第28話 悪漢無頼
天正4(1576)年2月14日。
大河は、見舞いに来た朝顔に回答を伝えた。
「以前、提案して下さった官位の方ですが、熟考した結果、謹んで御受けします」
「! そうか」
従五位・真田山城守大河の誕生である。
「無欲な貴君の事だ。提案した癖にだが、断るかと思っていたよ。何故だ?」
「やはり、高貴な奥方を多数、娶った以上、それ相応の地位は必要かと」
「成程。妻想いだな」
契機は、誾千代が不妊を苦に格下げを願った事だ。
貴族になれば、今以上の華やかな生活を送る可能性が出来る為、大河は、彼女の精神的負担を緩和させる為に欲したのである。
「ですが、前線には出ます。普段通りに」
「そういうと思ったよ。だから、名前だけで貴族の集まり等には参加しなくて良い」
「御配慮下さり有難う御座います。その分、誠心誠意、お仕えさせて頂きます」
「うむ」
笑顔の朝顔は、洋書を取り出す。
「今日の本題は、これだ」
朝顔が指差した先には、『Valentine's Day』の文字。
「宣教師の話では異国では、この日、男女が贈答品を贈り合う様だ。未来にもあるのか?」
「はい。この日は、女性が男性に御菓子を贈ります」
「御菓子? 饅頭とか?」
「多いのは、チョコレートですね。カカオの種子を発酵・焙煎したカカオマスを主原料とし、それに砂糖、カカオ脂(ココアバター)、粉乳等を混ぜて練り固めた食品です」
「聞き慣れん言葉だな。作れるか?」
「材料あります?」
「朕を誰だと思っている? 日ノ本の頂点に立つ国家元首ぞ?」
久し振りに
帝なのだが、親友として接して下さっている為、大河も徐々に親近感が湧いている。
「では、材料が揃い次第、作ります。それと陛下」
「何だ?」
「蟹文字読めるんですね?」
馬鹿にしている訳では無い。
国際化が今程進んでいないこの国で、欧文が読めるのは、一握りの人間だけ。
それも日頃から忙しい帝が、わざわざ時間を割いて、英語を学んでいたのは、予想外だったからだ。
「苦手だが、異国出身の貴君との親交を深める為には、蟹文字の習得が必要不可欠だろう? 海外の文化も知れて良い事だ。それに……」
「?」
指をもじもじさせて、朝顔は目を合わせない。
「その……女官に勧められたんだ。今日がその日だから、と」
「……そうだったんですね」
保守派の心象がある女官が、バレンタインデーを紹介するのは目から鱗だ。
「作るんで、御楽しみ下さい」
「うむ」
内心で朝顔は、考える。
言えなかった事を。
(本当は朕が作れるのが、本筋らしいが……万が一、下手な物を作って幻滅されたくない……重荷だが、済まん。真田、朕が不甲斐ないばっかりに)
当初の予定では、朝顔自身が作る予定だったのだが、女官達と作る中で、失敗を繰り返し、志村妙の様な暗黒物質が、誕生してしまったのだ。
その後、女官達との協議の末、「真田に作らせ様」というプランBに転換した。
大河に手料理を食べさせたかった朝顔は、自己嫌悪に陥るのであった。
チョコレートの材料を朝廷経由で仕入れた大河は早速、作り始める。
茶々、お江、千姫と共に。
お初が不参加なのは、「御姉様と一緒なら良いけれど、お兄様とは嫌」との事だ。
誾千代、謙信は、大河の部屋で寛いでいる。
2人共、大河の毛布に包まり、ガールズ・トークを行っている頃だろう。
「旦那様、作り方分かるの?」
「米軍の野戦食だからな」
「へ?」
作るのは、生チョコ。
戦場で炊事兵から習った物の為、大手食品製造業者のHPで紹介されている程、綺麗には、作れない。
見た目が黒い豆腐な生チョコを大河は、包丁で切り分けていく。
「余り、美味しくなさそうです」
「そう言うな。毒じゃないから、1個食べてみろ」
「うん……」
恐る恐る茶々は、一口頬張る。
「あ、甘い……」
「和菓子とは違った甘さだろう?」
「旦那様、私も」
千姫も手を伸ばし、1個。
「おー……」
感嘆し、その後、硬直した。
人生初のチョコに感動しているのだ。
「兄者、美味しい♡」
お江は、両頬を真っ黒に汚しながら、バクバク食べている。
相当気に入った様だが、何事も食べ過ぎは、体に毒だ。
栄養士を早急に付ける必要が出て来た。
「陛下や他の人々の分が無くなる。お江の分は、こっちだ」
