その三十一 七夕会 ~織姫と彦星物語~
食事の時間が終わり、食堂は元の姿へと戻っていく。
利用者にも手伝ってもらったお陰もあるが、準備の時間に比べるとなんと手早いことだろうか。
「じゃあ、準備の方行ってきます」
俺の様子に気が付いたのか、それでもあの人は一瞬返事を遅らせて「おう」とだけ言った。
食事中の辻井さんを思い出してしまう。昨日まで当たり前に出来ていたことが出来なくなる。たまたまかもしれないがそれを目の当たりにすることが、意外なほど
ショックだった。
「どうされました?」
「え?」
川上さんが俯いていた俺の顔を下からのぞき込む。
「廊下の真ん中でぼうっとしてるので」
無意識に歩くことすら止めてしまっていたらしい。
「あ、いえ……」
上手い言い訳を探したが思い浮かばず、視線を泳がせるのが自分でも分かった。
「辻井さんのことでしょう?」
……やっぱりバレていた。
「……はい」
川上さんはじっと俺の目を見つめる。この人意外と睫毛長いんだな、なんて考えが頭をよぎる。
「思ったより進行が早いのかもしれないですね」
何の、とは言わなかった。それくらい言われなくても通じる。
「……ですね」
「ショックなのは分かりますけど、気持ちを切り替えていかないとまた同じ人が出たとき繰り返しますよ」
「だから……慣れろって言うんですか?」
自分でも驚くくらい語尾に力が入ってしまった。川上さんは苦笑を浮かべる。
「まさか。私だっていつまで経っても慣れませんし」
「……そう、なんですか?」
「ええ」
そう言って川上さんは視線を俺から逸らす。どこか、別のところを見ているようだった。
「私も今まで何人も利用者を見送ってきました。それこそ色んな事情の人が居て。色んな人が入れ替わってきました」
「……辛く、なかったですか?」
ふと沸いた疑問をそのまま口にする。川上さんは困ったように笑みを浮かべる。
「勿論」
「どうやって乗り越えたんですか」
「うーん……乗り越える、というのとは少し違いますかね」
川上さんは微笑を浮かべる。
「考え方を変えてみました」
「考え方?」
オウム返しに聞き返してしまう。
「ええ。記憶から消えてしまっても記録には残るんですよ」
そういってビデオカメラを見せる。
「すごい……欺瞞みたいですね」
「自分くらい騙してもいいじゃないですか。それに覚えていてあげること、思い出すことが残された側の務めじゃないかなって。私は思います」
そう言って前を向く川上さんの横顔は、俺と幾つかしか違わないのになんだかとても大人なような気がした。
「さ、もう一頑張りですから。行きましょう」
背中を押され、俺はレク室へと向かう。
『そっちの準備どうすかー?』
食堂からデイルームに移動した横山さんから椎名さんに連絡が入る。椎名さんは俺と川上さんを見る。
俺たちはこくりと頷いた。
「こっちも良いよー」
『了解っす。んじゃ今から放送入れて利用者そっちに送りますねー』
「はーい」
連絡が切れ、放送用のチャイムが鳴る。
『えー連絡します。これより七夕会の演劇をレクリエーションルームで行います。観覧される方はレクリエーションルームまでお越しください。繰り返し連絡します』
放送が終わると何人もの足跡が近付いてくる気配がした。
「なんか……緊張しますね」
「だいじょーぶだよ。行事って言ってもお遊びみたいなもんだから。それくらいのつもりでやって」
椎名さんが俺の肩を軽く叩く。そう言われても人前に立つ経験を殆どしてこなかった身としては荷が重いというか。
「失敗しても大丈夫ですよ。それで死人が出るわけじゃないんですから」
今度は川上さんからのフォローが入る。
「それに失敗したらそれはそれで笑いが取れるかもしれないですし、ある意味そちらの方が良いかもしれないですよ」
……それはちょっと、嫌だなあ。
「…………あの、カンペの用意とかは」
「「駄目(です)」」
二人同時に言われてしまった。
劇をする、と言っても舞台の壇があるわけではない。レクリエーションルームは窓に暗幕を引き、運動器具を端っこに追いやっただけの部屋だ。
二十メートル四方ほどの室内には利用者の七割程が集まり、ビニールテープを張られた線の内側に用意された椅子に座っている。来ていない人も居るが、強制参加ではないので職員としてはとやかく言う筋合いは無い。
