第30話 祭りの後 前編
「いやー、最後はビックリしたねぇ! まさかあの志乃があんな事するんてさ!」
「そうだな。それに加藤にも驚かされたよ。結衣も知ってたんだ」
「ん、まあね。本気でプロ目指してたらしくて、実際あちこちのコンテストで優勝してたらしいし!」
「そんなに凄かったんだな。なら、どうして辞めたんだ?」
「んー、愛菜は飽きたって言ってたけど、それは嘘だって私も志乃もすぐに気が付いたんだけど、ね。何度訊いてもホントの理由を教えてくれなくてさ。きっと言いたくない理由があるんだよね……」
「……なるほど、ね」
K大際を満喫した5人は志乃がコンテストから解放されてから少し談笑した後、最寄り駅で解散となった。
「また近い内に」と神山は佐竹、加藤は松崎、そして志乃は良介と一緒にそれぞれ帰宅の途に手を振り合って別れた。
佐竹が神山を自宅に送る途中で学際の話になり、そして加藤のあのダンスの話になったのだ。
加藤が本気で取り組んでいたダンスを辞めた訳。それが飽きたなんて事は誰も信じていない。
だが、そんな嘘をつく理由なんて、きっと辛い現実を突きつけられたのだと想像するのは容易な事だった。
お互い今日の出来事で思う所があったのか、何となく会話が途切れる。
そして神山の父親が経営する店がある最寄り駅に着く。
2人は店の近くにある自宅に向かっていたのだが、不意に神山の足が自宅とは違う方に向いた。
「あれ? どこいくの?」
「ん、ちょっと付き合ってよ」
それだけ言って神山は自宅に背を向ける方向に歩き出す。
佐竹はそんな神山の背中を首を傾げながらも、黙ってついていった。
暫く歩いた所にある建物の中に入っていったその場所は、神山と佐竹がほぼ毎日朝稽古している古武術の道場だった。
「何で道場?」
「んー、今日の愛菜見てて、さ。他人事じゃないなって」
「他人事じゃない?」
「うん。愛菜はきっと続けたいダンスを無理矢理辞める選択を迫られて、生き甲斐って程大好きなダンスを諦めたんだと思うんだ」
そこまで聞けば神山が言いたい事を佐竹も理解した。
この古武術道場は跡取りを持たない。
跡を継ぐと思われていた神山の父はコックの道を選び、現在は人気の高級店を経営するまでになった。
この流派は代々男が継承すると決められている為、神山に継承権がない。
今は館主である祖父が道場を維持しているが、祖父が他界すればこの道場は取り壊される事になるのだろうと予測するのは難しくない。
これだけの土地だ。
維持するのにどれだけの金がかかるのか、高校生の神山にだって分からないはずがないのだ。
「だから、ね。今日の愛菜を見てて思ったんだ。その日がくるまで私なりに大好きなこの古武術を楽しもうって」
「そっか。それで俺が必要なわけだ」
「うん。洋一と知り合う前まではずっと1人で稽古してたけど、一緒に朝稽古初めてからは、私の稽古は洋一とセットなんだよ」
「はは、嬉しい事言ってくれるじゃん」
言って、佐竹も荷物を置いて上着を脱ぎ捨て、道場の中央で神山と向かい合う。
「アップしたら組手お願い」
「りょーかい。今日こそ負かしてやるからな」
「ふふ、10年早いよ」
そう言い合った2人はいつも以上の熱をもって、足腰が立たなくなるまで激しくぶつかり合ったのだった。
◇
「ん? なに? どしたん?」
「いや、別に、な」
駅で皆と別れた松崎と加藤は松崎が住んでいるマンションに向かっていた。
時間的にいい頃合いだから一緒に夕飯を食べる事にしたのだ。
「晩飯なに食う?」
「うーん、そうだねぇ――ッ!」
ついさっきまで普段通りに歩いていた加藤の足が止まり、その表情には苦悶の色が滲む。
「お、おい! どうした!?」
「……あ、はは。ちょっと張り切り過ぎた……かな」
