えぴそーど16 日常

 俺 「いやー、はしご落ちた瞬間、まじで終わったかと思ったわ」


 にひひー、と笑う。


 だけど雨谷はいつも通りテンションが低めだ。


 雨谷「まぁ、私は別に心配してなかったけど」


 俺 「なんで?」


 雨谷「手の生命線図太いから、それぐらいじゃ死なないでしょ」


 俺 「え、なに、もしかして俺馬鹿にされてる?」


 雨谷「ううん、尊敬してる」


 いつも通り、これまで通りの会話…。


 なのに、俺は強烈な違和感を覚えた。


 その理由は、たぶんこの会話の中で一度も雨谷が笑っていないからだろう。


 若干の気まずさの中、俺は続けた。


 俺 「そう言えばさ、これ持ってきたから飲めよ」


 リュックから2リットルのリンゴジュースとコップを取りテーブルに置く。


 トポトポとコップの中に黄金色の液体が満たされていった。


 それを見た雨谷は、ほんの一瞬驚いたような表情を見せると、すぐに顔をプイッと逸らす。


 雨谷「…いらない」


 俺 「え、まじで? 俺結構命がけで持ってきたんだけど」


 雨谷「飲みたくない」


 俺 「まぁ、それなら仕方ないな…」


 雨谷のために注いだリンゴジュースを、仕方なく自分で飲む。


 気のせいかもしれないけど、いつもより甘さが薄いような気がした。


 雨谷「てかさ、帰って」


 俺 「は?」


 急に、雨谷の声が低くなる。


 短く言い放たれたその言葉には、自然とナイフのような鋭さを感じた。


 雨谷「休みの日ぐらい、1人にさせて」


 俺 「いや、いつも1人にさせてくれないのお前の方じゃん」


 次の瞬間、キッと俺を睨み、声を上げる。


 雨谷「うるさい!早く出てけ!」


 その瞬間、胸が押し潰されそうになった。


 これまでの人生、何度も聞いたことのあるはずの、雨谷の怒声。


 だけど、その中でも1番、悲しそうな声だった。


 雨谷「1人にしてって言ってんじゃん!なんで私にそんな構うわけ!? 別に暇なら私じゃなくて、あきちゃんでもいいじゃん!」


 そして、大きく息を吸うと、


 雨谷「…だから…だから早く出てってよ…」


 力なく、俺の背中を押す。


 …。


 俺の中で何かが、ぶつりと切れた。


 俺 「…は、ふざけんなよ」


 雨谷「…え」


 ゆっくりと振り向き、彼女の手を掴む。


 そしてそのまま、雨谷をベットへと押し倒した。


 雨谷「ちょ…痛い…離して」


 俺 「お前さ、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって、いい加減怒んぞ?」


 雨谷「痛いから…もう、離してよ…」


 俺 「わりぃけど、絶対離さねーからな!」


 俺がそう言うと、雨谷は驚いたような表情を見せた。


 そんな彼女に俺は、まるで自分の中の怒りをぶつけるみたいに続ける。


 俺 「そもそもさ、お前勝手に勘違いしすぎ。なに? 暇ならあきちゃんがいるじゃん? は、ふざけんなよ。そもそも俺とあきちゃんはそういう仲じゃねぇ。それにな、あきちゃんはお前に勝ちたくて、ずっと一人で練習してきたんだよ。百歩譲って俺のことを悪く言うのは許す。だけどな、一生懸命頑張ってるやつをそんな風に言うのは許さないからな!」


 一気に言い切る。


 肺の中の空気を全部使って。


 大きく息を吸って、酸素を取り込む。


 雨谷の顔に目を落とした。


 心臓がキュッと縮む。


 はぁ、と小さく息を吐いて、俺は小さく口を開いた。


 俺「それにさ、お前がそんな顔してる限りは、絶対離さねーからな…バーカ」


 優しく微笑む。


 雨谷の白い頬には、すでにいくつもの涙が流れた後があり、俺がベットに押し倒す前にはもう、目が潤っていた。


 そして、すこし遅れて、震える唇から声が漏れる。


 雨谷「あ、ぁ…私…ごめん…ごめんなさい…」


 声を押し殺すように、呟く。


 そんな雨谷に、俺も言葉を返した。


 俺 「俺もさ、悪かったな一人にさせて」


 雨谷「ううん、悪いのは…悪いのは私なの…本当にごめんなさいっ!」


 すると、とうとう堪えきれなくなった嗚咽が、薄い唇から溢れ出す。


 手を離すと、雨谷は両手で顔を覆った。


 俺 「ほら、泣くなって雨谷、お前はなんも悪くないから」


 頭を撫でる。


 俺の手の中で、さらさらとした頭がコクコクと動いた。



 そして、数分後、やっと落ち着きを取り戻した雨谷は、グリグリも服の袖で目元を擦った。


 俺 「うわ、ブッサ」

 

 雨谷「うるさい」


 そんな会話をして、雨谷はリンゴジュースに口をつける。


 ちなみに言うが、コップに注いだわけではなく、ペットボトルごとラッパで。


 雨谷「ふぅ…なんかすっきりした」


 首をコキコキと鳴らす。


 そして、真剣な眼差しを向けると、「それでさ…」と続けた。


 雨谷「本当に付き合ってない? 友達なだけ?」


 俺 「え?」


 雨谷「さっきの話し」


 俺 「あー、そう言うことね。もちろんあきちゃんとはバスケ仲間なだけだよ」


 雨谷「本当? 嘘ついてない?」


 俺 「本当だって、そこまで信用ないの?俺って…」


 雨谷「そっか…」


 すると、雨谷は袖で口元を隠し、に微笑む。その表情はどこか安心したようにも見えた。


 ペットボトルに口をつける。


 白い首がコクコクと動く。


 雨谷「ね、」


 俺 「ん?」


 雨谷「やっぱりリンゴジュースって美味しいね」


 にこりと笑う。


 無邪気で、柔らかくて、やっぱり雨谷は自然に笑ってた方が可愛い。


 そんな雨谷に見惚れながらも俺は、「だな」と短く返した。


 雨谷「それと…」


 すると、雨谷は俺に近寄り、バッと白い腕を俺の首に回す。


 雨谷の柔らかい体が、密着する。


 心臓のどきりと跳ねた。


 俺 「おい、やめろって」


 雨谷「ふふ…ありがと」


 耳元で囁く。


 その声と息の湿り気がさらに俺の心臓の動きを加速させた。


 雨谷「あれ? 耳真っ赤だよ? もしかして興奮してる?」


 まるで馬鹿にするように耳に息を吐きかける。


 そんな雨谷に「興奮してねーし!」と言うと、あはは!といたずらに笑うのであった。


 こうして、俺たちの日常が戻ってきたのだった。


 

 


 

 



 




 


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