その十九 朝の申し送り
「えーそれでは本日の申し送りを始めたいと思います」
横山さんの声で申し送りが始まる。
「とりあえず昨晩の様子ですが、遠藤さんが夕食時から不穏な状態見られています。記録にもありますが夕食時に金本さんと口論になったため両者の席を離し、それぞれから事情を聴きました」
遠藤さんは60代の
「えー……口論の内容なんですが」
横山さんが口を濁す。いや、濁すというよりは苦笑しているようだった。
「おかずの話です」
「おかずってご飯の?」
施設長がアイレンズを点滅させて尋ねる。
「はい……。何でも横山さんが隣に座っていた金本さんのおかずの量を見て、『贔屓されてる奴は飯貰えていいよな』って言ったらしくて……」
「ははぁ…………」
施設長も呆れたような返しだった。
「で、実際どうなの?」
施設長が横山さんと内藤さんを見る。
「既に二人とも食事に手を付けていたので断定は出来ませんけど、仮におかずの量に差があったとしても誤差の範囲だと思いますね」
内藤さんが答える。
「まぁそうだよねぇ」
「そんな差別厨房ではしませんよぅ」
そう言って手をヒラヒラ振るのは女性型
「まぁそうだよなぁ」
施設長もそれ以上は特に言及するつもりはないようだった。
「一応二人とも個別で
……しかし、なんというか。
「年取ると却って子供みたいな理由でケンカに発展するんですから困っちゃいますね」
施設長がやれやれと首を振る。
「いや全く。でも本人たちにとってみたら真剣ですからね。こちらも真剣に向き合ってあげないと」
「そうだね。ご苦労様」
施設長が横山さんにそう声を掛ける。
横山さんは会釈だけして返すと昨晩の様子を続けて報告する。
廃熱が上手くいっていないのか夜間熱があった利用者がいたが、看護師に連絡を取り一晩様子を見たところ今朝平常に戻ったとのこと。
「あとは辻井さんですね」
そこで場の空気が少し変わるのを感じた。
「昨夜は日が変わってからですね。午前四時に一回だけでした。居室から出て来て廊下を歩いていたので『どこへ行かれるんですか?』と声を掛けたところ『ご飯の時間だから食堂へ行こうと思って』と答えられました。まだ食事時間ではないことを伝え居室へ誘導し、入床を確認しました。以降一時間毎に巡視を行い、入眠を確認しています。朝は起床時間に声掛けをし、介助にて起床されています。その際食事の話などは出ませんでした」
「そっかぁ……ケアマネと相談して養護から移ることも視野に入れないといけないかもしれないねえ」
ケアマネージャーというのは介護を必要とする利用者が介護保険サービスを受けられるように、ケアプランの作成やサービス事業者との調整を行う人のことだ。
この施設だと主任である桂木さんがケアマネージャーを兼務しているのだが、今日は夜勤であるためその姿は見えない。
「えー。支援課からは以上ですがあと何かありますか?」
横山さんが周囲を見渡す。
事務、看護師、栄養士の三人がそれぞれ「ありません」と答える。
「では本日の申し送りは終了とします。本日も一日よろしくお願いします」
その場にいる全員が「よろしくお願いします」と口を揃えて席を立つ。
「じゃあ俺朝会行ってきます」
「うぃー。よろしくぅ」
横山さんが半分オフモードのようなだらんとした声でPCに先ほどの申し送り時の伝達事項を入力していく。これを入力し終えて、紙媒体で印刷し各部署に回したら晴れて自由の身となるのだが、申し送りの時間が9時、即ち勤務時間上退勤後に行う為どうしても帰れるのは早くても9時30分。遅いと10時を回ってしまう、というのが現場の
なので最後の大仕事、申し送りを終えた後の夜勤職員は半ばスイッチが切れたような状態になるのは珍しくないことだった。
「あー……かったりぃ……」
横山さんのぼやきに内藤さんが「もうちょっとなんだから頑張ろうよ」と励ましている。
「ちくしょージャンケンで勝ったからっていい気になりやがってー!」
「なってないし『明日の申し送りジャンケンで負けた方な』って言っていきなり勝負仕掛けてきたの横山さんだからね?」
……なるほど。そういう理由か。
「印刷したら僕配ってくるから早くやって帰ろうよ」
「はいはい……わぁーったよ……」
にしてもこの二人仲良いなぁ。同い年で同期なんだって話を誰かから聞いた気がする。
っと。俺も仕事仕事……っと。
俺は支援室のドアを開けデイルームへ移動する。
「おはよーございまーす!」
そしてなるべく元気に挨拶をする。
朝会の始まりである。
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