メイトギア、人間をつぶさに観察する

そうだ。


『心に従っていれば』


『感情に従っていれば』


『そうすれば幸せになれる』


なら、<浮気>や<不倫>が忌避されるわけがないではないか。


『好きな人がいても、他にも好きな人が現れた。もっと好きな人ができた。そんな自分の心に気持ちに正直になる』


ことで、人間関係が致命的に破綻したり家庭が崩壊したりすることがあるではないか。


なのに人間は、そういうことをやめられない。


『誰かを愛する気持ちは止められない!!』


などと言って自身の行いを正当化しようとさえする。たとえ誰を不幸に陥れようともだ。そんなことをすれば恨まれ疎まれ、自身の幸せも壊されかねないというのに。


だから、『心に従う』『気持ちに従う』だけで幸せになれるわけではないのだ。


加えて、


『好きな相手の幸せを本気で願う』


なら、ストーカーになどなるわけがない。好きな相手を傷付けたりするはずがない。


そんな人間の振る舞いについても、メイトギアは無数の事例に触れることでつぶさに観察してきた。そして人間自身も、そういう膨大なデータに触れてきた。ゆえに、


『<心>は、人間を幸せにすることもあるが、それと同等以上に不幸にすることもある』


と分かっても来た。


けれど千堂アリシアは、人間を不幸にしてまで自分が幸せになろうとは考えることがない。人間のように、


『ついついそういうことを考えてしまった上で『それはダメだ』と思い直すことがない』


のだ。それに近い振る舞いもしないわけではないものの、やはり人間のそれとは比較にならないくらいに些細なものだった。


その種の<仄暗い感情>は、安藤桃香にさえある。愛する人を殺した<敵>をすべて皆殺しにしたいと考えたことさえ一度や二度ではない。あくまでそんなことをしても自分だけでなく娘の紫音しおんや友人達の忘れ形見である良純が不幸になるのが分かるからやらなかっただけなのだ。なにより彼女にはそれを実行できるだけの力もない。


三度の<火星大戦>を経て、家族や親族や友人や親しい人や近しい人を亡くしたりしたことがない人間など、火星にはもうほとんどいなかった。それで、


『自分の心に素直に従った』


なら、何が起こるだろう? それこそ、最後の一人になるまで殺し合うのではないか?


そして、<最後の一人>になった者は、幸せになれるのだろうか?


それを考えるだけでも『自分の心に正直なるべきだ』という甘言は、大変に甘美な響きを持ちつつも途轍もないリスクを孕んだものであるのが分かるはずではなかろうか。


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