第3話 帝都ウルビス探索

 最初の八つの島の一つを起源に持つアイルティア大陸には、第一の神々である四双神を奉る四神殿が各地にある。

 それらは魔王が大陸を荒らし回った旧暦の間にほとんどが破壊されるか放置されて朽ちていったが、双聖神教が広まると同時に修繕、改築などされて再利用された。


 エングレンデル帝国の首都ウルビスのヘセド・エメス大神殿もその一つである。

 列柱が並ぶ正面を抜けて樫の重厚な扉を抜けると、アーチ型の高窓から注ぐ西日に照らされた幾つもの列柱が目に飛び込む。間には長椅子が整然と並べられ、うちの幾つかには敬虔に祈りを捧げている信徒の姿もある。

 身廊の終わりの交差廊には、高い天井から吊るされた楕円の中に双聖神降臨のレリーフがあり、訪れる者の誰もを自然と跪かせる神々しさを放っていた。


 レイもまた、他の信徒たちと同様に、左手で作った拳を右手で包み込み、口元にあてて祈りを捧げる。

 左手は心臓、右手は肉体を現しているとも言われるが、別の解釈では地上と天上、人と神、世界と無とも説がある。


「双聖神が一柱、女神ユノーシェル。我らが大聖母様。恵み深いあなたのお導きに感謝します」


 他国ではその地域によって様々な教派があるが、ユノーシェルを祖に持つプレブラント聖国では、特にユノーシェルを大いなる母として信仰している。レイも聖砦にいた頃から祖母に倣い、朝の目覚めから食事、仕事、そして再び眠るまで、折々に祈りを捧げてきた。

 いつもは自由気ままに勉強からも神法からも礼儀作法からも逃げていたレイではあるが、流石に祈りまでおろそかにすることはなかった。


(やっぱり、落ち着く)


 聖砦には一般的な神殿や教会の造りはなかったが、それでも祭壇を前にすれば、その静謐な空気は共通するものがある。

 レイは初めて訪れた都会に浮かれていた心が、すっと落ち着いていくのを感じていた。


(よし)


 目を開け、顔を上げる。すると今度は、レリーフと奥の祭壇の間に描かれた複雑な円陣が目に飛び込んでくる。

 四双神を現す八角形を囲む幾つかの同心円の間に、神々が使ったとされる最初にして失われた古語が書き込まれている。


(これが、双聖神が降臨されたかもしれない円陣オドス


 双聖神は、第一の神々に遣わされて地上に降臨なさる際、四神殿に描かれている円陣を通って地上に顕現なされたとされる。しかしその円陣と神殿がどれであったかはいまだ特定されておらず、各地の大神殿が我こそはと主張している。


(ここから、元の居場所に戻れたかもしれないのに)


 地上を救った英雄は、そうはしなかった。それが神の持つ憐みの心なのか、魔王の封印のためなのかは分からないが、レイには理解できない。


(私だったら、迷わず帰るけどな)


 母の元へ飛んでいって、今度こそ認めてもらえると期待して。

 とそこまで考えて、大前提が違うと気付く。

 そもそもユノーシェルは愛されていたのだろうから、わざわざそんなことをする必要はないのだ。


(しまった……)


 余計なことを考えて落ち込んでしまった。城に戻れもしない自分と英雄とを比べるなんて、不毛でしかない。


「レイ」


 気付けば俯いていたレイに、ハルウの声がかかる。円陣から顔を離すと、祭壇横に伸びる祭室から顔を出すハルウと目が合った。

 四神殿はその名の通り第一の神々を奉るため、祭室も四つある。双聖神教が使用するようになってからは、それぞれの祭室にユノーシェル、サトゥヌス、そして二柱に付き従った天使アスファリアス神仕カマリエラ二人ずつもまた同様に祀られている。

 特にエングレンデル帝国では、双聖神教の中でも大聖母ユノーシェルではなく神帝サトゥヌスこそを真の英雄と考えるサトゥヌス派が主流で、祭室の豪華さも別格だ。

 ハルウは、その最も豪華な祭室を先に確認していたようだ。


「いた?」


「いないみたいだね」


 円陣を踏まないように避けて辿り着くと、ハルウが首を横に振った。

 余談だが、最後の聖砦においてハルウだけは、一度も祈りを捧げているのを見たことがない。

 足元にいるヴァルは、他の信徒がいるために口を開かないが、同意見らしい。


「他の祭室と、神官も一通り見てみたけど、それらしい人物はいないね」


「法具を使うってことは、下っ端の修練士ではないはずだけど」


 大神殿ともなると、高価な法具も至る所に使用されている。神識典ヴィヴロスを読み上げる際の声の拡大や、高い位置につけられた燭台の点灯、高位の神官ともなれば着用する外套にもある程度の防御が彫言されることも多い。

