第6話 盗み聞きは得意です

「や、やられた……!」


 三種類の幾何学模様が緻密に組み合された浮彫を取り囲むように、防音の彫言ちょうごんが彫り込まれた重い扉を背中で閉める。それから壁の凹凸に隠れて息を整えながら、レイは悔しさに歯噛みした。

 まんまとフェルゼリォンの思惑に嵌ってしまった。確かに不特定多数の人間がいる場所でする話題ではなかったが、それでもあとで時間を取るなり、約束は取り付けられたはずなのに。


「仕方ないよ。集団の女性の力って凄いからね」


 フェルゼリォンと離れるなり颯爽と現れて無駄な笑顔を振りまいて救い出してくれたハルウが、苦笑とともに慰めてくれる。

 しかし会場の外でこっそり待機していた小姑の感想は手厳しかった。


「何しに行ったんだい、あんたは」


 レテ宮東端の大広間に続くギャラリーの途中、偉人の胸像の頭の上で伸びをしながら、ヴァルが呆れた声を上げる。


(絶対寝てたな)


 だが今突っ込んでも反撃を喰らうのが落ちなので、代わりにむぅと口を引き結ぶ。のだが、どちらにしろ怒られた。


「人が集まるところは人脈と情報の宝庫だよ。まさか成果なしとか言わないだろうね?」


「ぐぅっ」


 舞踏会に参加すると決まってから、そう言って情報を仕入れては叩き込んできたのはヴァル自身である。自分の二日間の労働を台無しにしやがってとでも言いたいのだろう。フェルゼリォンを見付けていなければ、このあと三時間は説教されること請け合いである。


「だ、だから今追ってるんじゃない。ここ通ったでしょ?」


 人脈も情報も参加前とほぼ変わらないが、探す人物が第三皇子と特定できただけでも十分なはずだ。という思いで見ると、やっとヴァルがぴょんっと飛び降りた。


「あぁ。あいつ、王証を携帯してるな。北に行ったぞ」


 レテ宮北側と言えば、列柱廊で繋がった玉妃宮や、離れて建つ令妃宮がある方だ。両妃は双方とも誕生会に出席しているから、使用人しかいないはずだが。


「行こう」


 頷いて歩き出す。

 だが数歩も行かぬ内に少し先の扉が開いて、レイたちは慌てて近くの巨大な壺の影に隠れた。大広間に繋がる控え室だ。そこから男が二人、小声で話しながら廊下に出てくる。


「……は、またとない好機と言える」


「えぇ。待った甲斐がありました」


(あれは……ネストル伯爵?)


 二人の内の一人は、先程舞踏会場で見たばかりのネストル伯爵であった。そのまま回廊を西へ――舞踏会場とは反対の方向へと歩いていく。

 その後に続くのは三十代前後と思しき男だが、こちらは知らない顔だ。


「今なら、まだ帯剣もしていないでしょう。私でも」


「しかし、早まってはならない。あの方は頑迷だ」


「いいえ。全ては国のため。私は躊躇いません」


 言下に首を振る男の方がレイには頑迷に見えたが、やはり誰かは分からない。ネストルの部下だろうか。武人というにはどうにも線が細いが。


「……そうか。貴殿に双聖神のご加護のあらんことを」


 ネストルが男に祈る。そしてそのまま二人は階段に姿を消していった。

 それを壺の後ろから見送って、靴音も聞こえなくなってから、レイはやっと詰めていた息を吐き出した。


「何あれ?」


「さぁな」


 ヴァルが、呑気に前脚で顔を洗いながら答える。ヴァルは祖母と一緒で地獄耳だから、回廊に出てくる前の会話も聞こえていただろうに、興味はなさそうだ。

 同じくあまり真剣に身を隠していなかったハルウも、横に並んで適当に呟く。


「あの方って、誰のことだろうね」


「誰って……は!」


 そんなの知らないよ、と言おうとして、気付いた。

 舞踏会の帰りで帯剣しておらず、ネストルが「あの方」と呼ぶ頑迷な貴人。そんな人物、レイの中では一人しか思い当らない。


「やばい、先を越されてしまう!」


 レイは走った。ここが絢爛豪華な宮殿であることも一時忘れて走った。

 そして、数分後。


「……それでなんでこんなことになるの!?」


 湾曲した建物の二階の壁に張り付いて、夜の風に吹かれていた。

 足場は壁に浮彫装飾されたふちで、その幅はレイの足幅と競っている。

 時折足下からビュオォと風が吹き、無駄にドレープのついたドレスがまあ揺れる揺れる。


「身軽なのが唯一の取り柄だろ」


「そうだけど! そうじゃない!」


「頑張ってー。こっちはちゃんと見張ってるから」


 無責任なヴァルの発言に切実に返すと、ハルウまで気楽な声援をくれた。誰も分かってくれない。


(私が王女ってやっぱり嘘かなあ!?)


