第185話 錦上添花

 アッバース朝衰亡後、アラブ人に代わってイスラム世界屈指の大帝国を築いたオスマン帝国において、後宮ハーレムは極めて大規模なものが存在した。

 オスマン帝国の君主は4代の”雷帝イュルドゥルム、”稲妻イルディリム”―――バヤズィト1世(1360~1403)以来、キリスト教徒出身の女奴隷を母として生まれた者が多く、そもそも君主権が絶頂化して有力者との婚姻が不要となった15世紀以降には、殆ど正規の結婚を行う君主は居なかった。

 オスマン帝国の後宮ハーレムには美人として有名なカフカス出身の女性を中心とする多くの女奴隷ジャーリヤが集められ、その数は最盛期には1千人を越えたとされる。

戦争捕虜や、貧困家庭からの売却によって奴隷身分となった女性達はイスタンブールでされると、イスタンブールの各所に置かれた君主の宮廷の一つに配属され、黒人宦官によって生活を監督されながら、

・歌舞音曲

・礼儀作法

・料理

・裁縫

・文学(アラビア文字の読み書き、詩等)

 等、様々な教養を身につけさせられた後、侍女として皇帝の住まうトプカプ宮殿の後宮ハーレムに移された。

 ムラト3世(1546~1595)の治世では本だけ絶対に持ち込む事が出来なかった。

 女奴隷ジャーリヤと呼ばれる彼女等の中から皇帝のになった者は、

幸運な者イクバル

御目をかけられた者ギョズデ

 と称され、私室を与えられて側室の格となる。

 軈て寵愛を高めた者は、

寵姫ハセキ

夫人カドゥン

 等の尊称を与えられ、最高位にある者は、主席夫人バシュ・カドゥンの称号を持った。

 更に後継者と成り得る男子を産めば『寵姫皇帝ハセキ・スルタン』と呼ばれるが、皇帝は原則として彼女等と法的な婚姻を結ぶ事は無く、建前上は君主の奴隷身分のままであった。

 スレイマン1世の夫人ヒュッレム・スルタン(ロクセラーナ)は元キリスト教徒の奴隷から皇帝の正式な妻にまで取り立てられた稀有な例である。

 一方、皇帝の母になれなかった側室たちや、皇帝の子を産む事も無く失寵した側室達、又、に恵まれず寵愛を受けられなかった侍女達は、時には皇帝から重臣にされる事もあったが、多くの場合、皇帝崩御と共にトプカプ宮殿外の「嘆きの家」という離宮に移され、年金を与えられて静かに余生を送る運命であった。

 

 15世紀以降

 先帝崩御後に即位した王子は、王位争いの対抗者となった兄弟達を処刑する「兄弟殺し」の慣行(後に宮廷の一角に設けられた幽閉所への軟禁に変更)。


 サフィエ皇帝(1550~1618)時代

 、先帝の側室の内、妊婦は生きたまま袋に詰められ、ボスフォラス海峡に沈められたとされる。


 この様に厳しく、その立場は不安定極まりなかったオスマン帝国の後宮ハーレムの女性達の間で、権力闘争が激しく成らざるを得なかった状況があった。

 然し、一度ひとたび自身の生んだ息子が皇帝に即位する事となれば母后ヴァーリデ・スルタンと呼ばれて後宮ハーレムの女主人として高い尊敬を払われる身分となる。


 16世紀後半~17世紀

 皇帝独裁が保たれ政治の中心が宮廷に置かれたままであったにも関わらず、幼帝が相次いだ為、ヌールバヌー皇帝(1525~1587)等、著名な母后ヴァーリデ・スルタン達が権勢を振るった(女人政治カドゥンラール・スルタナトゥ、 女人の天下とも)。


