しない女子

シロクマKun

第1話



「うぅ、道着冷たい。くさいし」

 夏に剣道なんてホント、やるもんじゃない。しこたま汗を吸ってあり得ないほど重くなった道着は、部屋干ししたまま2、3日放置した洗濯物の生くささを更に10倍くらいにしたような激臭を放つ。たとえそれがうら若き乙女の玉のような汗だって、臭いもんは臭いのだ。


 稽古終わりに、これまたいい感じに蒸れた部室でうんざりしたようにそう呟いたら、酒井に竹刀で頭をぽかりと叩かれた。


「あんたがさっさと着替えないからでしょうが? 泉、あんただけだよ、まだ着替えてないの」


 どっかの黄色い小熊みたいな体型の酒井は我が女子剣道部の主将なんだけど、あたしに対してやたら当たりがきつい。本人いわく、「あたしはあんたの保護者だから」って事らしいんだけど、そんなにあたしって頼りないんだろーか?


「だってあんた馬鹿じゃん?」

「え、こんな目の前でディスる?」

 

 つか、なんか後輩達もあたしを生暖かい目で見てるんだけど?


「泉先輩って剣道やってる時はめっちゃ格好いいですけど、普段はホント残念ですよね?」


 うわぉ、あたしそんな風に思われてたんだ?

 ちょっと酷くない? 一旦持ち上げといて落とすとか、何バスターの使い手ですか?


「岩田先生もおんなじ事言ってましたよ?」

 ん? その後輩ちゃんの言葉にあたしはがっつり食い付いた。

「え、岩田先生があたしの剣道格好いいって言ってた?」

「ま、まあ言ってましたけど、どっちかって言うと普段残念って方がメインかと……」

 後半なんかゴニョゴニョ言ってたけど、あたしは聞いちゃあいなかった。


 岩田先生(たぶん26歳)は剣道部の顧問で、銀縁眼鏡が良く似合う、すっきりとした細身の人で、あたしが今一番気になっている男性だ。


「ちょっと泉、アンタあんな陰キャが好みなわけ?」

「ええっ、先輩趣味悪いですよ、あんな感情の起伏に乏しい人、有り得ないですよぉ。あの先生がまともに笑ってるとことか見た事ないですもん」

 おいおい、なんかむちゃくちゃ言われてるな、あの人。でも、小熊と後輩に引かれたって好きなもんはしかたない。


「まぁ、『割れ鍋にイベリコ豚』って言うしね?」

「閉じ蓋な? 丼ぶりにしてどーすんのよ? ってかそれ自分で言う?」

 うーん、ワザとボケてるわけじゃないんだけど、酒井のツッコミがいちいち厳しい。


「でもさ、ウチが強くなったの、岩田先生のお陰だよね?」

「まあ、それはそうだけどさ……」


 実際、常に一回戦敗退を繰り返していた我が明成高校の弱小剣道部が、最近そこそこの成績を納めるようになったのは、ひとえに岩田先生の指導の賜物だ。


 すると、そのやり取りを聞いてた後輩ちゃんの一人がおずおずと手を上げた。

「あの……その岩田先生の噂聞いたんですけど、夏の大会が終わったら辞めちゃうって……」

「はぅっ⁉」


 後輩のその言葉に口をあんぐりと開けてしまうあたし。

 ええっ、そんなの聞いてないんだけど!?




「ええ、今度の夏の大会が僕の最後の指導になります」


 昨日聞いた噂を確認すべく、女子部員全員でゾロゾロと職員室に赴き、直接岩田先生に聞いた答えがこれだった。


「理由はなんですか?」主将の小熊ちゃんこと酒井が聞く。

「実家が農家でね。いずれ帰る約束だったんです。最近、両親も急激に体力が落ちてきたようなので」

「それ、すぐじゃなくて良くないですか?せめてあたしらが卒業するまでいるとか」

 ぶっちゃけあたしが卒業するまでいてくれたら、その後の事はまあいいし、って、思ってたらなんか後輩ちゃん達がめっちゃ睨んでくるんですけど。 


「こういうのは早い方がいいんです。ずるずる伸ばすと辞めにくくなりますから」

 うーん、暖簾に腕押し、床に釘ってヤツですか※注 正解はヌカですよ〜

 あたし達も結構食い下がったけど、先生は頭も意志も釘が打てそうなくらい固かったのだった。



 ◇

 


 すごすごと職員室を後にしたあたしらは、暫し無言で廊下を歩く。このまま諦めたくなかった。さて、あの石頭を引き止めるにはどーしたもんか?