最後に、辻井さんの乗った車椅子を押した横山さんが入ってくるとレク室の入り口は閉められた。
「よーし!じゃあ皆さんお待たせしました!」
椎名さんが手を合わせ大きな声で呼び掛けると、その場に居た人達の視線が椎名さんへと集まる。
「ただ今から七夕会、職員による演劇『織姫と彦星』のお話を始めまーす!」
拍手がまばらに起こる。
織姫と彦星の伝承、というのは大して長いものではない。
あるところに織物が上手な女性、織姫と牛を育てるのが上手な男性、彦星が居た。
神様は働き者の二人に感心し、二人を結婚させたのだがこの二人、イチャイチャしすぎて仕事を放ってしまったため怒った神様は天の川で二人の間を隔ててしまう。
そうして悲しみに暮れる織姫を気の毒に思った神様は七月七日、七夕の日にだけ二人が逢うことを許した。
そして夏の大三角に組み込まれる琴座のベガが織姫、鷲座のアルタイルが彦星、らしい。
……こうして思うと何も年一とかけち臭く聞こえる気がするんだけど。
ともかく、この劇の配役としては織姫を川上さん、彦星を俺、神様兼大道具小道具を椎名さんが担当することになっている。
ぱっと照明が消える。
光を暗幕に遮られ真っ暗になった室内で椎名さんがホログラムプロジェクターを起動すると、薄明りに彩られた光点がいくつも浮かび上り、三百六十度全ての視界を星々が覆いつくす。
更にもう一つのホログラムプロジェクターを起動する。白煙が投影され足元を覆い、雲海のように広がっていく。そこへぱっと明かりが椎名さんの頭上を照らし、白い装束をARで写した姿で語りを始める。
『さあさあここは雲よりも高い天の国。今日も織姫は真面目に織物をしているのかな?』
大仰にそう叫ぶと椎名さん、もとい神様は額に手を当て周囲を見渡す動作をする。そうすると今度は川上さん、織姫の頭上に明かりが灯りホログラムで映し出された機織りが登場する。
『かったんこっとん。かったんこっとん。あぁ。今日も綺麗な布が織れましたわ。これなら神様も喜んでくれるかしら』
神様は嬉しそうに声を弾ませる織姫を背後から見つめるとうんうん、と頷く。
『それじゃあ次は牛飼いの彦星の様子を見ておこうかのう。あいつも良い牛を育てるんじゃが、まだ始めて三ヶ月の新人じゃからのう』
しれっとアドリブ入れてきたぞこの人!!?
くすくすと会場内で小さな笑いが起こる。
く、くそ冷静になれ俺……!セリフを思い出せ……!と念じていると、合図で頭上に明かりが点く。
『あ、あー。今日も元気な牛がいーーーーっぱい育ったぞお!これだけ立派な牛が居たら神様喜んでくれっかなあ!』
AR機能で甚兵衛を着ているように見せ、ホログラムで牛を投影する。牛は全く動く気配がないがこの劇的には全く問題ないので気にしない。
どうにかセリフを噛まずに言うことが出来た。
神様は俺と目が遭うとまた大きく二度頷く。
『おーおー彦星もよう頑張っとるのう。さてさて。頑張っとる若い二人のことじゃ。一緒に夫婦になっても上手いことやっていけるじゃろう。どうじゃ?』
頭上の明かりが彦星と織姫を照らす。
『も、勿論嬉しいです!な、なあ織姫!?』
織姫の方を見ると、彼女は一瞬嫌そうな顔をした後でこちらに目を合わせにっこりと笑う。
『ええ。神様が言うなら仕方ありませんわよね?』
『仕方ないって言っちゃったー!?』
会場内にまた小さい笑い声が起こり、織姫と彦星の上の明かりが消え、唯一照らされた明かりのみに視線が集まる。
『うんうん。織姫や。彦星をしっかり尻に敷いて仲良くやるんじゃぞ。わしゃ織姫の織ってくれた布地で作った着物を着て彦星の育てた牛をステーキにして食ってくるでの!』
そう言って神様は背を向けると、歩き出す。それと同時に明かりが消え室内は無音になる。
『神様は安心し、心ゆくまでステーキを食べました。しかし、そんな神様の思いとは裏腹に二人は親密になり、仕事が全く手に付かなくなってしまったのでした』
再び彦星と織姫の頭上が照らされる。
『あー。織姫ー……可愛いな織姫……』
『えっ……普通に怖いんですけど』
『台本にそう書いてあるんですから仕方ないでしょう!?』
会場の人たちが笑う声が聞こえる。
くそう!ホントに台本通りなのに!!
