フィギュアな彼女

ゆで魂

第1話 兄が遺してくれた少女

『人は何のために生きているのか、自分の考えを200文字以内で書きなさい』


 小学校の道徳の時間だったか。

 そんな作文を書かされて困った記憶がある。


 時間いっぱい考えて『よく分かりません』と書いたところ、作文は提出しなくていいですよ、と先生から告げられ、生き返った心地がしたものだ。


 俺は何のために生きているのか。

 21歳になった現在も分からない。


 あの作文は怖かった。

『お前には生きている価値がない』と暗に宣告されたみたいで体が震えた。


 もし兄だったら。

 二ヶ月前の事故で亡くなったタクミなら。

 何のために26年を生きたのか、200文字で表現できたのだろうか。


 部屋の隅にダンボールがある。

『遺留品』と極太マジックで書かれた箱を久しぶりに開けてみる。


 新聞紙をめくる。

 フィギュア制作に必要なアイテムが詰まっている。


 多種多様な粘土ねんど

 チューブ入りのパテ。


 彫刻刀。

 ヤスリ。

 金属ヘラ。


 塗料。

 接着剤。

 よく分からないスプレー缶。


 木の破片。

 作りかけの手足。

 動物の模型などなど。


 どの道具もいたみや手垢てあかが目立ち、かなり使い込まれていた。

 ためしに彫刻刀を持ち上げてみると故人の温もりが伝わってくる。


 ハサミ。

 見覚えがある。

 小学校の家庭科で支給されるやつだ。

 15年くらい前の道具を手放していないなんて、性格が良いというか、倹約家けんやくかというか、真面目な兄らしいな、とは思う。


 タクミが大切に使っていた道具なので、実家の押入れで保管しようか、みたいな話もあった。


 でも俺のアパートで預かることにした。

 兄が生きていた証のような物が欲しかった。


 いつか整理しようとは思う。

 七回忌ななかいきとか落ち着いたタイミングがいい。


 俺もタクミみたいに手先が器用なら、コンテストの入賞を狙えるだろうか。

 あいにく図工も美術も成績は中の下だった。


 きりの箱を見つけた。

 一升瓶いっしょうびんが入りそうな大きさで、プラスチック製工具箱の下に隠れていた。

 わざわざ赤いひもくくられている。


 重量は1,000mlのペットボトルより少し軽いくらい。

 中身を揺らさないようデスクへ移して、紐の結び目を解いて、ふたを取り外してみる。


 プチプチの緩衝材かんしょうざいが出てくる。

 セロハンテープをがしてゆっくり開封していく。


 タクミは私物を汚されるのを嫌がった。

 家族に何かを壊されると一週間くらいへそを曲げた。

 亡くなった今となっては、遠慮なんて要らないが、どうも慎重になってしまう。


 美少女フィギュアと目があう。

 金髪きんぱつ碧眼へきがんの女の子で、目鼻立ちがはっきりしている。

 傷つけないよう注意しながら、丸型コースターの上に立たせてみた。


「……かわいい」


 清楚せいそな白ワンピースを着ている。

 金髪がふわりと膨らんで、柔らかな風が表現されている。

 頭には麦わら帽子をのせており、その下には愛らしい笑みがある。


 女神様みたいだ。

 うす暗い部屋にあって、彼女の周囲だけ明るい。


 彼女の名はアイギス。

 タクミの家で一度だけ見かけたことがある。


 自分の最高傑作だと、心血を注いだ作品なんだと、誇らしそうに話していたのを覚えている。


 そうか。

 アイギスは売り物ではなく、タクミが自分用に制作したのか。

 もしやと思い遺留品をチェックしてみたが、作品と呼べそうなものはアイギス一体のみだ。


 もう一度アイギスを見る。

 360度いろいろな方向から眺める。


 スカートの中身は……。

 いや、自重しておこう。

 アイギスの瞳は宝石のように美しく、生きているみたいに澄んでいる。


 優しそうな感じの女の子だ。

 公園でアイスクリームをめる姿が似合いそう。

 甘いものが好きで、アウトドア派で、人の悪口は嫌いで、少しだけマイペース。


 どんどん妄想が膨らんでいく。

 魂がないフィギュアなのに性格を想像したくなる。


 タクミには女の影がなかった。

 少なくとも実家にガールフレンドを連れてきたことはなかった。


 そんな兄が美少女フィギュアを残して亡くなった。


 孤独になったアイギス。

 タクミの死を知らずに健気に笑っている。


 身長は?

 年齢は?

 生い立ちは?

 アイギスのプロフィールが気になってしまう。


 この星の住人なのか?

 ファンタジー世界の住人なのか?


