第24話 大人気! カシミールカレー!
賑わいを見せるゴートン食堂のランチタイム、ドアベルがまたもやチリンチリンと鳴ってお客さんを出迎えた。テーブルを拭いていた少女は入り口を確認すると、そのスカートに開けた穴から出る無毛の白い尻尾を嬉しそうに左右に振って歩いて行く。
「いらっしゃいませ! ゴートン食堂へようこそ」
「来たよーっ! ルーリちゃんっ!!」
「今日も可愛いわねっ!」
「マリナナさん、ランベルンさん。いつもご来店ありがとうございます」
あどけなさを残しつつもハキハキとした口調で応対したのは、アクアマリンの瞳が見る人を惹きつけて離さない美少女の――そして、魔族でもあるルーリだ。常連のお客さんともすっかりと馴染んだその後ろ姿を厨房から見て、微笑ましくてニマニマと頬の緩みが止まらない。
「どうしたんじゃい? ――あぁ、またルーリちゃんを覗いとるのか」
「の、覗いてるって言い方は……違うとも言えないけど……」
「ソフィアちゃんはルーリちゃんのことが大好きで堪らないんじゃなぁ……」
そう言ってリオルさんはほっほっほと呆れたように笑う。
「そ、それはまぁ、好きだけど……でもだから見てたわけじゃなくって……」
「ほら! 町長がルーリのことを『
そう言い繕った私に、生暖かい目が向けられるの感じる。
「……いや、ソフィアちゃん、でもそれはもう1週間も前のことじゃろうて……」
ボソッと返された言葉は、もうあえて気にしないことにする。愛すべき妹分なんだから、ちょっとくらい心配が過ぎたって許して欲しいものだ。ルーリが魔族として正式に町に受け入れられて、その身に受けた傷も治った。
――マラバリの大群と激闘を繰り広げてから、すでに10日が経とうとしている。
あの騒動の後は、本当に色々なことがあった。マラバリ以上の魔獣が裾野にいるのだとルーリが察知してから、私たちの行動は早かった。止める町長を押し切る形で市場を飛び出して、私はその魔獣に勝てるだけの強化魔法が付与できるカレーの準備をしに食堂へ、ルーリとアイサは私がカレーを持って行くまでの時間を稼ぐために一足先に戦いの場へと赴いたのだ。
『どれだけ危ないことをしたのか分かっているのですか!? もしも――万が一のことがあったらどうしたのです!?』
無事に市場に帰ってからはそのように、今まで見たこともない剣幕のリッツィ町長を前にして私たち3人は散々叱られてしまったのだ。ただその後に町長は私たち3人を順番に思いっきりギューっと抱きしめられて、本当に心配をかけてしまったんだな、と身にしみて感じることになった。だからこそ今ではすごく反省している。
また、結局5人組の冒険者たちは何か思うところがあったのか、マラバリ討伐に関しての感謝状を辞退した。
『……悪かったな、魔族のガキんちょ』
チームの中でリーダーだったらしいスキンヘッドの剣士はルーリに一言そのように謝ってアイサともいくつか言葉を交わすと、その日の内に拠点とする町に帰っていた。荒々しい言動に大きな変化はなかったが、しかしその姿はどこか少し変わったように見えた。憑き物が落ちたような、とでもいうのだろうか。
謝っている時のその目にはルーリのことを『人類の敵である魔族』や『利己欲を満たす物』というとらえ方をしているようには見えなかった。しっかりとルーリ個人を見据えているように感じたのだ。報奨金も市場で町長に吹っ掛けていた額ではなく、即時依頼という形での依頼に適切な金額をもらって帰ったらしい。
もしかしたらアイサやルーリとの共闘で冒険者としての在り方に何か感じることがあったのかもしれないが、私にその詳細は分からない。私がただ1つ確かに言えるのは、彼らは振り返ることなく、清々しいほどに迷いのない歩調で仲間と笑い合って去っていったということだけだ。
――それから数日後。
私たち3人は『町を守った』ということでささやかながら町役場で表彰をされて、それと同時にルーリが魔族であること、そしてこのセテニールの町で
ルーリが魔族であるということはすぐに広まって、私は町民の反応が少し不安だったのだが、町を守ったという実績と一緒に発表されたのがよかったのだろうか。そんなものが無くても問題なかったのかは分からないが、ゴートン食堂の常連さんも町中ですれ違う人たちもみんな事実を受け止めた上でルーリと変わらずに接してくれている。
――いや、むしろ角や尻尾を露出させるようになったことで、町民の一部の層からのルーリへの可愛がり方がより激しいものになっている気もして、それはそれで不安なのだけれど……
「――ィア――ソフィア……?」
「――うわっ! えとっ、なにっ!?」
忙しかったこの10日間を思い返しボーっとしていると、気付けばカウンターを挟んでホール側からルーリが身を乗り出して厨房にいる私を覗き込んでいた。
「……? ソフィア、どうかした?」
「あはは……ちょっと色々思い出してて……。それで、注文?」
「うん。黒2で内1が大、キーマ1大」
「はいよー」
注文票を受け取りホールに戻っていくルーリを見送っていると、客席から私に手を振る常連さんもいて、そんな人たちに照れながらも手を振り返して厨房に戻る。表彰を受けたことでルーリだけじゃなく、私も一躍有名人となってしまった。きっとこの頃はアイサも同じようなむず痒さを感じているに違いない。