 アブデュルメジト1世(1823~1869 在位:1839~1861)時代

 1853年、皇居をトプカプ宮殿から西洋風のドルマバフチェ宮殿に移転。

 1856年、余剰よじょう女奴隷ジャーリヤを解放。

 然し、近代オスマン帝国の王宮であったドルマバフチェ宮殿やユルドゥズ宮殿にも小規模ながら女官と宦官の住む後宮ハーレムは維持。

 1909年、後宮ハーレム解散された(*1)。


 日本での後宮といえば大奥を連想し易いが、実際にはそれ以前からあった。

・平安内裏

・大坂城本丸御成御殿

 等

 その為、後宮=大奥=江戸時代~という訳ではないのだ。

 その大奥の始まりは、徳川家光の代から、とされる。

 彼は男色が趣味で、正室とは不仲であった。

 これは恐らく、両親の影響だろう。

 秀忠は、お江に頭が上がらない恐妻家だったとされる。

 彼がお江に反抗した事例は、跡継ぎ問題で揉めた時、家光を推した時くらいだろう。

 もっとも、この時は、家康の後押しがあった為であり、それを差し引けば、歴史が変わっていたかもしれないが。

 そんな夫婦を見て育った家光は女性に怖い心象がついたのか、定かではないが兎にも角にも寵愛するのは、美男子の小姓ばかり。

 性格も嫉妬深い。


・寵愛した小姓が他の同僚とたわむれているのに嫉妬して手討ち

・病気療養中に妻との間に子を儲けたお気に入りの部下を改易


 と、自らの権力や立場を利用した嫌がらせも笑えない。

 反対に寵愛した小姓が、やがて有能な側近となった例もあった。

堀田ほった正盛まさもり(1609~1651)

阿部あべ重次しげつぐ等がその著名な例で、彼等は家光没時に殉死している。

 当然、男色が激しければ、子供も出来難い。

 そんな訳で、家光も30歳を過ぎても子が出来なかった。

 家光の事実上の後見人であった乳母・春日局は、危機感を抱き、彼の好みそうな美女を沢山連れて来た。

 一説には男装させて家光に近づけたとも言われている。

 これが大奥の始まり、とされている。

 この作戦が功を奏し、家光は女性にも興味を持つ様になり、側室が長女を産んだのを皮切りに、幾人もの側室を寵愛した。

 その後、男児も続々と生まれ、5人の男児の内、2人が夭折したものの、2人(4代・家綱、5代・綱吉)が後の将軍となり、1人は甲府藩主となり、6代将軍・家宣の父(綱重)となった(*2)。

 山城真田家は、ベビーブームの為、家光の様な例は、必要無いのだが。

 代々続く名家になるには、やはり、大奥の様な制度は、必要不可欠だろう。

 誾千代は、早速、未来の御家の為に早速、階級と仕事を作った。

 階級は、以下の通り。

 ―――

『・上臈御年寄じょうろうおとしより

  御台所の御用や相談役。


 ・御年寄おとしより

  大奥の万事を取り仕切る最高権力者。


 ・御客応答おきゃくあしらい

  諸大名からの女使が大奥を来訪した際の接待役。


 ・中年寄ちゅうどしより

  御年寄の指図に従う代理役、献立確認及び毒見役。


 ・中﨟ちゅうろう

  将軍・御台所の身辺世話役。


 ・御小姓おこしょう

  御台所の小間使。


 ・御錠口おじょうぐち

  大奥と中奥の出入口である錠口の管理。


 ・表使おもてづかい

  外公役、御年寄の指図で物資調達を広敷役人に要請。


 ・御右筆ごゆうひつ

  日記から書状に至る一切の公文書管理、諸大名からの献上品の検査役。


 ・御次おつぎ

  御膳や様々な道具の運搬から対面所掃除等。


 ・切手書きってがき

  七ツ口を通ってやってくる外部からの来訪者の持つ「御切手」という通行手形をあらためる


 ・呉服之間ごふくのま

  将軍、御台所の衣装仕立て係。


 ・御坊主おぼうず

  将軍の雑用係。


 ・御広座敷おひろざしき

  大奥を来訪した女使達の御膳の世話。


 ・御三之間おさんのま

  御三之間以上の居間の掃除一切。


 ・御仲居 おなかい

  御膳所にて料理一切の煮炊き。


 ・火之番ひのばん

  昼夜を問わず大奥内の火の元の哨戒及び警備。


 ・御茶之間おちゃのま

  御台所の茶湯を出す。


 ・御使番おつかいばん

 広敷・御殿間の御錠口の開閉。


 ・御半下おはした御末おすえとも)

