第2話 小さな決意
神殿が伝える創世神話によると、世界の始まりには『無』だけが在ったと云われている。
そこから原初の水、土、火、風が生まれ、第一、第二の神々が生まれた。神々は時に和し、時に争いながら、悠久の神代を生きた。
そうして現在の世界になるまでに世界は二度滅び、三度整えられた。世界が創られてからは四千年、神々が天上に昇ってからは千年の歳月が経ったと、神話にはある。
神代のことを確かめる術はない。けれど約五百年前の救国神話だけは、実際に起こった出来事として大陸各国の歴史に記されている。
曰く、地上に魔王が現れ、生きとし生けるものを荒らし回った。魔王の息は大地を汚し、雄叫びは生き物を狂わせた。これを憂えた天上の神々は、天上に昇ったあとに誕生した第三の神々の中から二柱の神を地上に遣わした。
後に英雄の双聖神と呼ばれる一対、狩猟の女神ユノーシェルと農耕の男神サトゥヌスである。
二柱は
王を失い彷徨う人々に乞われた二柱は、魔王を討伐後も地上に留まり、見るも無惨な廃墟がどこまでも続く中で二人、人の王となった。
それがプレブラント聖国の始まりである。
これを機に暦は
やがてサトゥヌスは聖国を離れ、西隣国の帝国へと身を移すのだが、それでも二人とも、生涯肌身離さず持っていた物がある。
それが、
英雄の死後、王証はそれぞれ次の王へと受け継がれ、現在でも即位式や結婚など、特別な儀式の時には王の身を飾り、それ以外ではずっと宝蔵庫に保管されているとされる。
表向きは。
「レイ。あなたにお願いしたいことがあります」
双聖神が魔王を討った際にできたと言われる
「な、なにを急に改まって」
レイはいつになく真面目な雰囲気に、びくびくしながら対面の椅子に座った。
(ユノーシェルの墓地の木々を片っ端から神法の練習台にしてたのがバレたのかと思ったけど)
この出だしならば、その可能性は低そうである。だが対面に座る二人の顔が怖すぎて、とても楽観視できる雰囲気ではない。
不安になる時の癖で、つい胸元に隠した首飾りの先に触れる。
「これは、第二王女であるあなたにしか頼めないことなのです」
(聖都にも帰れない厄介者の王女なのに?)
祖母の目に侮蔑の色が宿ったことは一度もないと知りながら、反射的にそんな言葉が喉元まで出かかった。
レイは現女王エレミエルの第二子として、聖都にある王城イリニス宮殿にて生まれた。だが諸事情により聖砦に引き取られたレイは、以降十六歳の現在に至るも、たった一度しか城で暮らしたことがなかった。王族の参列が求められる時には都度聖都に呼び戻されるが、それも年に数回あるかないか。
王城に暮らし、既に社交界デビューも済ませている妹とは大違いである。
(それもこれも全部私のためだって、分かってるけど)
付きまとう疎外感や劣等感はどうしようもなかった。つい、本心とは別のことを口走ってしまう。
「ラミア姉様やフォルナじゃダメなの?」
「ラミアーツェルは次期女王です。長期間城を空けることは難しいでしょう。フォルニエルは……こういったことに向いているとは思えません」
「世間知らずのお嬢様に失せ物探しは無理だろ」
セレニエルの遠回しの否定を、ヴァルが台無しにする。だが酷いのはその後だった。
「ま、世間知らずで言ったら、レイも大概だけどな」
「なっ、フォルナよりは全然マシでしょ!」
咄嗟に反論すると、セレニエルにくすくすと笑われた。母も祖母も赤みがかった亜麻色の髪に明るい
(まぁそもそも、お母様と世間話した記憶がないからかもだけど)
自分で自分を落としたあとで、いかんいかんと思考を元に戻す。
「で、頼みって、探し物なの? なに?」
レイは七歳の一時期に城で暮らしただけで、ほとんど聖砦から出たことがなかった。
