第12話 地竜様はみえる(後)

 愛しい我が子。


 地竜を喰らエ、血肉ヲ貪れ。


 囁きが、俺の思考を支配していく。


 この身に流れる血が、紅き竜の血脈が…囁くのだ。


 母なる声で。


 慈しむように。


「……ン…! ダメ! ……いの、………い…! 」


 暗き思考の海へと沈む。


 深き闇の底で、俺は垣間見た。


 ある竜の記憶、一つの未来…その断片を。




 焦土と化した世界では叫ぶ。


 紅き邪竜…その咆哮は空を割り、天に浮かぶ星々を地上へと下す。


 飛来する流星、終わり行く世界。


 幾度となく見たこの光景、燃ゆる大地、破壊の記憶。


 友の叫びを聞き、僅かな間だけ竜は正気を取り戻す。


 自らが引き起こした惨事に、驚愕し。


 思わず。


 かつての仲間達へと伸ばしたその手は、鱗に覆われ。


 六対の大翼を羽ばたかせ空を駆ける竜と、地上に倒れ伏す救世の使命を帯びた彼らの距離はあまりに遠く。


 やがて闇が、世界への呪詛が。


 再び、竜の意識を呑み込みはじめる。


「勇者…我が友よ…! 我を…我を殺せ…! 」


「…………! 」


「我が意識がある内に…早くッ! この身を滅ぼせるのは…聖剣に選ばれし、お前…だけだ…! 」


「……! ……!! 」


 俺は知っている。


 邪竜の血を継ぐ男と、世界を救う定めの勇者…この二人の結末を。


 永遠に思えた二人の友情…その終焉は。


 悲痛なる刃、聖剣の煌きによってもたらされた。


「…………!!!!! 」


 木霊する勇者の、我が友の嘆き。


 その悲しみに歪んだ顔が、我は…俺は、心残りだった。


 囁きが。


 世界への呪詛が。


 母なる声が。


 己が血に身を委ねろと、俺を責め立てる。


 力を渇望した先に、望むハ…古き世界ノ終わり。


(違う…ッ! )


 我らが至高なる神ノ、統治せし世界。


(俺ハ…!! )


― キミを殺し、世界を救えても…何の意味もないじゃないか…!! ―


 自らの呪われた血に。


(俺ハ…抗う…ッ!! )


― グレン…。 すまない…! ボクは…。 ボクは君を…君を救えなかった…! 友を…救えなかった…! ―


(俺が見たい、のは…。 そんな未来じゃ…ねぇんだよ………ッ! )


― グレン…! ―




「グレン…!! 」


 温もりに包まれる。


 柔らかい何かが、俺の口を塞いだ。


 流れ込む…異質な力。


 囁きが静まり、母なる声が沈黙する。


 闇へと深く沈んでいった意識が、徐々に浮上していく。




 ◇◆◇




「……っぷは! グレン…! 目、さます! 」


「っは……! ちょ、おま…何して……! 」


 混乱する頭で、何とか現状を把握する。


 地竜と話している内に意識が飛んで…気がついたら。


 何故か俺のファーストキスが名前もまだ知らない少女の唇で終了していた。


「お、おい。 我が娘よ…もうその者は正気に戻っているぞ? 」


「もう、一度、ンー……。 ん? あれ……? グレン、目、さめた? 」


「あ、ああ…。 そりゃあ、もう覚めるしかねぇ…ていうか…」


(どうしてこんな状況になってんだ…? )


 俺の首に腕を絡めた状態のまま、此方を覗き込んでいる小袖の少女。


 背後に控える地竜の表情が、心なしか険しい気がする。


「ンン゛。 予想外の…大変予想外の結果になったが。 迷い子よ。 よくぞ己が血に抗った。 本来であれば我が。 お主の内を見極めた上で、竜力を授ける筈だったのだが…」


 地竜は事の顛末を語りだした。


 いわく。


 竜力…邪竜の力を宿した俺がこの山岳に訪れてすぐ、娘にその動向を監視させていたのだが。


 魔物を狩り、力を増していくと同時に魔物が持つ闇をその身に蓄えていく俺の行く末を案じていたらしい。


 この一年近くで急速に成長し、その代償に膨大な闇を取り込んでいた俺が、バルフート…紅き邪竜が闇へと堕ちた今日、この凶日に邪竜の血に呑まれ暴走する事を危ぶんだ地竜は自らの領域へと俺を招き入れたのだという。


 当初の予定では。


 俺が力を得る事によって何を望んでいるのかを、対話する事で探ろうとしていたのだが。


「その最中に俺は邪竜の力に呑まれかけた…ってわけか」


「そうだ。 だが、お主は寸前の所で自ら踏みとどまった…。 我はお主の中に、清き魂を確かに感じ取ったのだ。 故に、我が娘があのような行為に及ばずとも良かったのだが…」


