第8話 惑星コヴィエの少年
「すいません、ちょっとこの台貸してください」
エラはそう言って、館内の従業員から少し高めの台を借り、その上に乗った。少し視点を変えるだけで、建物というのは見えかたがずいぶんと違う。
「あ!」
「揺れますよ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ」
本当は大丈夫ではない。だけどそんなこと言ってられない。
エラは惑星コヴィエの首府ソヴィアにいた。
コヴィエは決して辺境という訳ではないのだが、大学のあるウェネイク星系からだと、高速船に乗って、標準時換算で8日かかる。
彼女が「研究のため」にそこに滞在を許されたのは、15日間だった。たった半月! と彼女はそれを聞いた時ため息をついたが、この惑星の危険度Bという状況を考えれば、仕方ないと言える。
危険度Bというのは、空襲がある状態なのだ。Aになると、民間人を含めてその場が地上戦の戦場になる。「まだ」Bの方が確率的にはまし、とは言え、危険なことには違いない。
しかしBということは、いつ貴重な建物が焼けてしまうか判らない、ということである。だったら行かない訳にはいかないではないか。
エラの熱意はどうやら通じたらしい。無論彼女も、そんな場所に出かけるのだから、なまじの覚悟ではない。余分な荷物を持たない様にしたのもそのせいである。
15日間の日程は、あらかじめ決めておいた区域を、その日の戦況と相談して決める。時には警報が鳴るから、待避場所でじっとしていなくてはならないこともあるのだ。もう既に、そういうことが一度あった。彼女はじっと息をひそめながら、時間がどんどん過ぎていくことに歯ぎしりした。
だがそんな状況を抜きにすれば、活動は順調だった。
何よりも、コヴィエの住民が協力的だったのだ。
「もうねえ、うちのお祖父ちゃんのお祖父ちゃんの時代からこの家に住んでるんですよ…… こんな、いつ壊されても仕方ない時代なんだから、せめて姿だけでも残しておいてやりたいじゃないですか」
首府ソヴィアは彼女にとって、宝の山だった。本当に植民当時の建物が、多少の改修をされているにせよ、手入れを繰り返され、そのまま使われているのだ。
一歩その中に入ると、その時間が確かに刻まれている。階段の手すりの、なだらかに擦れてしまっている木、壁のひび割れ、窓枠に刻まれた模様。
時には、窓そのものの位置が、現在彼女のよく知っているものとは違っていたりする。天井の形、玄関から居間へ向かう通路の、一見無駄に見える大空間……
そんな一つ一つに彼女は目を見張った。どうして今まで自分がここに来られなかったのだろう、と悔しくなる程に。
無論それでも、協力的、とは言えない人々もある。集合住宅の住人の中には、明らかに嫌そうな顔をした者もあった。だがそれでも、基本的には彼女の行動を見逃してくれていた。ありがたい、と彼女は思った。
それだけに、その好意を受けられるうちに、少しでも多く、少しでも深く、と彼女は毎日カメラと資料を両手に、運動靴で動き回っていたのだ。
さすがに一日の予定をこなして、宿泊先のホテルに戻ると、身体はもうくたくたである。食事をいちいち椅子とテーブルのある場所で食べる時間も惜しいから、この地についてから、ずっと野外で朝昼晩と済ませている。疲れも溜まるというものだ。
しかし気力のある時というのは、そんな自分の身体のことも忘れてしまうものである。疲れ切って眠ってしまっても、翌朝には、気力が身体を奮い起こすのだ。
「毎日よく続くね」
と、最初の日から彼女の作業を見ていた少年が、7日目に声を掛けた。華奢な身体つきが、そのくりくりした目と、首から下げている旧式なカメラをずいぶんと大きく見せる。
「あんた誰?」
「俺? 俺はただのカメラ小僧だよ」
自分で言うか、と彼女はふとおかしくなる。
「よくあんた、そんなカメラ持ってるわね」
実は彼の存在に気付いた時から、そのカメラのことは気になっていた。
「うん、じいさまの形見なんだよね。おねーさんのは、見たことはないけど、そうゆうのが、今ウェネイクでは出回ってるの?」
「あたし腕は大したことはないからね。機械に頼らなくちゃならないの。建物は風で動いたりはしないし」
「そうだよね。でもおねーさん、アングルは大事だよ」
「今大事なのは数よ。……ところであんた、名前は? あたしはエラよ。おねーさん、じゃなくてね。エラ・オブライエン」
「ヨギだよ」
少年はにっこりと笑った。可愛い、と彼女は即座に思う。
「建物が、好きなの?」
「うん。友達は不思議がるけど。何かじじいの様な趣味だって。でも好きなことは好きだし。今のご時世、いつ壊されてもおかしくないし」
