第104話 刻露清秀

 城は出来たが、帝の許しが出ない以上、大河は復職出来ない。

 無期限の有給休暇は、家臣団や民に申し訳無さを感じるが、日頃の行いが良い為か。

 目安箱には、

 ———

『存分に御養生下さい』

『今まで貢献して下さった御礼です。ここは、一つ、年単位で休まれては如何でしょう?』

『休職中は、御家族を優先して下さい。何時も支えて下さっているのですから、今度は、御殿様が支える番ですよ』

 ———

 等。

 温かいファンレターが、殺到していた。

 これ程、民との距離が近いには、大河が、”闇将軍”―――田中角栄の手法を模倣している為だ。

 彼は気配り上手で、例え政敵であろうとも葬儀には参列する等、高潔な人格であった。

 又、『目白詣で』の際には、連日400人と面談し、その内容を聞いた。

 その際、彼は必ず返事を出す事を心がけていたという。

 例え「結果が相手の希望通りでなかったとしても、『聞いてくれた』と思ってもらえる様に」という細やかな配慮だ。

 出来る、出来ないを必ずその場で判断していた角栄が1件にかける時間は約5分。

 そして400件の陳情が終わると、最後に角栄自らが並び順を決めて記念撮影をしていたという(*1)。

 身分に捉われず、民の話を直接聞くのは他の戦国大名では、行われていない。

 秘密警察で反体制派を監視する一方、ちゃんと飴を与えている事は、大河が政治家向きとも言えるだろう。

 ただ、ファンレターの多さには、疲労困憊だが。

「これを書く暇があるんなら、他の事をすればいいものを……全く、返事が大変だぞ?」

「書家も大変ですね」

 1通ずつ、目を通した後、鶫がまとめていく。

 流石に大河が返事を書くのは、一苦労且つ仕事では無い為、しない。

 礼儀作法的には無礼なのは、承知の上だが、それは大河が雇用した書家が担っている。

 書家が大河の名前で代筆し、1人ずつに返送しているのだ。

 腱鞘炎になっても可笑しくは無い重労働なので、常時、求人を出している程だった。

「主、御客様です」

「ん? 今日、予約客居たっけ?」

「いえ」

 無断での登城は原則、厳禁だ。

 幕末、御三家の一角を成す水戸徳川家の9代藩主・徳川斉昭は、予約無しで登城した所、謹慎処分を受けた。

 意外にも身内にも厳しい規則なのである。

「まぁ、良い。暇だからな。通せ」

「は」

 暫くして客がやって来た。

 訪問者は、少年で12歳位。

 癩病らいびょうらしく、頭巾を被っている。

「大谷平馬と申します」

 その名前に大河は、瞬時に察した。

(大谷吉継か)

 鶫がしていた様に頭巾は、癩病を隠す為だろう。

 当時、彼は、「ごうびょう」(=前世の罪の報いとして発する病気)を患った、とされた。

 業病とは非常に治り難い病気・或い不治の病の総称として使われたが、特に相貌に著しい病変を起こす癩病は近代になるまで業病の一種として忌み嫌われていた(*2)。

 彼が癩病であったと断定されている訳ではないが、『本願寺日記』には千人斬りで騒がれたのは吉継が癩病患者で人体のある部分を(食する為に)必要としたのだとする説を載せている(*3)。

