Ⅱ
◆
「イルミネーション?」
『そう。青と白のやつ。……意外?』
「かなりね。君にイルミネーションを見に行くような相手がいるだなんて」
『茶化すなよ、そんなのいるわけないだろ』
苦々しげにそう言う彼女に、私は安心したよと笑う。
その日も今日と同じように、作業通話をしていた。
『イルミネーションってさ、なんつうか、情報量が多いじゃん』
「そう? 光ってるだけだよ」
『うーん、伝わらないかなぁ……視界が光でいっぱいでさ、脳が飽和してるかんじがして、光ってるなぁ、綺麗だなぁ、以外のこと考えられなくなる、どっか非現実的でふわふわした感覚』
「あー、何となく分かるかも」
『で、周りにたくさんある綺麗な光の中から、とりわけ強烈で鮮烈なのを探して、拾い上げて、それを上手い具合に組み込んで物語にするんだ。鮮烈なやつはほら、間隔とかタイミングとか大事だろ、その辺も調整しつつな。ただ、どれだけ綺麗でも所詮それは人工物で作り物――創り物なんだよなぁって意味も兼ねて、イルミネーション』
「なんで二回言ったのよ」
『漢字変換が違うんだよ、物書きなんだから察しろって』
「無茶言わないでよ。……なんか、意外と理屈っぽいね」
彼女が創作を人工物と認識しているのは意外だった。少し前の通話では「我々は心を切り売りしてるんだ」なんて語っていたのに。
案外現実的で醒めたところがあるんだなぁ、と考えかけて、やめた。地上と海中の生活を両立できるのは、きっと彼女のような人間だ。何もかも捨て置いて海に入り浸ろうとする破滅的な創作が、正しい筈なんてありはしない。当然のことだった。
『まあ人工物とか言ったって、それを忘れてよく迷子になってんのが私だけどな』
「安心したよ」
『何が?』
前言撤回。彼女は、やっぱり彼女だった。
『そういうあんたはどうなの?』
「私? 私はねぇ、海」
『海か。海もしっくり来るな』
「深く潜っていく感覚とかね」
『分かる分かる』
彼女が作業をやめる気配が、スピーカー越しに伝わってきた。どうやら作業より会話に興が乗ったらしい。私たちにはよくあることだった。そもそも作業通話なんて名ばかりで、まともに筆が進んだ試しがないのだ。
『深夜のブルーライトでもいいなって少し思うんだけどな。他に明かりのない部屋で画面とか見てると、余分な思考が溶けて非現実的な感覚に包まれるだろ』
「分かるけど、何、青色縛り?」
『ブルーライトは青くねぇよ』
そっか、と言うと、彼女は馬鹿だなぁと笑った。彼女に言われずとも、文字を書くことをやめられない奇病に侵されている時点で、私たちは二人とも馬鹿だ。
「……『ぼくはばかだ。』」
『『精神的に向上心のないものはばかだ』?』
「よく分かったね、今ので」
『漱石だろ。私好きなんだ、あの物書き。でもあれは恋愛の話だろ』
「まあね。私たち二人とも馬鹿だなぁって思ったから言ってみただけ」
『そか』
衣擦れの音がする。寝巻に着替えているのだろうな、と顔も知らない彼女の仕草を想像した。作業は完全に諦めて、通話を切ったらそのまま寝るつもりらしい。
「……君は、恋愛とかしないの?」
『何だよ、藪から棒に』
ガタン、と音がする。大方物でも取り落としたのだろう。意外にピュアな反応が面白くてつい、笑いで声が震えそうになる。
「別に藪から棒でもないでしょ。いま漱石の『こころ』の話したし、イルミネーションのくだりの時だって」
『それもそうか。恋愛ねぇ……まあ、しないだろうね。色恋は文字を鈍らせる。相手が自分にとって絶対の価値観になっちまう。物書きに限った話じゃないが、表現者にとってそれほどつまらない話はないよ。我々の綴る文字に忖度が混じった途端、それは我々の創作ではなくなる。何者にも制限されるべきではないよ、我々のやるような自己表現的な創作は』
「ふーん、随分詳しいね?」
『……過去の話だよ、あんまり突っつくなって。そういうあんたはどうなのさ?』
「私?」
――そうか、創作の話をして、ここに行き着くか。
どこか因縁めいたものを感じながら、私は答えた。
「色恋自体はねぇ、悪いものじゃないって思うよ。色恋自体はね」
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