第2部 第5章

 時刻は十五時に差し掛かろうとしていた。勝負が終わってから約四時間。


 おれは走っていた。


 もう心も体も限界を超えていたが、怒りだけがおれの身体を支えていた。


 「石」を取り返さなければならないが、それ以上に葉山を、葉山のことを許せない。許すわけにはいかない。


今現在「石」ははるか遠くにある。それが分かっているので、まずは葉山を問い詰めなければ。「石」をどこへやったのか。そして、どうやっておれから「石」を奪ったのか。


おれは先日訪れた葉山のアパートへやってくると、ノックもせずにその玄関のドアノブを捻る……驚いたことに、鍵は開いていた。


 おれは勢いよく部屋の中に踏み込むと、キッチンを抜けてリビングに通じるドアを思い切り開く。




「葉山ぁ……!」




 リビングの中には、ベッドに寝ころびながらテレビを見る葉山と、ちょこんと床に座る四条さんが居た。


 おれが部屋に入ってきたことに驚いて、四条さんはおれの方を向くが、葉山はベッドに寝転がったままテレビにくぎ付けになっている。


 そのテレビは……なんだ? なんの番組かは分からないが、アナウンサーがさぁ、いよいよ時間が迫ってまいりました。五分前です! などと興奮した様子で言っている。




「よう、来るかもとは思ってたぞ。まぁ、座れよ。今良いところなんだ」


「「石」をどこへやった!」


「お前、分かるんじゃねえの?」


「ふざけるな! お前がどこかへやったんだろ!」


「……………………」




 葉山は答えない。まるで続きを言うかどうかを迷っているように。




「お前、あの「石」をぶっ壊したことあるか?」




 そして、おれの質問に対して全く関係ない質問を返してきた。




「そんなことあるわけないだろ! おれの質問に……」


「まぁ、お前は「石」が大好きだもんなぁ……。でも俺は違うからな。ぶっ壊したんだよ。お前から「石」を奪ったその日にな。あ、石を奪った日ってのは、今日のことじゃないぜ。前にお前の部屋から泥棒したときの話だ」


「なに……?」




 石を、ぶっ壊した、だと? だが、おれが海で見つけた「石」は、大きさは変わらなかったはずだ。壊れてなどいなかった……いや、強いて言うなら、少しだけ変形していたか? 海の中で転がって削れてしまったのかと思っていたが。




「嘘をつくな! それに、その話は今……」


「まぁ聞けよ。あの「石」はぶっ壊れても再生するんだ。あの「石」みたいな存在の総称をアドミって言ってな。大概のアドミはぶっ壊しても再生する。時間はまちまちだがな。あの石の場合は大体四日だ」


「なに? アドミ……?」




 あの「石」のような存在が他にもあるというのか。だが、そんな話は今はどうでもいいんだ。おれが知りたいのはそんなことじゃない。




「再生するときは、最も大きい破片が元の形に再生して、その瞬間に小さい破片は消滅する。大体のアドミがそういう再生の仕方で、あの「石」も同じだったよ」


「…………」


「お前も知ってるかもしれないが、俺はあの「石」を海に捨てた。だけど、もしものときのために、捨てる前に「石」を二つに割っておいた。小さい方の「石」には、よく似た材質のただの石コロを溶かして周囲にくっつけて、元の「石」っぽい大きさに戻したあと、外側を削って形を整えた」




 なんだ? つまり、どういうことだ?




「二つに割った「石」のうち、小さい方の「石」は海に捨てたが、大きい方の「石」は俺が持ったままだった。お前が拾ったのは、俺が海に捨てた小さい方の「石」だ。お前が感知できる「石」はどうやら一番近くにある「石」の破片らしいな。一番大きい「石」を探知出来たり、複数の「石」を探知出来たりしたのなら、結果は変わってたかもしれねえな」




 話が、少しずつ、見えてきた。


 つまりおれは……おれは……。




「「石」は四日で再生して、小さい方の「石」は消滅する……。今日の午前十時頃がちょうど俺が石を壊してから四日だった。つまり、鬼ごっこの最中に大きい「石」が元通りに再生して、お前の持っていた小さな「石」はその瞬間消滅したってことだ」




 だから、約束の時間が来たとき、お前の持っていた「石」は普通の石の部分を除いてなくなってたんだ、と葉山は言う。




「ふざけるな! じゃあ、あの勝負は一体何のための勝負だったんだ!」




 おれは、全く勝ち目のない、意味のない勝負をさせられていたということじゃないか。そんなことは許せない。認められない。




「んー……暇つぶし?」


「お前、お前は……!」




 俺はベッドで寝ころんでテレビを見ながら言う葉山に頭が沸騰しそうになったが、葉山が慌てて次の言葉を言ったことで踏みとどまる。




「待て待て、冗談だよ冗談。慌てるな……。あの勝負は俺が「石」を捨てるまでのただの時間稼ぎだよ。ほら、お前って「石」を一日中眺めてんだろ? 「石」の違和感に気付いて、もう一つの「石」の存在にも気付かれたりしたら面倒くさかったからな……」