(……さて、仕事をしなくちゃね!)
連日の盛況の中、忙しいランチタイムの時間に1人でポケーっとしているヒマはない。厨房でルーリから受け取った伝票に従い準備を始める。
「あっ! 『黒』がもうほとんど無いっ!」
再加熱をしようと鍋を覗けば、朝のうちに大量に作った新商品はすでに底を尽きかけている。3日前から提供し始めたこのカレーはキーマカレーの時と同じように連日売り上げを更新しており、今日は前日よりさらに30食増やしたというのにこの有様だ。
「ソフィアちゃん、今の注文の準備はワシが引き受けるから、追加で作ったらどうだい?」
「うん、そうだね――それじゃあリオルさん、よろしくお願いします。私は早速こっちにとりかかっちゃうね」
冷蔵魔具からカット済みの食材を取り出し、調味料とスパイスを準備して新しい40Lサイズの鍋に向かう。加熱したその鍋に砂糖とそれに同量の水を加えて放置。砂糖が煮詰まるのを待つ間に、取り出した食材を大きなフライパンを使ってタマネギ→人参→ジャガイモの順に炒めていく。あらかた火を通し終わると、香ばしく甘い匂いが鍋の中から漂ってきた。その中身は焦げて黒く変色し、ドロドロになっている。これで、黒色カラメルソースの完成だ。
そこへ水・潰したトマト・赤ワイン・
「うーん……しょっぱい。まさかこの世界にもこれがあるとはね……。見つけて仕入れてくれたデッツさんには感謝しかないなぁ」
それは芳醇な豆の香りを漂わせる黒い液体――
「さて、こんなものかな。それじゃ後はスパイスで仕上げだね!」
私はあらかじめキッチンに用意していた各種スパイスを指差し確認していく――
◦―――――――――――――――――
★Memo
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◍ クミン(パウダー)
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・特徴:ザ・カレーの香り!
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・魔法:
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◍ コリアンダー(パウダー)
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特徴:干した柑橘の皮の香り!
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魔法:
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◍ カルダモン(パウダー)
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特徴:フルーツにも相性◎!
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魔法:
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◍ オールスパイス(パウダー)
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特徴:お肉との相性バツグン!
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魔法:
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◍ カイエンペッパー(パウダー)
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特徴:とにかく真っ赤で辛い!
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魔法:
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◍ クローブ(ホール)
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特徴:強いお薬の香り!
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魔法:
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◍ スターアニス(ホール)
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特徴:独特な清涼感!
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魔法:
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◍ ローリエの葉
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特徴:臭み消しにはこれ!
