第2部 エピローグ1
清々しい朝だ。
道を歩きながら街路樹を見上げれば、もうすっかり銀杏の葉の色は黄色くなっていた。その落ち葉で歩道が黄色く染まっている。もう季節は秋なんだな。
……そういえば最近は「石」のことを考えてばかりで、他の色々なことに目を向ける余裕がなかった。家族にもずいぶん迷惑を掛けたし、学校にもあまり行っていなかった。
だけどこれからは違う。今のおれには目標がある。これからは、その目標に向かって生きていこう。
ああ、葉山から「石」の名称は正式に<石のような物体>に決まったと聞いたが……長い。おれの中であれは「石」だ。
秋に相応しい気持ちの良い陽気の中、おれは病院の門をくぐり、地方の大病院の中を進む。まだ早い時間だが、病院の内部は喧騒に包まれている。
おれは受付で目的の入院患者の部屋の番号を聞こうとするが……教えてくれない。入院しているかどうかすら教えてくれない。そうか、あいつは大事件に巻き込まれた中心人物だからか。きっと、記者たちから身を隠すために個人情報が保護されているのだろう。
おれは病院の外に出て自宅に電話すると、家族にあいつの病室番号を確認してから、再び病院内に入る。六一二号室。
エレベーターに乗って六階へ。そして案内板に従って六一二号室へ。
「裕一、久しぶり」
病室のドアは開いており、おれはその個室の中に入ると、何やらタブレットを弄っていて視線を下に向けていた裕一に声を掛ける。
「久臣! お前、大丈夫なのか⁉」
加藤祐一。縁市一家惨殺事件の唯一の生き残りにして「石」をおれに送ってきた張本人。
おれは久臣のベッドのそばの鉄パイプの折り畳みの椅子を作って答える。
「大丈夫なのか、はおれの台詞だよ。お前、大丈夫なのか?」
「ああ、ケガはもう大丈夫。障害も残らないって」
ケガのことも気になるが、それよりも、家族のこと。こいつは家族全員を失ってまだそれほどの時間も経っていないのだ。
だが、そのことを話題に出すのは憚られた。
「葉山さんから聞いた。お前、俺が送った「石」に触ったって。あの「石」は、宇宙に捨てられたとも聞いた。その……」
ああ、大丈夫っていうのはそのことか。そうだよな。「石」のせいで家族があんなことになって、またおれが「石」に触れたと知れば、心配になって当然だ。
裕一は強いやつだ。強くて、優しい、大きいやつだ。普通だったらこんな状況になったら、悲しみで目が塞がれて他のことを気に掛けることなど出来ない。少なくともおれには。
……そうか。これが葉山の言っていた物差しか。おれは他人の頭の良さばかり気にしていて、その他の魅力については見ようともしていなかった。
他人を浅く見ている、か……。確かにそうかもしれないな。おれは自分が友人の何に惹かれて友人になったのかにも気づいていなかった。
「お、おい、大丈夫か……?」
黙ってしまったおれを心配している裕一に対して、おれは苦笑して答える。
「大丈夫だよ。「石」がなくなったことは未だにショックだけど、もう落ち着いてる。おれのことなんて気にしないで、お前は自分のことだけ考えてればいい。一番大変なのはどう考えてもお前だろ」
「で、でも俺はあの「石」に取りつかれた人間の恐ろしさを見てる。お前までああなったら気が気じゃなくて。そもそもあの「石」をお前に送ったのは俺だから……」
なるほど、そう言われればそうだな。責任を感じてしまって当然の状況と言える。
だが、本当に心配はいらないのだ。おれはもう大丈夫。
「大丈夫だよ。もう本当に。「石」を取り戻す手段だってなくはないからな」
おれには目標が出来た。夢、と呼んでもいい。それは、おれが特別な存在に戻るための手段でもあり、再びあの「石」に近づくための手段でもある。
それを伝えてやることで、裕一のことを安心させてやるとしよう――。
「おれは宇宙飛行士を目指すことにしたよ」
・・・・・・・・・
「今回のアドミは命の危険がないアドミで良かったですね」
学校からの帰り道。私は隣を歩いている葉山君に今回の事件を振り返りながらそんなことを言う。