行動範囲と言えば聖砦とその周りを囲む森一帯と、その中にある王墓、
どんな名目でも、外に出られると言うのはレイにとって大きな喜びであった。
だが、続けられた言葉はあまりにも衝撃的で。
「王証です」
「…………はい?」
耳を疑った。
王証と言えば、そのままプレブラント聖国の王であることを証明する天から授かった国宝である。サトゥヌスの王証が剣の形を模し
大きさは肘から指先ほど。実用性はないし、装飾性も他の宝物に比べれば素っ気ない程だが、ほんのりと赤く輝く中、中央に嵌められた紫色の宝石が印象的でよく覚えている。
「イリニス宮殿の宝蔵庫から盗まれた、とか?」
まさかと思いながら問う。もしそうであれば、国を揺るがす大事件だ。だが、セレニエルは「いいえ」と首を横に振った。
「正確には、王証の半分を探してほしいのです」
「…………」
益々分からなくなった。少なくともレイの記憶の中で、王証が真っ二つになったことはない。
「半分って、もう一個あるとか?」
「バカ。半分って言ったら半分だよ」
希望を込めて言っただけなのに、ヴァルに頭ごなしに小馬鹿にされた。
「だってこの前見た時は半分とかじゃなかったもん!」
「あれは
「へ?」
意想外なことばかりを立て続けに言われて、レイの単純な頭は早くも許容量ギリギリであった。
見かねたように、セレニエルが話を引き継ぐ。
「本物は、真ん中で一閃されたように、上半分しか残されていないのです。ヴァルの話によると、本物はユノーシェル女王陛下の娘であるフュエル女王陛下の代には、その姿になっていたそうです」
嘘か真か、ヴァルはユノーシェルの魔王討伐に従った当時の仲間で、軽く五百歳は超えていると聞いている。だが魔獣ではないし、もちろん猫でもないらしい。
他にレイが知っていることと言えば、名前が正式には『優・カナフ=ヴァルク』ということと、背中を撫でられるのが嫌いなことくらいだ。
(喋る猫のくせに)
そう言うと怒られるので言わないが、レイの感想は。
「えー、ホントにぃ?」
であった。ヴァルがくわりと牙を剥く。
「お前! またあたいの言うこと信じてないな!?」
「だって、魔王討伐に黒猫なんて描かれてないし」
聖都のイリニス宮殿にも双聖神の魔王討伐を題材にした絵画は幾つもあるが、仲間として黒猫の描写がされているものは皆無であった。
「あたいが描くなって言ったんだよ」
「それに体が小さい程寿命が短いのが生き物の普通なのに、おかしいじゃん?」
「だから
「でも改暦以降、
神話の中で語られる人類の誕生は、第二の神々である四季や四極たちが争った際に地上に落ちた十二滴の血からであるとされる。十二滴の血はそれぞれ六組の男女となり、神々の力の特徴を受け継いでいた。
人類の祖である六種族の始まりである。
その中でも、人の間にまた人がいるとまで言われた繁殖力の高さを有していた一族は人間種と呼ばれ、同じく長命種はその生命力の長さによりそう呼ばれた。
しかし六種族は神々が天上に昇ると同時に、それぞれの太古の島へと戻り、他種族との交流を絶った。その一つが、現在のアイルティア大陸だと云われている。
だがそれでも、他種族が他島に混じることは少なくなかった。そういった者は総じて奴隷として扱われることが多く、ユノーシェルは戦後、その解放にも尽力した。
「だから、六種族間の不可侵は暗黙の掟だっつっても、人っ子一人入り込まないわけないだろうが」
「習ってないもーん」
耳を塞いで聞こえないをするレイに、ヴァルが「この世間知らずが」と毒づく。だが聖国も他の国も現時点でその存在を確認、公表していないのだから、最早無知がというレベルではないはずである。
「さぁ。戯れるのもそこまでにして」
「どこがだい!?」
「お説教でしょこれ!?」
