第43話「キミとずっと一緒にいるために」

 翌日の早朝。

 私は普段よりも早めに学校へと登校してきていた。


 理由は単純――藤崎に、あいつに出くわさないため。


 避けている自覚はある。普段のもめ合いや言い合いとはりゆうが違うものの、根本的には一緒。これは、明らかに他人ひとを避ける『確証』とそぐわない。


 いつもより早くに家を出ていることだってそう。

 藤崎とは、毎日のように泊まり合いをしていたお陰か、登校時間までもが同じとなってしまうことは必然的。致し方ないことだと、今まではそう思ってきた。


 けれど今になって、それが仇となるとは思わなかったかなぁ……。

 ……気が滅入る。

 あいつとは、同じクラスじゃないんだし、授業中にあいつの名が聞こえることも、あいつが休み時間になってクラスメイトと話す場面に出くわすこともない。


 一度も思いはしなかった。

 まさか私が、他人の顔色をうかがうようになるとは……。過去の私からは、想像も出来ないだろう。それぐらいに、あいつとの出会いは『運命的』なものだったんだろう。


 今、あいつの顔を窺わないことが、こんなにも楽だと感じる。

 こんなにも……同じクラスでないことが幸いだと思う。


 少しばかり時間が欲しい。――昨日、ベッドの中で考え出した答えだ。


「……にしたって、朝ってこんなに人いないんだ」


 廊下に広がるのは静寂。

 いつものような煩い声も、先生が注意する声も響かない。

 床を踏むときに響く足音だけ。――それが今は、余計に寂しく思えてしまった。


「というか、私こんなに早く来て何するつもりだったわけ……?」


 完全に失敗となった。

 こうして早めに学校に来るのはよかったのかもしれないけど、誰もいない、時間が余りまくるこの限られたスペースで、私は朝の時間まで、何して過ごせばいいんだろうか……。


 藤崎から一時的に、とはいえ距離を置こうとした努力の半面、肝心なことから思考が逸れれば、担う対価、それ以外の割り当てを考えていなかったという結論が導き出される。


「……バカだ、私ってやっぱ」


 自虐出来るぞ、未来の私。

 ののしれるぞ、過去の私。


 ……まぁ学生の本分は勉強だと偉い人は言うわけだし、勉強でも……と、言いたいところではあるんだけど。実のところ、私は勉強というカテゴリーが大が付くほどに嫌いだったりするのである。


 テストでも50台後半を取れれば良い方。

 入学したばかりの頃は、親に『勉強しなさい!』と軽く怒られたことはあるけど、特別困った試しが無かったために実行したことは数える程度でしかない。


 ……そんな私が? 誰からの助けも無しに勉強?