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魔法:
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――うん、大丈夫。全部揃っているようだ。
個性的なスパイス7種類。それらを次々と投入してよくかき混ぜて、炒め終わった野菜も入れてじっくりと煮込む。
「ナツメグにフェンネル、クローブにシナモン、それにターメリックも入れたかったけど……」
この新商品のカレーは先日のマラバリの大群との戦いの時に食べたものと基本的には同じものの、使うスパイスは12種類から7種類へと大幅に抑え込んでいた。理由は簡単で、12種類のスパイスを加えたカレーによって得られる強化魔法の効力が莫大過ぎるためだ。なにせそれを1口食べるだけで、全力で走った道の地面は
(そんな人の域を逸脱してしまう超ドーピング的な代物をランチの値段設定で出しちゃったら、どこで事故が起こるかわかったものじゃないもんね……)
繰り返した実験の結果、7種類までのスパイスの配合ならばギリギリ人間を越えずに済むということが分かったので、今はそれで提供している。そんな魔法効果を最小限に抑えているカレーだったが、初日に新商品を食べた街道整備のおじいさんがその日たったの1人で2週間分の作業を終わらせるという逸話を作ってしまったそうだ。
最近ランチに来た町長によると、色んな方面で業務が捗ってしまい今月の町の経済的利益は半端ないことになりそうらしい。また1つ借りができましたね、なんてそのカレーを食べながら言われてしまった。
煮込み始めてから1時間ほど経って鍋の蓋を取ると、全体的に濃い赤――黒の度合いの方が高い――のカレーソースが出来上がっていたので味を見る。口に含んだ瞬間コク深く、鼻に抜けるスパイシーな香りが口いっぱいに広がる。あれだけ醤油を入れたのに、驚くほどその存在感は他のスパイスに溶けて悪目立ちをしない。トマトと赤ワインによる程よい酸味がいいアクセントとなっていて、そそられる食欲に胃袋がキュウっと締まるのを感じた。
「うん! バッチリ!」
ブイヨンを取るがてらに中温で煮た、柔らかジューシーな牛すじを盛りつけの時にお皿に敷いて、その上から黒いソースをかければ完成。
――ゴートン食堂の新メニュー、『牛すじカシミールカレー』の出来上がりだ。
ちょうどそのタイミングでルーリがカウンターからヒョコっと顔を覗かせる。
「ソフィアー。『黒』できたー?」
「できてるよー! 今持ってくね!」
注文の数だけお皿に盛りつけて渡すと、ルーリは慣れた手つきで器用に複数のトレイに載せて席へと運んでいく。
(まだルーリと出会って1か月も経ってないなんて信じられないな……)
もはやホールにその銀髪がたなびく姿が日常になっていて、居なかった日が思い返せないほどだ。そしてその日常の光景の1つに、もはや隠されることなく陽気に振られるルーリの白く細い尻尾、そしてちょこんと頭に乗る黒い角が入るようになったことが堪らなく嬉しい。それはゴートン食堂がルーリにとって、本当の意味でありのままを出せる場所になったということだと思っているから。
「ん~~~っ!! 今日も私の1日は幸せだぁっ!!」
つま先立ちで大きく身体を伸ばしてそう口にする。こちらを向いた常連のお客さんたちが「ソフィアちゃんどうしたの」と笑うけど「なんでもなーい!」と言って返した。
――私が異世界に来て、もう2か月以上が経つ。
前の世界で失い、もう二度と手に入らないのだと思っていた私の居場所――温かな家族や友達が私にはできていた。毎日を楽しく過ごせる、この『なんでもない』と言える日々がとても幸せで。なんとなくだったけどそこに何かがあるような気がして、私は上を見上げた。
「ありがとう。真っ白な世界の美少年くん」
そして、ずっと思っていて、しかし一度も声に出して言っていなかった言葉を、きっと誰にも聞こえないだろう小声で呟いた。それでも私は、その気持ちがなぜかあの子に届いているような気がして、鼻唄混じりで仕事に戻ったのだった。
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