 その他の病名として組織壊死まで至った末期梅毒説もある。

「近江より面接に参りました。これが履歴書になります」

 現代同様、この時代、転職するには履歴書が必要不可欠だ。

 当時のそれには、それまで挙げた戦果等が詳細に記載され、合否の目安になっていた。

 ただ、吉継だと、面接前から合否は決まっている。

 大河は、履歴書を一度も見ずに告げる。

「合格だ」

「え?」

「将来的には、100万の軍勢を任す。自由に指揮せよ」

「え……」

 熟考されると思いきや、即断即決に平馬は戸惑った。

 更に高評価だ。

 期待値の高さに嬉しさと不安が、伸し掛かる。

「……良いんですか?」

「面接に来たのに辞退するのか?」

「い、いえ……そういう訳じゃ―――」

「精進するんだ。俺に借金を作らせるなよ?」

 ニヤリと嗤う大河。

 合格は、嬉しい平馬であったが、「ヤバイ所に入ったのでは?」と、内心、後悔するのであった。


 平馬は早速、島左近、宮本武蔵のコンビに扱かれる事になった。

 真田軍の方針は、決まっている。

 レンジャー部隊並に厳しい軍事訓練以外、放任主義。

 これは、大河が尊敬してやまないプロ野球の名監督・仰木彬の指導法が基となっている。

 豪放磊落ごうほうらいらくで、結果を出せば文句は言わない彼を多くの選手が慕い、沢山の名選手が生まれた。

 その手法を真似た大河は、例えどれだけ深酒ふかざけしようとも、訓練を怠らず、戦果さえを挙げれば処分しない。

 あまりにも分かりやすい結果第一主義を多くの部下は、支持しているのだ。

 当然、それは癩病等の世間から白眼視されている人々も同じである。

 このようなことから、山城真田家は能力第一主義とも言え様。

 約50kgもの背嚢リュックサックを背負い、愛宕山(標高924m)にて訓練を行う。

 惣無事令により、他家との交戦は禁じられている為、戦は出来ないが、山賊相手ならば問題無い。

 治安維持も出来るし、何より、殺人に慣れる事が出来る。

「こちら、ブラボー。山賊、8人を発見」

『こちら、アルファ。了解。攻撃アタックを許可する』

 平賀源内が作ったマイクロフォンで交信し、やり取り。

 それを明智光秀は、複雑に見詰めていた。

(何故、伝書鳩も使わずに人との会話が出来るんだ?)

 訓練の際、織田家の武将が時々、見に来て、絶賛するのが、通例になっていた。

 光秀も彼等の訓練が気になり、見に来たのが、凄過ぎて訳が分からない。

 まるで、妖を見ている様な感覚だ。

 やがて、光秀の前に山賊が3人、連れて来られる。

「……左近殿、捕虜ですか?」

「はい。公開処刑を御覧下さい」

「え?」

「この者達は山伏に成り済まし、行商人を標的とした強盗殺人の集団でした。他の者達は、抵抗した為、その場で殺害した次第です」

「……」

 生唾を飲み込む。

 3人は、拷問に遭ったのだろう。

 手足の生爪は無く、股間も潰れていた。

 手足の先端部も焦げ、歯も抜かれている。

「平馬、見ておけ」

「は!」

 疲労困憊の平馬だが、直立姿勢を崩さない。

 武蔵が、樽に入った蜂蜜を3人にぶっかける。

「「「……」」」

 3人は抵抗する気力も削がれている様で、動かない。

 山中なので、甘い匂いを嗅ぎ付けた虫が多数、集う。

 虫達は皮膚を食い破り、3人を食べ始める。

「「……!」」

 光秀と平馬は催し、吐いた。

 然し、2人以外は平然としている。

 普段から山賊相手にこの様な事をしているのだろう。

 恐らく、発案者は残虐非道で知られる大河だ。

「……撤退するぞ」

 左近が、呟いた。

「最後まで見ないんですか?」

「平馬、蜂蜜と言ったら何だ?」

「……!」

「そうだ。火の粉を浴びる前に撤退が正解だ」

 慣れた様子で本陣を直ぐに撤収させる。

「左近殿、熊を放置するんですか?」

 光秀は3人を遠目で見つつ、尋ねた。

 人の味を覚えた熊は、人を襲う様になり易い。

 その最悪の例が、三毛別羆さんけべつひぐま(1915年 死者7 負傷者3)だ。

「問題ありません。蜂蜜は毒入りですから」

「え?」

「ここは、熊が多く、害獣として農民から駆除する願いが多数、届けられています。熊には悪いですが、農民の生活を守る為には少しばかり減ってもらう必要があります」

「……」

 山賊を餌に熊を誘き寄せ、殺す。

 治安維持と害獣対策の一石二鳥だ。

「又、念には念を入れよ、ということで餌の下には上様発案の『ぱいなっぷる』なる花火を仕掛けています。熊は爆死です」

「……」

 ぱいなっぷる、という爆発物は織田家でも有名だ。

 果物の形をした外観で、紐を引っ張った後、数秒後に爆発するらしい。

「見せて下さいます?」

「模造品ですが、これです」

 鳳梨パイナップルの形をしたそれ―――マークII手榴弾を光秀は、初めて見た。

 手榴弾の種類の中で最も有名であろうこれは、多数の映画やドラマ等でも登場している。

「……爆発の規模は?」

「有効範囲は約1じょう(現・約3m)~3丈(現・9m)程ですが、上様曰く、15丈(現・45m)先に居た人を殺傷する力を有するらしいです。投擲距離は約9(現・27m)~約12丈(現・36m)ほどです」

