」

「……」

「詠んだ時の朝、貴殿と花見をする夢を見たそうだ」

「!」

「寂しくしているよ。最近は痴呆ちほうも進んでいる。忙しいのは分かるが、親父殿の為にも、一旦、来てくれないか? 言い難いが、要職を辞職した分、時間はあるだろう?」

「……はい」

「旅費、食費等、諸経費は出す。だから―――」

「行きましょう。

「え?」

「厚遇して下さった御恩があります。元就公がとして御望みならば、これ以上の嬉しい事はありません。御伺いましょう」

「本当か?」

「はい。帝に休暇を提出しなければなりませんが」

「そこで帝を出すな。こっちが申し訳なくなるだろうwww」

 苦笑いしつつ、元春は大河をヘッドロックし、その髪をわしゃわしゃ。

 思いのほか、快諾された為、照れ隠しもあるのだろう。

 大河も負けじと返す。

「上皇も一緒なんで、厚遇の程宜しく御願いしますね?」

「……あ」

 事態に気付き、元春は固まる。

 その時、襖がそーっと開き、

殿?」

 冷たい声音の朝顔と目が合う。

「は……はぃ」

 泣く子も黙る”鬼吉川”は、足を震わせ、即座に正座する。

 ”鬼吉川”を文字通り黙らせる朝顔。

 大河は、改めて、上皇と夫婦である事を実感するのであった。


 政変クーデターを企図した七卿を亡命者として受け入れた毛利氏であるが、朝廷との関係は良好だ。

「旅行♪ 旅行♪」

「だー♪ だー♪」

 中国地方に向かう船内は、お江と累の奇妙な歌が響き渡っていた。

「久し振りね? 長州は」

「そうね。河豚が楽しみよ」

 誾千代、謙信は、楽しみで仕方が無い様だ。

 妊婦達も久し振りの旅行と言う事でテンションが高い。

『る〇ぶ』を読みつつ、あれこれ思案する。

「この元乃隅稲成神社、綺麗じゃないですか?」

「角島も海、綺麗ね~」

「菅公の天満宮も御勧めみたいですね」

 其々それぞれ、千姫、エリーゼ、茶々の意見。

「あぷとは、何処行きたい?」

「華様の御希望の所ですよ」

 アプトは、与祢を膝に抱え、華姫と話し込んでいる。

「「「……」」」

 楠、珠、於国、橋姫、ナチュラ、信松尼の6人は暇潰しにババ抜きに興じていた。

 朝顔、お市、お初は、

(……重い)

 其々それぞれ、大河の腹部、両脇を占拠していた。

「今、『重い』って思ったでしょう?」

「いや、それは―――」

「不敬」

 ぎゅーっと、強く抱き締める。

 上皇は、他の幼妻同様、成長中だ。

 力も以前より、強くなっている。

(猿蟹合戦の猿みたいに圧死されるな)