 先程までの舞踏会からの落差が激しい。

 しかしどんなに嘆いていても、この場から降りることはできない。何故なら、フェルゼリォンが確かにこの玉妃宮に入ったからだ。ヴァルがこっそり中を確認したところ、上階に向かったことが分かっている。


「三、四階は小劇場らしいから、行くなら二階だろ」


 そう言われて、最初は普通に追いかけようと思ったのだ。だがヴァルが誰かに会うようだと続けて、変更を余儀なくされた。もしかしたら、先程のネストルたちかもしれない。

 外で出てくるのを待ってもいいが、ここはフェルゼリォンの母の宮であり、幼少時には三人の子供たちの家でもあった。もしそのまま泊まることになれば、レイは朝まで待ちぼうけである。


(それは嫌っ)


 となると、まず中の様子を窺おうということになって、誰かが代表で覗き見することになった。

 ヴァルは身軽で小柄だが、空は飛べない。ハルウに至っては、武芸の嗜みもなければ神法も使えない。背ばかり高くて膂力は人並みときている。哀しい消去法であった。

 まずハルウが周囲の警戒につき、ヴァルが人と王証の気配を特定する。そしてレイが神法みほうで二階の壁の縁にしがみついたのだ。べったりと、七日目の蝉のように。


「早くしな」


「やりゃいいんでしょっ」


 足元からの苦情に、ぶつぶつ言いながら壁を横移動する。目的の硝子窓はすぐそこだ。燭台の明りでぼんやりと浮かび上がる室内の様子が見えた。音はあまり聞こえない。


(男の人が二人、かな)


 二脚のソファにテーブル、奥には空の暖炉が見える。寝台は見当たらないから、書斎か応接室といったところか。フェルゼリォンが扉の前に立ち、もう一人が窓に背を向ける形でソファに座っている。


(ネストル伯爵かな?)


 ともかく、ヴァルの推測通りのようだ。

 諦めて、神法の神言しんごんを詠み上げる。


「地上に留まりし慈悲深き神々が一柱、風の神アネモスよ。恩寵を賜りし眷属の精霊よ。恵みの一滴ひとしずくをこの手に分け与えたまえ」


 初めに枕詞まくらことば。力を借りる神様とその眷属に向けて、お願いと断りを述べる。


こいねがうはささめく小風、空気を震わせよ、音色おんしょく蕩揺とうよう


 続いて、神話や神識典ヴィヴロスから引用された、力を引き出すのに最も効率的に組み直した、丁寧で簡潔な祈りの言葉。


(熱い)


 言い終わると同時に、体中を流れる血の熱さが表面化してきたように意識に上る。

 神法は、天上に昇った第一の神々と、地上に留まった第二の神々に力を借りるのが基本となる。借りた力は血を媒介して世界に干渉し顕在化すると考えられ、その論拠は、人類が神々の血から誕生した故だという。


(本当は神様への祈りが大事だから、言葉は何でもいいって言うけど)


 それでも長年研究してきた協会が選んだ言葉だけあり、その効果は的確だ。

 特に四元素である水・土・火・風の神々は重要な要素で、神法と神法士を管轄する法科協会が編纂する基礎神言集の三分の一を占める。

 果たして、一呼吸する間もなくレイの周りの空気がゆっくりと震え出した。寄せる波のように周囲の音が大きくなり、窓の向こうの声も耳に届く。


「……に、王証なのか?」


「あぁ」


(王証!)


「本当に見付けてきたんだな」


 呆れと驚きが半々という感じの男性の声に、レイは即座に反応した。それに応じるように、フェルゼリォンがソファに歩み寄る。


「偶然みたいなものだけど」


「どこにあったんだ?」


「昔、湖に沈んだという西の国の都があるって聞いて、その水底に」


「……また、なぜそんな所に」


 はぁ、という溜息とともに呆れが強まる。レイも同意するとともに、『突然気配を現した』という祖母の言葉を思い出す。


(水の底に沈んでいたから、ずっとお祖母様でも探せなかったのかな)


「王家のお宝が沈んだままだっていう噂は前からあって、でも魔獣が棲みついて入れないっていうから、路銀を稼ぐついでに」


「お前は……もうそろそろ放浪癖を治して、きちんと学校に通え」


「学校で学ぶ分は大体終わってるから問題ない」


「周りが問題視しているという話だ」


「……兄上もか?」


 ついに大いに呆れた声に、フェルゼリォンが初めて少し情けない声を上げる。どうやら相手はネストル伯爵ではなく、六歳年上の同母兄、皇太子アドラーティらしい。小言が最早保護者である。


(それにしても、放浪癖って)


 どうやら第三皇子のくせにしょっちゅう城を空けているらしい。公務のある皇太子や第二皇子と違い、その立場は別格なのだろうか。


(先祖返りだからって、いい気なものね)


 ふん、と腹を立てる。その間に会話は一度途切れ、がさごそと衣擦れのような音が入る。何をしているのか首を伸ばす。壁を掴んだ指がぴりぴりしてきた。


(お、落ちそうぅ!)