「……」

 同盟者である織田家だが、 敵対し、正面からぶつかれば負ける事は必須だ。

 戦車もさることながら、真田家とは改めて戦争したくない。

 現代の感覚では、大河は軍国主義者と左派は、レッテルを貼るだろう。

 然し、矛盾しているが、殺人は好んでも彼は、反戦主義者であった。

 ―――汝平和を欲さば、戦への備えをせよ。

 平和の為に軍備拡張しているのだ。

 古代の賢人は、論じている。

 ―――

『―――従って、平和を願う者は、戦争の準備をせねばならない。

 勝利を望む者は、兵士を厳しく訓練しなければならない。

 結果を出したい者は、技量に依って戦うべきであり、偶然に依って戦うべきではない』(*4)

『百戦百勝は、善の善なる者に非ず。

 戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり』(*5)

『子曰く、およそ善の善なる者は、其(敵)の来たらざるを恃むこと無く、我に以て待つあるを恃むなり。

 其(敵)の攻めざるを恃む事無く、我に攻むる所あるべからざるを恃むなり』(*6)

 ―――

 然し、光秀にはある考えが浮かんだ。

(真田と組めば……夢が叶うかもしれない)

 世紀の逆臣の誕生であった。


 政変未遂を機に大河は、進めていた国策の一部を変更した。

 国民主権を重んじた現代日本風民主主義から、『戦う民主主義』へ。

 弾圧の対象としたのは、朝廷を倒し、新王を自称する反体制派だ。

 歴史的な例を挙げると、日本三悪人の内、平将門を除く、

・道鏡

・足利尊氏

 彼等の様に朝廷を乗っ取ろうとしたり、朝廷を弱体化させる様な行為が、反体制派の認定基準である。

 平将門を除外したのは、新皇=新しい天皇を自称したとはいえ、彼が、当時の朱雀天皇(61代)に対して、「本皇・本天皇」と呼び、藤原忠平宛ての書状でも、『伏して家系を思い巡らせてみまするに、この将門は紛れもなく桓武天皇の五代の孫に当たり、この為例え永久に日本の半分を領有したとしても、あながちその天運が自分に無いとは言えますまい』

 とあり、又、もくも坂東諸国の国司の任命に止まっている事からも、その乱を合理化し東国支配の権威付けを意図としたもので、朝廷を討って全国支配を考えたものではなく「分国の王」程度のつもりであったと思われる(*7)。

 又、悪人とされながらも現代に迄、将門祭が残り、更には、首塚伝説の強さも除外した理由だ。

 元帝で将門に同情的な朝顔も反対したのも、影響している。

 秘密警察は、『特別高等警察』の名で活動し、反体制派を監視する様になっていく。

「主、私が長官なんですか?」

「ああ。専門職だからな」

「私が奴隷の下なの?」

「能力を見ての判断だ」

 寝台の中で、小太郎は喜び、楠は不満顔。

 奴隷に地位を逆転されるのは、誰でも気が食わない。

「嫌なら、小太郎より結果を出す事だ」

「……わかったわ」

 了承するも、納得はしていない様だ。

 人事権は、統治者の大河が握っている。

 彼女のその様な顔を見ると、申し訳無さを感じる。

 楠を抱き締めつつ、説明した。

「彼奴は、くノ一として日ノ本一だ。だからこそ、北条家から奪い取った」

「……私は?」

「2番目だよ。だから、蹴落としてやれ。2番目だからこそ逆転出来る場合がある」

「……うん」

 残酷だが、それは、現実だ。

 公私混同感は否めないが、大河は仕事に極力、家庭を持ち込まない。

 その逆も然り。

 理に適った人事異動を行っているのだ。


[参考文献・出典]

*1:https://mainichi.jp/articles/20180216/org/00m/200/012000c

*2:『知恵蔵2015』コトバンク

*3:高柳光寿 松平年一 『戦国人名辞典』 吉川弘文館 1981年

*4:ローマ帝国軍事学者 フラウィウス・ウェゲティウス・レナトゥス『軍の問題に関して』

*5:『孫子』謀攻篇第三

*6:『孫子』九変篇第八

*7:ウィキペディア


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