異世界の恐ろしさ

 俺たちは大きな町に来ていた。一ノ瀬と松田が、どうしてもホテルに泊まりたいと言ったから。確かに二人の言いたいこともわかる。俺たちはこの世界に来てからいつも車中泊だから。いくら車が大きいからって限度がある。たまにはゆっくり羽を伸ばしてなんの心配もせずに眠りたい。


 二人のわがままにアドミはいい顔をしなかったけれど、今までに見たことのないような豪華な宿に俺たちを案内した。こういうところに泊まれるなら最初から言ってくれればいいのに。頼りないガイドだ。


 俺たちはそれぞれ個室に通された。広々とした部屋で、豪華な調度品が飾られ――アドミがそう言ってた――清潔で静かで、何より久々に完全に一人になれた。


 各々部屋に引き上げて、久々の一人を満喫してから、俺たちは食事に行くことにした。ホテルに併設されたレストランで、ここも豪華絢爛。従業員も俺たちを見ても物珍しそうにしないし、なにを食べても俺たちの舌に合った。なにを食べているかは一切わからなかったけど。もちろんアドミに聞くなんて野暮なことはしない。アドミの馬鹿正直な説明のせいで何度も痛い目に合ったから。知らぬが仏ってやつだ。


 俺たちはこの世界にきて最高の食事を楽しんで、もう飲むことはないと誓った酒を飲むことにした。


 三人で乾杯して――アドミはいつもの如く眠くなって部屋に引き上げた――久々の酒をゆっくり味わっていると、一ノ瀬が不意に言った。


「あの娘めっちゃ可愛くね?」


 俺たちはどれのことを言ってるのかわからなかった。俺たちからしたら、どれも取って食われそうな怪物にしか見えないから。可愛いさのかけらもない。


「どれ?」


 でも、俺は優しく聞いてやった。もしかしたら、俺にもロマンスが訪れるかもしれないしね。


「よくわかんないのばっかだな」


 松田がボソッと呟く。俺もまだ見つけられない。


「ほら、あのスレンダーな青い肌した娘」


 一ノ瀬は誇らしげに指をさす。どんな素晴らしい娘がいるんだと必死になって探していると、松田が見つけたようだ。


「うーん」


 松田の好みではないようだ。いったいどんな娘なんだろう。俄然興味の湧いた俺は二人の視線の先を必死に探し、ついに見つけた。


「もしかして、あれ……? 確かに人間ぽいけど。あれ確実に人間じゃないぜ」


 どう見たってヤバい。一ノ瀬の趣味を疑う。


「そうかもしれなけど、好みだわ」


 俺はその言葉を聞いて、話すのを止めた。だって、人間という種族が自分たち三人しかいない状況で、何日も過ごして欲望が溜まってしまっているのがわかるから。俺だってそうだ。底知れる欲望を自らの手で何度も開放してきた。だから、人間っぽいなにかに反応してしまうのもわかる。でも、あの青い種族を可愛いなんて言うことはできない。体中から粘液を垂れ流し、全身にある目玉みたいなものを休むことなく動かしている種族は、少なくとも正常な地球の人類には受け入れられない。


「僕ちょっと話し掛けてくる」


 言語習得がドベなのに異常な自信を持って一ノ瀬は青いなにかに向かって行く。


「言葉通じねーぞ。アドミはいないし」


 いつになくまともなことを言う松田。いつもそうあってくれればいいのに。


「いや、なんとかなるって」


 なんでそんなに自信満々なの? この世界の言葉なん話せないのに! 俺は心の中で叫びながらも、一ノ瀬のことを見守ることにした。ナンパしに行く友人を誰が止めることを出来ようか。成功を祈るのが友達ってやつだろ? 少なくとも僕はそうしてもらいたい。


 一人佇む青いなにかに向かって、一ノ瀬が歩いて行く。人間という種族を見たことのないほかの種族が怪訝な顔をしながら一ノ瀬を見つめているが、一ノ瀬はその視線に気づかず突き進む。今にも食われるんじゃないかと冷や冷やする。そんなことは今まで一度もなかったけど。


「あ、なにか話してるっぽい」


 馬鹿にしたように松田が言った。


「あれ通じてんのか?」


 俺は多少心配しながら見つめていた。見つめていてはいたけれど、手助けしてやる気はない。俺と松田だってそこまでこの世界の言葉を話せるわけじゃないし、一ノ瀬も子供じゃない。俺たちがそこまで世話を焼いてやる必要はない。本当は面倒くさいだけだけど、それは口に出さない。


