16.可愛い? 可愛い? 可愛い?

「そうだね、何はともあれ、ケガした子は手当てしてあげましょうね。ナナさんや、店に救急箱、ありましたっけ?」

「……当然でしょ!」


 ナナは慌ててトモミと少年を追いかけた。あまりにもその光景が珍しくて、手も口も出せなかったのだ。

 くっくっく、と笑みを浮かべると、奈崎は立ち止まったまま、ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。


「俺にもちょーだい」


 横から能勢が手を出す。ほいよ、と奈崎は箱ごと渡す。吸わない伊沢は口だけを挟む。


「なああれ、珍しい……よなあ」

「珍しいどこじゃねーよ」


 能勢はいー、と口を横に広げ、顔をしかめながらもらった煙草を振り回す。奈崎もまた、ふう、と煙を大きく吐き出す。


「そうだなあ…… 少なくとも僕も、トモちゃんが誰かに手を出したとこは、見たこと無い」

「……だよなあ」


 三人は顔を見合わせた。




「あーあ、綺麗な顔なのに……」


 再び「ACID-JAM」。戻るが早いが、ナナは事務所に飛び込み、救急箱を借りる。


「このくらいだったら、すぐに治るわよ」

「す、すみません……」


 丸椅子の上の少年は、揃えた膝に両手を置き、思い切り恐縮していた。


「あー、若いっていいわよねえ…… 何もしなくても、男の子でもすべすべって……」


 そんな、と頬が軽く染まる。あら純情、とナナはにっこりと笑った。


「君、今日のステージ見てくれたって?」


 そこへ遅れてきた男達が質問を投げかける。

 メンバー達から問われ、少年は戸惑う。それでもこの目の前の女性にからかわれているよりはいい、と思ったのか、奈崎に向かって、はっきりと言った。


「良かったです…… あの、俺、こういうの見たの初めてで……」

「初めて!」


 奈崎は驚く。その反応にまずい、と思ったのか、少年は慌てて付け足す。


「でも! その初めて見たのが、えーと…… ベルファストで良かったと思います!」

「や、ベルファスト違う。それじゃ地名じゃないの。BELL-FIRSTよ」


 能勢はチチチ、と片目をつぶり、人差し指を横に振った。


「良かった」


 トモミは唐突に口をはさんだ。


 な、何が良かったんだ? 俺達のライヴを良かった、って言ったことか? 最初が俺達だってことか? それとも傷のことか?


 男達の脳裏にざざっ、と疑問が流れた。彼等はあえて不自然過ぎない様に、彼女に視線をやった。ナナはその男達の視線に呆れた。


「何が良かったの? トモちゃん」

「この子の傷が残らないこと。この子が最初に見たのがうちのバンドだったこと。この子、可愛いし」


 はああああああっ!?


 おそらくその時、その場で硬直していなかったのは、当のトモミと少年だけだったろう。


 可愛い? 可愛い? 可愛い?


 トモミは自分が発したその単語が、周囲をどれだけパニックに陥れているのか、全く気付かない様だった。しかも前屈みになると、痛い? と先程のナナの様に、少年の頬に指先を当てたりしている。


 一体全体、トモちゃん、どうなっちゃったのよぉ!


 ナナも内心叫んでいた。

 あのトモちゃんが。倉瀬の死以来、メンバー以外の誰にも関心のかの字も持たなかった様な彼女が。いやメンバーにもそう言った「感想」を述べたことなんて、一人当たり片手で数えられる程だというのに。


 ……これは。


 トモミと違い、パニックから立ち直るのが早い普通人達は、この状況をどう活用すべきか、即座に判断すべく、持ちうる知恵をフル回転させだした。

 そしてまずリーダーが切り出した。彼は少年の肩に手を置き、にっこりと笑った。


「ねえ君、今度のライヴもおいでよ」

「え、でもいつ……」

「次は来週の同じ曜日、同じ時間。……な?」


 彼は昔なじみに視線と話を振る。何かいい考えあるなら出せ、とその目は訴えていた。そして彼の友人は、期待に背かなかった。


「そーそー、来週。そぉそぉ、これやるよ」


 能勢は上着のポケットから、やや端がよれたチケットを取り出した。

 何でお前がそれをまだ持ってるんだ、と、一瞬奈崎は聞きそうになった。確かそれは一昨日お前が従弟に頼まれたから、って渡した奴だろう、一応売り物なんだぞ。確か昨日のうちに渡したとか何とか言ってたよなあ、なのに何でまだそこにあるんだ。

 だがそれは確かに、その場にはありがたい小道具だった。


「で、でも、悪いですよ! 俺、……助けてもらったのに!」

「いやいや、ファンは大切にしなくちゃね」


 伊沢も口を挟む。

 一方、トモミはそんな彼等の積極的な姿には無関心なまま、少年のすべすべした頬をまだ撫でていた。そして不意に問いかけた。


「……名は?」

「え?」

「名前。ワタシは吉衛トモミ。ベーシスト。トモって呼ばれてるけど」


 ああ「人の名を聞く時には自分も名乗れ」だな、と皆が皆納得した。それは彼等も皆一読した「マニュアル」の中にある項目だった。

 少年はぼそ、と口を開いた。


「マキノ」

「マキノ?」

「牧場の牧に、野原の野」

「……ああ、やっぱり」


 何がやっぱりなんだ! 名と身体が合っているというのか、それとも何かそういう名を予想していたというのか! 


 周囲は思わず突っ込みたい衝動にかられた。

 倉瀬が死んで三年。また春がやって来ていた。彼女を引き取った「BELL-FIRST」のメンバーは、決して短くはないその時間の中で、トモミの習性や、行動規範については、ある程度理解していたつもりだった。

 だからある程度は行動は予測できていたのだが。

 こんな時、皆で思うのだ。


「倉瀬って…… 偉大だっただったよなあ」

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