第32話「誰かと一緒に居れる時間」
✻
「適当に寛いでくれていいからな。ランドセルも、その辺に置いてくれ」
「……う、うん」
緊張しているのか、佐倉さんは床にランドセルを丁寧に置くと、そのまま固まってしまい、一言も口を開かなくなってしまった。……それに、オレも。
何しろ今まで女子友達を家に上げたことなんて無かったし、こうして2人になるのだって初めてだ。
いくらお隣さんとはいえ、これでオレ達は『他人同士』ではなくなった。
そんな現実をつい数十分前には想像もしていなかったわけだから、多少なりともこの現状を受け入れ切れていない節もあったりする。そういう意味では、オレも佐倉さんと同じなのかもしれない。
「はい。麦茶だけど」
「……ありがとう」
オレが麦茶を淹れたコップを差し出すと、佐倉さんは静かにそれを受け取った。
美味しそうに飲む姿を眺めながら、オレも一口、二口と麦茶を飲む。……のだが、そこで会話は再び途切れてしまった。き、気まずいなぁ……この空気って。
と、とにかく話題だ! 話題!
お互いに緊張があるせいなのか、この落ち着かない空気感を何とかしたい!
「え、えっと……。そうだ。佐倉さんは、いつも家に1人なのか?」
「……えっ?」
違う!! そういう暗めの話に持っていきたいわけじゃない!!
……そ、そりゃあ、似た者同士の同級生になんて出会ったことなかったから、佐倉さんの家庭事情とかに興味が湧かないわけではないけどさ……。けど、他人が他人の家庭事情にむざむざと踏み込むべきじゃないことぐらいわかってた。わかってた、はずなのに……。
同じ境遇者と出会えた。
そんな、奇跡と捉えられる一つの出会いに、オレは言葉だけでは表せない幸福感を抱いていたんだ。
いや……だからって、こんな踏み込みの仕方はするべきじゃなかった。
明らかにオレのミスだ。そう思い、先程の過ちを訂正しようと口を開くが、先に視線を動かしたのは佐倉さんの方だった。
「……ゴタゴタしてる」
「……えっ?」
「……昔から、2人ともいそがしそうだった。家族のことより、自分の仕事の方を大事にする。そんな2人だった。だけど、決してお互いが嫌いなわけじゃなくて。ただ、仕事の立場上、対立することの方が多いからだって言ってた。……本当かは、わからないけど」
「…………」
「あの家が嫌いってわけじゃないの。パパもママも、2人とも大好き。でも、私がいると『めいわく』になるから。あの日から、空気を換えるのが嫌になって。……だれにもめいわくにならないから、1人って時間が楽に思えるの」
「…………」
オレは佐倉さんの言葉に驚かざるを得なかった。
……何を勝手に喜んでいたんだろう。何を勝手に自己完結していたんだろう。
そう。何も日本中もしくは世界中の『鍵っ子』はオレだけじゃない。佐倉さんのように1人が楽だと感じる人もいれば、オレのように1人が嫌だと感じる人もいる。人の心は何も1つの考えに定着していない。それが事実であり、それが真実だ。
どうしてこんな思い込みをしていた……?
こんなの勝手な被害妄想だ……。相手に自身の考えを無理やり押し付けていただけだ。
――昔から、1人が嫌いだった。
そんなオレだからこそ、きっと彼女の考えもわかれるだろうと。心のどこかで、そうぬか喜びしていたんだ……。価値観が違うからこそ、人というのは共生し、共命出来るというのに。
オレが両親からの愛情を貰って育ったのと同じように、佐倉さんは家庭内の空気を全身で浴びて。似ているのに、同じ境遇者のオレと全く別の価値観を持っている。
ならオレは――彼女のことを、何もわかってあげられないのか……?
「……ところで、さっきから気になってたんだけど、いい?」
「えっ、なに……」
「……あんた、だれ?」
そんな彼女の台詞に、オレはつい数十分前までの出来事を思い返した。
……あっ、そういえば自己紹介とかまだでしたね。
いくらお隣さんと云えど、親しく接したこともないし、お互いに認識すらしてなかったわけだし。
オレの場合は、昔からの癖と呼ぶべきものだろうか。
人に好かれることに必死で、すぐにでも顔と名前を覚えようと努力していたあの頃の癖が。
1人には、なりたくなかったから――。
「そういえば、自己紹介してなかったな。オレは『藤崎透』だ。気軽に透でいいぞ!」
「……陽キャラ?」
「それはやってんの、ラノベの世界だけじゃなかったのね……」
「……ん? 何の話?」
「何でもない。こっちの話だ」
きょとん、とした表情で首を傾げる。
陽キャラと陰キャラ。――おそらくだが、今どきに使われる『人の性格』『人の性質』をざっくりと表現したものなんだろう。オレもラノベを読むまでは、何のことだか良くわからなかったしな。
そして佐倉さん曰く、オレはどうやら『陽キャラ』と呼ばれる類の人間らしい。
ちなみに、人とのコミュニケーションを不得意とし、あまり大人数で戯れたり遊んだりすることが苦手な木陰に住み着くことを好む類の人間を『陰キャラ』と呼ぶそうだ。
すると佐倉さんは、もじもじと足を動かしながら、視線を逸らして言葉を放つ。
「じゃあ……藤崎、でいい?」
「呼び捨てかよ……」
「い、いいでしょ別に。いきなり下の名前で呼ぶのは、その……はずかしいし」
「……それもそっか。ならオレも佐倉って呼び捨てでいいか?」
「……好きにしたら?」
「ツンデレ属性持ちかよ」
「だ、だれがツンデレよ……っ!!」
……あぁ、何だか楽しいな。
こうして家の中で誰かとこんなにも遠慮なしで話すことが出来るっていうのは。家族の団欒とは違った楽しさで溢れていて。こんなに楽しいの、一体いつぶりのことだろうか。
「……どうしたの? 何か、ニヤニヤしてるけど」
「えっ。そ、そうだったか?」
「うん。シンプルに言って、キモかった」
「もう少しオブラートに包んだ言い方してくれよ! さっきとキャラ違くない!?」
「十分包んだし、私は元々こういう性格よ。可愛くないわよ」
「そこまで言ってねぇだろ!」
必然的に1人となる時間――それが夜。それを伝える夕暮れ。
窓の外から眺められる綺麗な月が、オレは嫌いだった。
……でも今は、期間限定であっても佐倉が居てくれる。この時間では味わえなかった――誰かと一緒に過ごすこと。それも今日、たった数十分前に、家の外で出会った奴と。
けど、それでも。
オレが過ごしたかった時間は、こんな空間のことだった。
静寂で、誰の気配も感じない部屋ではない。――そんな、誰かと一緒に居れる時間だ。
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