自己満足のためにリスクを取る者、ギーク

一部の人間は、<電脳化>すると、データを感覚的に理解することができるようになるという。だがそれができるのは、数千人に一人という、本当にただの<例外>としか言えないようなものでしかなく、電脳化の恩恵に与れる人間は滅多にいなかった。


ただ、適性の高い者であれば、非常に高度なスクリプトであってもものの数分で組んでしまえるようになる場合もあるそうだ。が、正直、そこまでのものを求められる状況というものが実はそれほどない。スクリプトだけが用意できてもそれに伴う諸々の準備が終わらなければ、電脳内から物質世界に転換するためのそれが用意できなければ、ほとんど意味がないので、実際にはそれに合わせて用意できれば済むため、必要性が乏しいのだ。


しかし、役に立つ場面がないこともない。それが、<クラッキング>だ。あるシステムのセキュリティを突破するために仕掛ける<鍵>や<ウイルス>をその場その場で構築するには向いているという点がある。


もっともそれすら、今ではAIでもできてしまうことでもある。クラッカーの攻撃に対して素早い対処も、人間の脳をはるかに上回る処理速度を持つ<超AI>であれば容易なのだ。


しかもAIは、人間に対して攻撃は行わない。ゆえにクラッカー側はAIを用いることができず、自身の脳をAI代わりに使うというわけだ。クラッキングというくだらない自己満足のために危険を冒して電脳化を行う。彼らが<ギーク>と蔑まれる理由の一つである。


この、まともとは思えない部屋の中で異様な様子を見せるスキンヘッドの男も、その<ギーク>の一人だった。男は今まさにクラッキングを行っている最中だった。


だが、


「くそっ!!」


唐突にそう声を上げて空になったカップを手で払い除けた。わずかに残ったコーヒーのしずくを飛び散らせながらカップは壁にぶつかった後、床に散らばった機器の上で跳ねる。


どうやら男は、クラッキングに失敗したようだ。そして、忌々し気に爪を齧りながら、


「やっぱ<本丸>をいきなりってのは無理か……! しゃあねえ、ここはアルビオンを動かして搦め手で行くか……」


誰に説明するでもなく、独り言を口にする。その様子がまた、男が己の行為に酔っている何よりの証拠とも言えるだろう。そんな振る舞いをするのは、フィクションの中の登場人物くらいで、現実に生きている人間は、いちいち<説明台詞>など呟いたりはしない。


自身をフィクションの主人公のように演出したがっているこの男の本質がそこに表れているということだ。


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