「お仲間か!」
あはは、と彼女は笑って、同じくらいの背丈の少年の肩をぱんぱん、と叩いた。
「エラは、学生なんだろ? 写真とって、何をどうするの?」
「曖昧な質問よね。とりあえずは、収集と分類、かな」
「?」
「とにかく、今のこの広い広い広い全星系でしょ。でもその中でも、植民初期に作られた建物ってすごく少ないのよ。だから、それが時代の波とか戦争とかに飲み込まれて…… つまり、色んな理由で壊されてしまう前に、少しでもたくさんその姿を残して、それがどういう理由で建てられたか、とかちゃんと書き留めておきたいのよ」
「それで何か、になるの?」
「さあ」
エラは首を回す。
「さあって」
「あたしだって知らないわよ。そういうことを考えるのは、また別の人々だわ。あたしはとにかく、集めて、残すことが大事。ヨギは何かに使いたいほう?」
「うーん…… よく判らないけど」
少年はカメラの前で腕を組む。
「でも、普通大人達って、『何でそんなことをしたいんだ』って聞くんだよね、俺にも。うん。今エラが言ったこと、たぶん俺近い。何の目的がその上にある訳じゃないけど、とにかく集めたいんだ」
「やっぱり同志だわね」
そしてまたあはは、と彼女は笑った。
*
それから数日、エラはヨギを助手に連れて動き回った。ヨギの両親は、彼女がウェネイクの学生だ、と知ると、こんなお嬢さんがねえ、と感心半分、呆れ半分で見たが、息子が学校を数日休んでもその助手をしたい、ということには異存はなかった。
「まあ滅多にないことだしねえ」
そう言いながら、出された焼き菓子は甘味が薄く、バターが少ないのか、歯触りも決して良くはなかった。お茶も薄かった。物資が欠乏しているのだ、と彼女は見てとる。
「もうずっとそうだよ」
とヨギは言った。
「だから、俺なんかの好きなことだって、はっきり言えば、ぜいたくなんだよ。ね。だってフィルムだって今は少ないし」
「あたしのを分けてあげようか。余ったらだけど」
「いいよ。エラはエラのお仕事をちゃんとしようよ。それでエラが認められたら、それはずっと残るだろ? 俺が撮っても、もしかしたらこの先、燃えてしまうかもしれないし」
「OK」
彼女はそれ以上言わなかった。
*
夕刻になると、撮影の作業は一応の終了となる。あとの時間は、その日近隣で聞き込んだ情報をまとめあげることだった。
ヨギが参加してから、この部分がずいぶんと充実する様になった。彼は何はともあれ、地元民だから、何処の誰ならこの建物に詳しい、ということを良く知っていた。
また、彼自身、そんな珍しい趣味を持っていることから、この界隈では良く知られていた。
顔馴染みに対しては、皆口も開きやすくなる。彼女はそのたびに手首に巻いたカード式の録音機を動かすのだが、あまりよく作動させすぎて、夕方になる頃には、ちょっとしたしびれが左の腕に出ていた。
「本当に、あんたが居てくれて助かったわ」
言いながら、それでも彼女の視線は、端末機から離れない。そのままデータをウェネイクに送ることが出来れば楽なのだが、さすがにこの距離では厳しい。そして、この惑星は情報規制がとられている。外部に電波を流すことはできない。
そうなると、やや旧式の端末な打ち込むか、自分の手でノートを取るしかなくなる。彼女はノートの部分をこの即席の助手に任せた。よって、ヨギもまた、喋りながらもずっとノートとにらめっこしている状態である。
「俺字下手だけど、いいの?」
「いいわよ。書いてあることが重要なんだから」
解読不可能な字じゃないんだから、と思ったが彼女は口には出さない。そう言えば。その時ふっと思う。キュアの字はひどかったわ。
彼の字は確かにひどかった。どうしても端末を基本的に使う生活の場合、肉筆はどんどん落ちていくのが普通だが、それ以上に、キュアの字はみみずのたくりの類だった。頭の回転が速いからだよ、と本人は言っていたが、それは半分であろう、と彼女は思っていた。
確かに頭の回転が速い人は、字を書く際にもそのスピードを求める傾向がある。すると筆記体はどんどん崩されていき、下手すると自分しか読めない様な事態に陥るのだ。一度、デートの約束を記したメモを受け取った時、あまりの字のひどさに、時間を間違えてひどいことになったこともあった。
ぷっ、と彼女は吹き出す。
「……何だよいきなり。変だよエラ」
「あ、ごめんごめん、ちょっと恋人のこと思い出して」
「恋人、で笑う訳?」
「あはははは」
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