第20話「幼馴染同士は、真意を打ち明ける」

 ◆一之瀬 渚◆


 翌日の放課後――ちゃんと晴斗と話さなくちゃいけないというのに、そんな機会が出現することは無く、あっという間にホームルームが始まってしまった。


 ちなみに晴斗はと言うと、昨日よりもパーソナルスペースが強化されており、私から話しかけると昨日の約2倍ほどの距離を置かれてしまった。

 どうしよう……。脳内の9割をその一言が反復横飛びしていた。今日の授業内容は予め予習してあったものの、ほとんど内容を覚えていない。それほどまでに私は焦っている。


 何を隠そう、今日は晴斗の誕生日当日。

 1年に1度しか訪れない特別な日なのだ。


 でも、このまま何も話しかけないままじゃ、いつまで経っても状況は変わらない。

 それに、佐倉さんにだって言われた。――『嘘で塗り固めるより、真実を打ち明けた方がいい』って。


 根本的には違うかもしれないけど、晴斗の様子がおかしいことに『私自身』が関わっていないわけがない。だから――訊いて確かめるっ!!



「――では、今日はここまで。気をつけて下校するようにね」



 担任の先生によるホームルームが終わり、静かだったクラス内に騒めきが生まれる。

 クラスのみな、それぞれ帰り支度を整えて友達同士での下校や部活動へと赴き始める。そしてもちろん――私を避け続ける晴斗も席を立つ。


 今までだったら簡単に逃げられたかもしれない。

 だけど、今や隣同士になった『幼馴染』から逃げられると思ったら大間違いっ!


「――晴斗!」


「……っ、ちょ!?」


 席を立った直後、私は晴斗の腕を強く掴み自分の方へと引き寄せる。

 突然掴まれた腕を見ながら、元凶の私に動揺の目を向ける。それと同時に周囲から感じるのは、この光景を二ヤニヤしながら眺める佐倉さんと藤崎君、そしてまだクラス内に残っていた数名のクラスメイトからの困惑の視線だった。


 こんなの……後で晴斗に怒られちゃうかな。ただでさえ目立つことが嫌だし。


 だけど――今だけは許してほしい。


 晴斗の真意を聞きたい。どうして避け始めたのか、その根底を知りたい!

 もう晴斗のことで知らないことが無くなるぐらいに……もっと、晴斗を知っていきたい!


 クラスメイトから浴びせられる無数の視線を諸共せず、自分の鞄を片手に晴斗の腕を掴んだまま、勢いよく教室を後にする。


「お、おい、渚! 離せって!」


「…………」


 久しぶりに聞いた気がする。

 背中越しでも、晴斗が私の名前を呼ぶところ――。


 たった数日間といった『現実』が、私にしてみれば1ヵ月というときの流れを感じてしまった。

 最近なら一緒に帰ってたことが当たり前だったのに、「お前」や「渚」といった、私を呼ぶときの声すら聞こえてこなかった。

 ……それがどれだけ寂しかったか、晴斗にはわかっているのだろうか。


 そんなことを考えながらも、私は晴斗と目的地へと向かって廊下を駆ける。

 必死に私の手から逃れようとする晴斗だったけれど、さすが引き篭もりというだけあって私より力は上ではない。……なのに何で運動神経だと上なんだろう、と新たな疑問を抱えるのであった。