 結論から言って、無理に決まっている。


 じゃあ……と、話を戻すけれど、だからって他にすることもないし。

 普通にクラスに戻るっていうのも手だけど、藤崎に見つかるリスクの方が高くなりそうだし迂闊には近づけない。それに、授業開始まで起きないなんて可能性も……、


 と、考え込みながら廊下を歩いていた最中のこと。

 顔を上げた先に見えたのは、普段であれば絶対に立ち寄ることのない場所――図書室だ。


「……としょ、しつ」


 図書室――それと該当する人物、それは藤崎透だ。


 あいつがどういう経緯いきさつで本を好きになったのかなんて知らない。興味を持ったこともなかったし、訊いたところで私が理解出来るのか否かは、また別の話だし。


 ……けれど、今だけは不思議と興味が湧いた。

 今私が悩む“釣り合う人間”とは違った意味で、少しだけ……あいつの趣味が気になった。


「…………」


 ガラガラガラ、と慎重に扉を開ける。

 小学校に通って約3年半に渡って、初めて入る図書室の空気。それは、教室での、廊下での空気とは一線を引くような独特な空気感に支配されていた。


 開いている窓から吹いてくる少し冷え切った風。

 近くにそびえる木から、枯れ始めている木の葉が舞い、図書室内に静かに落下する。

 環境音以外が無。そんな、異質な空間だった。


「お、おじゃましまーす……」


 恐る恐る、部屋の中に足を踏み入れる。

 小さな棚には児童向けの本から文庫本まで、大きい棚には伝記や歴史に関する本などの授業用と思われる本がジャンルごとに並べられている。


 更にはわかりやすいようにと、棚の上には『○○○向け』と書かれたプレートが設置されていて、どこにどんな内容の本が置いてあるのかが一目瞭然だ。


「(……あいつは。こんな、静かな空間が好き、なのかな)」


 私も1人っていう静けさが好きだけど、この雰囲気だけでわかる。

 私が好きな『1人』と、藤崎が好きな『1人』が違うということが。

 少し口角を緩め、改めて図書室全体を見渡す。


「……やっぱ違うよね。私とあいつじゃ……初めから。境遇も、立場も」


 私だけが、あいつの趣味を知っているつもりだった。

 どんな顔で、どんなに楽しそうに読むのか、私だけが知っているつもりだった。

 クラスメイトにも見せない一面を……私だけが、知っていたはずだった。


 ――でも、そうじゃない。

 あいつはそんなことで趣味を打ち明かしてくれたわけじゃない。元は私が訊いたんだ――『本を読むのが好きなのか』と。藤崎は、それに答えてくれただけ。言おうとすれば、きっと誰にだって言う。その内、仲の良い友達にも、隠さず打ち明ける日がやって来る。


 わかっていた未来。わかっていたはずの結末。

 ……けどそれが、何となく『嫌だ』と感じるのは、多分、私があいつを好きだから。

 普段なら来るはずもない図書室に来たのだって……。


「(情けないなぁ……本当に)」


 昨日、初めてわかった。

 私があいつの隣には相応しくないということ。

 私みたいに、面倒な環境を抱える人間は、あいつをトコトン縛ることになるということ。


 ……それがどんなに惨めな方法でも。私はきっと、あいつを手放さなくなる。

『真剣な想い』を持った彼女みたいに、私もなれれば良かった。


 あんな風に、真っ直ぐ想いを言える、あいつの隣に居ても困らせることのない人間になれたら……。もしも、あの子みたいな性格だったなら。玉砕覚悟で告白出来る勇気を持った人間になれたなら――藤崎は、私を隣に置いてくれるだろうか。



 …………んん? 告白出来る、人間?



 もしも、あの子みたいになれたなら……私は、自分に自信が持てるようになるんだろうか?


「…………」


 普段使うことのない脳みそが活動を始める。

 衰えや錆が酷いけれど、自分の脳みそだ。あいつの隣にいるために使う脳みそだ。勉強が出来なくったって、こういうときに使わなきゃいつ使うのよ私――っ!!


「……っ! そういえば、ここの棚って……」


 私は近くにあった棚から1冊の本を抜き取る。

 教科書以外の分厚い本を持ったことも、開いたこともないにわかには、正直中身を捲ろうと思うような活力も労力もみなぎってはこなかった。


 ここに書いてあることが、全部正しいかはわからない。

 でも私は、やってみたいと思った。


「……後、3年か」


 小学校卒業まで残り3年。

 希望は望み薄だろうし、そもそも叶うかどうかだって怪しい。


 だけど、何もやらないで諦めるよりもいい。勉強以外、それも運動にだけしか芽生えなかった“小さな興味”が、このとき初めて開花した。


 人生の第二ステージは、高校デビューから。

 本当かどうかわからないそんな迷信に縋るのは変な気分だった。そもそもまだ小学生だし、今から約6年後のことを思い描くとか、そんなの無理だ。


 でも、それでもいい。彼の隣に似合う『私』になるために――。


 そう決意を固め、私は手に取った『受験案内書』を棚へと戻した。

 原動力は1つの想い。――隣のキミと、ずっと一緒にいたいという想いだけ。

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