?」

「何でもないです」

 何故、愛妻は、読心術を得ているのか。

 それとも、大河が分かり易い反応なのか。

 これは、永遠の夫婦の謎だろう。

 お市は、微笑を浮かべつつ、敬意を払う。

「改めて上皇陛下、この度、御一緒させて頂き光栄で御座います。娘のお初もこの通り、喜んでいます」

「……」

 恥ずかしいのか、お初は目を合わす事が出来ない。

 然し、その手は、がっちりと大河と握手している。

 南京錠を彷彿とさせる位、それは固い。

「いえいえ。そうかしこまらずに。家族なのですから」

 朝顔も外見は、子供だが、内面は公務をしっかりこなす様に大人だ。

「お市様、事実婚は堅苦しくないですか?」

 世間一般には、事実婚=入籍出来ない諸事情がある、との心象イメージが強いだろう。

 これは、この異世界でも同じだ。

 お市は、慈母の様に微笑む。

「御配慮下さり有難う御座います。私が事実婚を選んだのは、『浅井』の名字を遺したいからです」

 そして、大河の頬に接吻する。

「真田様は、この諸事情を御理解して下さり、私を自由にさせてくれているのです」

「そうか……名字、か」

 朝顔は、羨まし気に呟く。

 帝及び皇族は、氏姓及び名字を持たない。

 尚、宮家の当主が有する「○○宮」の称号は、あくまで宮家の当主個人の称号(宮号)とされており、一般国民でいう苗字には当たらない。

 古代日本に於いて、氏姓しせい、即ちウジ名とカバネは大和政権の大王おおきみ(後の天皇)が臣下へ賜与するものと位置付けられていた(氏姓制度)。

 大王は氏姓を与える超越的な地位にあり、大王に氏姓を与える上位の存在が無かった為、大王、そして天皇は氏姓を持たなかったとされる。

 この事は、東アジア世界において非常に独特なものである。

 又、この事は古代より現在に至るまで日本で王朝が変わった事が無い事を示しているとされる。

 延久4(1072)年に日本の仏教僧である成尋は、北宋の神宗への謁見で、「本国の王は何というか?」と尋ねられた際に「本国の王に姓無し」と答えた文献がある。

 然し、氏・姓が制度化される以前の大王は、姓を有していたとされる。

 5世紀の倭の五王が、

・倭讃

・倭済

 等と称した事が『宋書』倭国伝乃至文帝紀等に見え、当時の倭国王が「倭」姓を称していた事が分かる。

 この事から、宋との冊封関係を結ぶ上で、大和王権の王が姓を称する必要があったのだと考えられている。

 歴史家は、倭国が5世紀末に中国の冊封体制から離脱し、7世紀初頭の推古朝でも倭国王に冊封されなかった事が、大王=天皇が姓を持たず「姓」制度を超越し続けた事に繋がったとしている(*1)(*2)。

 昭和天皇も学習院時代、学友達がお互いを名字で「呼び捨て」で呼び合う事を羨ましがり、御印の「若竹」から「竹山たけやま」という名字を作り、呼び捨てにしてもらおうとしたという。

 この提案に学友が従ったか如何かは不明だ(*3)