 だが逆に言えば、個人的に使用するとなると下位ではありえないとも言える。そして神事の実務を担当し、教会を纏めることもできる司祭以上というには、あの男女はあまりに若すぎだ。


「神殿関係者、じゃないのかな」


「高位神官の放蕩息子って可能性もあるよ」


 双聖神教は、観想を主目的とする修練教会以外では男女の区別はなく、結婚も禁止していない。女でも司教になれるし、家族で宿坊に住む場合もある。


「となると、まだ神殿に出てない修練士とか?」


 もしそうであった場合、探すのは一苦労だ。

 大神殿の名は伊達ではなく、敷地内には本神殿以外にも施療院や孤児院、図書館に宿坊、司教邸に来客用の宿泊所、農園に家畜場などがひしめき合っている。

 六歳から十三歳までの子供に、読み書きや計算、礼儀や信仰を教える全学校スコリーオも隣接しているし、他にも様々な施設が複合的に巨大な空間を形成している。


「夜までに探すのはさすがに無理でしょ」


 本神殿までの道のりで見えた多すぎる建物群を思い出して、レイは思わず頭を抱えた。全学校や施療院のように開放的な建物もあるが、それ以外の多くは関係者以外立入禁止である。現実的ではない。


「……おい」


 うー、と唸っていると、足元からヴァルの小声が聞こえた。見ると、くいっと顎で外を示される。外で話そうということらしい。人目を避けて神殿の脇に出る。


「レイ、今日はここに泊まりな」


「えぇ? 泊まって夜な夜な家探しするの?」


 膨大な量に早速文句を言う。と「違う」と否定された。


「お前にそんな器用なことは期待してない」


「ひどい!」


「夜の間にあたいが建物を一つずつ見ていく。王証の気配はある程度近付けば分かるから、中に入らなくてもできる」


「あ、そうなの?」


 便利なものである。レイには分からないが、王証の気配とはきつめの香水のようなものであろうか。

 ともかく、こうしてレイは神殿で一夜の宿を借りることとなった。施療院は巡礼者以外にも孤児や寡婦、病人などの救済のために開放されている施設だ。一泊であれば、身分を明かす必要もないだろう。

 しかし。


「僕は市街に泊まるよ」


「え、何で?」


 記帳する段になって、ハルウはおもむろにそう言った。


「もう少し、見かけた周辺を探ってみるよ」


「でも、宿は?」


「大丈夫」


 まるで屈託なくそう笑うと、ハルウは腕輪をした手を振って引き留める間もなく神殿を後にした。確かに、今までの道中で宿を選定していたのはハルウだし、問題はないだろうが。


(そんなに神殿……っていうか、双聖神教が嫌いなのかな?)


 そのくせ、最後の巡礼地と言われる聖砦に居着いている。


「ヴァル。どうしよう」


「……ほっとけ」


 ハルウの背中を見送りつつ問いかけると、ヴァルが長い耳を寝かせて目を眇めた。


(友達……じゃないんだよね、この二人)


 ヴァルが排他主義だとは思っていないが、友達百人という性格でもないのは間違いない。

 結局、ハルウが見当違いなことをするわけでもなし、レイはそのまま施療院の世話になった。




 ヴァルが一晩かけて建物を見て回ってくれたが、それらしい気配は見付けられなかった。レイも施療院の手伝いをする傍ら出来る限り見て回ったが、それらしい人物は見付けられなかった。

 結局、昼過ぎには神殿を後にすると、待ち合わせの時間も決めていなかったのにハルウとすぐに落ち合った。


「いた?」


「いや」


 それだけの短い会話で、レイは途方に暮れた。

 そもそもセレニエルの感覚で方角を定めて出立したこの旅だが、ヴァルの感覚は直系のセレニエルに比べ随分弱い。

 帝都に入るまでは人や物が少なかったためにどうにか見失わないでいられたが、都内には複数の神殿や教会があり、とにかく人出が多い。圧倒的な物量の中でたった一つの小さな気配を探すと言うのは、それがたとえ唯一無二の存在でも至難である。