学校ではアドミについてのお話はほとんどできないから、必然的にこの学校からの帰り道になってしまいます。
「馬鹿言うな。俺にとっては今までで一番恐ろしいアドミだったよ。一瞬でも触ったら、未来永劫あの<石のような物体>の虜か? 恐ろしすぎるだろ」
「そっか、葉山君は不老不死ですからね。もし触ってたら……想像するだけでも恐ろしいですね」
怖い怖い。葉山君が未来永劫、<石のような物体>の守護者として人生を過ごすことになりかねなかったと思うと確かに恐ろしいです。もし、葉山君がそうなってたら……私は葉山君のために一体何ができたのかな。
「あの蘇我の野郎と<石のような物体>の取り合いを一生続けるなんて考えただけでもぞっとする」
「取り合い……私、思ったんですけど、葉山君はあのゲームのとき、蘇我さんを実際に追いかける必要はなかったんじゃないですか?」
葉山君はこの前蘇我さんに、時間稼ぎをしたかった、と言っていた。まぁ確かに、蘇我さんがもう一つの<石のような物体>に気付いて、何らかの方法で翌日十五時に迫ったロケットの打ち上げを邪魔しにくるのは葉山君にとって望ましくない展開だっていうのは分かるけど、わざわざ本当に蘇我さんのことを追いかけなくてもよかったんじゃないか、とも思う。だって、蘇我さんがどんな手段を使って逃げようとも、最初から午前十時には<石のような物体>は葉山君の元に……正確に言えば、種子島宇宙センターのロケットに戻るって分かってたんだから。
電話でそういうゲームをする、って伝えるだけでよくて、実際追う必要はなかったんじゃないかな。
「ん? ああ。あいつにはしこたま殴られたからな……ちょっとは仕返ししてやらねえと、俺の気が済まなかったんだよ。ただそれだけだ。あいつ、きっと自分がどうしてことごとく見つかるのか分からなくてビビってたぜ」
くくく、と葉山君は意地悪な笑みを浮かべて言った。
うわー、この人、絶対性格はSです。ドSです。蘇我さんに敗北を知らせるための電話をしてたときも、すっごく楽しそうな顔してたし。
あ、ちなみにあの蘇我君の居場所を突き止めるために連れてきたわんちゃんは、加藤さんの家の犬……最初にあの<石のような物体>を発見したわんちゃんだそうです。一次接触……犬。だからどれだけ蘇我さんが逃げても位置を特定出来たんですね。蘇我さんは必ず<石のような物体>とセットでいるはずだから。……車の中でも<石のような物体>の方向に向けてわんわん吠え続けてて、ちょっとうるさかったです。
「それにしても、田島先生の友達は、よく火星に送る荷物に変な石コロを加えることを許してくれましたね」
『火星にあなたの夢を』プロジェクトに当選した田島先生の友達……名前、なんだっけな。徳田さん、だっけ?(忘れちゃいました。知りたい人はこの物語の冒頭を参照してください)
「いや、あんまり気乗りしてなかったらしいぞ、もちろん」
「え、じゃあ、どうやって」
「そりゃお前、これの力よ」
そう言って葉山君は親指と人差し指で円を作ってOKサイン……ではなく、お金のサインを見せる。
あー、お金の力を使ったのか。汚いなさすがアドミニストレーターズ汚い。
「アドミニストレーターズの最大の武器はお金、ですか……そういえば蘇我さんから<石のような物体>を譲り受けるときもお金の力を使ってましたね……」
「人聞きの悪いことを言うな。あれは誠意だ。俺たちの誠意を金という人類不変の普遍的価値観に変換して相手に提示してるだけだ」
ファミレスのときも思ったけど、この人は口がよく回るなぁ。口喧嘩とか絶対負けなさそう。
「あー、そういや、俺もお前に聞きたかったことがあったんだ。それも二つ」
「なんですか?」
珍しい。葉山君から私に質問をしてくるなんて。いつもは大体私が質問したり話しかけたりして悲しい悲しい一方通行の関係なのに。
「一つ目は、お前の口座。今回の件の報酬をお前に振り込まないとな」
「あ、そういえば、報酬をくれるって言ってましたね」