『まあまあ彦星様落ち着いてくださいな。それよりお仕事はしなくて良いんですか?』
『いやーしないいけないのは分かってるんだけどね……。こうやって君を眺めている方が大事な気がして……』
『ふふふ。嬉しいですけどこのままだと貴方私のヒモみたいになってしまいますよ?』
『この織姫さんちょっと口悪くないですか神様ーーー!?』
口元を袖で隠して笑う織姫に素でツッコミを入れてしまった。
そこにぱっと明かりが点き神様が姿を見せる。
『ややっ!彦星め!織姫のことばかり見おって牛を全然育てていないではないか!!道理で最近ステーキにありつけんわけじゃ!!』
『そんな毎日ステーキ食わないでくださいよ!尿酸値とか上がりますよ!!』
『ちょっとリアルな話をするでない!!』
悔しいのでちょっとアドリブを入れてしまった。わははと笑い声が聞こえる。反応は悪くないみたい。
神様はきっと彦星を見ると厳しい目をする。
『ええいとにかく!そのように怠けているようではいかん!ここに川を引くから二人が逢うことは今後禁止とするぞ!!』
神様がそう言い、足を踏みつけると白い光が織姫と彦星の間に流れていく。
『あぁっ!彦星様ぁ!』
『織姫ーっ!』
手を伸ばすが、川を隔てたその手は向こう岸にいる織姫には届かない。
『お歳暮にはヒレ肉が良いですわーーーーっっっ!!』
『結局肉の話かーーーいっっっ!!』
彦星の声がエコーし、両名の明かりが消える。
椎名さんのナレーションが入る。
『こうして神様は織姫と彦星の間を天の川で引き裂いてしまいました。これで二人とも仕事に集中するだろう。神様はそう思っていたのですが、織姫が織る布はどこか雅さに欠け、彦星から捧げられる牛も、どこかぱさっとしていて旨味が足りないと神様は思いました』
神様の頭上の明かりが消え、織姫の姿が機織り機と一緒に照らされる。
『あぁ……彦星様。織姫は寂しゅうございます。こうして離れて初めて知りました。貴方様は私にとってかけがえない人だったのですね。よよよ……』
顔を隠して織姫は泣き崩れると明かりが消え、再び神様に明かりが向く。
『おお、なんということじゃ。まさか織姫がこのように悲しんでおるとは。彦星の方はどんなもんじゃ?』
神様が顎を撫でる素振りを見せると、今度は彦星の頭上に来る。
『あ、あー織姫ぇ。会いたいよ織姫ぇ…………』
『あいつ駄目じゃな』
『態度の温度差ひどくないですか!?』
視界の端にいる横山さんが体をくの字に曲げて笑っているのが見えた。
『ごっほん。とにかくじゃ。このまま二人が悲しんで暮らすのは忍びない。ちょっと反省してくれればと思ったのじゃが流石にやりすぎてしまったようじゃしかしどうしたものかのう。うーむうーむ』
三人の頭上が照らされ神様は二人の間を往復しながら唸る。
『そうじゃ!』
足を止めると手をぽんと叩いて神様は利用者側を向く。
『年に一度、年に一度だけ!二人が逢うことを許そう。時期はそうじゃのう……。この二人を隔てた川を敷いた日、七月七日!この日だけは許そう。どうじゃ!?これなら二人とも仕事のやる気が出るじゃろう!?』
神様はそう言うと勢いよく振り返り、織姫と彦星を見る。
『えっ、せめて週一とか月一とか……』
『反応に困るからそこでアドリブを挟まないの』
とうとう駄目出しをされてしまった。
『そうですよ彦星様。それに私たち、本来であればもう逢えないところだったのですから。年に一回だけでも逢えるだけでラッキーですよ』