 だがそのお陰で、フェルゼリォンの手元が見えた。背中かどこかに隠していたのか、生成りの布に包まれた細長い包みを取り出したところであった。


(あれが、王証?)


 硝子越しの目測のため正確ではないが、羽ペンほどの長さに拳よりも狭い幅の長方形のもののようだ。

 と考えて、あれ、と止まる。


(王証って、あんな形だっけ?)


 ユノーシェルの王証――神弓トクソは実用的な弓よりも寸胴だが、あそこまで真っ直ぐではない。下半分を切り落としたものでも同じはずだ。

 という疑問は、布が剥されて驚きに変わった。


(弓、じゃない!?)


 布の中から現れたのは、水晶のように透き通った蒼い刀身を持つ剣の刃先部分であった。


(何で!? ユノーシェルの王証じゃないのっ?)


 王証は、エングレンデル帝国にも伝わっている。サトゥヌスのものだ。それが剣の形をしていることも聞いたことはある。

 だが今回の話はセレニエル自身がレイに頼んだのだ。そんな単純な間違いをするとは思い難い。

 レイの混乱に答えが与えられないまま、室内の会話は進む。


王証それは、まだお前が持っていろ」


「父上にも報告しなくていいのか?」


 王証を布に戻すように手で示しながら、アドラーティが首を横に振る。


「それは、万が一誰かに知られて奪われれば最悪の火種になる。今の力関係を崩さないためにも、誰にも気取られてはならない」


 力関係という単語に、レイはレテ宮に入ってすぐヴァルに教え込まれた帝国内の相関図をどうにか頭に思い描いた。


 二妃制を取り入れたエングレンデル帝国ではあるが、両妃とその子供が常に仲良く手を取り合ってきたとは言い難い。特に妃の実家は外戚として議会での発言力が増し、その水面下では常に次期国王の座を巡って火花を散らしてきたという。

 しかも当代皇帝の二妃は共に六侯爵家の出身だが、その前に母である皇太后もまた六公爵が一つ、アウデンティア侯爵家の出身である。現在の発言力でいえばアウデンティア侯爵が一位で、次位を二家が争っているはずだ。


 そして現時点での皇太子は男系嫡子継承の法に則り嫡男のアドラーティだが、何かあれば第二子のリッテラートゥスになる。

 令妃の父や兄にあたるフィデス侯爵家にしてみれば、皇太子を何らかの不祥事で追い落とすか、逆により王たる資質があると証明する何かを示すしかない。


(そっか。王証を持ち帰ったとなれば、その資質は十分ってことか)


 そこまで考えて、おかしいと気付く。


(待って待って。そうなると、サトゥヌスの王証も本物は紛失してたか欠けてたってこと?)


 二つは隣国とは言え、サトゥヌスが聖国を出た時からずっと離れてたはずだ。別の場所で同じ現象が起こる理由が分からない。

 何故、と考え出した所にフェルゼリォンの声が小さく聞こえて、耳を戻す。集中し続けなければ、神法の効果が切れてしまう。


「なら、王証これはどうするんだ?」


「……お前が持っていてくれ。その間に、俺が懸念を排除する」


「だったら俺も」


「それはダメだ。お前は王証の秘密を守る事に専念しろ」


 意気込む弟を冷たく制して、アドラーティが拒絶する。その声はそれまでよりもどこか固く、深い決意を感じさせた。

 だがフェルゼリォンも強情な性質たちなのか、簡単には引き下がらなかった。


「兄上の言いたいことは分かる。だが兄上、痩せただろ。恨を詰めすぎだ」


「それを言うならフェルもだろ? 随分体が引き締まってきた」


 ふっと笑うアドラーティに、フェルゼリォンは一瞬怯みながらも、誤魔化されまいと声を張り上げる。


「俺はそんな話をしてるんじゃ」


「分かってる。――何かあれば、ラティオ侯爵家で落ち合う」


「兄上!」


「話は終わりだ。もう行け」


 言い募るフェルゼリォンの言葉を遮って、アドラーティが話を終わらせる。不満そうな声が聞こえたが、アドラーティが弟の頭を軽く押さえると、後には身じろぎの音だけが続いた。


「……分かった」


 不貞腐れた声と共に、フェルゼリォンの整った顔が窓側に向く。レイは慌てて首を引っ込めた。


(み、見られてないよね!?)


 心臓がばくばく言っている。慌てたせいで神法はすっかり霧散していた。


(どうしよう、もう一回覗く? それとももう下で待ち伏せした方がいいかな?)


 何となくだが、次に室内を見たら確実に目が合う気がした。


(さすがに覗き見は……バレない方がいいよね)


 うん、やめよう。

 代わりに足元を見て、ヴァルとハルウに合図を送る。飛び降りるくらいなら、レイなら神法は要らない。

 問題は。


(弓じゃなかったって言ったら、どうなるんだろう?)


 そもそものこの旅の意義が見失われそうな雲行きになってきた。


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