「捨てるまでの時間稼ぎ……? 今「石」はどこにあるっていうんだ!」




 「石」を捨てる。


 その発言だけでも万死に値する罪の深さだったが、葉山が「石」の場所を言うのなら一等くらいは減じてやってもいい。


 葉山は寝ころびながらテレビの画面を指さして、言葉を続ける。




「知ってるか? 『火星にあなたの夢を』プロジェクト」




 葉山が指さしたテレビの画面には何やらやたら細長くて大きな物体……ロケット? が映し出されていた。


 アナウンサーが、打ち上げ一分前となりました! などと騒いでいる。




「は? 何を言ってる?」


「今日の十五時ちょうどにJAEXAが打ち上げる火星探査機に、好きなものを詰め込んで持っていける、ってプロジェクトだよ。聞いたことないか?」




 ……そういえば、なにか新聞かインターネットでそんな話を聞いたことがある気がする。




「すごい倍率だったんだが、俺の知り合いの知り合いがそれに当選しててな……JAEXAとその知り合いに頼み込んで、打ち上げ二日前でギリギリだったけどどうにかねじ込んで入れてもらったよ。どうしても火星に持っていきたいものが増えたんです! って泣きながら頼んでくれたから、JAEXAも無下には出来なかったみたいだな。ちょっとだけ重量が増えるのが問題かと思ったが、あの程度なら大丈夫だったらしい」




 ねじ込んで入れてもらった。葉山はその目的語を言わない。何を、何をねじ込んで入れてもらったというんだ。


 動機が激しくなってくる。




「いや、今日良い天気で良かった、マジで。打ち上げ延期になったら面倒くさかったからな」




 なんでだ、なんでそんなことをする。


 おれが、愛してやまない「石」を。どこの誰よりも大切な「石」を。




「お前に知られたら、何が何でも打ち上げを延期させようとしただろうからな……爆破予告されたり発射場に立て籠もられたりしたら面倒だから、鬼ごっこで時間稼ぎさせてもらった」




 嘘だ。


 アナウンサーがカウントダウンをしている。


 五、四、三、二……。




「嘘だ。嘘だ」




 一。




「つまり、お前の愛しちゃってる「石」は、あのロケットの中だ」


「嘘だあああああああああああああああ!」




 零。




 それと同時に、ロケットがものすごい噴煙をあげて天へ向かって加速していく。


 ロケットは、重力に引っ張られる力をものともせずに、ものすごい加速力で地表から離れていき、あっという間に米粒のような大きさへとなって空の彼方へ消えていった。


 おれはその場に膝をつく。葉山の言っていることは嘘じゃない。


 目を瞑れば「石」がとんでもない速度で空の方向に離れていくのが分かる。おれにはそれが分かってしまう。だからこそ絶望しかなかった。


 「石」は地球を離れて火星へと旅立ってしまった。




「くそ……ちくしょう……」


「打ち上げ成功。はい、拍手ー」




 葉山はそんなことを言いながらベッドに座りなおすと拍手をし始める。ひょっとしたら四条さんに言ったのかもしれなかったが、四条さんはちょこんと座ったまま拍手もしない。


 そして葉山はテレビをリモコンで消すと、おれの方を向く。




「おれは……お前の手のひらの上で踊ってただけか。全部最初から計算の上だったのか……馬鹿にしやがって……」




 悔しい。「石」を失ったことの次に……いや、「石」を失ったことと同じくらい、葉山に完全に敗北したことの方が悔しかった。




「馬鹿にはしてねえよ」


「嘘をつくな……おれのことを見下しているんだろう……こいつは結局、おれより馬鹿なやつだった、おれが特別で、お前は普通だ、ってな……」




 おれの言葉を聞いた葉山はため息をついてから言う。




「特別ねえ。分からねえな」


「なに……?」


「俺には分からねえ。頭が良いやつってのは、そんな風に人を見下せるほど偉いのかねえ」




 俺は別に、自分のことを頭良いとも思ってねえけどな、と葉山は付け加える。




「なんだって……?」


「一つの物差ししか持ってないお前は、結局、他人を浅くしか見てねえってことだよ。例えば俺の友人には、とんでもねえ馬鹿だけどあっという間に誰とでも仲良くなれちまうやつがいる。俺にとってはすごいやつだし尊敬できるやつだけど、お前にとってはただの馬鹿としか映らないんだろうな」


「……………………」


「ちなみに俺がお前より優れてたのは頭の良さじゃなくて、アドミに対する執着だけだ」




 もし確保できなかったら、上司にひどい目に遭わされるからな、と、葉山は冗談っぽく笑って言った。


 ……その笑顔を見て悟った。


 余裕。こいつには常に余裕があった。ファミレスのときも、ここでこいつを殴ったときも、鬼ごっこのときも。


 今回のことは、こいつにとっては何も特別なことじゃない。これがこいつの日常なのか。おれとはステージが違う。おれは常に必死だった。そこからしておれとこいつには差があった。


 物差しがどうとか言われても、おれには分からない。おれの自信の根源は、自分の能力なのだから。おれにはそれしかないのだから。そのことだけに、絶対の自信を持って生きてきたのだから。




「くそ……ちくしょう……!」




 生まれて初めて味わう敗北感、無力感。挫折感……そして喪失感。床に突っ伏して、地面を殴りつける。行き場のない怒りと「石」をもう手に入れられない現実を受け入れられない心。そういうものが一緒くたになり、おれの心を苛んだ。




「……特別になりたいのか」




 葉山はそんなおれの側に腰を下ろして、真面目な顔で呟いた。




「一つだけ知ってるぜ。誰もが認める「特別」になれる方法。そしてそれは「石」を取り戻せる可能性のある唯一の方法でもある」


「なに……?」




 葉山はその方法を、ゆっくりと話し始めた。

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