にこにこと話の腰を折ったセレニエルに、ヴァルとレイが揃って反論する。だがそれもまた慣れたもので、セレニエルは何も聞こえないように話を続けた。
「ずっと行方の掴めなかったその王証の下半分が、つい先ごろ、気配を現したのです」
「あ、それで」
「方角は絞れますが、女王かわたくしかヴァルが行かなければ、気配も品物の特定も難しいでしょう」
「聖騎士団だけじゃダメなの?」
「プレブラント聖国はその国の興りから、中立を守ってきました。他国への派兵はできないのです」
「え、国外なの?」
そこまで聞いてやっと、レイにも話の行く先が見えてきた。
プレブラント聖国は魔王から世界を救った英雄の国であり、
ユノーシェルを大聖母として崇める双聖信仰もこの五百年で大陸の半分まで広がり、そこに武力が加われば再び人の世に戦乱を招きかねない。聖国が中立を宣言するのに時間はかからなかった。
「じゃあ、お母様もお祖母様も簡単には動けないのね」
「そうです。けれどヴァルだけで行かせることもできません」
「それで、私なんだね」
やっと納得ができた。と同時に、その重責に先程までの勝気はすっかり引っ込んでしまった。
「王証がなぜ突然気配を表したのかは分かりませんが、何者かが王証をどこかから引き揚げたことは確かです。それが人間でも魔獣でも、王家以外に渡すことは許されません。あれは、ただの宝物ではないのですから」
「あれを悪用されたら、魔王が現代に蘇るかもしれないよ」
「魔王!?」
突然の発言に、思わず声を裏返していた。
魔王と言えば、双聖神に滅された存在ではないか。それが蘇るとは一体どういうことなのか。
「なんの冗談……」
「なんぞ言うかい」
戸惑うレイに、ヴァルが言下に否定する。
「魔王の正体は、孤独を司る第三の神のうちの一柱だ。
「対を、求めて……」
その言葉を、レイは知らず繰り返していた。セレニエルの物言いたげな視線に気付いて、慌てて話を戻す。
「でも、魔王は双聖神が倒したんじゃ」
「確かに存在は消滅した。だがそれは、魔王の神気を奪い取って、この地に封印したことを意味している」
「えっ!」
それは、衝撃の告白であった。当たり前に暮らしていた自分の足下にかつての魔王がいると言われて、平気な者はそういないはずだ。
そして同時に、別の事実にも気付く。
「もしかして、ここに聖砦があるのって」
「魔王を二度と蘇らせないためだ」
ヴァルの肯定に、レイは長年の疑問がついに氷解した。
だが神殿はすぐ近くにきちんとあるし、ユノーシェルの遺品が収められているのは聖都の大神殿だ。聖砦の存在理由がレイにはずっと謎だった。
「じゃあ、本物の王証の半分って、もしかして……」
「それは――」
「あぁ、
言い淀んだセレニエルの語尾を引き取って、ヴァルがしかつめらしく頷く。それで納得した。
「王証と斎王の力で、今まで魔王を抑えていたんだ」
それは神話の延長である救国神話が目の前に蘇るようで、恐怖と同時に隠し切れない興奮をレイにもたらした。
確かに、魔王を抑えるものなら、蘇らせることもできるのかもしれない。
「そんなことが出来る者は、今の世にはもうほとんどいないでしょう。それでも、外に出して良いものではありません」
長い睫毛を伏せて、セレニエルが首を横に振る。
「レイフィール」
「……はい」
久しぶりに愛称ではなく呼ばれ、自然と背筋が伸びる。
「大変なお願いだとは重々承知しています。それでも、あなたにしか頼めないのです。やってくれませんか?」
セレニエルはいつだって、レイの意思を尊重してくれる。母と一緒に暮らしたいと言った時も、泣いて帰ってきて閉じこもった時も。一度も何かを強制したり、責めたりはしなかった。
だが、それでも。
(できる、かな)