 十分ほどたってから、一ノ瀬はまた人混みをかき分けて俺たちの下へ帰ってきた。


「なんとかなったよ。向こうはなんかテレパシー的なの使えてさ、直接脳に話しかけてくる感じだった」


 随分ご都合主義な展開だ。


「それで?」


 松田は興味津々で一ノ瀬に話を聞く。


「この後、部屋に来ないかって言われた」


「マジ?」


 俺はこれ以上言葉が出なかった。完全にやばいやつだ。悪い予感しかしない。


「それは止めといたほうがいいぞ」


 さすが松田! やる時はやる男だ! 俺も後に続く。


「取って食われるかもしれないぞ」


「大丈夫だって。そんなことするわけないだろ」


 二人の言葉に何の意も介さず、青い怪物に目を向ける一ノ瀬。完全にご執心みたいだ――魔法でもかかったみたいに。


「あ、彼女行くみたいだ。後でな」


 もうだめそうだ。俺たちの手には負えない。一ノ瀬の心はあの青い怪物でいっぱいだ。


 一ノ瀬はさっさと青い怪物の方へ行ってしまう。


 俺は不安しかないし、なにも考えられそうにないから。松田ならなにか思いつくと思い聞いてみた。


「どうする?」


「俺はあの二人を応援するよ」


 でたよ。本気なのか冗談なのかわからないやつ。


「マジで? 止めたほうが良くね?」


「そんな無粋なことはしない」


 松田は本当に本気だった。いつも以上に光らせた純粋な瞳で一ノ瀬の方へ視線をやる。奇妙なカップルはもう店を出そうだ。


「そうか……」


 俺はアドミを呼びに行こうか迷っていた。


「でも、二人がなにをするのかは見に行く」


 松田の表情から、心配しているのか、なにが起きるのか純粋に興味があるのか、ゲスな気持ちからなのか察することが出来なかった。やっぱり松田はわかりにくい面倒なやつだ。


 松田はそそくさと二人の後を追いかける。


 しょうがない。アドミを呼ぶ暇もないし、なにかあったら二人でなんとかするしかないみたいだ。松田にその気があればだけど……。ダメそうだったら俺が一人でどうにかするしかない。なにもない事が一番だけど。


 腹をくくって、俺も松田について行った。


 俺たちが店の外に出ると、一ノ瀬たちはホテルの近くの茂みに消えていった。


「えー。あれ絶対にヤバいやつじゃね?」


 一ノ瀬が危険なんじゃないかというニュアンスを込めて俺は言った。


「一ノ瀬にそんな趣味があったとは」


 松田は心配する風もなく、ニコニコしながら二人の後を追っていく。松田の能天気な姿を見ていたら、大丈夫な気もしてくるけど、俺だけでもしっかりしていないと。


「でも、一ノ瀬が言ったわけじゃないだろ。口動かしてなかったぞ」


「まさか、あいつもエスパー?」


 松田はいつも通り突拍子のないことを言う。なんでもない時は面白いかもしれないけど、こう切迫している時にはただの戯言だ。俺が厳しく言ってやらないと。


「それはないな。だとしたら、あいつが一番コミュニケーション取れるはずだもん」


 気づけば俺の口からもしょうもない言葉が出てきていた。いつもふざけてるとこんなことになるんだ。


「確かに。あいつ、いつまでたってもここの言葉覚えないもんな」


 さすが松田。こいつも俺と同類。俺たちに真面目は似合わないのかもしれない。


 俺たちはコソコソと一ノ瀬を追った。


 今までの人生で一番緊張する時間かもしれない。僕らは薄暗いうっそうとした茂みを進んだ。ギリギリ、ホテルからの光で辺りが見える。


「なんか変な音聞こえない?」


 松田がなにかを聞きつけた。


「タコとかイカが動いてるような音がするぞ」


 俺にはなにも聞こえないけど、松田には聞こえている。これはヤバいやつだ。なにかが起こっている。たぶん、一ノ瀬にとって危険なことが。俺は松田に合図して、静かに二人の消えた茂みを覗いた……。


 俺の想像した以上に、月の光に照らされた空き地の真ん中で、衝撃的な出来事が繰り広げられていた。


「一ノ瀬食われかけてんじゃん!」


 青い怪物の頭の部分が触手みたいに伸びて、一ノ瀬を頭からしゃぶっている。


 俺はあまりにもグロテスクな光景に動けなかった。でも、そんな光景ももろともせずに、雄たけびを上げて松田が青い怪物にドロップキックした。俺はあんなにきれいなドロップキックを見たことがない。会心の一撃だった。高さ、威力、完成度、全てが完璧。