 学友は、さぞ困った事だろう。

 時代は違うが、朝顔も又、昭和天皇の様に名字を作り出そうとする。

「……真田、今後は、私は、『すめらぎ』と名乗りたい」

「……呼び捨てにしたら俺が、陛下に八つ裂きにされると思うが?」

「大丈夫よ。呼んで♡」

 甘える朝顔。

「う~ん……」

 てんで大河は、困り果てた。

 皇は、流石に貴い感が強過ぎる。

「『揚羽』とか如何? 虫っぽいけど、可愛いよ?」

「可愛いね。でも、格好良く無い」

「じゃあ、九条とか?」

「地名感がある。『皇』が駄目なら、『橘』は?」

「良いけど、誾と被るぞ?」

『立花』と『橘』は、字は違えど音は同じ。

 呼ぶ時、字が分からない為、その時は、日常生活に支障が生ずるだろう。

「そうだね……」

「『柊』は? ほら、柊鰯ひいらぎいわしとか、悪鬼を払うぞ?」

「気持ちは有難いけれど、『柊』の由来の一部が『うずく』だから嫌」

 現代では、キラキラネーム等があるが、名前は、その人個人を表す重要な自己同一性アイデンティティーの一つだ。

 極力、悪い意味は避けたい所だろう。

 あーだこーだ話す間に、リムジンは長州に到着した。


 長州と朝廷は、距離があるが、関係は深い。

 その代表が下関の赤間神宮だろう。

 源平合戦の際、現在の下関市と北九州市を繋ぐ関門海峡で、歴史に残る海戦が行われた。

 攻める源氏の船数は、830(3千、とも)艘。

 守る平氏は、500(1千、とも)艘。

 当初、戦局は潮流を熟知した平氏優勢で行われたが、源義経は、勝つ為に非戦闘員である平氏の漕ぎ手を弓矢で射殺する様に命じ、漕ぎ手が殺されると、形勢逆転。

 今度は、源氏の猛攻が始まる。

 尤も、義経が非戦闘員の殺害を命じる場面シーンは、『平家物語』には存在せず、「先帝身投」の段階で源氏の兵が平氏の船に乗り移り、水手や船頭を殺したと描かれている。

 ―――

『源氏の兵士達は、もう平家の船に乗り移ったので、船の漕ぎ手と舵取り達は、射殺され、斬殺されて、船(の進路)を直す事も出来ずに、船底に倒れ伏していた。

 新中納言・知盛卿は、小船に乗って、(帝の)御所となっている船に参上し、新中納言は、

「世の中は最早これまでと御見受け致します。見苦しい様な物共を、全部海に御投げ入れ下さい」

 と言って、船の舳先から船尾まで走り回り、掃いたり拭いたり、塵を拾い、自身の手で掃除なさった。

 女房達は、

「中納言殿、戦いは如何なのか如何なのか?」

 と口々に御聞きになると、新中納言は、

「珍しい東国の男を、御覧になる事でしょう」

 と言って、からからとお笑いになるので、女房達は、

「こんな時に、何という御冗談でしょう」

 と言って、口々に大声で騒ぎ叫びなさった。

 二位殿(=平時子)はこの様子を御覧になって、日頃から覚悟なさっていた事なので、濃い灰色の二枚重ねの衣を頭から被り、練り絹の袴の傍を結び紐に高く挟んで、神璽を脇に挟み、宝剣を差し、帝(=安徳天皇)をお抱き申し上げて、

「我が身は女だと言っても、敵の手にはかかるまい。帝の御供に参るのだ。帝への誠意のお志を思い申し上げなさっている様な者達は、急いで続きなさいませ」

 と言って、船の端に歩み出られた。

 帝は今年8歳におなりになったけれど、御歳の割には随分大人びていらっしゃって、御姿は美しく辺りも照り輝く程だ。

 御髪は黒くゆらゆらとしていて御背中より下に垂れていらっしゃる。

 帝は驚いたご様子で、

「尼よ、私を何処へ連れて行こうとしているのか?」

 と仰ったので、(二位殿は)あどけない帝に御向かい申し上げ、涙を抑えて申し上げなさった事には、

「陛下はまだ御存知でいらっしゃいませんか? 前世での善い行いの御力によって、今万乗の主として御生まれになったけれど、悪い因縁に引かれて、ご運は到頭尽きなさった。まずは東に御向かいになって、伊勢の大神宮に御暇を申し上げなさり、その後、西の方の浄土の(菩薩様の)御迎えを受け様と御思いになり、西に御向かいになって御念仏を御唱え申し上げなさいませ。この国は粟散辺地ぞくさんへんちと言って辛い辺境の地で御座いますので、極楽浄土と言う、良い所へ御連れ参上し申し上げましょう」

 と、泣く泣く申し上げなさったので、(帝は)山鳩色の御衣装に鬢頰びんづらを御結いになって涙を激しく御流しになり、小さくて可愛らしい御手を合わせて、まず東を伏し拝み、伊勢の大神宮にお暇を申し上げなさり、その後、西に御向かいになり、御念仏を唱えなさったので、二位殿はすぐに(帝を)御抱き申し上げて、

「波の下にも都が御座いますよ」

 と御慰め申し上げて、深い海の底へと御入りになった』(*4)

 ―――

 その光景が、朝顔の脳裏によぎる。

「……」

 赤間神宮で参拝後、朝顔は関門海峡を眺めていた。

 今から392年前、安徳天皇は、この海で三種の神器の一つ、草薙剣と散った。

 自分よりも幼い先祖は恐らく、死という概念すら分からず、薨去されたのだ。

「……」

 不意に落涙する。

 一同は空気を読み、朝顔に声を掛けない。

 見て見ぬ振りだ。

 近くの東屋にて。

「貴方、後で、陛下を―――」

「分かっているよ。謙信、有難う」

 お墓参りが終わるまで、一同は、只々、見守る。

 長州1日目は、お墓参りで消化されるのであった。


[参考文献・出典]

*1:吉田孝 『日本の誕生』 岩波書店<岩波新書> 1997年

*2:吉村武彦 「倭の五王の時代」 『古代史の基礎知識』 角川書店<角川選書> 2005

*3:ウィキペディア

*4:『平家物語』

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