レイは最も近いエフティヒアの町でも、一人で出かけたことはない。勉強は神殿から派遣される女史に教えてもらっているがお世辞にも優秀とは言えないし、唯一得意な神法でも、目下の目標は制御だと言われ続けて九年経った。
ヴァルの批判が全くの的外れでないことを一番知っているのは、何よりレイ自身だ。とても国家――否、大陸の一大事である宝物を人知れず探し出す重責を成し遂げることが出来るとは、思えなかった。
そして、何より。
「……お母様も、ご存知なの?」
自分の能力値よりももっと信じられないものが、レイにはあった。それを見透かしたように、セレニエルが笑みに少しの苦みを乗せて頷く。
「えぇ、勿論。出来る限りの支援をします」
そう言って、セレニエルが優しく促す。頷く以外の道はないと、分かっていた。それでもまだまごついていたレイの背を押したのは、ヴァルの呆れたような声だった。
「母親が困ってるってんだから、ちゃっちゃと見付つけて、届けてやればいいだろ」
「!」
それは難しいはずの問題をあっけらかんと要約してみせた、実に単純な一言であった。まるで子供のお使いのような扱いだ。だがお陰で、レイの中の迷いも不思議と吹っ切れた。
「うん。私、やってみる」
本当はそんなに簡単ではないと、分かっている。それでも、気付けば笑顔が戻っていた。
(私が、お母様に届ける)
出来るかどうかは分からないけれど、やってみたいと思った。今は、それだけでいい。
「ありがとう。レイならきっとやり遂げるでしょう」
「うん!」
祖母の言葉を思い出しながら、レイは胸元に隠した首飾りに触れる。そこには、生まれてすぐに今は亡き曾祖母より贈られたという、黒色の雫型をした御守りがある。
聖砦の祭壇に飾られた宝玉を模したもので、サイズは半分ほどだが、実に精巧に作られている。肌身離さず持っているようにと言われ、実際今まで一度も手放したことはない。
今回祖母に見送られる時も、祝福という形で神の加護を授かった。第一、第二の神々に力を借りる神法と違い、祝福は第三の神々の言祝ぎを得るだけのささやかなものだが、聖砦の斎王が施したものだ。その効果は、彫言師の法具よりも強力であろう。
(お母様、お祖母様。私、やり遂げてみせるよ)
聖砦を出てから何度目とも知れない誓いを繰り返し、レイは顔を上げる。
眼前にはまだまだ見慣れないエングレンデル帝国の首都ウルビスの、西日に照らされた街並みが広がっていた。
「もうすぐ夜になるな」
「まだまだ春先だからね。日が暮れるのが早い」
疲れたようなヴァルの声に、ハルウが諦めがちに相槌を打つ。
あの後、建物の向こうに消えた男女を探して町中を走り回ったが、結局どこにも見付けられなかった。
「あれだけの美人だし、目立つと思うんだけどなぁ」
「そもそも目撃証言が性別不明とか、役立たずにも程があるだろ」
「仕方ないでしょっ。顔だけは綺麗だったんだもん!」
ヴァルのしつこい糾弾に、レイはそろそろ虚しくなってきた言い訳を口にする。何度も繰り返されたそれを止めたのは、相変わらずの笑顔を保つハルウであった。
「取りあえず、法具の使い手なら神殿を見てみるのが良いんじゃない?」
「ま、妥当な所だろうな」
明らかに渋った顔のレイに、ヴァルがしれっと相槌を打つ。逃げ場はなさそうである。
「何でもいいから、早く決めな。無が近付く」
ヴァルがそれまでの軽口を引っ込めて急かす。見上げれば、東の空には既に薄闇が迫り、星が瞬き始めていた。
(孤独な無が、今日も来る)
全ての存在が
「そうだね。無に捕まる前に、
輝きを増す星々を見上げながら、諦めの境地で溜息を零す。レイは意を決して足を踏み出した。
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