 松田の会心の一撃を受けて、一ノ瀬をしゃぶっていた触手が気持ちいい具合に勢いよく外れた。擬音をつけるとしたら「スポンッ!」だ。


 俺は根の生えたように動かなかった足を無理矢理動かし、一ノ瀬のもとに駆け付け声をかけた。


「大丈夫か!」


 助っ人としてはありきたりだけど、適切な言葉だったと思う。というかこれが精一杯。むしろ、声を出せたことに驚きだ。


「なにすんだよ! いいところだったのに!」


 俺の心配もよそに、一ノ瀬は状況を理解していないのかキレていた。今にも殴りそうな勢いだ。


「お前食われてたぞ!」


 俺は一ノ瀬の肩を必死に揺さぶる。


「は? 普通にキスしてただけだから」


 一ノ瀬は幸福な一時を思い出したようで、頬を上気させ、とろけそうな目をしている。こいつはもうダメかもしれない。


「あれ見てみろって」


 俺は錯乱する一ノ瀬の肩を優しく抱きながら青い怪物を指さす。一ノ瀬は不機嫌そうに青い怪物の方に視線をやった。そこには無数の触手をはやした青い生物がいた。最初に見た時とは大違いだ。あれは完全に魔物。善良な人々を欲望のままに食らう悪いやつだ。


 一ノ瀬は衝撃のあまり口がきけないようだった。無理もない。あんな怪物に心を奪われ、しゃぶられていたなんて、想像するだけでも身震いする。


「一ノ瀬、お前は本当にあんなのとキスしてたのか?」


 ドロップキックしたせいで泥まみれになった松田が言う。今までで一番かっこいいかもしれない。なんだったら、見せ場を全部持っていかれた。文句なしのMVPだ。


「いや、え? でも俺はスレンダーな俺好みの可愛い子と……」


 一ノ瀬の瞳はぐるぐると周り、どうにかして状況を整理しようとしていた。


 でも、それを邪魔するように青い触手が悲鳴のような声を上げる。一ノ瀬の瞳はしっかりと怪物を捉え、完全には正気を取り戻した。


「あれ怒ってね?」


「やべーよ! 食われる!」


「逃げるぞ!」


 俺たちは一目散にホテルまで駆けて行った。


 アドミをたたき起こしてホテルの従業員に事情を話したところ、あの青い触手はここらによく出る魔物らしかった。あんな見た目でも魔法を使って周囲に溶け込み、ちょろそうなやつを洗脳し誘いだして食うらしい。俺と松田はたまたまその洗脳が効かなかったから、一ノ瀬を助け出せたみたいだ。ということは一ノ瀬は洗脳に掛かりやすいちょろいやつだということだけどそれについては触れなかった――一ノ瀬にはつらい出来事だったはずだから。


 ホテルの従業員曰く、一度狩りに失敗したらここからは立ち去るらしく、ホテルに被害も出ていたので感謝された。なんだったら、お金までもらった。アドミが言うには、かなりの大金らしい。


 次の日、俺たちはそそくさとホテルを出た。いくらなんでも、もうあんなところにはいられない、嫌な記憶しかないからね。


 一ノ瀬はホテルを出てからも終始静かだった。いつものわけのわからないジョークも言わない。静かに機械のように運転し続けた。


 でも、殺風景な景色を見ながらボソッと呟いたのは確かだ。


「また会えるかな」


 もしかしたら一ノ瀬の洗脳は解けていないのかもしれない。




「てかさ、ここには人間っていないの」


 一ノ瀬がアドミに聞いた。一ノ瀬はまだあの怪物のことを忘れられないのかもしれない。それか単純に欲望の限界なのかもしれない。おそらく後者だろう。じゃなかったら問題だ。


