御者のみち
Kuo
1.この旅を馬車と共に
小さい頃の記憶を、まだ意識がはっきりしない夢の中で巡った気がしたが、大きくてやたらと白い豪華なドアをノックする音で、現実へと引き戻された。
「オリビエ様、起きていらっしゃいますか?」
ベットから身体を起こし、ドアの方へ返事をする。
「すみません、いま起きました。用事があるのでしたら開けてもらっても構いません」
そう言うと、「失礼します」と言いながら黒いスーツ姿の執事が入ってきた。
「…オリビエ様、私たちのような召使に敬語を使われますと、奥様に私が叱られますので、どうか奥様の前だけでも気をつけていただけますよう、お願いします」
「あ、あぁ…、すいません…。どうも慣れなくて」
目の前にいかにも“不機嫌です”という顔で立っていて、敬語の割に威圧感がある口調は、怖いことこの上ない。
キルーレ・リトソン
スコット家に使える執事。
完璧主義であり、マナーや規則に厳しい。
敬語のクセは多分直らないだろうと思いつつ感情なく謝ると、執事は小さくため息をついて口を開いた。
「まぁ、それは良いとして、今日はスコット夫妻が隣町の友人の所に訪ねる予定ですので、オリビエ様もご支度をお願いします」
「分かりました。すぐ準備にとりかか…るように、しようかな?」
「…では、私はこれで失礼します」
執事が部屋から出て行くと同時に、深いため息が無意識にでた。
(敬語を使う度に不機嫌そうな顔になるのやめてほしい…。悪い人ではないのだけど…)
朝から少し疲れ気味になったが、とりあえず出掛ける準備を始めようとクローゼットに向かう。
スコット夫妻とは、公爵家の家柄であり、いわゆる貴族である。数十年前に市街の無法地帯で過ごしていたオレを半ば強引に養子に引き取ってくれたのがスコット夫妻で、それ以来、スコット家の息子としてオレを育ててくれている。
(隣町の友人てことは、ベッポじいさんのところか。馬車でだいたい1日ってとこか)
全身鏡で身なりを整えながら、走行ルートを頭で確認する。
走行ルートを確認するのは、オレが馬車の乗客ではないからだ。オレは馬車を操縦する側の人間、『御者』である。
5年前にスコット家専属の御者が急死ししため、スコット夫妻への恩返しとしてオレがスコット家専属の御者になることを願い出たのだ。
御者の知識は全くなかったため、1年間〈御者専門学園〉に通う事になったのだが。
御者専門学園を卒業してからコーチギルド(貴族専属御者や貸し馬車専属御者を管理するところ)に申請を出し、正式にスコット家の専属御者として認定された。
少し時間はかかったが、今ようやく夫妻に対して恩返しが出来ている気がする。
御者としての身支度を終えた後、いつでも出発できるように馬車の点検を済ませ、相棒の馬の様子を見に行った。
「おはよう、ルーン。今日もよろしくな」
ルーンは顔を撫でられると、嬉しそうに顔をすり寄せてきた。
ルーンはスコット家に来てから、乗馬の訓練ができるように養父がプレゼントしてくれた栗毛色の馬で、乗馬の練習を重ねていくうちに愛着がわき、今ではオレの愛馬である。
ルーンの世話をしていると、スコット夫妻が近づいてきたのが分かったので、オレは一旦手を止めスコット夫妻に近寄った。
「おはようございます。父様、母様」
「あぁ。おはよう、オリビエ。体調は大丈夫か?」
「はい、お陰さまで」
ウォールター・スコット公爵
オレを養子にしてから、教育や貴族的マナーに関する事、乗馬の訓練や公爵の仕事についてなど色々教えてくれた。
寛大で気さくな人だが、マナーに関してはすごく厳しい。
「オリビエ!あんまり無理しないようにね!辛かったらいつでも御者の仕事なんて辞めても良いのよ」
「あはは、母様、オレは大丈夫ですから」
エレノア・スコット公爵夫人
オレを引き取ることを強く願い出てくれた人(というか、半分強引に物事を運んでいったのだけど)。なんでも、オレを見つけた数年前に1人息子を亡くしたらしく、オレがその息子に似てたらしい。
まぁ、強引なところは多少あるが、優しさも持ち合わせた人で、他の召使いの人たちにも好かれている。
ただ、恩返しのつもりで始めたこの〈御者〉の仕事は、召使い側の仕事になるため、息子のように育ててきたオレには就いて欲しくなかったらしく、御者になって3年経った今でもあまり良く思っていないことが伺える。
「まぁまぁ、エリー、落ち着きなさい。オリビエが私たちのために、自分から申し出て就いた職業なんだ。静かに見守ってやるのが親なんじゃないか」
「うぅ…」
母様はいつもオレの御者としての姿を見るたびに「他の御者に頼んでも良いのよ」「辞めても良いのよ」と熱心に伝えてくる。その都度、父様になだめられて落ち着くのだ。
母様には悪いが、御者としての仕事は辞めるつもりはない。
夫妻に拾われる前は、人間として低レベル、人権などないに等しい生活をしていたから、仕事を持てている事に満足しているし、何より夫妻の役に少しでも立ちたいのだ。
(オレのわがままかもしれないが…)
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