 あたしは無い頭でほっとけっ必死に考え、ひとつの結論に達した。


「決めた。あたしが岩田先生を落とす」

 突然あたしがそう叫ぶように言ったもんだから、周りの後輩連中がギョッとしてる。あーまあそうなりますよね。


「落とすって……穴にですか?」

「いやいや、ドッキリじゃないんだから穴に落としてどーすんのよ? じゃなくてあたしの魅力でメロメロにさせるってゆー、ね」

「はぁ? あんたバカ? あ、聞くまでもなくバカだけど」酒井が呆れたように言う。

「なんでよ? やってみなきゃわかんないでしょ? あたしはやらずに後で後悔するバカより、やって砕けるバカになりたい」

「何、名言みたいに言ってんのよ?」

 酒井にツッコまれてしまった。

「既に砕ける前提なんですね」後輩ちゃん達もジト目で見てるし。

「とにかく、あたしに惚れさせて、辞めるのは撤回させる」

 更にでかい声であたしは宣言する。

 普通に廊下だから、他にギャラリーも多かったりするんだけど。うわー、なんかみんな痛い子を見るような目で見てくるな。でもあたしは本気のマジなのだった。





 その日の放課後、剣道場にやってくるとすぐ、男子剣道部主将の明石が近寄ってきた。剣道部は男子女子合同で練習している。もちろん、指導するのは男女とも、岩田先生だ。


「泉、ちょっといいか?」

 男子主将の明石は見た目はまあソコソコなんだけど、側にいるだけで部屋の温度が2割増くらい高く感じるほど暑苦しいのが難点なヤツだったりする。


「ん、なに?」

「実は前からお前が好きだった。付き合って欲しい」

  熱血オトコの真顔の告白に

「「えええぇーーーーーーーーー⁉」」

 っと、男子部員と女子部員がどよめく。

 

 いや、ぎょえぇっ! って叫びたいのはこっちなんだけど。つかこんなトコで告る? 普通?


「ごめん、あたし好きな人いるんだよね」

「やっぱり岩田先生か?落とす宣言はホントだったんだな?」

 え、そんなに有名になっちゃってました? つか落とす宣言って、改めて聞くとバカ丸出しだなあ。

「うん、まぁ、そゆ事」

 あたしがそう言うと、明石は自分の顔を両手でパンパンと叩いた。

「よおし、わかった。これより男子剣道部員全員、お前と岩田先生をくっつける事に協力する」

「へ?」何言ってんの、この人?

「我々も先生に辞めて欲しくない。それに岩田先生なら安心してお前を託せる」

 いや、なんであんたが勝手に託すんだよ?


 明石がそう言いながら後ろに並ぶ男子部員達を促す。

「「泉先輩、俺らも協力します!」」

 男子部員らの野太い声で応援されちゃったよ。なに?この状況。


「そういう事なら、女子部員だって皆応援するよ?」対抗するように酒井が言い、女子部員たちを見ると

「「そーです泉先輩、協力します」」

 と、こっちからも声援送られちゃったし。コイツらなんか面白がってない?


「ぃよーし、では剣道部員全員で泉と岩田先生をくっつけるぞ!」

「「「「おおー!!」」」」


 うわー、なんか図らずして一致団結しちゃったよ? こんなんでいいのか?

 




 その日の部活終わりの道場で、早速ヤツが動き出した。


「岩田先生はどんな女性が好みですか?」

 うわおイキナリそれ? 明石ってば、どんだけストレートに行くんだよ?

