第22話 お待たせ!!

 大地を割らんばかりの力を込めて蹴り出すと、その1踏みごとに後方へ大きな土煙が上がる。視界に映される景色は車窓からのそれと等しく、高速で後ろに流れていった。風に煽られた長い金の髪が、地面に水平にたなびいている。


 町長の避難指示を受けて人通りの少なくなった町の中を、万が一にも落とさないようにとそのをしっかりと両手に握り締め、私は全力で山の裾野すそのへと――友人の元へと駆けていた。


(みんな、無事で待っていて……!)


 町を走り抜けて山へと向かい、目指すその一帯が黒く覆われているのを目にする。野性の猪より身体が大きく黒い毛並みの魔獣、マラバリが群れを成してその一帯に集まって、山の裾野の緑の景観を黒へと染め上げているのだ。大群が土を踏みしめ鼻を鳴らす音が支配するその空間にあってなお、しかし鮮明に。


「ソフィアっ!!」


 ――その中心から私を呼ぶ声が耳へと届く。


 私は渾身の力を足に込めた。マラバリの包囲網まであと数十メートル。しかし、私はこれが1だと決め、ダンッと地面を踏み砕き大きく飛び出した。今までに経験したことのない、圧倒的な浮遊感が体を包む。走り幅跳びの選手よろしく宙を滑る身体を後ろに反らして、私とマラバリたちとの間にある、その残された距離を高速で縮めていく。その風を切る音に1体のマラバリが振り返るも、すでに遅過ぎた。


「でぇりゃぁぁぁあああッ!!」


 空中で身体を独楽こまのようにぐるりと1回転、その横面めがけて全スピードを回転力へと昇華させた『後ろ回し蹴り』を叩きこむ。ゴシャッというマラバリの顔面が砕けるような破壊的な音と共に、その1トン近くあるのではないかと思しき図体ずうたいは横に吹き飛び、他のマラバリを巻き込んで地面へと沈んだ。


 そして開けた包囲網の中心、アイサとルーリに手を上げる。


「――みんな!! お待たせっ!!」


「ソフィアっ!!」


 アイサがそう言ってルーリと共に駆け寄ってくる。


「おっそいよーっ!! あと少しで危うく死んじゃうとこっ!!」


「ご、ごめんごめん……! でもこれでも精一杯急いで来たんだよ……!」


 一瞬わざとらしく頬を膨らませたアイサだったが、「よく間に合ってくれたぜ親友!!」と表情を崩すとガシッと肩を組んでくる。ルーリはルーリで私の前まで来ると、こちらをジーっと見つめて白の無毛の尻尾を横にヒラヒラと振っていた。まるで飼い主の投げたボールを取ってきた時の犬のような姿が愛らしく、思わずその頭へ手を伸ばすと気持ちよさそうに目を細めて受け入れる。


(2人とも、怪我もないみたいでよかった……!)


 辺りを見渡すと腰の引けた様子のマラバリたちが私たちのいる中心から距離を取るように少しだけ後退をしている。新しく現れた私を警戒してのことだろう。ついでに中心にいた冒険者たちも口をあんぐりと開けて固まっていた。


(市場で散々怖がらせてもらった恨み辛みもあることだし、ビックリしてくれたならちょっと満足かも……)


 と少し意地悪な感情が顔を覗かせる。だが、今はそんな状況でもないかとそんな気持ちは心の底に押し留めた。


「それで、は?」


「うん、そっちも間に合ったよ。突貫だったけどちゃんと作って持ってきてる!」


 水筒をアイサの目線に掲げて、バッチリと親指を立てる。


「こ、これはどういうことなんだァ……?」


 後ろから聞こえた声に振り返ると、冒険者の5人組がこちらにやってくるところだ。先頭を歩く剣士の問いかけに、アイサは水筒の準備をしている私に手を差し向けて答える。


「だから言ったでしょ、時間を稼ぐって。私たちはソフィアを待ってたんだよ!」


「ソフィア……さっき市場でこの魔族を庇ってた子供だなッ……!? マラバリを吹き飛ばすほどの実力を持っていたとは……!!」


「あ、えーっと……それはちょっと違うと言いますか……」


 驚愕に身を反らす冒険者たちにおずおずと修正を入れつつも、水筒の蓋を捻り開ける。そしてコポコポコポッと水筒の蓋へとトロトロしたソースを注いだ。瞬間、湯気と匂いが辺りに蔓延する。


「これは……?」


「「「カレー」ですよ」だよ」に決まってんじゃん!」

 

 剣士が尋ねた問いに、3人の答えが重なる。なおさら訳が分からないといった表情で固まるその剣士は、目の前でルーリが蓋の中身を飲み干し「美味しぃ~」と言った辺りで頬を引きらせた。


「テメェら……『待ってた』ってのは、まさかその『かれー』とやらを飲むためだとか言わねェよな……?」


「そうだけど、アンタも飲む? まあ私が先だけどね」


「オイッ、見習いッ!! これのどこに今の状況を打破する活路が――」


 剣士が何かを腹に据えかねたような表情でアイサに食って掛かろうとしたその時、


「ブルォォォォォオオオオオオッ――――ッ!!」とマラバリ・ロードの咆哮が響く。


 それと同時、陣形の崩れたタイミングを突くようにして、近くにいた1体のマラバリが冒険者たちの背後から突進を仕掛けた。

 

「しまっ――」


 もちろん、私やアイサに注意を向けてしまっていた冒険者たちにそれを迎え撃つ構えはない。必然、崩れた無防備な隊形の背中へと魔獣の一撃が突き刺さる――かに思えたが、しかし。

 

 ――咄嗟の行動で振り向いた剣士が見た先、惨劇は起こっていない。

 

 ただ、眼前の光景にその表情は驚愕の1色に塗り潰されていた。ピタッという擬音そのままに、マラバリの額に突き付けられたルーリの細腕がその突進を完全に殺しきっていたのだ。それも、たったの片腕で。そしてその子供相応の小さな手のひらで自分の背丈を優に超えるその魔獣の額をギュっと掴むと、


「よいしょっ」


 フワッと、風船ような軽さで巨体が浮かんだ。いや、正確には違う。ルーリがその細腕で持ち上げたのだ。


「とわっ!」


 力の込められていなさそうな掛け声と共に、ルーリは宙ぶらりんのマラバリの腹を蹴り上げる。瞬間、マラバリの巨体は大きく飛び上がり、錐揉み状に空へ舞った。


「……は?」

 

 剣士は、それに他の冒険者たちも、目の前で起こったことが理解できないのかポカンと口を開けて放心している。私には、格別不思議に思える光景ではない。せいぜい「おぉ、高く飛ばしたなぁ」くらいのものだ。私の普段の力とルーリの普段の力の差を良く知っているから、ルーリがそれくらい寝起きでも余裕でできるだろうと、自然に受け止められる。アイサから水筒の蓋を返してもらった私は次の分を注いで、未だ呆気に取られる剣士の肩を叩いた。


「――おぉぅッ!? な、なんだァッ!?」


「あ、えっと……あなたも飲みますよね? これ?」


 そう尋ねていると後ろから、先にカレーを飲んでいたアイサの「どりゃぁぁぁあああっ!」と叫ぶ声、そしてドガンドガンッと鈍く大きな殴打音が聞こえる。多分マラバリに飛び蹴りでも放って吹き飛ばしているのだろうなぁと思う。


「は、ハハハ……っ」


 恐らく、私の正面に立つ剣士はその様子をハッキリと見たに違いない。顔を引きつらせるようにして笑った。そしてそれきり何も言葉を発さず、差し出されたカレーを受け取って口に流し込んだ。

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