 椅子を引っ張ってきて、少し離れた位置に座ってみた。


 どういう想いでアイギスを制作したのだろう。

 西洋人みたいなアニメキャラが好みなのか。


 兄の部屋にはたくさん漫画本があった。

 こっそりお邪魔して隅っこで読むのが好きだった。


『兄ちゃん、何つくってんの?』

『その漫画の主人公……マナト、好きだろ』

『すげえ! つくれるんだ!』

『いま原型をつくっている。あまり大声は出すな』

 

 兄の好みは把握していない。

 山ほど漫画はあったのに、どの先生が好きとか、どのキャラがタイプとか、一度も教えてもらったことがない。


 覚えているのは、スケッチブックに絵を描いたり、黙々と木を削っている姿ばかり。

 無口で弟想いで融通の利かない兄がアイギスを生んだ。


『どうだ?』


 兄の声が蘇ってくる。


『生きているみたいだろう』


 兄はいつもフレームが曲がった眼鏡めがねをかけていた。

 お店で修理してもらえばいいのに、少しも気にしない人だった。


『もし俺の夢が叶うなら……』


 不器用な笑みを浮かべる。


『マナトに話すことじゃないか……』


 あの日、兄は何かを伝えようとした。


 今さら気になる。

 タクミには果たしたい夢があった。


 そろそろ仕舞っておこう。

 世界に一体しかないオリジナル品だから汚すと申し訳ない。


 桐の箱に手を伸ばしたとき、仕事用の携帯が鳴った。

 支店長からだった。


「……銀行担当者が? ……ええ……向こうの書類の不備ですか? ……納期ギリギリと?」


 一言でいうと、明日休日出勤になるけどゴメン! という内容だ。

 不動産仲介の仕事をやっていると、周りのミスに巻き込まれるのは日常茶飯事。


「……休日出勤か……ついてないな」


 映画でも観て、ステーキでも食べて、ビールでも飲んで、という計画が水の泡になる。


 不動産業界はキツい。

 好きでもないのに入るものじゃない。


 まず世間と休みがズレている。

 うちの会社は火曜と水曜。


 だから友人と遊ばない。

 楽しみといえば平日ランチを悠々と食べることくらい。


 あと対人関係のクレームが多い。

 クレームを処理することで給料を貰っているのか、というくらい多い。


 自分は悪くない。

 それでも頭を下げる。

 だからメンタルが削られる。


 あと家が好きじゃない。

 マイホームなんて一生買えないから。

 ニコニコしながら『この物件は本当におすすめです』といえる自分に反吐へどが出る。


「あ〜あ……転職してぇ……無理だけど……」


 アイギス。

 置きっぱなしだ。


 明日、片付ければいいか。

 本人だってダンボールの底よりデスクの上がいいだろう。


 これはアイギスの外泊。

 たまには旅行すべき。


 電気を消す。

 ベッドに倒れこむ。


 自分におやすみという。

 自分でおやすみと返す。


 一人暮らしはとても寂しい。

 そんなことを痛感しながら眠った。


 ……。

 …………。


 そして翌朝。


「もしもし、私です、アイギスです……」


 ちょんちょんと肩を突かれた。

 ゆっくり目を開けると、金髪碧眼の少女がこっちをのぞき込んでいた。


「もしもし、起きてください」


 逃げるように寝返りを打つ。

 死にそうなほど眠い。


 これは夢。

 リアルな夢だ。


 彼女の名はアイギス。

 美少女フィギュアが人間サイズに成長して、しかも勝手に動くなんてありえない。


「休日出勤ですよね? 遅刻しちゃいますよ」

「…………えっ⁉︎」


 俺はガバッと布団をはねのけた。


 そうだ。

 仕事だ。

 忘れていた。

 急がないと支店長から電話がくる。


 いや、そうじゃなくて……。


 女の子が家にいる。

 金髪碧眼で俺より若い。

 しかも休日出勤があるのを知っている。


 頬を叩いてみた。

 とても痛い。


 この瞬間の俺は、世界で一番マヌケな表情をしていたと思う。


「どこか具合が悪いのですか?」

「いや、平気。ええと……君の名は?」

「アイギスです」


 鈴を転がすような声がいう。


「……ああ」


 頭がパニックになった。

 全身がゾワゾワしてきた。

 顧客から激怒の電話をもらったときに起こる症状。


 髪の毛をクシャクシャする。

 三本くらい抜けて痛くなる。


「そうそう! アイギスね! 思い出した!」

「あの……やっぱりお身体からだの具合が……」

「大丈夫……朝に弱いだけ……」


 会話が成立してしまった。

 人ならざる者と初めて意思疎通してしまった。


 ふとデスクを見る。

 丸型コースターの上。

 電気を消したとき、そこに立っていたはずの女の子は、蒸発したように消えている。


 辻褄つじつまが合ってしまった。

 観念するしかない。


「本日からこのお家でお世話になります。どうぞよろしくお願いします」


 アイギスは向日葵ひまわりのような笑みを浮かべながら、ワンピースのすそをつまみ、ぺこりと頭を下げた。

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