お江用に別に作ったのは、小さいのを五つ。
「え~。少ない」
「運動するなら10個。これが、条件だ」
「じゃあ、5個にしておく。太ったら兄者に嫌われちゃうからね」
「「!」」
茶々、千姫の手が止まる。
甘さに惹かれて、既に10個以上、食べていたからだ。
「真田様、これ太るの?」
「まじ?」
「まじだ。食べ過ぎたらな」
因みに「まじ」という言葉は、江戸時代に芸人の楽屋言葉(業界用語)として使われていた。
・真面目
・真剣
・本気
といった意味からきている。
文化7(1810)年頃の歌舞伎に「ほんに男猫も抱いて見ぬ、まじな心を知りながら」という台詞があったとされる(*1)。
「「……」」
太るのが嫌らしく、2人は、爆食いを止めた。
非常に素直で好感が持てる。
大河としては、それ以上の野菜を摂り、相応の運動をしてくれれば、別に幾ら食べ様が問題視しない。
生チョコは高級な御盆に載せられ、女官達によって運ばれていく。
「わーお」
志〇けんの様な声を出した朝顔は、箸を持って待っていた。
「真田様からの献上品です」
仰々しいが、不正解では無い。
一つ頬張り、満足気に頷く。
「
胃袋を掴めた様だ。
誾千代、謙信も食べ、評判は上々。
朝顔が食べた事で生チョコは一気に日ノ本全土に広まり、その後、独自の発展をしていく事を大河はまだ知らない。
あんパンが山岡鉄舟により明治天皇に献上され、皇室御用達になった様に。
朝廷に営業をかける洋菓子製造業者が乱立し、チョコレートが、日本人に認められた瞬間だった。
大河の傷が癒えるには、もう少し時間を要した為、彼は暇潰しに改革に乗り出す。
猫の様に、膝に乗った千姫の顎を撫でつつ、
「望月、鴨川沿いに桜の種を撒け」
「は? えっと、それならば、城下の方が宜しいかと」
「じゃあ、城下と鴨川沿いの両方だ」
朝顔から貰った彼女の似顔絵入りの扇子をパチンと鳴らす。
「何故、鴨川に拘るんです?」
「あそこは工事をしたが、土が
「あ」
望月は、瞬時に理解した。
「花見の客を利用して、土を踏み固めるんですね?」
「然う言う事だ」
この方法は後年の徳川吉宗が発案者だ。
彼は、現代まで伝わる花見文化の礎を築いた。
その例が、隅田川の堤だ。
川辺に桜を植樹し、人々に花見をさせた。
彼等の足を利用して、人工的な堤を作ったのだ。
「もう一つ」
パチンと再度、鳴らす。
「伏見の方に競馬場を作れ」
「けいば……じょう?」
「こういう字だ」
その場で筆を
———
『競馬場』
———
読んで字の如くだ。
「……馬を競わせて何を?」
「客を入れて、賭けさせる」
「! 賭場なんですか?」
「ああ、庶民に娯楽を届けると共に、収入を得る。朝廷への上納金だ」
「……」
こういう妙案を思い付けば、そのまま収入を自分の物にしそうだが、大河には本当に欲が無い。
本当に奇妙な人物だ。
望月は、この真っ直ぐさに惚れている。
「分かりました」
京都競馬場が出来たのは、大正14(1925)年の事。
今より、約400年以上先の事だ。
歴史を捻じ曲げている感が否めないが、時間の逆説が起きている以上、大河はもう正史の歴史観を放棄している。
「最後、見廻組だが、軍規を導入し様と思う」
「!」
ぴりっと、望月の背筋が伸びる。
「千」
「はい、旦那様」
胸元から書状を出す。
千姫の体温が残っているのが気になるが、兎にも角にも望月は目を通す。
———
『第1条 長は常に正しい
第2条 長が間違っていると思ったら第1条を見よ』
———
「!」
非常に独裁的だが、大河は大真面目だ。
「望月も嫌なら辞めて良いからな? 退職金は倍出すから」
「……何故です?」
「俺は少数精鋭を目指している。だから、俺の方針に耐えられない者の依願退職は、構わない」
「……」
最近、見廻組は志願者が増え、人件費が膨張している。
選抜試験も一苦労だ。
又、従五位になった大河は、新兵の育成を殆ど望月に頼っている。
望月を信頼している表れなのだが、依願退職を勧めるのだから、今後は、更に厳しい訓練が待ち受けているのだろう。
「組長、私が一度たりとも貴方の前で、弱音を吐いた事、ありますか?」
「無いな」
「だったら私の答えは、最初から決まっています。残りますよ」
