第108話 滅明興清

 日本が戦国時代を終え、平和な時代を謳歌していた頃、大陸では戦争が続いていた。

”雷帝”―――イヴァン4世が、幼君・万暦帝ばんれきていが治める明を攻め入ったのだ。

 ロシア皇国VS.明の戦争である。

 1574年末に退位した彼を、明は甘く見ていた。

 敵ではない、と。

 然し、1576年の年明けに復位すると、そのまま南進したのだ。

 不凍港を得る為に。

 13歳の幼君は、指揮出来ず、代わりに宰相・張居正ちょうきょせいが、明を纏めていたが、辣腕家であった為、敵を作り過ぎ、彼の政敵が次々とロシア皇国に寝返る。

 当然、国力は大幅に低下し、明は劣勢に立たされる。

 そこで張居正が目を付けたのは、日本であった。

 戦乱を終わらせ、日明貿易で仲良くなった例がある。

 貿易相手の室町幕府や大内氏等は滅亡しているが、帝が平和主義者と言う事は、明でも有名な話だ。

 その忠臣でスペイン帝国を破った猛者中の猛者、大河の事も。

 そして、万和元(1576)年12月。

 明からの使者が、御所に来る。

 戦乱で物資が不足しているのか、使者とは言えない程、ボロボロな漢服にその実情が窺い知れるだろう。

「是非、御助力を」

 土下座して懇願した。

 近衛前久は、困った。

 君臨している帝だが、統治者ではない。

 あくまでも日本の象徴なのだ。

「助けたいが、陛下は政治的な権利は有していない。相談は織田に回そう」

「織田?」

「ああ。貴国で言う所の宰相だ。今、丁度、来ているから会おう」

 安土城が復興する間、二条城に居る信長は度々、御所を訪れ、公家と交渉している。

 前久が退室し、数分後、信長と共にやって来た。

「!」

 そのボロボロの漢服に信長の怪訝になる。

 本当に使者? と勘繰っているのかもしれない。

「使者の密雲みつうんと申します。御会い出来て光栄です」

「……織田信長だ。明は、敗色濃厚と聞いているが?」

「お恥ずかしながら、よく御存知です」

 密雲は、頭を掻く。

「……それで、話と言うのは?」

「御助力頂きたい。同じ東洋人として、スラブ人を倒しませんか?」

「……」

”雷帝”の残虐さは、ロシア人商人から伝え聞き、日本中でも知られている。

 特にノヴゴロド虐殺は、有名だ。

 ―――

『1570年

 イヴァン4世はノヴゴロド(現・ノヴゴロド州州都)がプスコフ(現・プスコフ)と共にリトアニア側につこうとしていると思い込み、市の有力者とその家族全員に対する大虐殺を実行(ノヴゴロド虐殺)。


 イヴァン4世はこの攻撃に1万5千の親衛隊オプリーチニキ軍を編成し、オプリーチニナ宮殿から侵攻を開始。


 その行軍の間にある村々は軍の移動を隠匿する為に焼かれ、住民は虐殺された。


 親衛隊軍がノヴゴロドに到着したのは1570年1月2日であり、通常であれば神現祭が開かれている筈だった。


 然し、ノヴゴロドには少数の先遣隊が入り込み、町の至る所が封鎖され、市民は家に閉じ込められていた。


 ノヴゴロド大主教ピーメンはイヴァン4世の誤解を解こうと出迎え、皇帝は大主教を裏切り者と罵り祝福を拒否したものの、聖ソフィア大聖堂での聖体礼儀は受け入れた。


 イヴァン4世は聖ソフィア大聖堂では何度も十字を切り、また上機嫌でピーメン大主教との会話も楽しんでいた。


 だが昼食会の最中、イヴァン4世が席を外すなり親衛隊が乱入し、臨席する市内の有力者達への捕縛と大聖堂に対する略奪が始まった。


 画像イコンを含むあらゆるものが剥がされ、捕虜とともに城外の野営地に運ばれた。

 同時に市内でも親衛隊は無法を尽くし、聖職者、有力者に留まらず、官吏や商人、その妻子に至るまで目についた市民は全て連行され、拷問によって裏切りの自白を引き出した後に殺害された。