「でも…パパ。 いじわる、した。 木、飛ばす。 トゲトゲ、出す。 今日、危ない日。 言うた、のに。 わたしが、苦しいグレン。 助けるたの、当然」


「ぬ…! ま、まあ多少手荒な手段であったが…あれはあれで必要な事だったのだ」


「わたし、連れてくる…言うた、のに。 勝手にわたし、呼び戻す、た。 パパ、いつもグレンへ、やきもち。 パパ、八つ当たり、あった。 パパ、きらい! 」


「う、嘘だ…! 娘が、我を嫌い…だと…! ば、馬鹿な…」


 娘の言葉に、目に見えてしょんぼりとする地竜。


 白銀の鬣も心なしかしぼんで見える。


「ま、まあ…その件は一旦置いといて。 竜力を授けるって、さっき言っていたが…そいつはどういう事なんだ? 」


「ぬぅ……。 我が…嫌われた……? 娘に…? これは悪い夢だ……」


「パパ、グレンに。 話しする。 しないと…もっと、きらう」


「ああ勿論。 勿論、説明しよう」


(この地竜…! か、完全に娘の尻に敷かれていやがるっ…! ) 


 ダン爺さんといい…父親とはそういう定めなのだろうか…?


「紅き竜の呪い。 その血の暴走を、竜力を持って征する。 我ら地竜の竜力により、お主の紅き竜力を制御するのだ」


「つまり、二つの竜力を俺の身体に宿すって事か? 」


「さよう。 現にお主は今、我が娘の竜力…地竜の力により己が血を完全に押さえつけている」


「わたしと、グレン。 ちぎり、結んだ。 わたしの力、あげる、した」


「だが、忘れるでないぞ。 竜力の制御に何より大切なのはお主の心だ。 闇に呑まれないという強い意志、それを無くしてはならない。 お主の意識、思考がもしも闇へと傾けば。 竜力の均衡は容易く崩れ去り――」


「邪竜へと堕ちる……ってわけか」


「ああ、その通りだ」


「むー。 そんな、こと…わたしが、させる無い! パパ。 わたし、決める? 決めた! 」


「な、何をだ。 我が娘よ…? 」


「わたし、グレンといる、決めた。 わたし、巣立ち…する! 」


「巣立ち!? い、いや。 しかしだな…! 」


「パパ。 むかし、言うてた。 誰かとちぎり、結んだら。 巣立ち、認める」


「うぐっ!? うぐ、ぐぐぐぅ……! き、聞け。 竜の子よ…。 我が娘は、お主に竜力をあた…与え…。 ち、契りを結んだ。 我が娘と契りを結びしその責務、必ずや果たせ。 いいな、必ずだ」


「お、おう…」


(正直、契りとか責務とかいわれても良く分かんねぇけど…。 圧が凄くて頷くしかねぇ…! )


「我が娘よ。 巣立ちの時を迎えしお前に、名を授けよう」


「わたしの、な? 名前…なのか? 」


「そうだ。 お前の名は、フリート。 この名が我からの、最後の贈り物だ」


「フリート…。 フリート、うれしい! フリート、いいな…? いい名だ、な! 」


 勇者を全力で支える計画、その礎としてレベリングを行っていた俺は。


 魔物狩りがもたらす闇の蓄積…紅き竜力の増幅に気付かず。


 知らぬ間に邪竜への道を歩んでいた。


 そんな俺に、地竜。


 その娘であるフリートは竜力を分け与え、竜力によって竜力を制御する手段をくれた。


 これはグレンに用意された最悪の結末…その未来を回避する為の鍵。


(ほんと…竜の親子には、感謝してもしきれねぇな…)


 バンダス山岳にて出会った不思議な少女…フリート。


 俺と同じ、竜の子である彼女は。


 自らの名を得て、親である地竜の元を巣立ち……そして、俺についてくるのだという。


(ま、まさか…このままずっとついてくる気、なのか…? )


「いや、流石にそれはねぇか…」


「うー? グレン。 ドワーフ、女…リニャの家、行くのか? 」


「ああ。 リーニャだけどな」


「わかった、フリート。 リニャに、はっきり、あいさつ…する! 」


「おう! そうだ、挨拶は大事だ。 家主であるダン爺さんにも、しっかりすんだぞ」


「うん。 ダンジさにも、あいさつ! でも、リニャはとくに、あいさつ」


「ダン爺さんだ」


「うー。 ダンジジさダ? ダンジジさダに、あいさつ! フリート、えらい! 」


「何でそうなるっ!? 」


 しかし、まあ。


 目先にある重大な問題として…。


(フリートの事…。 二人に、どう説明したらいいんだ…ッ! )


 竜の娘を連れた帰り道。


 その足取りは、何時もよりだいぶ重たいものだった。

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