 ちょっとは際どいとこから攻めようよ?

「ん? そうですね。おしとやかな女性が好みです」

 ほら、この人も軽くセンター前に弾き返してくるしさ。


 ハイ、いきなりあたし消えました。


「外見は?スラッとしたモデル風がいいとか?」

「いえ、どちらかと言えば、ぽっちゃりの方が好みですね」


 ぐふっ、このスケベが。そんなにムッチリがいいんかい⁉ ←(言ってない)


「趣味とかは?」

 ハイ、あたし、カラオケとかゲームですけど。


「読書とかですね」


 ……コイツ、わざとあたしの真逆言ってないか?

 とりあえずアンケート的なアレは全滅なのだった。





 とある昼下がり。あたしはベンチに座って読書をしていた。もうすぐここを岩田先生が通るはず。実はここ数日間、先生の後をつけて、だいたいの行動を把握しておいたんだよね〜。やっぱり愛する人を知る世間ではこれをストーカーと呼びますって事は大切じゃない?


 あ、来た来た。


 あたしは本に目を落として、岩田先生が近づくのを待つ。先生があたしに気づいて声を掛けてくれたら、そのまま楽しく会話して、上手く行けばデートの約束取付けたりしちゃったりなんかして、キャッ……って、ちょっとおいっ、まさかのスルーですか⁉


「先生!こんにちは!」

「おや、泉さん、こんにちは。熱心に読書してるからあえて声かけなかったんですけど」

 いや、アンタ絶対わざと無視したろ?

「ほう、太宰ですか?「人間失格」? アバウトなあなたと真逆ですね」

 ん、どういう意味? まあ、コレ選んだの薄かったからなんだけど。

「先生は何を読まれるんですか?」

「そうですねぇ、夏目漱石は好きですね。ところで……」

 そう言いながらあたしの横に腰掛ける。

「このところ僕を付回しているようですが、アレは止めてください。通学路で振り返るといつも君がいるのは、はっきり言ってホラーです」

 うわあ、咄嗟に隠れてたつもりだったけどバレてたのか。

「で、何でいつもトースト咥えてるんです?」

「いや、お約束というか何というか……、スイマセン」

 ああ、面と向かって指摘されるとたまらなく恥ずかしい。


「あと……へんな噂を聞いたのですが。僕があなたに狙われていると」


 あ、やっぱり、知ってたんだ?


「あたし、絶対先生に辞めて欲しくないです。だから先生があたしを好きにさせて学校辞めるのを止めさせます。そして、あたしが好きだって言わせて見せます」

  なんかわかりにくい言い回しになったけど、先生には伝わったみたい。


「それは無いですね」

 まあ、予想を裏切らない返事だったけど。

「じゃあ、もし好きだって言わせたら、辞めるの伸ばしてもらえますか?」

「いいですよ?絶対、言いませんけどね?」

 あぁ、憎ったらしいな、コイツ。

「約束ですよ?」

 よし、まあこれで一歩は進めたかな。見てろよ? 最後に勝つのはあたしだ。


 たぶん。





 ◇


 その日の部活終わりに明石に声掛けられた。


「泉、ちよっと付き合ってくれ」

「ごめん、あたしアンタとは……」

「ちげーわ。剣道の練習だ、練習」






「なあ、泉。俺思うんだよね。お前普段バカだけど、剣道やってる時だけはスゲーかっこいいんだよ。だから、剣道でアピールするのが一番じゃないか?」


 あたしは強さは上の下くらいなんだけど、型や動きの綺麗さは全国レベルだってよくいわれるんだよね。そういえば、岩田先生にも褒めてもらった事がある。


「だからさ、お前、この型を覚えろ」

 明石はそう言って、一つの型を見せてくれた。


 それはとても男らしく力強い型だった。







 いよいよ夏の大会が近くなったが、あたしと先生の関係は相変わらずで全く進展なしだった。

 

 最近は大会に向けて遅く迄練習が行われている。今日も部活が終わった頃には、夜空に月がぽっかり浮かんでいた。


 今あたしは月明りに照らされながら、道場前で型の自主練をしている。あの日、明石に教えて貰った型の稽古はずっと続けていた。お陰で今では、完璧と言えるほどのスムーズで美しい動きになったと思う。



 突然、パチパチと拍手され、振り返えるとそこに岩田先生がいた。


「相変わらず動きはいいですね。普段の君からは考えられない美しさです」

 ……それ何気にディスってません?

