掛け算と引き算

あいちゃん

掛け算と引き算

 「よくわからんが、奇数で」

 数字を言う輩もいる。赤や黒なんて叫ぶ奴もいる。めくるめくばかりの、この場に漂う独特の、比類なき香をかぎながら俺は言う。パリッとのりのきいたシャツに緑色のハンカチを胸ポケットから覗かせているディーラーは光沢の鈍った玉を回転とは反対方向に勢いよく滑らせる。俺は何を賭ける?賭けるのは、もちろん、人生。…………そんなわけない。盛った。盛大に盛った。盛りすぎて『嘘』のレベルだ。だが、俺が抱えて持ってきた、これまでの幸福な時間と沈着冷静な心が間違いなく、次第に擦り切れていく。じゃあ人生といってもいいか。……ということで、盛ってなどいなかった。悪い悪い。謝るわ。


 どっちだ。どっちだ。

 ったく、わーわー、うるさいな。なぜかでかい顔でロングコートを肩から掛けた、いけ好かない男が隣の席にいる。腕には、猫も杓子も付けてやがるダニエルウェリントン。低くもなく高くもない鼻には、色付きでツルが異常に細いサングラスがぶら下がっている。カジュアルとフォーマルの中間を狙いましたという看板を身にまとった自称おしゃれわかってます系男子。顔は常に(^^)。恰好も顔もうるさい。うぜぇな。気持ち悪りぃな。冷ややかな視線でも送っておくか。ここから先の主人公は俺なんだ。足りないな。観客としての価値が。気品が。●●が。


 緑のハンカチのディーラーを見る。火花散る開戦でテーブルのダイヤの装飾が溶けそうである。いや、溶けた。勝負となれば熱くなる。俺なら、人から煽られれば、高層ビルの屋上からそいつら目掛けてダイブしてやるよ。あれほど上等なナイフがあれば、親指まであっさりいっただろう。甘ぇんだよ。俺の方が本当に俺なんだ。


 チップが次々スライドしてくる。ラストに俺が置く。そうだ、最初と最後さえしっかりやればいい。よくある黒い事務クリップで三十二枚以上の紙を挟んだことがあるか?テキトーに持っていたら、一番上の紙と一番下の紙を残して、その間のすべての紙がごっそりと抜け落ちる。小学校の遠足の二列が俺とダニエルウェリントンの隙間を通る。ぞろぞろ歩く列。実に微笑ましい。よく見ると先頭を歩く先生の後ろ数名は列を乱さない。安全のため一番後ろにつくもう一つクラスの先生の前にいるわずかな集団も整然としているな。でも真ん中は。はいはい。そんなもんだろ。


 カラカラカラ。あぁ、止まる止まる。息をのむ。カラカラカラカラ。二十四か、八か、、十九か、、、。カラカラカラカラ。壁によしかかっている女が目に入る。女はイブニングドレスを着て口元には八重歯を覗かせてこちらを見ている。なんだ?俺に気があるのか。目は小さいが黒目勝ちで存在感がある。胸はBカップといったところだろう。足は細く、そのスタイルは、この俺であっても認めざるを得ない。キレイで美しい。かといって近寄りがたい雰囲気もない。仮に、その場にいるみんなが順に好きなタイプを発表していく会話があったとする。口々に美人が菅田将暉や松潤と答える中、ムロツヨシと即答できる丁度良さをもっている。見とれすぎて、天に召されそうだ。いや、あの手の女はダメだ。ポケットにいる青い鳥が教えてくれた。好きという感情は二つあるらしい。好意を寄せる相手を自分の思い通りにしたいという感情。もう一つは、愛おしい人を何より大切にしたいという感情。基本的には子どものころ(といっても赤ちゃん、幼児、言ってしまえば「餓鬼」のころ)は、前者の感情しか持ち合わせていない。しかし、大人になれば、その感情は後者に変わる。では、あの女はどうだ。明らかに前者の感情以外を知らない知能指数二十程度のシーモンキーだ。見た目はかわいいが、かわいい奴こそ、その程度。こちらの「好き」を武器に使うタイプだ。男の敵は、性欲でも食欲でも田嶋陽子でもない。このキサキだ。そんな女に一生振り回される人生があったとしたならどんな地獄も天国に感じる苦行だろう。


 そして俺は目線を手元に落とし、カードをカットする。役はそろうのか。次で終わりにしよう。次のゲームだけをして家に帰る。これが終わったらあのドアノブに手をかけるんだ。俺がこの世で一番触れているドアノブに手をかけ、右に回して、引く。必ず帰るんだ。そして、俺はカードをカットする。


 まるでブルドックみたいに垂れた頬に生えたひげをなぞりながら、えらの張った真四角の顔の下方についている口に向かってレッドブルの三五五ミリリットル缶を傾ける。そして、上から吊るされている一〇〇パーセント切れるであろう蜘蛛の糸を首をかけそうになった時、笑いが起こる。死んでから考えろと言わんばかりの重たい空気がのしかかるこの空間で、だからこそ俺はサービスで運ばれてくるカットされた瑞々しい青林檎を齧る勇気も出てくるものだ。緑のハンカチのディーラーによる終わりのベルが鳴る。もう降りれない。やめられない。こうやってはまっていく。奥さんの作った味噌汁を飲みたい。それよか、その中に入りたい。もう入ってるけどね。


 正座している緑のディーラーの前の、立方体たちの入ったツボを見つめる。あの音、あの響き、あの動き。立方体は入っていないかもしれない。さぁ、ゲームのスタートだ。目だけが物を言う。トカゲの仲間には後ろに第三の目を持つ種類がいる。その目を使うことがないように。後ろから今日が走ってくる。この真っ白い広場で、真ん中の真ん中を狙って矢?を投げさせられた。


 線が十数個入った左腕を掻くと、女の肌が露出する。ふーん。それで?

 ところで今、何時?


 ヘイ、未熟な天使よ! シーモンキーよ! ねぇ、何して遊ぶ?

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