第三話『氷室の社にて』

 タケルは驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。なぜなら、今から結界を張ると言った静が、社を中心とした敷地の四隅に御札のようなものを水で清めて置き、そして何かの呪文を唱えただけで結界が完成してしまったからだ。

 たったこれだけで、全く見た目も何も変わっていないというのに、この結界を張ってさえしまえば、この周りに近づいて来る人はいなくなるのである。一体どういった理屈でこの周りに人が近づかなくなるのか、結界を張ることができる術者でも近づけなくなるようで、というより彼らですら結界の存在に気付ける者は殆どいない。つまり、まだ誰もよくわかっていないという。

 静の実家の神社の分社だというこの場所には、竜吾が朝早くに送って来てくれた。タケルには、神聖な空気というものはわからなかったのだが、敷地内に足を踏み入れた瞬間に、これがきっと神聖な空気だと言うのだろうという事を察した。しんと静まり返った空間が、とても清らかなもののように感じられたからだ。

 分社、とは言うがしっかりとした由緒ある神社らしく、この間見たばかりの山の社とは規模が全く違っていた。

 一之鳥居、二之鳥居と一つ、また一つ鳥居をくぐり抜ける度に、どこか張り詰めた空気、しかしここにいれば何も恐れることがないというような、安心させるような空気が漂っている。それ故に本殿はそれなりに立派なもので、荘厳な雰囲気を醸し出していた。その前でタケルは久々に、自分の家の祭壇以外で手を合わせた。何かの思いがあって手を合わせたのではなく、ここまで来た道のりの雰囲気を見て、この本殿を見た以上、手を合わせねばならないなと義務感に駆られ、とりあえず手を合わせたのだった。

 この神社は木々に囲まれてはおらず、街の少し外れたところにある街の守り神として親しまれてきた神社だと静が説明をしてくれた。その静が張った結界というのは、本殿から少し外れた場所にある、ちょっとした神事を行うために建てられた社の前の広場だった。

 昨晩家に帰り、静が特訓をしてくれるという話を竜吾にすると、嬉しそうに笑って、静さんになら任せられます、彼女は今世代一の七賢『氷』最高の使い手ですからね、と龍太郎とは真逆で褒めるような言葉を言っていた。竜吾は午前中は休みだったようで、授業参観ではないですが、ちょっと気になるので見に行ってみますかと言うと、車から降りるとタケルとミコトと共に、鳥居の前に待っていた静の所へと歩いていったのだ。

 二人以外の人物が来たことに静は最初目を細めて、明らかに嫌そうな顔をしていたのだが、それが龍太郎ではないという事を認めると、まあいいかと黙認したようだった。

 結界を張り終え、準備が出来たのかじゃあ始めるわねという言葉の後に、タケルとミコトは、竜吾の言っていた最高の使い手という言葉に納得するのだった。

 まず彼女が見せてくれたのは、何も無い場所から氷を生み出し、その氷の形を自在に変え、様々な武器を作り出した。次にお店で貰える氷が入った袋を持ってくると、その氷を指先一本で操り、用意されていた木の板に、鉄砲の弾を撃つように穴を開けてしまった。まるで魔法みたいだ、とタケルが呟いた。

 そう、今まで非現実的なものを見てこなかったタケルにとってはただ美しい魔法のように見えていた。だがこれは、魔法等の類ではない、元は人々の暮らしを豊かにするために、神が与えた、人間が生きるために行う暮らしの所作と同義ものなのだと伝えられている。そんなことはとうにわかっている竜吾ですら、静の生み出す美しき氷の造形には、所作以外の何かがあると見とれつつも考えていた。陽の光を受けて硝子や宝石の類だと言わんばかりに輝きを放ち、暖かいこの季節で日中に存在する氷には、そう思わせるだけの魔力があった。

 これだけじゃないわと、手水舎の水を触れただけで凍りつかせてしまった。そしてその氷を水の曲芸をするかの如く、氷に触れていた手を空中に払うような仕草をすると、なんと霙のようなものがタケル達の前に降り注いだ。


