16.可愛い? 可愛い? 可愛い?
「そうだね、何はともあれ、ケガした子は手当てしてあげましょうね。ナナさんや、店に救急箱、ありましたっけ?」
「……当然でしょ!」
ナナは慌ててトモミと少年を追いかけた。あまりにもその光景が珍しくて、手も口も出せなかったのだ。
くっくっく、と笑みを浮かべると、奈崎は立ち止まったまま、ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
「俺にもちょーだい」
横から能勢が手を出す。ほいよ、と奈崎は箱ごと渡す。吸わない伊沢は口だけを挟む。
「なああれ、珍しい……よなあ」
「珍しいどこじゃねーよ」
能勢はいー、と口を横に広げ、顔をしかめながらもらった煙草を振り回す。奈崎もまた、ふう、と煙を大きく吐き出す。
「そうだなあ…… 少なくとも僕も、トモちゃんが誰かに手を出したとこは、見たこと無い」
「……だよなあ」
三人は顔を見合わせた。
*
「あーあ、綺麗な顔なのに……」
再び「ACID-JAM」。戻るが早いが、ナナは事務所に飛び込み、救急箱を借りる。
「このくらいだったら、すぐに治るわよ」
「す、すみません……」
丸椅子の上の少年は、揃えた膝に両手を置き、思い切り恐縮していた。
「あー、若いっていいわよねえ…… 何もしなくても、男の子でもすべすべって……」
そんな、と頬が軽く染まる。あら純情、とナナはにっこりと笑った。
「君、今日のステージ見てくれたって?」
そこへ遅れてきた男達が質問を投げかける。
メンバー達から問われ、少年は戸惑う。それでもこの目の前の女性にからかわれているよりはいい、と思ったのか、奈崎に向かって、はっきりと言った。
「良かったです…… あの、俺、こういうの見たの初めてで……」
「初めて!」
奈崎は驚く。その反応にまずい、と思ったのか、少年は慌てて付け足す。
「でも! その初めて見たのが、えーと…… ベルファストで良かったと思います!」
「や、ベルファスト違う。それじゃ地名じゃないの。BELL-FIRSTよ」
能勢はチチチ、と片目をつぶり、人差し指を横に振った。
「良かった」
トモミは唐突に口をはさんだ。
な、何が良かったんだ? 俺達のライヴを良かった、って言ったことか? 最初が俺達だってことか? それとも傷のことか?
男達の脳裏にざざっ、と疑問が流れた。彼等はあえて不自然過ぎない様に、彼女に視線をやった。ナナはその男達の視線に呆れた。
「何が良かったの? トモちゃん」
「この子の傷が残らないこと。この子が最初に見たのがうちのバンドだったこと。この子、可愛いし」
はああああああっ!?
おそらくその時、その場で硬直していなかったのは、当のトモミと少年だけだったろう。
可愛い? 可愛い? 可愛い?
トモミは自分が発したその単語が、周囲をどれだけパニックに陥れているのか、全く気付かない様だった。しかも前屈みになると、痛い? と先程のナナの様に、少年の頬に指先を当てたりしている。
一体全体、トモちゃん、どうなっちゃったのよぉ!
ナナも内心叫んでいた。
あのトモちゃんが。倉瀬の死以来、メンバー以外の誰にも関心のかの字も持たなかった様な彼女が。いやメンバーにもそう言った「感想」を述べたことなんて、一人当たり片手で数えられる程だというのに。
……これは。
トモミと違い、パニックから立ち直るのが早い普通人達は、この状況をどう活用すべきか、即座に判断すべく、持ちうる知恵をフル回転させだした。
そしてまずリーダーが切り出した。彼は少年の肩に手を置き、にっこりと笑った。
「ねえ君、今度のライヴもおいでよ」
「え、でもいつ……」
「次は来週の同じ曜日、同じ時間。……な?」
彼は昔なじみに視線と話を振る。何かいい考えあるなら出せ、とその目は訴えていた。そして彼の友人は、期待に背かなかった。
「そーそー、来週。そぉそぉ、これやるよ」
能勢は上着のポケットから、やや端がよれたチケットを取り出した。
何でお前がそれをまだ持ってるんだ、と、一瞬奈崎は聞きそうになった。確かそれは一昨日お前が従弟に頼まれたから、って渡した奴だろう、一応売り物なんだぞ。確か昨日のうちに渡したとか何とか言ってたよなあ、なのに何でまだそこにあるんだ。
だがそれは確かに、その場にはありがたい小道具だった。
「で、でも、悪いですよ! 俺、……助けてもらったのに!」
「いやいや、ファンは大切にしなくちゃね」
伊沢も口を挟む。
一方、トモミはそんな彼等の積極的な姿には無関心なまま、少年のすべすべした頬をまだ撫でていた。そして不意に問いかけた。
「……名は?」
「え?」
「名前。ワタシは吉衛トモミ。ベーシスト。トモって呼ばれてるけど」
ああ「人の名を聞く時には自分も名乗れ」だな、と皆が皆納得した。それは彼等も皆一読した「マニュアル」の中にある項目だった。
少年はぼそ、と口を開いた。
「マキノ」
「マキノ?」
「牧場の牧に、野原の野」
「……ああ、やっぱり」
何がやっぱりなんだ! 名と身体が合っているというのか、それとも何かそういう名を予想していたというのか!
周囲は思わず突っ込みたい衝動にかられた。
倉瀬が死んで三年。また春がやって来ていた。彼女を引き取った「BELL-FIRST」のメンバーは、決して短くはないその時間の中で、トモミの習性や、行動規範については、ある程度理解していたつもりだった。
だからある程度は行動は予測できていたのだが。
こんな時、皆で思うのだ。
「倉瀬って…… 偉大だっただったよなあ」
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