 女性と子供は手足を縛って厳冬の湖に捨てられた。


 ノヴゴロド市内で1月2日に始まった虐殺と略奪は2月に入って漸く《ようやく》停止。

 が、それは目的地が市外の修道院に移っただけであり、尚も1週間に渡って27箇所全ての修道院の略奪と、罪を自白する「裏切り者」への殺戮が続いた。


 それらが済んだ後、親衛隊軍は再び市内に戻って、今度は一般市民全てを対象とした略奪を再開した。

 これにより息を潜めていた市民も数多くが殺害された。

 最終的にはこのノヴゴロド虐殺によって3万の人口の内、名簿に残っているだけでも3千人近くの犠牲者が確認されている。


 ピーメン大主教を始め、その場で殺害されずにモスクワに連行されたものは300名に及んだ。


 又、ノヴゴロドから徴発した穀物類は出発の前に全て焼き払われ、生き残った市民は深刻な飢餓に苦しむ事になった。


 一方、ノヴゴロドと共に裏切り者とされたプスコフもノヴゴロドの次に略奪の被害を受けた。


 然し、プスコフでは殺害されたのはアンドレイ・クルプスキーと親しいペチョルスキー修道院長のコルニーリーを始めとする数名に留まった。


 それはプスコフにはイヴァン4世の畏敬するようきょうしゃニコライが住んでいた為とされている。

 既存の教会等の権威に属さず、聖なる狂気を生きながらにして表す佯狂者を、イヴァン4世はその彼独特の信仰心から畏れ敬っていた(*親衛隊に参加していた外国人傭兵シュターデンは両者の面談の様子を書き残している。『佯狂者ニコライはイヴァン4世の訪問を受けて生肉をのせた皿を差し出し、皇帝を「正教徒故斎ものいみに肉は食さない」と憤慨させた。然し、佯狂者ニコライは「お前は既に人の血肉を啜っている。それ所か神の事すら忘れている。この町で無辜の人を殺せば雷がお前を撃ち殺すだろう」と脅し、同時に雷鳴が轟いた事でイヴァン4世は色を失った』)。


 こうして虐殺は起こらなかったものの略奪自体は避けられず、市民には強制労働と重課税が課せられた。


 これらノヴゴロドとプスコフへの略奪は、皇帝親衛隊である親衛隊を殺戮強盗集団の代名詞に変えた。


 既に民衆が敬慕した皇帝は無く、ノヴゴロドから連行した裏切り者に対する拷問と、自白によって生まれた新たな300名の「共犯者」の存在は民衆を恐怖させた。


 彼等の公開処刑の当日、民衆は親衛隊を恐れて家に閉じこもり、イヴァン4世は自ら安全である事を保証して人々を処刑場に招かねばならなくなった。


 イヴァン4世は処刑場で口を閉じ、目を伏せる民衆の姿から「共犯者」300名の内、180名に恩赦を与えたが、最早嘗ての様にイヴァン4世を慈父と称える声は何処からも聞こえなくなっていた』(*1)

 ―――

”第六天魔王”と”雷帝”には、幾つか共通点がある。

・偏執病的人間不信

・残虐非道

・敬虔深い一面

 ……

 然し、最も違うのは信長は自分の子供達には手を下していない。

 対して、イヴァン雷帝は次男を殴殺している。

 この違いは、大きいだろう。

「……」

「御決断を」

「……我が国に長所はあるのか?」

「は。『属国を献上する』と閣下は、仰っています」

 密雲が、地図を出し、朝鮮半島を指し示す。

「李氏朝鮮を御譲渡します」

「……魅力的な提案だが、即断即決は難しい」

「そ、そんな……」

 信長は、大河の助言を遵守する。

 大陸とは貿易以外で関わるな、と。

 大陸には日本人には、通じない文化や概念がある。

(大陸で何人死のうが、知った事では無い)

