第2話

 いや、正確に云えば外はある。

 ただ、普段なら四階建ての校舎の三階に当たる2年2組の教室からは、代わり映えしない校庭とありふれた町並みが延々と続いているのだが、現在はその町並みが見えない。


 真下にグラウンドはあるものの、昼間だというのに薄暗い。窓から顔を出して周囲を確認すると、岩肌が確認できる。岩にはクリスタルでも埋め込まれているのか、青白い光がぼんやりと周囲を照らし出している。


 上を仰ぎ見れば空はなく、やはり岩壁が視界一面を覆っていた。グラウンドでサッカーやバレーボールに興じていた生徒も、狐に摘ままれたように呆然と立ち尽くしている。


「ねぇ、文吉……ここどこ? 町は、あたしたちの家は何処にいったの?」


 まるで幽霊でも見てしまったかのように目を丸くし、長い睫毛をパチパチと鳴らす雫。


「落ち着いて、雫。たぶん、消えたのは俺たちの方だ」


 普通に考えて町が突然消滅して洞窟に変わりました……なんてあり得ない。

 いや、それを言えばこの状況事態が既にあり得ないのだが、考えられる可能性の一つとしては、先程の地震により空間に断続的な歪みが発生し、その影響で校舎ごと何処かに飛ばされた……ワープしたと考えるのが妥当ではないだろうか。


 しかし、そのようなオカルトチックでSF的なことをこの状況下で口にするほど、俺は無神経ではない。


「とりあえず一旦落ち着いて先生たちの指示を待ってみよう。こういう時の緊急時用のマニュアルみたいなのがあるはずだよ」


 そんなものあるはずないのだが、俺はパニックを起こしかけている雫を冷静にさせようと適当な言葉を並べる。ここで今最も懸念しなければならないのは、混乱した状況のまま闇雲に動き回ることだ。


「そうだ、スマホ!」


 雫は慌てて自分の席に戻り、鞄からスマートフォンを取り出すが、表情は冴えない。


「ダメ……圏外だ」

「だろうね」


 考えなくてもわかりそうなことも、混乱した頭では理解できないのだろう。洞窟内に電波が入らないことなど小学生でも理解している。

 そもそもここが日本なのか……地球なのかも怪しいところだ。


「ねぇ、どうしよう文吉」

「だから落ち着いて。今は慌てたってどうにもならないだろ?」

「どうしてそんなに落ち着いてるのよっ! あたしたち家に帰れないかも知れないのよ! それに……お父さんやお母さんだって」


 わからないことを嘆いたところでどうしようもない。不安を口にしたい気持ちはわかるけど、無闇に不安を煽る言葉を口にすれば、それに同調した生徒たちが一層不安を掻き立てる。

 あっという間に負のスパイラルが完成してしまう。


 それが最も危惧すべき事柄だと俺は考える。



「そりゃ……文吉の意見は正しいけど」

「とりあえず職員室へ行ってみようか? こういう時は大人の意見に従う方がいいよ。今最も懸念すべきことは統率力を失い、みんなが秩序保てなくなるということだよ。こういう状況だからこそ、一人一人が冷静に対処しなくちゃね」

「そ、そうだよね。……文吉は本当に凄いな。こんな状況でも相変わらず表情一つ変えないんだもん」

「単純に感情の一部が欠落しているだけだよ。褒められることじゃない。寧ろ俺の欠点だと自覚してるよ」

「そんなこと……ないのに」

「とにかく職員室へ行ってみよう」


 雫を連れ出し教室を出て、二階の職員室へと向かうが、既に職員室の前には大勢の生徒が群がっていた。

 みんな考えることは同じということだ。


「雫っ!」

「寧々ちゃん!」


 一堂寧々と愉快な仲間たちだ。


「雫も無事だったのね! 良かった。中には割れた硝子の破片で怪我した子や、階段から落ちて怪我した子もいるみたいなのよね」

「えっ!? 大丈夫なのかな?」

「う~ん、どうだろう? さっき一階の保健室をチラッと覗いたんだけど、あそこも人で溢れ返っているから」

「雫っちに怪我がなくて良かったよ!」


 二人の会話に割り込んだのは東城恒彦とうじょうつねひこ。仲間内からはつねちゃんと呼ばれており、クラス内カーストランキング上位のお調子者だ。


「うん、つねちゃんも怪我しなくて良かったね」

「雫っちは優しいな~、付き合う? 俺っちと付き合っちゃったりする?」

「つね、冗談はその辺にしとけ。雫ちゃん困ってるだろ?」

「そうよ! 誰があんたみたいなお尻の軽い男と付き合うのよっ!」


 東城にやれやれと声を掛けたのはクラス内カーストランキングNo.1。

 2年にしてサッカー部のエース――常田優矢ときたゆうや。校内にファンクラブまであると噂される、リア充の代表者のような爽やかイケメンである。性格もかなり良いらしく、男女問わず人気の高い生徒だ。


「桂君も怪我がなくて良かったよ」


 絵に描いたような爽やかな笑顔を向け、俺のことまで気遣ってくれる。クラスのヒエラルキーを司る意味も理解できる。正直俺とは正反対の人間だが、嫌いじゃない。

 誰に対しても優しいという者は、一見ひねくれた者からしたら偽善者に見られがちだが、優しくあろうとする時点で優しいのだと思う。


「ありが……」

「なんだ桂も居たの? 相変わらず陰が薄くて気付かなかったわ」


 彼に感謝の言葉を述べようとしたのだが、それを遮り須藤茜が悪びれる様子なく事実を口にする。

 まぁ、事実なので別になんとも思わないが……俺からすれば彼女も十分陰が薄い方だと思う。

 いつも一堂の背中にくっついて歩き回るだけの彼女に、これと言った印象はなく。クラス内カースト上位者の彼らに好かれようと、今時の女子高生を無理して演じる姿が痛々しく映る時もある。


 決して本人には口が裂けても言えないことだが……。


「みんな一度体育館に移動してくれるかぁ? そこで今後の事について校長先生が話してくれるから」



 職員室から出てきたのは体育教師で生活指導の飯塚先生だ。みんなからはラオウと呼ばれている。ちなみにラオウというあだ名は大昔に流行った漫画、【北斗だ拳】の中に出てくる登場人物のことらしい。

 筋肉質な見た目がそっくりなのだとか。


「とりあえず、僕たちも体育館に移動しようか?」

「そうね。ここに居ても埒が明かないわ」


 常田の意見に頷いた一堂たちと共に、俺も体育館へ向かうことにした。雫は友人たちと話したことで少しは落ち着いたのか、時折笑顔も見せていた。


 校舎から外へ出ると、少し肌寒い。

 新学期が始まったばかりの4月の気候より幾分温度が下がっているのは、洞窟の中だからと思われた。


「寒いわね」

「あっしカーディガン教室に置いてきちゃった」

「僕の上着で良かったら貸そうか?」

「ええ、いいの!? さすが優っ! 優しい!」


 常田が着ていたブレザーをサッと脱ぎ、須藤に手渡している。こういう気遣いの出来るところもモテる秘訣なのだろう。紳士的な行動……とても真似できないな。


「にしても……なんかめっちゃ綺麗じゃねぇ?」

「うん。宝石を……ブルーサファイアを散りばめたみたいだよね!」

「雫はメルヘン過ぎ」


 談笑する彼らと共に体育館へやって来ると、生徒会の人たちがクラスごとに床へ座るように指示を出していた。



 俺たちはそれに従い、教えられた2年2組の生徒たちが集まる場所で腰を下ろした。

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