「契約書が後からになって済まないんだが、日付を遡って契約するって体裁を取らせてくれ。そうしないと色々うるさくてな。明日持ってくるからサインを頼む」
「……? ええと、分かりました」
本当は何を言ってるのかは分からなかったのだけれど、社会のルールって複雑で難しいんだなあ、ということは分かった。
「で、二つ目は個人的なことなんだが……。お前さ、その……俺が不老不死だってことを聞いて、何も思わねえのか?」
「えっ?」
「だからよ……怖い、とか、不気味だ、とか、本当は二十六歳とかショック、とか……」
葉山君はさらに珍しく言いづらそうに私に言うと、気まずそうに顔を逸らす。
私はちょっと考える。もちろん、衝撃の事実ではあったけど、今葉山君が言ったようなことは感じなかったのは間違いない。
「うーん……その話をする前の葉山君と、した後の葉山君は何か変わったんですか?」
「いや……そりゃ、特には」
「じゃあ、私も何にも変わらないです。いつも通りですよ」
にこりと笑って私は葉山君に言う。そんなこと、簡単で当たり前のことだと思う。
「そう、か。すまん、変なこと聞いたな」
「あ。ひょっとして、葉山君、私に嫌われてるかもしれない、って心配したんですかー?」
「ち、違う。勘違いするな。もし何も気にしてないんならお前は変なやつだな、と思っただけだ」
葉山君は私の質問に顔を逸らして答えたけれど、それはどう考えても照れ隠しで。
「はいはい。ツンデレってやつですよね? うふふ、意外と葉山君って可愛いところありますねー♪」
葉山君にこんな一面があるなんて驚きです。この人、全然他人に興味がなくて、私なんて葉山君にとっては同級生Aくらいにしか思われてないかもしれない、って思っていたけれど、そんなことはなさそうで、私は単純に嬉しかった。すごく、嬉しかった。
あ、でも、そういえば鹿井君のことも尊敬してるって蘇我さんに言ってたし、葉山君は他人に興味がないんじゃなくて、単に恥ずかしがりやなだけなのかも……。
「やめろ! そういうんじゃない! ああくそ、お前にはバラすんじゃなかった……」
「ふふー、また心にもないことを♪」
私の言葉に葉山君は何も答えずに、顔を逸らしてただ少しだけ早足で歩き始めた。
私は初めて葉山君より優位に立てたことに嬉しさを感じつつ、その足取りに歩調を合わせて横を歩く。
「ね、葉山君の夢、ってなんですか?」
しばらくはお互いに無言で道を歩いていたけれど、ふと、不老不死の話をして、ゲイリーさんの言っていたことを思い出したので訊ねた。
『俺たちみたいな一次接触者は、もう普通の社会には絶対に馴染めない。日ごとに顔と性別が変わる人間が、普通の社会でどうやって生きればいい?』
『あいつはアドミに関わってから家族も失い、友人も失い、夢も失い、組織には実験動物にされ、自分の生きる意味や価値を失って、一時期は絶望の淵にいた』
……確かに、不老不死になってしまったら、普通の会社に就職なんて出来ないと思う。入って数年はいいかもしれないけど、十数年もすれば老けないことがおかしいと思われるし、ケガなんてしようものなら翌日に治ってしまうことを隠し続けなければならない。
葉山君が諦めた元々の夢は、一体なんだったのだろう。何となく気になって聞いてみた。
「俺の夢? 夢っつーか、目標はある。死ぬことだ。俺は、俺を殺せるアドミを探しだすためにこの仕事を続けてる」
葉山君はさらりとそんなことを言う。聞き方がまずかったか、私の望んでいた昔の夢とは違う答えが返ってきたけれど。
「……悲しいこと言いますね」
私はそのまま会話を続けることにした。
「地球が終わっても、宇宙が終わっても続く命の方が悲しいと思うがな」
「そういう難しい話じゃなくて、私は単純に葉山君が死んだら悲しい、っていうだけです」
私の答えに、葉山君は虚を突かれたような表情を見せた。……あれ? 今、私恥ずかしいこと言った? いえ、友達が死んだら悲しいなんて当たり前だから、別に恥ずかしくないよね?