 その言葉を飲み込みつつつ、

「それよりも、明には、有能な人々はまだ居るんだろう?」

「え……ええ」

「独立性易、という僧侶を探して欲しい」

「え?」

「うちの義弟が会いたがっている篆刻てんこく家だ」

「……」

 明の滅亡が確定した。


 北京をロシア皇国に包囲され、風前の灯火である明に対し、今度は、清が興る。

 又、弱体化していたモンゴル帝国も明の弱体化に付け込み、参戦。

 中国大陸は、

・ロシア皇国

・明

・清

・モンゴル帝国

 の大戦争になった。

 その1番の被害を受けたのが、李氏朝鮮であった。

 明に忠誠を誓いつつ、清に接近していた事が明に見付かり、侵攻される。

 と、同時にロシア皇国が南進し、李氏朝鮮は東西で分割されたのであった。

 朝鮮半島の日本人は逸早いちはやく、朝鮮半島を脱出していく。

 その多くが、対馬に避難した。

 その当主・宗義調は、困る。

 亡命者は、日本人だけではない。

 朝鮮人や中国人、ロシア人等、沢山居るのだ。

「……同胞は救いたいが……如何したものか?」

 信長に質問状を送ったが、待てど暮らせど返事は来ない。

「上様、これ以上は、破産してしまいますぞ?」

「うむ……」

 対馬国は、地図で分かる通り小国だ。

 又、人口も少ない。

 難民を受け入れたら将来的には、乗っ取られかねない不安もあった。

「上様! 客人です!」

 家臣が慌ててやって来た。

「客人?」

「山城守様です!」

「何?」

 天下人の義弟の予約無しの訪問に宗氏一門は、緊張した。

 ヘリコプターが、金田城前の平原に着陸する。

 初めて見るそれに、宗氏は、

「「「……」」」

 UFOと出遭った人の様に固まった。

 ヘリコプターは、AH-1 コブラ。

 世界初の攻撃ヘリコプターだ。

 厚木に降り立ったマッカーサーの様に、大河は、迷彩服でサングラスを着用し、煙管を咥えている。

 火が出ず、吸っている様子も無い為、あくまでも、煙管は御洒落の様だ。

 付き従っているのは、小太郎と鶫。

 2人共、同様に迷彩服でM16を帯銃している。

「予約も無しに来て悪かった。困っているんだろう? 義兄の代理として来た」

「へ?」

「義兄は、国政で忙しい。指揮権は、俺が担う。異存は無いな?」

「……は」

 大河は、難民キャンプを見る。

 シリアでよく見た光景だ。

「……難民の中で有能な奴だけ雇用しろ。後は全員、送り返せ」

「! そ、そんな……?」

「拒否すれば殺せ。難民は、いずれ侵略者に成り得る」

 ドイツがその良い例だ。

 100万人もの難民を受け入れた結果、一部の難民が罪を犯し、現地人を迷惑をかけている。

 その結果、ナチス以来、民族主義が否定されていたドイツに於いて、極右政党が台頭し、問題視されている。

 アメリカでも人種の対立が激しい。

 異なる人種の平和的共存は、ほぼ不可能だ。

「命令だ。全責任は、俺が持つ」

「……は」

 医療に於いて、識別救急トリアージという概念がある。

 重症者、軽症者、死亡者等に分けて、選別するのだ。

 この場合、病院が国家で難民は患者に当て嵌める事が出来るだろう。

「職人や技術者は、在留許可を与えろ。無資格者は、全員、強制送還だ」

「は」

 ヘリコプターからどんどんお金が運び出されていく。

 協力に対する宗氏への御礼と、難民保護の費用だ。

 総額100億円。

 全て、大河の私費である。

『数は力、力は金だ』

 と、田中角栄が言った様に。

 残念ながら、この世界は、お金が全てである。

 カルト教団の聖職者や悪徳政治家が金に塗れた守銭奴の様に、結局、金が物を言う。

 民心を掴み取る事が出来るのは、その使い方次第だ。

(”一騎当千”、恐るべし)

 義調は、大河に跪いた。

「山城様、貴家と同盟を結ばせて下さい」

「同盟?」

「御不満ならば、主従関係でも……」

 家臣団も文句は無い様で、主君に反対論は出ない。

 ヘリコプターとあの資金力を見たら、誰も逆らわないのは、当然の事だろう。

 家の存続の為には、逆に臣下になった方が良い。

「桓武平氏の名門が、新参者の軍門に降るのか?」

「家の為ですから」

 その場で誓文を書く。

「山城様の押印して下されば、これを神社に奉納し、我々は、真田家の臣下となります」

「……分かった」

 大陸と繋ぐ貿易、軍事の要である対馬国が、飛び地となれば、山城真田家にも+だ。

 こうして対馬国が飛び地となる。

 その後、大多数の難民は大河の定めた基準に適わず、強制送還と相成った。

 一部は抵抗し、コブラのハイドラ70ロケット弾の餌食になった。


「そうかそうか。対馬を得たか」

 義弟の活躍に信長は、喜ぶ。

 本来ならば、九州の専門家である大友氏や島津氏辺りが適任者なのだが、敢えて大河を送ったのは、彼がどんな方法で解決するか知りたかったのである。

 事の顛末を伝え聞いた信長に異論は無い。

 刀伊の入寇等で外敵の侵攻があった歴史から、彼は、同じアジアの国々を信用していなかった。

 とおきにまじはりちかきをむ―――遠交近攻が、信長の方針である。

 又、無能な敵ほど褒め讃え、有能な敵ほど非難する事も忘れない。

 これは、無能ならば無能な程、勘違いし、付け上がり易いく、有能な場合だと、逆に不安になってしまう事があるからだ。

 この策略を現在でも通用し、某国が盛んに行っている事は言う迄も無い。

「義弟は、無敵ね?」

「そうだな。帰蝶。次の子供は彼奴きゃつの名を付けるか?」

「賛成よ♡」

 布団の中で頑張る信長であった。


[参考文献・出典]

*1:川又一英『イヴァン雷帝 ーロシアという謎ー』新潮選書 1999年 

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