「ここには手水舎の水しかないけど、川とか、海も一部だけなら思いのままに凍らせて、まあやろうと思えば雪だって降らせることができるわ。これが『氷』の力。ただ、私の"始祖の血"は形あるものを生み出せるけど、あなた達二人のもつ"始祖の血"は形ないもの、だから今見せたのはあくまで例よ、どう使いこなすかは自分次第ってとこよ」


 そう言われて、タケルは右手を見つめた。そこには先日負った傷が治りかけてはいたが、それが彼自身が"始祖の血"を使った確かな証拠だった。形ないもの、あの時"闇"は矢となり、神を封じ込めたが、その『闇』はその後、夜の闇に溶けるようにして消え去ったのだ。

 そして、たった今静が凍らせたばかりの氷達は陽の光が当たっているが故に、水滴を滴らせてはいるものの、一瞬で蒸発する訳ではなく、確かにその場所に形あるものとして存在していた。"始祖の血"という同じ括りの力の中でも、こんなにも違うものがあるのかと驚きを隠せなかった。


「静さん、残りの七賢の"始祖の血"にはどんなものがあるんですか?」


 静は、さてどう説明すればいいのかしらと頭を捻ったが説明をしてくれた。


「七賢には私の『氷』、タケルくんの『闇』、その他に『光』、『音』、『風』、『雷』。そして最後の一つはどこの文献にも、どこの伝承にもどんな力なのか記録が残されていない、謎の力とされているわ。ただ一説ではは、その力を持つ者は一切人の前には現れず、王と認めるものにしか仕えなかった一族と言われているけど、もう一族は全滅したとも言われているの、っていうのはまあ、この国の人みんなが知っているおとぎ話のようなものなんだけど、ほんとに竜吾も龍太郎も何も教えていなかったのね」


 少し呆れたように呟いたその言葉を聞いた竜吾が、申し訳ないです、と頭を下げた。


「責めてるわけじゃないわよ、詳しくは知らないけどそうせざるを得ない状況下で育っていた事は何となくわかっているから」


 静は優しく微笑みながら、しかし何かを知っているような口ぶりで言った。

 誰もが知っているおとぎ話のようなものと言われたが、そもそも誰もが知っているようなものを自分は知らなかったのかと、タケルは驚きもありつつ、少し悲しかった。確かに自分は神というものを信じていないが、その"始祖の血"という力がどう神に関わってくるのかわからなかったし、今知っていることだけでも、自分の嫌う神に関係があるとは全く思えなかった。だからなぜこの話すらも知ることがなかったのだろうかと疑問に思い、自分だけ知らないことを他の人たちが知っていたことが悲しくて、寂しく感じたのだ。

 だが、叔父二人に対する疑念を頭を振って払った。あの二人がこの事を話してくれなかったのは、きっと何か思うことがあっての事だろう。自分を心配しているからこそ、話さなかったことがあるのだろう。そう考えることで、タケルは自分の心を慰めた。


「さて、ここまでの話は一般の人々が知っているだ。彼らは神の存在こそ信じるが、"始祖の血"に関してはおとぎ話の類だとしか思っていないから、"始祖の血"を使う私達にしか知らない話だ。七賢というものがあまり出ることは無いという話は聞いているな」


 タケルは頷いた。試を受けた際に、聞いた話だったのでその事は知っていた。


「元々は七賢も、五芒星も大きな家族のような族だったんだ。それが段々と離散していって今に至るわけだが、今でも一族という形で七賢の力を脈々と伝えていった者たちがいる。それが私の家・氷室家やミコトちゃんの実家・西園寺家がそういう例。珍しい、とは言うけれど神職に就くものの家系では、私ほどまでの力は使えなくても、ほんの少しだけ力が使える人ってのはかなり居て、案外少なくはないものなの。ただ……」


 静は、何か言い難いことがあるのか口を噤んでしまった。何故か助けを求めるように竜吾を見た。その目線に気づいた竜吾は眉をひそめると、彼女の話を継いで話し始めた。


「実を言うと五百年前に出たきりだった『闇』の力の持ち主というのは、私達の御先祖様なのです。こんなにも時間が空いているのに、私達が持っていない力をタケルくんが持っているのかが彼女には疑問なのですよ」


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