松崎が加藤の手元を追えば、その両手は右ひざに当てられていた。
「愛菜がダンスを辞めた理由は、それか」
「…………うん」
松崎の問いにそう答えた加藤の身体がフワリと持ち上がった。
驚いて顔を上に向ければ、そこには加藤の右腕を自分の肩に回して利き手の右腕を加藤の腰に回した松崎がいた。
松崎は腰に回していた腕に力を込めて、加藤の体に僅かな浮力を与える。
「右足になるべく負荷をかけないようにゆっくり歩くぞ」
「い、いいよ。重いでしょ!?」
「は? こんなん重さにもなんねえよ。それともお姫様抱っこの方がよかったか?」
「いやいや! 無理無理! 恥ずかし過ぎて死ぬ!」
「だったら、このまま大人しく言う事きけ」
「……う、うん」
加藤は頬を赤らめて大人しく松崎の言う通りに、まるで二人三脚のように一定のリズムでゆっくりと歩き出す。
道中すれ違う通行人に生暖かい視線を向けられて羞恥で俯く加藤であったが、松崎はそんな周囲の視線など微塵も気にする事なく、ただ加藤の事を心底心配している眼差しを向け続けていた。
やげて松崎のマンションに着くと、加藤はまるで壊れ物を扱われるようにゆっくりとリビングにあるソファーに沈みこまされた。
「大丈夫か?」
「あ、うん。ごめんね、恥ずかしい思いさせちゃったね」
「は? そんなん気にもならんかったわ」
まったくと呆れた息を漏らす加藤だったが、間宮といい松崎といい誰かを助ける時に決まって周りの意識などまるで全くないように振舞う事に、似た者同士めと微笑みを見せる。
「貴彦さんの言う通り、ね。私がダンスを辞めた理由はこの膝なんだよ。練習中に痛めて病院でこれ以上踊り続けたら最悪の場合歩けなくなるって言われて……ね」
アスリートが恐れているものは怪我と年を取る事だと、松崎は以前ドキュメント番組の中で1人のアスリートが言っていた台詞を思い出した。
それはダンスにも当てはまる事で、体に大きな負荷をかける競技であり、等しく怪我のリスクを背負うものだ。
夢中でやってきたものがある日突然の怪我でもう出来なくなるというのは、悲しいかな特に珍しいものではないのだろう。
だが、怪我を負った当人にはショック以外の何物でもなく、キラキラと輝いていた未来に向かう道が絶たれた事がどれだけの絶望だったか――計り知れるものではない。
「……そうか」
初めて加藤と知り合ってからこれまで、いつも明るく元気一杯だった彼女であったが、松崎にはどこか無理をしてるように見えていた。
もし松崎が加藤と同年代の男であったら、無遠慮にその事を追求していたかもしれないが、これまで目を背けたくなる事柄を飲み込んで30年間生きてきた者として、それは例え恋人になってからであってもしなかった。
人間という生き物は語らずともふとした事で抱えているものの色が滲み出る。それは加藤より一回り多く生きている松崎は経験として知っているのだ。
だから今は多くを語る事はせず一言だけ伝えようと、松崎は俯く加藤の頭に優しく手を置く。
「踊ってる時の愛菜、格好良かった。一生忘れない」
「…………ん」
小さく頷いた加藤はそのまま松崎の胸元に顔を埋めた。腕の中に納まった加藤の小さい肩が不規則に震えている。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
暫く顔を埋めて松崎に顔を見せないようにしていた加藤が不意にそんな事を言い出す。
「ん? なんだ?」
「どっかお店に入ってお酒飲みたい」
「だめだ。お前まだ未成年だろ?」
「もうすぐ誕生日なんだから、もういいじゃん」
「だめったらだめだ。そんな事したら折角のプランが……あっ」
「ん? プランって?」
「いや、なんでもない」
