「イルミネーション?」


『そう。青と白のやつ。……意外?』


「かなりね。君にイルミネーションを見に行くような相手がいるだなんて」


『茶化すなよ、そんなのいるわけないだろ』


 苦々しげにそう言う彼女に、私は安心したよと笑う。


 その日も今日と同じように、作業通話をしていた。


『イルミネーションってさ、なんつうか、情報量が多いじゃん』


「そう? 光ってるだけだよ」


『うーん、伝わらないかなぁ……視界が光でいっぱいでさ、脳が飽和してるかんじがして、光ってるなぁ、綺麗だなぁ、以外のこと考えられなくなる、どっか非現実的でふわふわした感覚』


「あー、何となく分かるかも」


『で、周りにたくさんある綺麗な光の中から、とりわけ強烈で鮮烈なのを探して、拾い上げて、それを上手い具合に組み込んで物語にするんだ。鮮烈なやつはほら、間隔とかタイミングとか大事だろ、その辺も調整しつつな。ただ、どれだけ綺麗でも所詮それは人工物で作り物――創り物なんだよなぁって意味も兼ねて、イルミネーション』


「なんで二回言ったのよ」


『漢字変換が違うんだよ、物書きなんだから察しろって』


「無茶言わないでよ。……なんか、意外と理屈っぽいね」


 彼女が創作を人工物と認識しているのは意外だった。少し前の通話では「我々は心を切り売りしてるんだ」なんて語っていたのに。

 案外現実的で醒めたところがあるんだなぁ、と考えかけて、やめた。地上と海中の生活を両立できるのは、きっと彼女のような人間だ。何もかも捨て置いて海に入り浸ろうとする破滅的な創作が、正しい筈なんてありはしない。当然のことだった。


『まあ人工物とか言ったって、それを忘れてよく迷子になってんのが私だけどな』


「安心したよ」


『何が?』


 前言撤回。彼女は、やっぱり彼女だった。


『そういうあんたはどうなの?』


「私? 私はねぇ、海」


『海か。海もしっくり来るな』


「深く潜っていく感覚とかね」


『分かる分かる』


 彼女が作業をやめる気配が、スピーカー越しに伝わってきた。どうやら作業より会話に興が乗ったらしい。私たちにはよくあることだった。そもそも作業通話なんて名ばかりで、まともに筆が進んだ試しがないのだ。


『深夜のブルーライトでもいいなって少し思うんだけどな。他に明かりのない部屋で画面とか見てると、余分な思考が溶けて非現実的な感覚に包まれるだろ』


「分かるけど、何、青色縛り?」


『ブルーライトは青くねぇよ』


 そっか、と言うと、彼女は馬鹿だなぁと笑った。彼女に言われずとも、文字を書くことをやめられない奇病に侵されている時点で、私たちは二人とも馬鹿だ。


「……『ぼくはばかだ。』」


『『精神的に向上心のないものはばかだ』?』


「よく分かったね、今ので」


『漱石だろ。私好きなんだ、あの物書き。でもあれは恋愛の話だろ』


「まあね。私たち二人とも馬鹿だなぁって思ったから言ってみただけ」


『そか』


 衣擦れの音がする。寝巻に着替えているのだろうな、と顔も知らない彼女の仕草を想像した。作業は完全に諦めて、通話を切ったらそのまま寝るつもりらしい。


「……君は、恋愛とかしないの?」


『何だよ、藪から棒に』


 ガタン、と音がする。大方物でも取り落としたのだろう。意外にピュアな反応が面白くてつい、笑いで声が震えそうになる。


「別に藪から棒でもないでしょ。いま漱石の『こころ』の話したし、イルミネーションのくだりの時だって」


『それもそうか。恋愛ねぇ……まあ、しないだろうね。色恋は文字を鈍らせる。相手が自分にとって絶対の価値観になっちまう。物書きに限った話じゃないが、表現者にとってそれほどつまらない話はないよ。我々の綴る文字に忖度が混じった途端、それは我々の創作ではなくなる。何者にも制限されるべきではないよ、我々のやるような自己表現的な創作は』


「ふーん、随分詳しいね?」


『……過去の話だよ、あんまり突っつくなって。そういうあんたはどうなのさ?』


「私?」


 ――そうか、創作の話をして、ここに行き着くか。


 どこか因縁めいたものを感じながら、私は答えた。


「色恋自体はねぇ、悪いものじゃないって思うよ。色恋自体はね」

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