 大奥の雑用一切』(*1)

 ―――

 幸い、大河が好色家の御蔭で山城真田家は、女性陣は非常に多い。

・誾千代

・謙信

・於国

・朝顔

・楠

・ナチュラ

・お市

・茶々

・お初

・お江

・信松尼

・千姫

・エリーゼ

・鶫

・小太郎

・稲姫

・アプト

・橋姫

 これ程美女揃いは、他家には無い。

 又、成り上がりを夢見て、女中に就職する女性も多い。

 大奥を創設出来る運営資金と女性数は日ノ本では、山城真田家だろう。

 江戸城同様、・京都新城の、

・本丸

・二ノ丸

・西ノ丸

 に大奥が置かれた。

 女中は、3千人。

 経費コストは、山城真田家の全体支出の8%に設定される。

 但し、家法に奢侈しゃし禁止令がある為、殆どが人件費だ。

 登壇した誾千代に3千もの少女達は、

「「「……」」」

 息を飲む。

 大河の正妻であり、山城真田家の女性陣の長。

 裏で”女帝”と呼ばれるだけあって、その威圧感は獅子の様だ。

『新入社員の皆さん、入社おめでとう御座います。誾千代です』

 黒い着物だが、敏腕女性社長感が半端無い。

『本日は、やる気に満ち溢れた新しい仲間を迎える事が出来ました。

 皆様はこれから其々それぞれの部署に配属されます。

 そこで考えて頂きたい。

 まず自分が出来る事が何かという事です。

 勿論、最初は分からない事だらけでしょう。

 でも何時までも当たり前ではなく、自分が出来る事を探し求めていって欲しいのです。

 まず自分の身の回りの人達に対して出来る事、部署内に対して出来る事、そこから更に発展して当家に対して出来る事。

 これらを常に追求していって欲しいのです。

 その道程には沢山の壁があるでしょう。

 投げ出したくなる事も勿論あると思います。

 そこは壁が壊れる一歩手前なのです。

 そこで投げ出さずに追求していくと、壁が壊れた景色が見えてくる筈です。

 その景色は貴方にとっての財産です。

 どうかその壁が壊れた景色を見て下さい。

 そしてその手助けは努力している貴方のすぐ側に居ます。

 そんな皆様を心から応援しております。

 皆様の仕官を心から歓迎し挨拶と代えさせて頂きます』

 挨拶は、手短に分かり易くはっきりと。

 無能な校長の長い自己満足なそれを、聴衆は期待していない。

 誾千代が頭を下げると、少女達を会釈する。

 万和2(1577)年10月。

 日ノ本初の公式な大奥が、ここに誕生した。

 

 少女達を見て、平馬はボーっとする。

(綺麗だなぁ……)

 失礼ながら、地元ではこれ程の美少女達は見た事が無かった。

「はっは。良いの見つけたか?」

 遊び人の左近が声を掛ける。

 平馬は、純粋な興味で観に来たのだが、左近は完全なる下心だ。

 この中の何人かは、彼の毒牙の餌食となり、遊び相手になるかもしれない。

「平馬、初恋はまだか?」

「! 上様?」

 突然の大河の登場に平馬は、平服する。

 左近も遅れて倣う。

 初めて見る近衛大将に少女達も当然、注目してしまう。

「(あれが、御殿様。お若い……)」

「(お兄ちゃんみたいに若いなぁ。優しいらしいけど、実際、どんなんだろう?)」

「……」

 6千の視線を浴びつつ、大河は平馬の肩を叩く。

「初恋がまだなら、恋をしろ。恋は時に人を強くする」

 そう言ってやって来た誾千代の腰に自然と手を回す。

 西洋人並の自然さに初心な少女達は、

「「「……」」」

 更に注目した。

「お気に入りが居れば、積極的に行けよ? ただ、強要はするなよ? 性犯罪は御免だからな?」

「は。心得ています」

 自由恋愛が、家法に加えられた。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

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