あ、でもなんか、自分の好意みたいなものを露わにしたみたいで、やっぱり少し恥ずかしいかも……。
「そうか。俺が死んで悲しむやつがいるのか。あんまりそういうこと考えたことなかったな」
「いますよ、もちろん……」
私だって悲しいし、鹿井君だってももちゃんだって間違いなく悲しむ。ゲイリーさんだって葉山君のことを心配していた。
「あ。じゃあ、こうしませんか? 今回、私、報酬なんていりません。その代わり、一つ私と約束してください」
「あ?」
「葉山君がもし死ぬ方法を見つけても、私が生きてる限りは死なないでください」
「……………………」
私の提案に、葉山君は黙ってしまった。葉山君はしばらく考え込んでから、ゆっくりと答えを言う。
「悪いが、報酬はいらない、ってのは駄目だ。最初に払うと約束したし、お前にタダ働きさせるわけにはいかねえ」
「そう、ですか」
葉山君って、そういうところすごく律義だよね。約束とか信義とか。それは葉山君の長所だとは思うけれど。
「でも、まぁ……」
葉山君は頭を掻きながら空を見て言う。
「約束は出来ねえけど、考えておくことにするよ」
「それで充分ですっ」
葉山君が死んだら悲しい人がいる、っていうことを知ってもらえただけで、今は十分だと思います。
「っていうか、私が聞きたかったのは、今の夢じゃなくて葉山君の昔の夢なんですけど?」
と、そこで私は話を戻して葉山君に昔の夢の話を聞くことにした。
「人に夢を尋ねるなら、まず自分の夢を語ったらどうだ?」
と、葉山君はまるで名乗りの礼儀のようなことを私に言ってくる。
「私ですか? 私は保育士になりたいです。子供、好きなんです」
と、聞かれたので私は答えたのだけれど、葉山君は驚いた表情で私のことを見てくる。ん? ひょっとしてこの人、人が他人に夢を語ったりするなんて、そんなことあり得ないとか思ってたのかな? やっぱり恥ずかしがりやなの? この人。
「そうか、それは立派な夢だな。これからも夢に向かって邁進してくれ」
「はいっ」
「………………」
葉山君は私の夢に対してごく一般的で面白みのない感想を言うと、そのまますたすたと歩き始める。
「ちょっと! 次は葉山君の番ですよ!」
「あ? なんで俺がお前に自分の夢を言わなくちゃいけないんだ?」
「私には言わせておいてそれはないでしょ! 人としてどうなんですか!」
「あー、分かった、分かったよ……言うよ。ただ、約束してくれ」
「はい?」
「誰にも言うな。それと、笑うなよ?」
「はい」
「絶対に笑うなよ?」
「笑いませんって」
葉山君は、一体何が恥ずかしいのか、やたらと念を押してくる。
「………うし」
「え?」
葉山君は小さな声で呟くけれども、私は聞き取れずにもう一度聞く。
そして、夕焼け空を見上げながら、ぽつりともう一度呟いた。
「……宇宙飛行士」
きっと、葉山君は夕焼け空を見ていたのではなくて想いを馳せていたのだと思う。
三十八万キロ先か、あるいは七千五百万キロ先の彼方の星に――。
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