「そうか……悔いが残らないと良いな」
「はい!」
西洋式の最敬礼を行う望月。
そのキラキラとした目に千姫は、察した。
恋敵だ、と。
「じゃあ、行け」
「は!」
駆け足で去って行く。
「旦那様、御気を付けて下さい」
「何が?」
「彼女は清姫ですわ。何れ、蛇になるかと」
「予言か?」
「そうなるかは、旦那様次第ですわ」
しゃー、と千姫は、犬歯を剥き出しにする。
現状では、千姫の方が、蛇っぽい。
「安珍にならぬ様に善処するよ」
「ですわ♡」
千姫は、胸元を開けて誘う。
「又、あの晩の様に抱いて下さる?」
「淫乱だな」
「旦那様が御悪いんですよ? あの日から陰部が火照ってしまい、寂しいですわ」
「……」
お嬢様キャラが、淫乱キャラへ。
残念ながら、大河は痴女を好む性癖は無い。
(調教し過ぎたな)
失敗を自省しつつも、夫婦の為、離縁はしない。
千姫を愛猫の様に顎を撫でつつ、銃器を
「大河、この水中銃良かったよ。川魚撃てた」
「てつはうも良かったよ」
「兄者、お土産~」
上機嫌の誾千代、茶々、お江がやって来た。
お江が持つ笊には、大量の川魚が。
・オイカワ
・鯰
・カワヨシノボリ
……
この中で食用なのは、オイカワ位だろう。
「オイカワだけ選別して白焼きや塩焼きにして食べ様」
「兄者、物知りだね~?」
大河の顔に頬擦り。
最近、お江は、花の匂いがする。
大河の好みを調べている様で、日々、化粧品を変えているのは幼い彼女の努力であろう。
「知識は奪われないからな。お江も学びなさい」
「はーい」
その後、謙信やお初、朝顔を交え、BBQが催された。
見廻組の絶対権力者となった大河は、早速、改革を断行する。
・洋食(肉、麺麭)導入及びペスクタリアン (魚乳卵菜食主義者)の完全否定
・禁煙法制定
禁煙手当付き
・禁酒法制定
等。
肉食を嫌う菜食主義者や愛煙家、酒豪はこれに反発し、続々と辞表を出す。
一方、禁煙、断酒を行う者も居り、見廻組の健康意識は現代感覚の如く高まった。
食事を一部、洋食化したのは、脚気対策の為だ。
見廻組は当時、庶民には貴重であった白米を野戦食に採用していたが、その結果、脚気を発症させる者が多かった。
歴史的には、脚気が流行るのは江戸時代の事なのだが、それも時間の逆説は、悪影響をも及ぼしている顕著な例であろう。
この結果、劇的に脚気発症者が減少する。
又、城の敷地内に芋の栽培も始め、籠城対策を施す。
芋は江戸時代に青木昆陽が普及させた野菜なのだが、大河は栄養価の高いこれを高く評価している。
「凄いわね」
訓練を観る謙信は、呻く。
5mはあろう木製の壁を、見廻組組員達は大きな丸太を背負ったまま、軽装備で攀じ登り、落下地点の泥水に飛び込んでいく。
宛ら、米軍の訓練の様だ。
副長の望月は、大砲の砲撃訓練を行っていた。
「ってー!」
望月の合図の下、アームストロング砲が火を噴く。
数km先の目標地点に着弾し、その場所は、焼け野原に。
志願兵で構成されている見廻組は、まだまだ素人が多い。
素人が玄人になる為には、現状の最善策は、訓練以外無い。
そこで東郷平八郎が、バルチック艦隊を破る為に鹿児島湾で猛練習をした前例に
訓練は市民にも公開されている。
「ひえー、防衛軍なのに強過ぎるんでないかぁ?」
「組長は、『攻撃は最大の防御』らしいよ。前に茶屋に来た部下から聞いた」
「給金は高額だが、これにはついていけんな」
市民の中には、他国の間諜も混じっていた。
然し、
「……」
その圧倒的な軍事力と練度の高さに震えるしかない。
(若し、真田という男が野心家だったら……)
謙信が、尋ねる。
「秘密主義者の真田が、訓練を公開するのは、意外ね?」
「傍観者の中には、必ず間諜が居る筈だ。広報せずとも、彼等が宣伝してくれるよ」
「悪い男」
と言いつつ、謙信の顔は赤かった。
大河の狙い通り間諜は、各々の上官に報告し、見廻組の軍事力が日ノ本全土に知れ渡る。
[参考文献・出典]
*1:https://tenki.jp/suppl/tomo_kouda/2016/03/03/10301.html
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