思わず漏らしてしまった一言を誤魔化そうとする松崎の腕の中から、ひょいと顔を出した加藤が首を傾げる。
「なんでもないって事はないっしょ? なに? 隠し事はやだよ?」
「やっ、別に愛菜を悲しませるとか怒らせるような事じゃないから、気にしないでくれ」
「それ絶対に無理なやつだから。逆の立場だったら引き下がれるの?」
「うっ……無理、かも」
「でしょー?」
一度漏らしてしまった事に追及するのを止めない姿勢をみせる加藤に、松崎は少し照れ臭そうに頭を掻きながら観念した口調で話し始める。
「っつても、本当に大した事じゃないんだ。ただ愛菜の誕生日の日に都心のホテルを予約してて、な。そこの最上階にあるバーの夜景がスゲー綺麗らしくてさ。だから、そこで愛菜の誕生日祝いできたらなって……考えてて」
「…………うそ」
「嘘なんて言うかよ。だから、外飲みは誕生日まで我慢してくれないか?」
松崎の計画を知った加藤は目をウルウルと滲ませる。
「じゃあじゃあ! 誕生日の日ってそのホテルに泊まるの!?」
「あぁ、奮発していい部屋押さえてるよ」
「んーーっやったぁー!!」
「グホッ!?」
サプライズの内容を知った加藤が嬉しさを爆発させるように両手を突き上げると、その握った拳が見事に松崎の顎を捉える。
「お、おま……なにすんだ」
「うえっ!? ご、ごめん貴彦さん! い、痛かった……よね? ホントにごめんね!?」
「お前、顔が全然謝ってないんだけど」
顎に手を当てて蹲る松崎に慌てて謝る加藤であったが、口元は緩みっぱなしだった。
「うっ! だ、だって……ホントに嬉しかったんだもん」
眉をハの字にして申し訳なさそうな目を松崎に向ける加藤であったが、やっぱり緩んだ口元は元に戻っていない。
「はぁ、もういいよ。それだけ喜んでくれてるって事だもんな」
「えっへへー! じゃあ今日は仕方がないから宅飲みしようよ!」
「膝痛めてる時にアルコールなんて駄目だろ」
「は? 何で膝が痛い時にアルコール飲んだら駄目なんですかー? 医学的に説明せよ!」
「い、医学的に!? そんなん分かるかよ。んー何となくアルコールが回ると余計に痛みとかでそうじゃん?」
「考えすぎだって! それに久しぶりに踊って気分いいし、志乃のカッコいいとこも見れたし、こんな夜はやっぱりお酒飲みたいじゃん?」
「まぁ、その気持ちは分かるけど、さ」
「よしっ! 決まりね! あ、この前買っておいたマスカットのチューハイ飲んでないよね!?」
「あ、あぁ、あれ飲んだから愛菜に何言われるか分からんから、ちゃんと冷蔵庫で冷やしてるよ」
「よしよし! じゃあこれからちょっとスーパーに買い出し行こうよ!」
「買い出しは俺が行くから、愛菜はここで大人しく待ってな」
「えー!?」
「えー!? じゃない。膝痛めてんだから当たり前だろ?」
「うー……。わかった。待ってる」
「ん、じゃあちょっと行ってくるな」
「はーい」
松崎は財布を持ってまた家をでて、エントランスから加藤が1人残されている自室を見上げる。
いつも明るく周囲に元気を振りまく女の子。
いつも自分より親しい友人の事を気にかけている女の子。
そして、いつも自分達に劣等感を抱いていた女の子だという事を知った。
一番辛い時に傍にいてやれなかった。それは2人が知り合う前なのだから当然だと頭では理解していても、心に小さな棘がチクチクと刺さるような痛みがあった。
「やりがい……いや生き甲斐、か」
松崎は自室がある場所を見上げながら、そう独り言ちる。
そして、見上げていた目線を足元に向けて小さく呟くのだ。
「愛菜なら……もしかして」と。
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