まさか、この船に…
沖縄を出航した船は、予定よりも大幅にスピードを上げて全速力で横浜を目指していました。
2/3、家族から、
『船に陽性患者の人が乗っていたようだけど大丈夫?』
との連絡を受け、慌ててニュースサイトをチェックすると、確かにその事実が伝えられていました。
しかし、船内ではまだその事に関するアナウンスは無く、「予定を変更して1日早く横浜へと到着する」とだけ伝えられていました。
この間、船内ではイベントが何事も無いかのように開催されていました。
船側は米国CDCや日本側と常に連絡を取り合っていたと思いますが、該当の乗船客は既に下船済みでしたので、船側は、「サービスの継続で問題ない」との判断を下したのだと思います。
この時点では、あそこまで大規模に感染が広まっていたとは、誰もが予想していませんでした。
しかし、乗船客たちの間では早くも不安の声が上がっていました。
全速力の船は、予定より1日早い2/3の夜、横浜港に到着。
夕食後、これから検疫官による検疫があるので、自室にて待機するようにとアナウンスが入り、私の部屋に検疫官の方が来られたのは、午前0時になろうかという時でした。
ノックと共に現れた検疫官に問診票を渡し、その際に耳に体温計を当てられ、体温が計られました。
私の体調に問題ない事を確認すると、検疫官たちは次の部屋へと向かっていきました。
この時、検疫官達の格好が簡易マスクに手袋だけと軽装だったので心配しましたが、案の定、後になって検疫官の1人が罹患したとのニュースが流れました。
この作業は一晩中をかけて行われ、午前1時や、2時頃に検疫を受けたお部屋もあったようです。
当然ながら翌日の朝食のテーブルではこの話題で持ちきりでした。
本来の下船日は今日の2/4。
既に下船用の荷物タグも配られていましたが、前日に廊下に出していたスーツケースは全て部屋の中へと戻されていました。
「今日は船からは降りられなさそうよ。下船は、もしかしたら2~3日後になりそうね」
そんな会話が食事のテーブルで交わされました。
「帰りの飛行機を手配してたから、航空会社に電話して、実はダイヤモンドプリンセスに乗ってるんだと言ったら、無期限で変更してくれたよ。助かった」
そう話している人もいました。
既に世間では大きな注目を集めているんだと、実感させられました。
しかし、この時はまだまだ誰もが楽観ムードでした。
とある年配の女性客の方は
「別に1カ月くらいこの船に乗っててもいいのよ。高血圧のお薬さえあれば」
そう話されていて、私も大きく頷いたのを覚えています。
何でも揃っているこの船に、引き続き滞在する事は何の問題もないように思えたのです。
船内では相変わらずイベントが継続され、シアターではショーが演じられていました。
バーやメインフロアでは生演奏の美しい音楽が流れ、まるでいつもと変わらない光景のようでしたが、この日は、あちこちで手すりなどの消毒を行うクルーの姿が目につきました。
船内は、表向きは平静を保っていたけれど、裏ではかなり重大な何かが起こっている気配がありました。
それはまるで疫病が蔓延している事を決して旅行客に知らせないようにしつつ、懸命に街中を消毒していた、『ベニスに死す』のワンシーンのようでもありました。
既にネット上で
「14日間検疫を行う予定」
とのニュースが流れ始め、
長期戦での自室待機を覚悟した私は、夕食後にプールサイドに行くと、バスタオルを二枚ほど手にして部屋に戻りました。
隔離が始まったら、頻繁にタオルの替えはしてもらえないかもしれないとの予想からでした。
これは正解でした。
実際、新しいタオルへと変えてもらうサービスが再開したのは、船内隔離が始まって、やや経ってからでした。
そして翌日から、あの船内隔離生活が始まったのです。
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