「どうしよ?」


 神法には風と光の神に祈って導きを願うものもあるが、そもそもの手掛りがなければ使えない。聞きながらも嫌な予感はしていた。

 果たして。


「地道に行くか」


「……やっぱり?」


 そういうことになった。

 例の男女が迷わず人目につかない路地を選んだことから、帝都に馴れていることは間違いない。法具を持っていることから、貧民の可能性も低い。などということを話し合いながら、再びウルビスを歩く。

 大通りを中心に綺麗に区画整理された露天商や飲食街、パン屋に薬屋、肉屋を始め、路地を行けば金細工師や羊皮紙工、鍛冶屋に毛織物など多種多様な店舗や工房が隙間なく軒を連ねている。かと思えば辻には花屋や道化師が立ち、飽きる暇がない。

 レイの目も耳も新鮮な経験を逃すまいと、初めて聞く鎚の音や道具や、馴染みのない油の匂いや工房の空気を、片っ端から拾っていった。


「エフティヒアは信仰の町だから、劇場や歓楽街はなかったしね」


「そう! だから楽しくって!」


「今日は寄り道するなよ」


「はーい……」


 ハルウの穏やかな笑顔にかぶせるように、すかさずヴァルの忠告が入る。さすがのレイも、二日連続で騒ぎを起こす気はない。

 それでも、三人で歩く新しい町は新鮮なことだらけで、レイは十分楽しかった。

 十六年間、聖砦と、その前に広がる信仰の町だけでレイの世界は完結していた。こんなにも華やかで賑やかで情報量の多い一日は初めてだった。

 のだが。


「……いないねぇ」


「全然だね」


 ヘセド・エメス大神殿側とは反対側の広場で腰を落ち着けながら、レイはどうしたものかと青空を振り仰いだ。

 度重なる拡張で三重の城壁を持つウルビスだが、内側の内郭だけなら早歩きで行けば半日と少しで一周できる。

 そしてヴァルは近寄れば判定できるが、生憎対象は建物ではなく動く人だ。闇雲に歩いてもとてもしらみ潰しとはいかない。


「いい加減諦めて、あそこ、行ってみたら?」


 ぴ、とハルウが指さすのは、昨日男女が法具で跳躍した先である。そちらは今日も重点的に探したし、ハルウも昨夜見て回っている。しかし唯一、踏み込めていない場所がある。

 古めかしくも頑丈な城壁に囲まれた巨大な建造物――レテ宮殿である。


「……でも、どう見ても城勤めって感じじゃなかったんだけど」


「それでも、王証の気配はあそこからするんだから仕方ないだろ」


 行きたくない一心で否定するが、言下に反論された。

 実際、王城の近くに差し掛かる度にヴァルが足を止めていたことには、レイも気付いていた。しかし気になるからと気軽に入れるような場所でもない。それは、一見するとただの黒猫のようなヴァルでも同様だ。


「本当に、間違いなく?」


「ユノーとサトゥヌスは元々ジオだから、気配が似ているのは当然だ。だが帝国での奴のつがいは人間の女だった。ここまで神気ディーオが濃いのは気になる」


 サトゥヌスはユノーシェルとの間に一男一女を設けているが、その数年後に国を出て、帝国皇女を妻に娶り帝位に就いている。二人の間に何があったかまでは歴史書は語らないが、一般的には国に対する思想の違いということになっている。

 ユノーシェルは国内の生命力を強くすることで国を守り、サトゥヌスは外敵を排除することで国を守ろうとした。とは言ってもこの辺になるとレイの苦手分野なので、はっきり言って興味は欠片もない。

 レイは仕方なく、最も穏便そうな提案をすることにした。


「忍び込む?」


「不法侵入で捕まって不戦条約違反でエレミエルに恥をかかせたきゃな」


「むぅ……!」


 いざとなったら神法で何とでもなるが、何とでもしない方がいいに越したことはない。


「諦めて、セレニエルに持たされた紹介状を使うんだな」


「……社交とか外交って、苦手」


「ちゃんと挨拶すれば大丈夫だよ」


「これでも十六歳なんだけど!?」


 笑顔で助言してくれたハルウだが、全く慰めになっていない。二人ともレイが赤子の時からいるせいで、いつまでも子ども扱いが抜けなくて困る。

 しかしこうしているうちに、再び日は傾き出す。あまり遅い時間に突然の来訪では、印象は良くはないだろう。

 レイは再び諦めと共に、疲労色濃いその足を踏み出した。


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