「私が知っている限り、いないはずだよ。君たちみたいな種族は見たことない」


「なんか似てるやつでもいいからさ」


 どれだけ必死なんだよと言いたいところだけど、俺も完全に同意だった。俺たちはこの世界に来てから、あまりにも同性と一緒にいすぎた。たまには息抜きしたい。


「うーん。いないこともないけど……」


 アドミは言いづらそうに顔をしかめている。


「まじで! 教えて! どこにいるの! そこに行こう!」


 今まで黙っていた松田が勢いよく割って入ってきた。むっつりスケベめ。


「聞いてたのかよ! それと興味津々だな!」


 俺はまたしても完全に同意だったけど、思わず言った。一ノ瀬は運転しながら爆笑している。なにがそんなに可笑しいのかわからない。一ノ瀬だって、同じ気持ちだろうに。


「そんなに言うなら教えるけど、おすすめはしないよ」


 もったいぶるアドミ。


「大丈夫、大丈夫。俺けっこうなんでもいける」


 松田の趣向は初耳だったけど、なにも言わないでおいてやった。人の趣味はそれぞれだからね。


「君たちの三倍くらい大きくて――」


「ハイ却下」


 俺はアドミの話を遮って言った。一ノ瀬と松田も俺に同意するように頷いている。


「だから言ったろ? ここでは君たちは異様なんだよ。毛があるところとないところがあったり、同性同士で固まってたり――」


「誤解してる。好きでやってるわけじゃないからな。異性がいるならむさ苦しいこいつらといない」


 少し引っかかる言葉があったけど、一ノ瀬の言うとおりだ。確かにこのメンバーでいるのは楽しいけど、たまには可愛い娘と一緒に楽しいことをしたい。


「そうなんだ。また一つ勉強になったよ」


 理解したのか判然としないけどアドミは真剣な表情でそう言ってから、すぐに寝てしまった。


 俺たちはしばらく黙ったままだった。淡い希望を断ち切られたせいで、テンションが下がっていたんだと思う。俺はそんな仲間を鼓舞するために話をすることにした。俺のとっておきのやつだ。


「そう言えばさ」


「なに? なんか面白い話でもあんの?」


 なんの期待もしてないけど、と続きそうな調子だ。俺はそんな一ノ瀬に少し怒りを覚えながらも、話を続けた。俺は大人だからね。くだらないことで怒ったりしない。


「いや、ちょっとした豆知識なんだけどさ」


「言ってみ?」


 興味なさそうに外を見ていた松田も入ってきた。


「二人でそれが豆知識と言ってもいいものか判断してやるよ」


「なんでそんな上から目線なんだよ!」


 いちいち気の障ることを言うやつらだ。俺の豆知識を聞いて感嘆のあまり顎が外れても知らんぞ。


「俺たちさ、この世界に来て自分で欲望を発散するしか方法ないじゃん?」


「確かに」


 一ノ瀬が合いの手を入れる。


「一ノ瀬を除いてな」


 松田がぼそりと呟いて、一ノ瀬の傷を抉る。いつも通りたちが悪い。しかもこれは天然だ。天然で松田は人を傷つける。悪気がないからしょうがないけど。


「あれは忘れて! 洗脳されてただけなの!」


 一ノ瀬がわめいた。どうやら完全に洗脳は解けたみたいだ。


「まあ、それは置いておいて、地球じゃ昔動物を使って欲望を解消してたらしいのよ。どうしようもないときはね」


 俺は淡々と話を続ける。


「あー、もしかして羊?」


 松田がまたしてもぼそりと呟いた。一ノ瀬が変人でも見るような目で松田に視線を向ける。その視線の意味に松田は気づいていないのかニッコリ微笑み返していた。俺はそんなかみ合わない二人を無視して、話を続ける。


「それもあるんだけど、エイ」


「魚の?」


 一ノ瀬は怪訝な顔で俺を見つめる。


「それ。エイのあそこってなんかすごいらしーのよ。スパイラル状になってて絶妙なんだって。で、俺たちのいた世界ではエイのあそこみたいのを再現するのは技術上不可能らしいのよ」


「それ本当?」


 嘘吐きでも見るような目で俺を見る一ノ瀬。なんでこんなに疑り深いんだろう。まったく、仲間なんだから信用してほしいもんだ。


「マジ、マジ。江戸時代とかに打ち上げられたエイのあそこを使って欲望を発散してたのを描いた絵もあるくらいだから」


「お前なんなの?」


 一ノ瀬は呆れ返っていた。


「欲望に忠実な人なの」


 俺の言葉に車内は静まり返った。一ノ瀬は何事もなかったように車の運転に集中している。松田はつまらなそうに外の景色を眺めている。なんて話がいのないやつらだ。俺のとっておきの話をしてやったのに。聞く姿勢ってもんがなってないね。感嘆のため息か各種の一つあってもいいくらいだ。


「どうしたの? なにかあったの?」


 いつの間にか起きていたアドミが心配そうに訊ねた。確かにな、俺たちだいたいくだらない話してるからな。心配するのも無理ない。


「いや、俺たちの世界での欲望を解消する方法について話してた」


 あの話をなかったことにしたいのか黙ったままの二人の代わりに俺が教えてやった。


「君たちには立派な穴があるじゃないか。それでなんとかすればいいんじゃないのかい?」


 そう言ったアドミの瞳はそれはそれは純粋なものだった。


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