 そして校舎東棟の5階の隅にある文芸部の部室へと駆け込み、扉を閉める。


「おい、なぎ――」


「――っ、……!!」


 私はその勢いに乗っかり、懐かしくてとても居心地が良い、晴斗の胸へと飛び込んだ。


「…………な、ぎさ?」


「やっと……やっと、抱き締められた……!!」


 小言で、晴斗の温もりが感じられる胸の中で呟く。

 この小言を晴斗が聞いていたのかどうかは定かではない。

 ただ……晴斗は私と同じように、私の背中にそっと腕を回し軽く抱き締めてくれた。――それだけの事実で、十分だった。


 数日振りに感じた晴斗の胸の中はとても温かくて、居心地が良い。

 授業中でもずっと隣に居てくれて。

 でも、こんなに幸せな気分にはなれなくて。

 ――だけど、そんな不安なことも全て吹き飛んだような感覚に陥った。


 ……どんなにカッコ悪くても、私だけが知っていればいい。晴斗がこんなに温かいことも、私以上に不器用なことも。それらをまとめて――私は彼が好きなのだから。


「……そろそろいいか?」


「……嫌だ。まだ、全然足りない」


「人を勝手に拉致しておいて。お前って、随分身勝手な奴なんだな……」


「知らなかった? ……今の晴斗の所有者は私なんだよ。つまり、主である私には絶対服従ってこと」


「横暴だな……」


 晴斗は呆れた口調で物申す。

 横暴だろうが何だろうが、やっと捕まえた彼氏をみすみす逃がすほど私は甘くない。晴斗がまた逃げないためにも、こうして繋ぎ止めておかなければいけない。

 風船みたいに、フワフワとどこかへ飛んでいかないように、しっかり見張っておかないと。


「…………どうして、私から逃げるの?」


「…………。……言いたくない」


「黙秘権は通りません。……お願い――これ以上、遠慮しないでっ!」


 私はぎゅっと彼を力強く抱き締める。

 何とか言い逃れしたいのか、晴斗は私に黙秘権を貫いている。


 このとき、少しだけ晴斗が私と重なっているように思えた。――遠慮しているのは、何も晴斗1人に限定した話じゃない。どれだけ惨めだろうと、臆病であろうと、たった1人のためについた『嘘』は、きっと晴斗も同じなんだと。


 幼馴染とは似ても似つかない同士。

 長年というポテンシャルが残るだけで、実際はまったく別の遺伝子を持つ他人同士。


 ……でもどうしてか、どこかしらが似てしまう。

 きっと私達は――過去というくさびに縛られた、


 だけど、もう、言うって決めたから。

 どれだけ惨めであろうと、しょうもないと思われようと、事実を隠した『嘘』より醜いものなど、おそらく在りはしない。


「……わかった。――じゃあ、私から言う」


「……えっ?」


 晴斗の気の抜けた声が聞こえる。

 しかしその瞬間、私は彼の胸の中から顔を覗かせて、身長差のある晴斗と目を合わせ……、


「――嘘ついて、ごめんなさい!!」


 そう言って、あのときのエゴを謝罪した。


「……渚」


「……痣のこと訊かれたとき、咄嗟に嘘ついちゃったの。けどあの後から、何だか晴斗と距離が出来ちゃったみたいになって……登下校も避けられて一緒に出来ないし……」


「それは……」


「……本当は、言うべきか迷ってた。嘘で塗り固めた事実より、嘘をついてしまった真実の方が、晴斗は傷ついたんじゃないかって。今更言うのも……本当に怖くて。――でも、私は自分のことよりも、晴斗にこれ以上距離置かれることの方が……何倍も嫌だった!!」


「…………っ!!」


 目から顔にすぅーっと水が零れ落ちる。

 その正体は、涙だった。


 ……いつぶりだろう、晴斗が見てる前で本泣きしたの。確か、名前で呼んでもらえないって喚いてたとき以来な気がする。こんな……悲しい涙は。


 あのときは藤崎君に嫉妬したときの涙。

 今度はおそらく、晴斗に嫌われたくないという、意思表示の涙。

 ……こう考えると、私ってば意外と涙腺緩かったんだな。


「ご、ごめんね……濡れちゃうから、ちょっと離れ――……」


「――嫉妬してた」


 晴斗の胸の中から離れようとしたとき、私の耳にまるで空を切るようにして、不意を突くように言い残した言葉が聞こえた。



『――嫉妬してた』



 …………えっ? 嫉妬? ……誰が? 誰に?

 もしかしなくても、あの晴斗が……??


「……避けてたことは、本当にごめん。その腕の痣を見たとき、とてもつない劣等感を感じたんだ。嫉妬したんだ。渚に限って――って思ったけど、どうしてもこの気持ちを抑えることが出来なくって……。ごめん。お前は自分のことよりって言ってたけど、僕はまた……みたいにお前を避けた。――繰り返してた」


「……そう、なんだ」


「……渚のことは信じてる。だけど、この感情はお前が原因じゃないから。お前にぶつけて、変に誤解を与えるのも……って思ってた。……でも、やっぱダメだな。結局お前を傷つけた。……本当、ダメな幼馴染で、ごめん」


「……そっか。でもね、私は――透かしたような顔をした普段の晴斗も、頭が良くて運動も出来る晴斗も、嘘をつくのは得意でもその真意は誰かのためにしてる不器用な晴斗も、空回ってて少しカッコ悪い晴斗も。――全部を含めて、晴斗だから。私は誰より、そんな晴斗がいいの!」


 私は涙ぐんだ目を拭いながら、少しだけ背伸びをして晴斗の頭を撫でる。


 こんなに弱音を吐く晴斗を、私は初めて見た。

 クラスの誰とも関わらず常に孤高を貫く。成績優秀なはずなのに誰の目にも止まらない、私だけが知っている――凪宮晴斗は、そんな人だった。


 ……だけど、それ故に抱えた初めての感情を抑制することが出来なかった。おそらくそんなところだと思う。普段はヤキモチも焼かないくせに――。


 どういう結果にしろ、私だけが知ってる晴斗が少し増えたことに変わりはない。

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