「もうすぐ大会です。結局、賭けは僕の勝ちですね?」

 その先生の言葉にあたしは曖昧な笑みを返す。


「先生、さっき褒めてくれましたけど具体的にどの技が綺麗でした?」

 話を逸らすようにあたしが聞くと、先生は少し考え、こう答えた。


「そうですねえ、特に……



「キターーーー‼」

 その先生の言葉にあたしは大声で叫ぶ。

「やったなっ!」

 道場の陰から、植え込みの陰から、アチコチから剣道部員達が飛び出して来て、興奮しながら叫んでる。

「な、なんですか?」

 目が点になってる先生に酒井が詰め寄った。

「ついに告りましたね?先生!」

「はあ?何の話しです?」

「今、泉に言ったじゃないすか? 愛してますって」

 何故か汗だくの明石も叫ぶ。その言葉にサッと顔色が変わる先生。


「……まさか、夏目漱石のアレですか?」

 やっと先生も腑に落ちたようだ。  


 アレとは、「I love you」を夏目漱石が「月が綺麗ですね」と訳したとされる逸話の事だ。


「ぼ、僕が言ったのは技の突きですっ、ムーンの方じゃありませんっ」

「「そんなの、聞いただけじゃわかんないです!」」

 もう全員がノリノリで叫ぶ。

 

 呆然としてる先生に、

「約束ですよね?」

 あたしがそう駄目押ししたら、ついに先生は観念した。

「……分かりました。辞めるのは取り敢えず延期します」

「うおっしゃー」全員が歓声をあげ、「よし、我々は引き上げるぞ」と明石の号令の元、ダッシュで慌ただしく去っていった。まるで嵐が去った後みたいにあたしと先生二人だけ残される。

 あれ? もしかしてコレ、いい雰囲気じゃない?


「まったく、こんな無理クリな手でくるとは……いや、まあ、うん……、ところで泉さんはキャベツはお好きですか?」

「へ?」

 いきなり何言い出してんだ? この人?


「ウチは……あの、キャベツ農家なんです。ウチ来たら毎日食卓キャベツばっかですよ?」

 え、これって……

「あ、大丈夫です。あたしキャベツ大好きなんで。なんなら……


 そう言いながらニッコリ笑ってやった。

「……それ、さっきの返しですか?」

「あ、わかりました?」

「……クックックッ……あははははははははははははっ」

 

 なんだこの人、こんなに爆笑できるんじゃん? ちょっと安心したかも。

 先生のバカみたいな笑い声聞いてたら、あたしはなんとも幸せな気分になった。


 ひとしきり笑った後、いきなりキリッした顔になった先生がいう。

「でもまず、大会です。一回戦負けなんかしたら許しませんよ?」

「はいっ」と、ここは元気よく返事をするあたし。

 なんかそんなあたしを見る先生の目がとっても優しく感じるのは気のせいかな?


 



 夏特有の夜の匂いが何とも心地いい。


 美しい月明かりの下、あたしは前を歩く先生の大きな背中にそっと呟く。



「ホラ、やっぱり最後にあたしが勝ったでしょ?」

 

 そうニンマリ笑ってると、いきなり振り向いた先生と目が合ってしまった。


「……だからぁ、振り返ったらいつもそのコワイ笑顔があるって、結構ホラーなんですって」


 こんなかわいい彼女になんちゅう言い草だよ

 ……ったく、コイツはwww。










「しない女子」


  完













 

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