『織姫も時代とか考えて。横文字横文字』
『あっ……』
どうやら川上さんもアドリブを挟もうとして間違えたらしい。
川上さんは間違ったことを恥ずかしがっているのか、顔を赤くして俯いてしまった。
『さーここで、音楽を掛けるよ!皆で一緒に歌ってくださいねー!』
神様、もとい椎名さんが童謡『たなばたさま』の歌詞データをその場にいる利用者に送る。
『じゃあ音楽掛けるよー!……ってあれ?』
椎名さんが手元のホロキーボードのエンターキーを押すが音楽は再生されない。
『おっかしーなー……。あれ?あれっ?』
その後もエンターキーを連打するが一向にBGMが流れる気配はない。
室内に集まった利用者が徐々にざわついていく。
『ちょ、ちょーっと待ってねー!』
椎名さんがそう言い、わたわたとホロキーボードをタイプする。
その時だった。
歌声が聞こえた。
「えっ……?」
皆が歌声のする方を向く。
その歌を歌っていたのは、室内の最後尾で車椅子に座っていた辻井さんだった。
辻井さんは皆の視線が集まっていることに気付くと照れ臭そうに言う。
「あ……ごめんなさい。なんだかとても懐かしくって」
「いえ」
椎名さんは微笑を浮かべると辻井さんを見る。
「合図をするので最初からもう一度、お願いできますか?」
辻井さんの顔が明るくなる。
「いいの?」
「ええ」
「それじゃあ頑張っちゃうわね」
「頼もしいです」
椎名さんは視線を皆へ向ける。
「それじゃあ、皆さんいいですか?」
息を吸い、合図を出す。
「さん、はい―――っ」
『えー。これにて七月の施設行事。七夕祭りを終わりにします。参加してくれた皆さま、ありがとうございましたー!』
劇が終わり、おやつの時間になった時椎名さんが挨拶をする。
これで、七夕会は終了だった。
「お疲れ様でした」
「おつかれさまー。いや助かったよー」
「お疲れ様でした」
椎名さんと川上さんがそれぞれに言う。
「終わったしこのまま打ち上げで一杯!……ってわけにはいかないのがこの仕事の辛いとこよね」
「その前に報告書がありますからね。早めによろしくお願いします」
がっくりと肩を落とす椎名さんと冷静に言う川上さん。
「あーい……」
夜勤の桂木さんが来ると、椎名さんは「じゃ、休憩いこっか」と言い食堂を出ていく。今日は早めに来たし休憩も碌に取れずに動き回ったので一刻も早く休憩に行きたい。だが。
「すいません、先に行っててください」
俺の言葉に二人が顔を見合わせる。
少しだけ、気になることがあった。
「おー」
「では、お先に」
二人を見送った俺は―――、辻井さんの所へ赴いた。
「あら、どうしたの?」
「いえ。さっきは助かったので。そのお礼をと思って」
「さっき?」
「ええ。童謡、歌ってくれたじゃないですか」
「ああ」
何のことだろうか、といった様子で辻井さんは視線を宙へ泳がせ、やがて合点がいったように言う。
「ごめんなさいねあの時は。つい、懐かしくなっちゃって」
「懐かしい、ですか?」
「ええ。今日、七夕でしょ?」
俺は頷く。辻井さんは遠くを見ているようだった。
「色んな家で歌っていたから、つい、ね」
「……そうですか」
「ありがとう。お陰で私、とっても楽しかったわ」
「…………喜んでいただけたなら、何よりです」
「勿論よ」
その言葉が聞けて、よかった。
安心した俺は、辻井さんへ改めてお礼を言い、休憩へ入った。
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